レンズ千夜一夜

カテゴリ:Elmar50/3.5( 13 )

1980 ありふれた日(2017年10月27日依然としてエルマー50㎜F3.5が奈良町、加美で)


先日、銀行のATMコーナーを出た途端、
次の男性が私に声をかけました。
見ると、在職時代によく接触を持った青年です。
でも、退職してから4年しか経たないのに、
かなり老けて、れっきとした中年に。

きっと、私も同様の印象を与えたことでしょう。
日々鏡で自分の顔を見ていたら、分からないこと、
それは、自分の顔の変化でしょうから。

でも、この出会いが私に与えたショックは実は別でした。
私は、彼がどんな職業で、私とどんなかかわり合いにあったか、
全然思い出せなかった!

記憶は、意識するにせよ、しないにせよ、反復して想起すること、
これが鍵なのだそうです。
「去る者は日々にうとし」
これは記憶にまつわる真相を喝破しているのでしょう。

でも、別にこのような事態に、忘却に抵抗したいわけではありません。
私の第2の人生にはなんの意味もないデータとなってしまっている。
そんな成り行きに棹を差したい気持ちなぞ、さらにないのですから。

このように考えますと、
私のロボグラフィの営みはこのような忘却への抵抗なのです。

仕事で重要な役割を演じてくれた人を忘れて、
路傍のまるで些末そのもののシーンを記憶に止めたい。
どこか本末転倒に陥っているのじゃないか?
そうおっしゃる方も多いでしょう。

私の言える言葉はただ一つですね、
「どうぞ、ご勝手に」
ロボグラフィはそんな写真です。
人にはなんの意味もないことが、私には意味を持つ。
それが私であり、
それが私の人生。




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by Sha-Sindbad | 2018-06-15 23:18 | Elmar50/3.5 | Comments(0)

1979 おっとりと(2017年10月26日奈良町ならエルマー50㎜F3.5が任しとき)


ライカの50㎜標準レンズの初代ではないかもしれませんが、
おそらく2代目がエルマー50㎜F3.5。
これがライカ標準レンズの王様だ、と言う人がいます。
いや、あらゆる標準レンズの王者だ、と言う人もいます。

私は、良いレンズだけど、そこまで言うのは、ちょっと、
という感じです。
でも、素朴、実直だけど、ずしりとした重みが感じられ、
ちょっと圧倒されることがあります。
このあたりは第二次世界大戦前の古きよき時代の名残り、
そんな感じさえ、感じることがあります。
やっぱり凄いレンズなのです。

現代の写真家たちはRawで撮って、
Photoshop等のパソコンソフトで自在に画像処理をします。
ひたすら感嘆させられます。
でも、次の瞬間、忘れます。
これは、写真じゃない、アートだ、と感じるからです。
私は別に写真を素材にしたアートを、
「写真」として見たいとは思わないからです。

私はjpegで撮って、レベル補正で濃度だけ整えます。
私の好みの暗さで初手から撮りたいのですが、
デジタルカメラではなぜかそれができません。
フィルム時代、カメラのほとんどが露出計などないので、
勘だけで露出を決めて、同じ濃度で上げていたのに、
現代の自動露出内蔵カメラ、ソニーα7で使っても、
そんな風に同じ濃度で撮ることができないって、
なんだか、話が逆じゃないの?
そう言いたくなります。

だから、必要に応じて、レベル補正だけ使います。
エルマー50㎜F3.5による撮影も同様でした。
でも、濃度を整えると、このレンズ、
ライカのオールドレンズらしい適度な厚みを見せてくれます。

どう、適度なのだ?
そうお尋ねになるでしょう。
私のロボグラフィにふさわしい厚みに、つまり、
道ばたで静かな存在感を漂わせるものの威厳、
とでも言いたくなるような、厚みに、
そうお答えしておきましょう。




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by Sha-Sindbad | 2018-06-13 23:02 | Elmar50/3.5 | Comments(0)

