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レンズ千夜一夜

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2100 時代遅れ(2018年2月22日パンタッカー50㎜F2.3は西九条を何度撮影したことか?)


写真アートが本格的にアートの世界に地歩を築いたのは、
20世紀初頭からでしょう。
それとともに、写真趣味も普及し始めました。
よほどの才能がある人でない限り、
写真趣味が写真家的な作品作りに発展することは極めて難しいあたり、
絵画や音楽とも共通性がありました。
素人は素人、とてもアーチストのパフォーマンスには近づけませんでした。

でも、完全自動カメラからさらに進んで電子カメラ化され、
Photoshopなどの画像処理ソフトが普及する現代に至って、
表面的にではありますが、そうした障壁は崩れ去った感があります。
修業時代は不要となり、
初心者があっと言う間に、自分は天性写真家なのだと思い込み、
大家然と振る舞う時代になってしまいました。

フィルムカメラの時代、
経験者、さらには大家の持つ体験、センスの重みは圧倒的でした。
経験、修行、師匠の重みがものを言った時代でした。
だから、一丁前に作品を作るなんて、容易に実現できない夢。
だから、長年の実績がある写真家からなんらかの教え、
ヒントを受けることには大きな価値がありました。
デジカメ時代になると、
そんな体験の積み重ね、修業はほとんど無意味と化しました、
というより、そう見えるようになりました。
カメラや画像処理ソフトが、苦しい修業の代わりに、
凄い画像をプレゼントしてくれるのですから。

アルティエ=ブレッソンのモノクローム作品に接したデジカメ女性が、
ブログに自信たっぷりに書きました、
  
  「まあ、許せる範囲かも?」

別のデジカメ写真家が、
「ブレッソンって、どうしてぶれた写真を作品でございと発表しているのでしょう?」
畳一枚ほどならいくらでも伸ばせる超精密デジタル写真をいつも撮っているので、
それができない過去の写真家の写真作品などまるで参考にならないのです。

こんな人は、カルティエ=ブレッソンが撮った写真を
トリミングなしに作品として発表したと聴いたら、
きっとこういうでしょう。

  「バカなこだわりだね。
  分かってないんだねえ。
  パソコンの前に座ってからが勝負なのに、ねえ!」

私は、写真芸術は滅びつつあると思っています。
カルティエ=ブレッソンや木村伊兵衛のような、
味わい豊かなストリートフォト、ドキュメンタリーは、
創る人がいなくなったばかりではなく、
その価値を認める人も居なくなりつつあるのですから。

かつてフォトグラフィが「写真」と訳されたのは、
写真は現実のあるがままの記録として無限の価値があると考えられたためでしょう。
今、デジタル写真も映画もコンピューターグラフィックス、
完全なフィクションとなってしまいました。

私もその潮流に押し流されて、デジタル写真の海にアップアップしています。
いかなる創作意図もないまま、眺めた瞬間、シャッターを押し、
記録されたデジタルデータそのものを最低限レベル補正したりしなかったりして、
一記事を構成する写真群を平準化するだけ、というのが私の写真なのですが、
画像処理ソフトでいじり倒したデジタル作品との間に、
はっきりとした懸隔があるわけでなく、
結局、私もデジタル写真の制約の下に写真趣味を楽しんでいるわけです。

価値は制限から生まれるものです。
フィリム写真時代の写真家は、
フィルムに焼き付けられたシーンを変改することはほとんどできないから、
撮影行動の一瞬一瞬が取り返しのつかない1本勝負だったのです。
だから、写真に気合いが入り、面白かった。

現代のデジタル処理画像は、申し訳ありませんが、
まるで腰が据わっていません。
ああ、時代は変わるものですね。
というより、むしろ無限に退行していくものですね。

人間も、小賢しい才子ばかりで、
西郷隆盛や坂本龍馬のような時代を突き抜ける大物は
絶対に現れない、現れようとしても、寄ってたかって潰される、
そんな袋小路の末世になってしまいました。