1940 奈良町(2017年10月4日エルマー50㎜F3.5なりの古色がついて)3-完-超高価電気製品


(前回の続き)
今回、オリンパスE-PL1が故障して、
修理に出しました。
ふっと気づいたら、どうも恐ろしい事態に至っているようです。
すべてのカメラ会社が超高機能化の路線を一路邁進し、
低機能の古いカメラは切り捨てて行っている。

昔は、カメラは何年もの長きにわたって製作され、
次世代のカメラに座を譲っても、
名機は新世代機としのぎを削って、
その存在感を高めるものも沢山ありました。
私たちは、各社の名機を全部記憶していました。

今、カメラは掃除機、洗濯機と一緒の電気製品です。
ただし、超高価電気製品。
だから、各社がんばって、どんどん新製品を市場に投入します。
文字通り数知れぬほどの機種とバージョンがあって、
過去に置き去られた機種など、
よほどの愛好者以外は覚えていない時代なのです。

レンズだって、同様です。
画像処理ソフトの洗礼を受けることで、
レンズそのものの個性なんてほとんど無意味になってしまいました。

私には、銀塩カメラ時代とデジタルカメラ時代との間には、
くっきりと断絶、隔絶があると思われます。
銀塩写真とデジタル写真とは完全に別物だからです。

Photographyを「写真」と翻訳したのは誰でしょうか?
もっとも翻訳ではなくて、役割を表す造語ですね。
一見、あるがままの姿をそっくる画像化するように見えます。
だから、「真実」を写すとしたのでしょうけど、
現実には、そもそも写真が登場した初めから、
写真が映し出すイメージはオリジナルとは完全に別物でした。
撮影者の視点から恣意的、意図的に撮られたもので、
出来事の一面的解釈を画像化したものでしかありません。
それなのに、「客観的な真実」であるという偽装の下に提示されることで、
社会に大きな影響、時には巨大な惨害を及ぼしてきました。

それでも、写真を批判的に読める人には、
そのようなカラクリの化けの皮が剥げてしまう、
そんな余地はありました。
ところが、デジタル時代には、
徹頭徹尾虚構の映像、画像を現実の映像化と思わせることなど、
自由自在となってしまいました。
「情報」と「フィクション」の境界がなくなってしまいました。

大衆は、スターたち、広告写真のつるつるの肌、美しい瞳を見て、
ああ、セレブの人たちは美しいのだと憧れます。
でも、美顔術、化粧に加えて、コンピュータ処理が、
各界のセレブたちをオリンポスの美神のまがいものに変えただけ。
コンピューターグラフィックスと現実との区別ができない時代になるにつれ、
ドキュメンタリー、レポートは、人心を自在に引き回し、
世論、購買層を形成するための虚構でしかない、
という時代になってしまったわけです。

デジタルカメラ内蔵の画像処理ソフト、
フォトショップのような道具を自在に駆使できる人を駆使できる、
人、機関はいまや無敵なのです。

話が怖い方向に逸れましたが、
私の目には、現代デジタルカメラの生み出す画像は、
かつての銀塩写真と同列に置くことなどできません。
記録性を無条件に認めることができない時代になってしまった。
実に簡単な一例として、
自在にトリミングし、自在にデータを改竄した一枚の写真を、
いかなる加工もなされていない真正の記録写真であると主張しても、
誰もその嘘を見抜けない時代が来てしまったのです。
誰も実物とは違うじゃないか、なんて言わない。
逆に、「ああ、女神のよう!」と持ち上げる時代です。
どこが、女神?
陶器人形そっくりの肌のネット商品に堕ちてしまったのに?




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by Sha-Sindbad | 2018-03-05 17:15 | Elmar50/3.5 | Comments(0)

1940 奈良町(2017年10月4日エルマー50㎜F3.5なりの古色がついて)2 ロボグラフィ化



ある大ブロガーの方がこんなことをお書きになっていました。
「しかし、このX-pro1、6年の歳月というのは
デジタルカメラにとってはつらいことで、
最新のX-T2、X-E3に比べると出てくる絵が格段に違う。
それは背面のもにたーで出てくる絵を比較するだけで
わかってしまうくらいに違いが明らかなんです。」

これを読んで、ニンマリしてしまいました。
そうか?
銀塩フィルムの使い手だったこの方も、
デジタルカメラの新時代の画像に
完全に魅せられるようになったんだなあ........

かつては銀塩フィルム全盛だったのに、
時代は変わるものですね。

① 今、銀塩カメラオンリーの方って、
プロ、アマを通じて、200人に1人位?
それとももっと低率でしょうか?
私の畏友RAさんがその例外的な1人。
彼から写真葉書を頂きますが、
ナチュラルな描写の見事さにはしびれます。

② ハイブリッドの方も数パーセントはおいでになるでしょう?
と言っても、せいぜい2、3パーセントでしょうけど。
私の親友のDAさんがそうですが、
やっぱり銀塩写真の描写力に軍配が上がります。

③ デジタルカメラに完全に移行したけど、
銀塩カメラの時代の描写の魅力を忘れられず、
なるべくデジタルカメラの画像処理を最低限に止めたい、
そんな風に思っている「隠れ銀塩人」もいます。
私がそうですが、この仲間何%位生存しているのでしょう?
年輩の写真家で、キャリアの長い方のほとんどが
銀塩画像の魅力に魅せられて、写真の世界に入ったはずですが、
そんな方の多くはデジタルカメラに軍配を上げています。
その大きな理由が、画像処理のミラクルにありそうです。

ということで、上記の3つの少数派合わせても、
数%に満たないというのが現状でしょう。

私は、正直なところ、
デジタルカメラの超精密、超色彩に吐き気を覚えます。
これはどうしようもない生理的反応なので、仕方がありません。
美学的なセンスのレベルの問題ではありません。
だから、できるだけ避けたいので、
デジタル画像化の少ないカメラを選んで使っています。
そして、J-Pegでで撮り、そのままマックに取り込み、
レベル補正のRGBのヒストグラムだけ使って、
私の肉眼での記憶と、
私が自分のロボグラフィに揃えたい濃さとの兼ね合いで、
瞬時に調整して、それで完了。
トリミングを含む、その他の画像処理は一切しないで、
ブログ掲載写真とし、写真教室の宿題プリントとしています。

こんな風にするのは、写真家じゃない私には当然です。
私の写真はいかなる意味でも作品ではないので、
余計な処理をしたくないのですが、
さらに強烈な願いは、使ったレンズたち特有の描写を楽しみたい、
ということにあります。

でも、実情としては、「レベル補正」の手順だけでも、
正直言って、デジタル写真化のプロセスはぐっと進行します。
それでも、銀塩時代に味わっていたオールドレンズたちの味わいは、
かなり色濃く残っており、デジタル写真化の部分は、
画像の特徴的なテイストをむしろ強める方向でのアクセル、
ロボグラフィ化への後押しとして働いてくれている、
そんな感じがしています。
もしかすると、私の現在のロボグラフィは、
そうした後押しなしでは、もっと大人しく穏やかなレベルに、
止まっていたかもしれない、そんな感じがします。




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by Sha-Sindbad | 2018-03-02 17:09 | Elmar50/3.5 | Comments(0)

1940 奈良町(2017年10月4日エルマー50㎜F3.5なりの古色がついて)1


私はテレビ、新聞を観ないので、オリンピックのことなど、
お隣のご主人の誕生祝いという程度以下の感覚でしたが、
ネットで、時々、ふと気になるニュースが飛び込みます。
女子フィギュアで金メダルをとったザギトワ選手に対する批判。
演技後半のジャンプは1.1倍の加算がされる。
その後半にジャンプを集中したのはズルいというような趣旨のよう。
国際スケート連盟もこれを受けて、ルールを改正する方向らしい。

そこで、Youtubeでザギトワ選手の演技を観てみました。
ついでに、日本の選手の演技も拝見して、ため息。
ああ、ザギトワ選手の演技はジャンプも含めて、
最初から最後まで美しい舞になっている!
その批判の的となっている後半のジャンプも、
完璧な舞踏のクライマックスとなっていて
美しさも技術度も日本の選手とは桁違い!