気が滅入るので、レンズの話に戻りましょう。

  アストロ・ベルリンの映画用レンズ、
   パンタッカー50㎜F2.3。

私のセカンドエース。
例の通り、画像処理は最低限レベル補正にとどめ、
私の30年来の「5つのノー」、
   ノーメイキング
   ノーウェインティング
   ノーシンキング
   ノートリミング
   ノーファインダー
これを可能な限り遵守しています。

ただし、超接近はさすがに置きピンでは撮れないので、
ファインダーをピント合わせのための拡大画面にしたままにして、
ピントを合わせたい部分のピントと合わせたら、
即時、画像全体を見ることなく、シャッターを切っています。

なぜ、そんなことをするの?
しっかりファインダーで構図をチェックするのが作品作りの基本じゃないの?
そうおっしゃる方もおいででしょう。
私の回答はシンプルです。

  ① 私は写真作品なんか創っていません。
  ② 人に見せる目的は一切ありません。

じゃ、このブログはなんなの?
これは日記です。
それじゃ、閲覧不可にすればいいじゃないの?
友人への通信でもあります。

  こうして、元気に生きてるぞ!
  心配するなよ!

純然たる閲覧不可の昔風日記になったら、
緊張感を失い、あっという間に、無期限休止になるでしょう。
だから、そんなことをするつもりはありません。

そんな設定にしなくとも、
長大な駄文、無数の駄写真のおかげで、
偶然の検索結果で訪問する方以外には誰も来なくなりました。
おかげで、平安の人生を送れます。

つまるところ、私の2つのブログは、未来の私に当てたラブレター。
ただし、あまりにも膨大な上、
近いうちに、エキサイトがブログ事業から撤退し、
世界のブロガーユーザーをさらりと斬って捨ててしまうでしょう。
ブログは、正真正銘、自由な精神からのメッセージの場です。
独裁者が民衆をほしいままに操作する障害になるだけなのですから。

というわけで、私のブログは、私にとっては、
未来の私が読み返すことはほとんど期待できないラブレター。
そんなブログでも、こうして記事を用意する時間は、
私にとってなにものにも代えがたい貴重な一時なのです。




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by Sha-Sindbad | 2019-07-21 23:28 | Pan.Tachar50/2.3 | Comments(0)

2093 典麗!(2019年1月26日ヴァリオペッツ50㎜F2.3が大阪西九条を生き生きと)



私は写真趣味の40数年の間、
実のところ、一部の例外を除いて、
現代のレンズを使ったことがありません。

1991年夏、スリランカ旅行をしたとき、
妻のキャノンEOSにズームレンズ2本を借りました。
生まれて初めてのオートフォーカス一眼レフでした。
実は最後のオートフォーカス一眼レフになるのですが、
実にスムーズに撮影できました。
でも、これが肝心なことですが、ちっとも楽しくない!

被写体を発見し、さっとレンズを回して、
手動でフォーカスをびしりと決める、
そんなスリリングな行為が撮影だと思っていたので、
その一番肝心な部分が抜け落ちたオートフォーカスでは、
写真を撮るという行為の快楽を完全に欠いている、
そう感じたからです。

撮影結果はとても楽々と撮れたという感じで、
EOSのレンズには、私が求めるようなスリリングな意外性も、
そのレンズならではの独特のコクもありませんでした。
これに懲りて、現代のカメラ、レンズは二度と使いませんでした。

例外は、コンタックスT2、ミノルタTC-1のような超小型カメラだけ。
これらのレンズは特別でした。
歴史的名レンズに匹敵する独自の個性があったからです。

というわけで、現代レンズは使わない主義なのですが、
それなのに、宮崎貞安さんのレンズだけはかなり沢山使い続けています。
私が知る限りでは、現代でも有数の独創レンズ作家です。
宮崎貞安さんのレンズも、古典的な名レンズたちに比肩する、
まさに「現代の古典的名作レンズ」の個性とコクに満ちた画像を
プレゼントしてくれるからです。
とりわけゾンネタール50㎜F1.1Softは、
私のお宝レンズベスト5に出たり入ったりという超名作。

そんな宮崎さんが最近新シリーズを展開しておられます。
「古典的名レンズの復刻シリーズ」

私は、上記のゾンネタールあたりからでしょうか、
宮崎貞安さんのレンズ制作の試作品の実写テストを
お手伝いさせていただいて、稀な幸運に恵まれたと、
常々、感謝して来たのです、
本シリーズに入って、感謝の気持ちはさらに増しています。
なぜって、宮崎さんのお作りになる復刻シリーズは、
1本1本、見事な傑作なのですから。
ヴァリペッツ57㎜F2で、本シリーズが佳境に入った、
そう感じています。

レンズ史上を彩る最初の名レンズがペッツヴァール。
その復刻版50㎜がこのヴァリペッツ57㎜F2。
すでに5回試写結果を本ブログに掲載していますが、
6回目になって、大変嬉しい状態となってきました。
私がこのレンズを使い慣れたのでしょうか?
今回の撮影結果を一言で言えば、
典麗!
そうとしか言いようのない麗しい描写。
とにかくじっくりご覧頂きましょう。




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by Sha-Sindbad | 2019-06-20 18:39 | Variopetz57/2 | Comments(0)

2092 感謝(2018年12月9日パンタッカー50㎜F2.3が大阪西九条を生き生きと)



写真家吉田正さんの写真教室の受講を辞めて、かなり経ちました。
吉田さんの語りに心を奪われることもなくなったわけでもなく、
教室の皆さんの個性溢れる作品たちに接して、
驚嘆することがなくなったわけでもありません。
ただ、私の人生の時間がどれだけあるか、
神様しか知らない。
だから、私としては、もうほとんど残っていないことを常に前提して、
それでもなお私がやりたいことをやりたい、残り時間のすべてを自分一人で使いたい、
そんな気持ちになったのです。

ある意味で惜しいのですが、
私を動かしたのは、「西は西、東は東」の原理だったわけです。
写真家の世界、写真家を志望する人たちの作品世界、
それはかなり以前から私の世界と遠く隔たっていたのです。
私はそれに気づきながら、私の人生を楽しく彩ってくれるのではと考えて、
受講を続けてきたのですが、
私の写真に対するスタンスを正当化するファクターはついに見つからないと、
最終的にはっきりと見極めがついたのです。
私のプライベートな記憶の写真は、
パブリックな作品プレゼンテーションを目標とする写真家の写真と、
どこにも接点がなくなった、ということなのでしょう。

でも、実のところ、
私のような個人的スタンスで写真を楽しんでいる方の方が多いでしょう。
写真家志望の皆さんの写真世界はむしろレア。
大抵の人は自分の個人的なスーベニアとして写真を心の底から楽しんでいます。
私が今更ながら気づいたのは、私は自分のスタンスを意識しながらも、
仲間ほしさに、写真歴の大半を写真クラブで過ごしてきたのは、
時間の無駄ではなかったとしても、
一種の贅沢にすぎなかった、ということでした。

今年の四月以来、人に写真を作品として見せることを完全に止めて、
ブログ日記に掲載することに専念するようになって、
私は自分の精神が浄化されたという気持ちさえ感じています。

思い出すのですが、遙か昔から、
私は自分の写真を賞賛されると、かなり奇妙な気分になることに気づいていました。
ということは、つまり、私は写真歴のかなり昔から、
パブリックな作品作りへの動機を失っていた。
じゃ、なんだったのだ?
その写真を撮ってくれたレンズへの感謝、
その情景を記憶できることの喜び、
これだったようです。

どうやら、と言うより、間違いなく、
私は変人なのでしょう。
おそらく私は写歴45年を超えて、
アマチュア写真家のほとんどの方よりも沢山写真を撮ってきたように思います。

でも、正直なところ、下手な鉄砲数撃ちゃ当たる、ですね。
私のような撮り方だと、ロボットにホロゴンを渡して、
奈良町を1時間撮らせたら、私のと区別の付かない写真がずらりと並ぶでしょう。

10年ほど前でしたか?
心斎橋の画廊で8歳の少年写真家の写真展を観ました。
画廊を出てきたとき、友人たちが口々に言ったことは、
「ホロゴン写真とそっくり同じですね」
つまり、誰でも腰あたりにレンズを下ろして水平に撮ったら、
撮れるものは一緒なのです。
私が写真家的な作品作りをしていなかったことはこのエピソードで証明済み。