私はフィギュアスケートのことなど全く分かりませんが、
後半のジャンプに加点するのは、
前半で心身が疲れきった選手たちにとっては、
後半に難易度の高いジャンプをすることが至難だからでは?
誰もがこのルールを利用できます。
後半に難しいジャンプを持ってくれば、点を稼げるのです。
でも、どうやら誰もそんなことはしなかったのでは?
なぜ?
体力的にも精神的にも技術的にも無理だったからでは?
ところが、ザギトワ選手は、蝶のように、白鳥のように、
軽々と飛び続け、跳躍をアートにすることに成功しています。
これほどに芸術とスポーツが見事に融合した演技は、
オリンピック史上稀なのではありませんか?

8年前、バンクーバーオリンピックのときはテレビで見ました。
浅田真央選手もすばらしかったけど、
残念ながら、アートではありませんでした。
キム・ヨナ選手はちがいました。
技術的には浅田真央選手に引けを取るようですが、
とにかく徹頭徹尾美しい舞のアートでした。
一歩抜きんでたのは完全に納得できる結果でした。

このとき、将来も彼女をしのぐアーティストは出ないだろう、
そう思ったものでした。
でも、ザギトワ選手の演技を観て仰天させられました。
キム・ヨナ選手も含め、これまでのフィギュアスケーターたちは、
基本的には二次元で舞っていた。
ところが、ザギトワ選手は三次元の舞を実現している!
(銀メダルの選手も見ました。
美しいけど、残念ながら、どこか沈滞ぎみで、舞が重く、
跳躍の技術においても一歩ひけをとっている感じでした)

自分のパフォーマンスを極限まで持っていく機会、
これがオリンピックという唯一無二のヒノキ舞台の意義です。
こうして、スポーツの歴史が創られてきました。
誰も真似のできない難易度の高い跳躍をたたみかけて、
金メダルを取ったザギトワ選手もその歴史に燦然と輝くでしょう。

ここで、自分の写真のことを思いだしました。
私の方は完璧にずるをしているのかも知れません。
私の好きな人形浄瑠璃のようなものです。
外見には、撮影者である私が写真を撮っているように見えて、
実は、古典レンズたちに撮ってもらっているのですから。

でも、私は知っています、
私が古典レンズの個性でもって写真を脚色しても、
写真家も写真愛好者もその99パーセントは、
ただあきれて、気にも留めないだけ。
そんなものはすべて画像の劣化であって、
現代カメラの完璧なレンズたちが映し出すイメージとは
比較にならないじゃないか!

となると、私も別に「ズル」しているわけではないのでしょう。
ただ、私が時代遅れにずっこけているだけ。
私は、このギャップが楽しくてたまりません。
私は子供の頃から欲のない人間だったようです。
競争で他に抜きんでる、ということに、
ぜんぜん魅力を感じない人間として生きてきました。
幾度も幾度も、そのときの先生から言われました、
「頑張れば、1番にだってなれるのに!
なんで、頑張らないの?」
その都度、なんでがんばらなくちゃいけないの?