私が一種のレンズ収集家、愛好家になったのは、
今から12、3年ほど前でしょうか?
Cマウントレンズの快楽に出会ってからのことのようです。
レンズの数だけ、少しずつ肌合いの違う写真が撮れるようになりました。
どのレンズでも、私の好みの場に行き会わせて、
そのレンズにふさわしい距離まで接近して、
液晶画面拡大のピント合わせだけで撮っているのですから、
レンズの数だけヴァリエーションは在っても、
基本的な調子は「行き当たりばったり」式という点で不変。
写真家の皆さんは私の本質をとっくの昔に見抜いてしまわれました。

写真家の基本的なメルクマールは、
「他の人には撮れない作品を創造すること」
ではないでしょうか?
一方、私の写真に一貫して流れるメルクマールは、
「誰でも撮れる、
だけども、誰も撮りたいとは別に思わない」

こんな風に自覚できると、私はますます元気いっぱいになれるのです。
じゃ、少なくとも、人まねだけはしないで済んでいるんだ。
こうして右顧左眄せず、自分の心覚えとしての写真だけを撮り続けている、
この首尾一貫性を自画自賛したくなるのです。
今回もパンタッカーレンズの快楽に浸りきっていますが、
「行き当たりばったり」式の基本的な調子は不変です。
パンタッカーというレンズ、
アストロ・ベルリンという映画会社の、
おそらく民生用の主力レンズなのでしょう。
とても個性的な空気感、真理空間を演出してくれます。

写真作品用レンズとしては癖がありすぎと言えるでしょう。
でも、私のように自分の記憶のために写真を撮る人間には、
心の底から愛したくなるようなコクをにじみ出させてくれます。
とくに50㎜がそうです。
私にとっては、ホロゴンに次ぐ、私の人生レンズ。
でも、アストロ・ベルリンのレンズはみんな同じ雰囲気です。

 どこか翳りのあるプライベート空間の演出

私のようなロボグラファー
(これも造語です。ロボグラフィを撮る人、という意味です。)にとって、
自分が出会った場所がどこか独特の様相を呈する状態で記録化できる、
これは痺れるほどの喜びなのです。
自分自身が体験したスペシャルな空間の描写。
それなのに、他人から見たら、
「これがどうしてスペシャル?」
このズレが私をますます痺れさせてくれます。
「独りよがりの美学」というわけです。




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by Sha-Sindbad | 2019-06-17 23:08 | Pan.Tachar50/2.3 | Comments(0)

2069 実質感(2018年10月1日大阪西九条でエルマジ20㎜F3.5の存在感にしびれ)



またまた、エルマジ20㎜F3.5の登場です。
と言っても、実は前回の三週間前の撮影です。
いつものように、揚琴の付虹先生のレッスンを終えて、
午後立ち寄って、ぐるりと一巡したときのもの。

自分で言うのもなんですが、
なんでこんなものばかり撮ったのでしょうねえ?
フォトジェニックなシーンなんか一枚もありませんね。
特別なシーンもありません。
西九条のなんでもない街角、道、公園、等々。

私以外の人間が見たら、
「なぜ、こんな無意味なことをしているんだろう?」
と、疑問に思うでしょうね。
でも、私は、こんな風にして、自分の存在を確かめている、
そうだ、私は、ここにこうして生きているんだ、
そんな気持ち。

マルチン・ブーバーというユダヤ系哲学者が居ました。
若い頃、彼の本を2、3冊読んだことがありました。
我と汝との関係を考え続けた人でした。
私は元来思索的な人間ではありません。
なにかをやり続けて、自分自身を確かめる、
だからと言って、自分のことが理解できるわけでもなく、
ただ、こうして死ぬまでもがき続けるんだろうな、
という感じがするだけ。
そんな私になにかを残したシーンを彼は記載していました。

ステッキ片手に散歩をしていたときのことです。
老樹に出会いました。
ブーバーはなにがなくステッキで太い幹をぐっと押しました。
すると、老樹がぐっと押し返して来たのを感じたのです。
ブーバーはこの体験に自分の思索を深めるなにかを感じたようです。
彼がどんな風に思索を展開したか、さっぱり覚えていません。
ただただ老樹が押し返して来たということに、
なにか共感を感じたことだけ覚えています。

こんな昔の文章の一部をなぜ記憶したのでしょうか?
私もまたそんな感じで生きて来たからなのでははないでしょうか?
そして、私が果てしないロボグラフィ撮影でやってきたことは、
これだったんじゃないか?
そんな風に感じます。
生きるって、誰かと出会うこと。
撮影することも、そんな出会いはないでしょうか?
だとすると、そのような出会いから生まれたロボグラフィたちって、
私自身なのではないでしょう?

とすると、人が私の写真を見て、どうこう感じるとしても、
それはその人の生きる行為であって、私とは無関係。
私にとって、私の人生は、
ひたすらロボグラフィを撮り続けること、
そのときそのときの行為に尽くされている。

誰も同じことをしているのでしょう。
でも、写真家なら、傑作を撮ることに生き甲斐を感じ、
それこそが人生だと考えるでしょう。
私の場合は違います。
ごく普通の行為、たとえば、呼吸する行為と同じように、
ロボグラフィと出会いたい、
だから、その記録としてのロボグラフィもごく普通の写真で十分。
こんな気持ちなのでしょう。

よくよく思い返してみますと、
私は最初からそんなスタンスで写真を生きてきたようです。




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by Sha-Sindbad | 2019-03-29 01:23 | Hermagis20/3.5 | Comments(0)

1898 西九条(2017年8月23日ダルメイヤー25㎜F1.9幻惑のとき)2 中也の詩



ダルメイヤー25㎜F1.9を手に、
いかにも浪速の下町らしい大阪西九条を撮りながら、
私は中原中也の詩「汚れっちまった悲しみに……」を
静かに口ずさんでいた、なんて書くと、
ちょっとかっこいいかもしれませんね。
残念ながら、私にそんなキザな高尚趣味はありません。

でも、このレンズの西九条写真をブログにアップするために、
ブログ用に小型化していると、
そのいかにもダークに汚れた写真たちには、
なにか詩のような叙情がどんよりと垂れ込めているな、
そう言えば、「「汚れっちまった悲しみ、。。」なんて詩があったな?

現代は便利ですね。
この言葉をグーグル検索するだけで、中也さんの詩全部が見つかります。
詩の門外漢にもなんだか詩人の気持ちがよーく分かるような、
そんな単刀直入の切れ味がある詩ですね。
 
   汚れっちまった悲しみに
   今日も小雪の降りかかる
   汚れっちまった悲しみに
   今日も風さえ吹きすぎる

   汚れっちまった悲しみは
   たとえば狐の革裘(かわごろも)
   汚れっちまった悲しみは
   小雪のかかってちぢこまる

   汚れっちまった悲しみは
   なにのぞむなくねがうなく
   汚れっちまった悲しみは
   倦怠(けだい)のうちに死を夢(ゆめ)む

   汚れっちまった悲しみに
   いたいたしくも怖気(おじけ)づき
   汚れっちまった悲しみに
   なすところもなく日は暮れる……

でも、この詩を詠んでいると、透明感が漲っていて、
なんだか、この詩にも、詩人にも、汚れきったところなど、
どこにもないんじゃないかな、という感じがしてきます。
それに引き換え、私の写真、
このダルメイヤーに限らず、どんなレンズを使おうとも、
どこか汚れた感じがいつもべったり付着しているようです。
どうも、レンズにもカメラにも責任はなく、
私にその原因があるんじゃないかな、という気がしてきました。



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by Sha-Sindbad | 2017-10-24 22:43 | Dallmeyer25/1.9 | Comments(0)

1849 バス道と西九条(2017年6月12日キノプラズマート25㎜F1.5aがのどかに歌う)2 魔法


iPhoneにLineというアプリを入れています。
家族全員との連絡はこれでします。
付虹先生を初めとするさまざまな連絡もこれでしています。
電話も無料だし、どんどん日誌や写真が送られてきて、楽しい。
付虹先生の模範演奏も送られてきます。