写真趣味に入ってすでに40年を軽く越してしまいましたが、
私は、終始、周囲のスタンスは、
存在は無視はできないけど、
でも、写真は高く評価できない、
好きになれない、
訳がわからない、
という感じでした。

今回のエルマーレンズによる写真にも同種の反応でしょう。
おかげで、私は、一人静かに、
古レンズたちが写し出す写真世界に浸ることができます。




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by Sha-Sindbad | 2018-02-25 21:43 | Elmar50/3.5 | Comments(0)

1936 古なじみ(2017年10月4日エルマー50㎜F3.5が新大阪をちらり一瞥)3-完-


エルマー50mmF3.5
一部のユーザーの間では
ライカ標準レンズとして伝説的な名声を保っているようです。
ただし、どうやらたくさんのバージョンがあるようで、
エルマーにのめり込んでしまったユーザーの中には、
様々のバージョンを収集して、
通の間で、その味わいの違いを語り合ったり、
各バージョンの優劣を議論したりするのが趣味とか。

私は偶然手に入れたバージョンだけで満足しています。
その描写力はかなりのものです。
私のエルマーは、すでに書きましたが、
推定1931年のころのものですから、かなり古いものです。
でも、撮る度に、私よりもはるかに年上のエルマー老に
敬意を感じないわけにはまいりません。

何度も使ってみても、まず感じることは、
このレンズの描写って、重からず、軽からず、
色彩はとても落ち着いて、
なんとも心を温めてくれる風合いに満ちているということ。
人を瞠目させるようなけれん身はけっしてなく、
むしろ中庸を得ています。

このレンズを常用している人って、
かなり落ち着きのある性格の人物なんじゃないかな?
私は、中庸とはほど遠い、熱狂に生きてきた人間ですが、
ただし、熱しやすくさめやすいわけではありません。
愛するともう長年にわたり愛し続ける、という感じ。
でも、エルマーを何にも増して愛しているとは言いがたい。
むしろ、離れていても忘れがたい大切な友人、という感じ。
だから、こうして、たまに一緒にぶらついてみる、
そして、古なじみはやっぱりいいなと、確かめる、
そんな関係と言えそうです。



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by Sha-Sindbad | 2018-02-14 21:41 | Elmar50/3.5 | Comments(0)

1935 いつもの路傍で(2017年10月4日エルマー50㎜F3.5が新大阪をちらり一瞥)2


目下二女とその子である孫二人が滞在中です。
孫は、姉が2歳7ヶ月、妹が生後1ヶ月。
この末っ子の出産を奈良の名医の産婦人科で無事済ませました。
約2ヶ月の滞在ですが、
私がいつも孫プリンセス2号と呼んでいる長女、
その間に心身ともに飛躍的に成長しました。
思考、行動ともに、2歳とは思えないほどに成長しています。
外観以外は、幼児ではありません。
普通に会話できます。
回答したり、提案したりするとき、
これこれこれだから、今は××はしない、
今はこれこれのことをしたいので、××は後でする、
といった風に、必ず理由を明晰に説明します。
状況をしっかり把握し、行動理由や動機を明晰に分析できます。
自然に、こちらも同じ土俵で孫の理性に訴える方法で対話します。

大人相手でもこうはなかなか行かないものです。
「バベルの塔」と同じ混乱が人間関係を複雑にしています。
同じ土俵に乗ってくれない人があまりにも多い。
社会、教育、政治がただの歯車、ただの反射で動く人間を生み出し、
理性的な思考、行動をできる人が少なくなっているからではないか、
そんな感じがしています。
日本の首相やアメリカの大統領を観ていると、
政治家の劣化は世界的現象らしいとさえ感じます。
劣化しているのは政治家だけじゃありませんが......

今や、ロボットが人間の職業を代替し始めているようです。
ロボットが人間に代替出来ない職業があるだろうか?
いつかほとんどの人間がロボットに職を奪われるのではないか?
さまざまに危惧を呼んでいるようです。
心配はありません。
ロボットが人間に代替出来ない仕事が仮にあるとしても、
そんな仕事をする人間を支配する仕事ならロボットにもできそう。
いつか人間がロボットを駆使するのではなく、
ロボットが人間を駆使する時代が来るかも知れません。
いや、きっと来るでしょう。
人間には抱握できないほどの限りないデータを、
ロボットは瞬時に抱握して、
人間には不可能なほどの困難複雑な決定を下せるようになるでしょうから。
「猿の惑星」ならぬ「ロボットの惑星」こそ、地球の未来かも?