一昨日、iPhoneからLineのアイコンが勝手に消失。
こうなると、私のようなパソコン音痴はお手上げ。
闇雲に、LineのアイコンをiPhone上に出して、
開こうとすると、改めてインストールする必要があるとのこと。
アドレスとパスワードを入れると、Lineから4桁の数字が送られてきました。
これを入力すると、再インストールできるはずですが、
なぜか、これで終わりで、応答がなく、
Lineのアイコンをクリックすると、再びインストール画面。
やーめた。

パソコンやネットに頼る生活はしたくないけど、
もうがっちりとそのネットワークに組み込まれた感じで、
このブログにしても、私の日誌、人生の記録として、
なしでは済まされない人生の道具となり、
ブログ作成は生きる本質的な行為になり切った感じ。

古代の人間はもっとシンプルに生きていました。
でも、当時に戻ることも出来ませんね。
やれやれ..........................................

こんな気分のとき、キノプラズマートの写真を観る。
画像は曇りがちなのに、
気分の方はかなりかなり晴れますね。
パウル・ルドルフ博士の魔法、でしょうか?





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by Sha-Sindbad | 2017-08-03 22:37 | Kinoplasmat25/1.5a | Comments(0)

1848 西九条(2017年6月12日キノプラズマート25㎜F1.5aがのどかに歌う) 1

写真家は、ある種の芸術的意図が働かない限り、
完璧なレンズを求めるものです。
自分自身の体験の記録に専念するロボグラファーは、
自分の混濁した心理がロボグラフィのたたずまいに浸透、反映し、
その上、あまりしっかり記憶などできないわけですから、
記憶の中に見え隠れする記憶上の情景は本質的におぼろ。
そして、時間の経過とともに、想起されるロボグラフィもまた、
次第次第にぼろぼろと剥げ落ちていく。
そんな時間の生み出す記憶の変化、衰退を、
写真の中でもリアルに体験し、想起したい。
そんな気持ちがいつも働いています。

私の愛用レンズはそれぞれに極端に異なる描写性を見せてくれますから、
私のそのときどきのレンズに対する思い入れ、期待に沿うようにして、
写真の中できちんと私の記憶を再現してくれる、
そんな感じをいつも確認しています。

キノプラズマート25㎜F1.5AはMマウントに改造したレンズですが、
リコーGXRに付けて、実質37.6mmの広角レンズとなって、
上記のようなレンズと私との関係をかなりさらけ出してくれるようです。

私とロボグラフィの定かならざる距離、
あえかに消え行く記憶の名残り、
そんな不確かで再現性のない面影を、
頼りない幻のたたずまいで、かなり見事に再現してくれます。





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by Sha-Sindbad | 2017-08-01 17:44 | Kinoplasmat25/1.5a | Comments(0)

1817 西九条(2017年6月12日キノプラズマート25㎜F1.5Mはフレアごしにささやいて)

人間の歴史、というのは不思議なものですね。
ある時期には、傑出した人物がどっと出現して、
民族を、国を、社会に革新的な変化をもたらします。

日本史でもそんな時期がいくつもありますが、
英傑そのものと言えるような人物を輩出しました。
その中でも傑出しているのは、
坂本龍馬、西郷隆盛、勝海舟、高杉晋作の四人ですね。

一つ、著しい共通点があると思いませんか?
彼らの人物、人間性、事績のことではありません。
名前。
4人の姓名とその組み合わせ、語感、印象、なにをとっても、
実に颯爽たる風格に溢れているとは思いませんか?

これがたとえば、こんな四人だったら、どうでしょう?
権太田五作、泥目十左右衛門、中華棒々鶏、出目金太郎?
「うーん、とても優れた仕事をしてくれた人だけど、
どうも印象がねえ、今一だねえ..........」

レンズもまったく同列に論ぜられそうです。
傑作レンズとして歴史上名高いレンズたちは一様に、
とても語感のよい颯爽さる名前を付けてもらったようです。
とりわけ私の心にぐっと来るレンズ名を上げよ、
そう問われますと、私の頭にとっさに浮かび上がるのは、
もちろん、第1に、「ホロゴン」、そして、
第2が「キノプラズマート」ですね。