そのような時代には、ロボグラフィが流行するでしょう。
ただし、私の言う「路傍写真」ではなく、
「ロボット視覚情報の収集」がロボグラフィということになりそう?

私は、ロボットが処理しようと思わない視覚情報を探知して、
「私のロボグラフィ」として楽しむことにいたしましょう。
エルマー50㎜F3.5は第二次世界大戦前のいわば古代レンズ。
ライカレンズらしく見事な情報処理能力を備えていますが、
どこかに古風を忍ばせている気配。
ボケ味も茫洋として、どこか「抜け」が鈍いのですが、
現代レンズが欠点として始末しようとしているあたりに、
私の心を喜ばせる魅力が漂うようです。
写真家の皆さんは、ご自分の才能を輝かせるために、
欠点のないレンズを追求し、
私は、レンズの味わいを1人楽しみたいがために、
独自の欠点をできるだけ沢山秘めている、
いわば過渡期のレンズたちをことさらに追求する。
このギャップは大きいようですね。


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by Sha-Sindbad | 2018-02-13 10:59 | Elmar50/3.5 | Comments(0)

1934 外観だけ?(2017年10月4日エルマー50㎜F3.5が新大阪をちらり一瞥)1


10月4日はいつもの通り、劉継紅先生の二胡レッスン。
合間に、いつも携行するカメラでロボグラフィも撮ります。

念のため書いておきますが、
「ロボグラフィ」は私の勝手な造語です。
「路傍」+「写真」=Robou+Photography=Robography
何人か、一生懸命辞書、辞典類を調べたけど、無駄だったそうです。
まだ、成語とは認定されていない、ということですね。

二胡のレッスン場であるココプラザ1階のロビーでも撮ります。
どうやらスーパーリアリズムの画家の個展のパンフもありました。
今回の写真の一枚です。
大路誠という方です。
パンフレットの絵はこの方の代表作の一つなのでしょうか?
でも、現代のスーパーリアリズムの画家の女性ポートレートらしく、
画家を意識してポーズする、ただのおねえちゃん、
そんな感じしかしません。

いつも感じることが一つあります。
ほとんどの場合、生活感がなく、ただ単にモデルさんを描いた、
そんな印象の作品が大変に多いのです。
これがために、なんだか写真館のポートレートじみた感じで、
生活感がなく、女性に「人生を生きている」印象が皆無、
そんな作品が多いのです。
これじゃ、人間の本質、人生を描くアートとしての実質はない、
私はそう感じてしまいます。

近頃、ストリートフォトの写真家が、まず声を掛けてから、
というやり方をする方がかなり多いようです。
カルティエ=ブレッソンも木村伊兵衛も土門拳も森山大道も、
その他のスナップショットの写真家たちも、
そんなことはしませんでした。
すべてすれ違いざまの電光石火のワンショット。
「盗み撮り」ではありません。
公道上の人間にはプライバシーはありません。
写真家には、いかなる意味でも、
不法な意思も行為もありません。
なにも盗んでいません。
眼差しを走らせるのと、まったく同一の行為。
そうであって、はじめて人間的真実を写真に収められる。
「撮ってもいいですか?」と声を掛けて撮るのは、
スナップショットではなく、記念撮影。
ストリート作家は写真屋さんではありません。

それを「プライバシー」とか「肖像権」の侵害と論じる、
これは実のところ、憲法でもその他の法律でも、
まったく保護されていない、つまり、
法律が保護するに値すると認めない権利を、
憲法が保障する「表現の自由」の上に置くものなのです。
どなたか、路上を歩いていたら、勝手に写真を撮られた、
ということで、裁判所に訴えてご覧なさい。
「お笑いぐさ」に終わってしまうでしょう。
あなたの訴えを根拠づける法律なんか、
どこにもないのですから。

もしあなたがストリートで人を撮ることに躊躇を覚えるのでしたら、
悪いことは言いません、
スナップショットは諦めましょう。
あなたは向いていない。
肖像写真専門か、風景写真に転向なさるのがよろしいでしょう。

スーパーリアリズムの絵画はおそらくわざと、
ポートレート写真まがいの設定をとることで、
疑似現実感を出そうとしているのでしょう。
でも、モデルさんたちには申し訳ないのですが、
彼女たちには、そのような労力を費やして描出するに足りる、
つまり、絵にする価値のある人間的魅力も存在感も皆無、
スーパーリアリズムに人生なんか見つからない、
そんな感じがいつもしてしまいます。

偉大な肖像画、
たとえば、モナリザにせよ、レンブラントの作品によせ、
フェルメールの「真珠の首飾りの少女」にせよ、
描かれている人物には描かれるに足りるだけのなにかがあります。
それが人間の真実を描写するアートです。
そこには「心」が描かれています。
スーパーリアリズムの多くの作品はただの外観しかありません。
「心」などどこにもない。

スーパーリアリズムの画家の皆さんに言いたいですね。
アーチストになりたかったら、
「外観」にこだわるのはよしたらどうですか?
セザンヌがリンゴを描いたら、
私たちはそこに人生を感じます。
ピカソの抽象画からは生のエネルギーが噴出してきます。
それが芸術ではありませんか?
あなた方の絵には、そこに描かれた外観しかありません。
ただ、それだけ。
それじゃ空しいじゃありませんか?




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by Sha-Sindbad | 2018-02-11 22:28 | Elmar50/3.5 | Comments(0)

1658 加美(エルマー50㎜F3.5は古いなんて、誰にも言わせたくないな)



アポクアリア28mmF2の描写を見て、あるレンズを思い出しました。
もちろん答えはこの記事の存在で明らかでしょう。

    エルマー50㎜F3.5

こう言うと、クラシックレンズ専門家は眉をひそめて、
「どの時期のエルマー?
エルマーにもさまざま種類があって...」と、
とくとく顔でのたまうでしょう。

私もお答えしましょう、
「私の知っているのは、私のエルマー一本だけ。
そのエルマーと似てると言って、なぜ悪いの?
他のエルマーがどうか、なんて知りませんよ。
あなただって、どれだけ試してみて、
どれだけちゃんと違いを見分けることができるのですか?
自分にできないことを人に求めないようにしましょうね」

というわけで、30枚並べてみました。
アポクアリア28mmF2との比較はさておいて、
さらに思い出してしまいました。
カルティエ=ブレッソンも1932年頃エルマーを使っていたと推測されますが、
彼の当時の写真たちとかなり似た写りではありませんか?
ということは、私のエルマーもなかなか良く写るレンズでは?





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by Sha-Sindbad | 2016-10-04 23:14 | Elmar50/3.5 | Comments(0)

1548 加美(エルマー50㎜F3.5って、やっぱり評判どおりの名レンズなんだ)



大阪加美に孫プリンセスの世話に参りました。
1歳3か月になって、おしゃべりもかなりできるようになり、
意志力も探求力も旺盛。
てきぱきとすべて自分で物事を押し進めていきます。
ベビーシッターとしてもとても面倒のかからない子で、
楽しい一日を過ごしました。

午後5時15分過ぎ、孫の家を出て、
電車の時刻まで10分少々撮影を楽しみました。
カメラはリコーGX-R
レンズはエルマー50mmF3.5

この第二次世界大戦前に作られた古代レンズは、
とにかくよく写ります。
メタモルフォーゼを起こしてくれるような、
私のいわゆるメタモルレンズではありませんが、
重厚で存在感にあふれたイメージをプレゼントしてくれます。

カルティエ=ブレッソンの1930年代の作品の多くは、
このレンズではないでしょうか?
雰囲気がいかにもエルマー風なのですから。




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by Sha-Sindbad | 2016-03-31 21:32 | Elmar50/3.5 | Comments(0)