ホロゴンの語感は大いなる包容力につながります。
そしてキノプラズマートの語感は鋭さ、そしてさらに、
眼光紙背に徹する視線につながります。
私のように開放一点張りの撮り方で撮った写真では、
実感していただけないかも知れません。
でも、撮影状況を記憶している私には、
このレンズは、焦点距離の違いはあれ、
開放のフレアーのベールを貫くようにして、
透徹した洞察を潜める画像をプレゼントしてくれる、
そんな感じがするのです。

大阪西九条で、わずか半時間ですが、
リコーGXRに付けたキノプラズマート25㎜F1.5Mと、
一緒に遊びました。
(Mマウントレンズに改造ずみのキノプラズマートです)
その折私にプレゼントしてくれた写真たちも、
やはりそんな印象を私に抱かせてくれます。
ただの薄汚れたロボグラフィ写真に大げさな!
そう非難されると、返す言葉はありません。
私はただ自分一人で楽しんでいる、そう考えて、
軽く無視していただければ、幸いです。




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by Sha-Sindbad | 2017-06-19 23:24 | Kinoplasmat25/1.5a | Comments(0)

1702 新旧ごった煮(スピードアナスチグマート25mmF1.5が大阪で観たのは?)Part 2



3編シリーズの間に、1701の記念記事を挿入しましたが、
スピードアナスチグマート25mmF1.5のボケ写真が、
額縁ホロゴンの横綱写真を縁取るという感じになりそうですが、
どうもそれだけではないようです。

関西は和菓子の宝庫と言っても過言ではないでしょう。
私は別にグルメではありませんが、折に触れて、
なかなか美味しいお菓子に巡り会うことがあります。
洋菓子の素材を取り入れることで、
見栄えも味も多彩になってきました。
寒天やゼリーをベースにすると、
見た目も味わいも硬軟のコントラストがつくようです。
映画用Cマウントレンズのやわらかで淡い味わいが、
コントラスト豊かなホロゴンの描写をより一層重厚に見せる、
そんな効果があるかもしれませんね。

でも、面白いことに、逆の効果も演出してくれるかもしれません。
スピードアナスチグマートの淡彩が光彩のように、
ホロゴンの重い描写を縁取って、存在感を高めてくれる、
こちらの効果の方が大きいかも知れませんね。
いずれにせよ、音楽のピアニッシモとフォルテッシモの対比、
そんな演出が知らぬ間に働いてくれたかも?





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by Sha-Sindbad | 2016-12-28 10:09 | Sp.Anastigmat25/1.5 | Comments(0)

1699 新旧ごった煮(スピードアナスチグマート25mmF1.5が大阪で観たのは?)Part 1

写真家には一つの使命があります。
一つのコンセプトに沿った作品を万人に提示する。

路傍写真(ロボグラフィ)を楽しむロボグラファーには使命がありません。
第1、万人に提示しない。
万人なんかそっちのけで、一人楽しむ。
使命がないので、プレッシャーがありません。
だから、心も肩も脱力しています。

多くの写真家は、素敵な光景に出会うと、
「ああ、こんなものを撮りたかったんだ!」
結果は、作品としての価値で決まるでしょう。

ロボグラファーは、素敵な光景に出会うと、
「やあ、こんにちわ!
記念撮影いいですか?!!!」
結果は、素敵な出会いを思い出すよすがが残るだけ。

12月26日月曜日は揚琴レッスン梯子日でした。
大阪ユニバーサルシティと西九条と大和西大寺で、
そんなよすがを収穫しました。
と言って、ユニバーサルシティ駅に向かう途中、
西九条駅から喫茶店までの往還、合計15分程度と、
大和西大寺駅からレッスン場までの5分です。
85枚しかないのですが、3回に分けてごらん頂きましょう。

こんな風に書くと、いかにも読者向けに見えるのですが、
申し訳ない、この言葉、実は将来の私に向けたもの。
だって、ただの写真でしかない、
写真作品性などハナから無視しているのですから。





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by Sha-Sindbad | 2016-12-27 20:27 | Sp.Anastigmat25/1.5 | Comments(0)