レンズ千夜一夜

2004 冬枯れどきに(2017年12月13日トポゴン25㎜F4なら奈良町が我が街に)


昨夜調べました。

人口推計(平成28年10月1日現在)

65歳以上人口の割合は上昇が続き,初めて27%を超えたのだそうです。

3人にほぼ1人が老人、という、立派な老人国となってしまいました。


奈良市は、都会と比較しますと、上記の割合はさらに大きいでしょう。

市内のバスに乗っていますと、子供たちの移動時間帯を除けば、

たいてい老人だけ。

交友関係もそれだけ狭くなりつつあるでしょう。

日本人の場合、在職中は、交際範囲も執務関連が大半を占めるようです。

とくに会社員の場合、全生活を会社に捧げるという風潮が今もあるようです。

退職すると、なんらかの趣味を通じて交際を広げない限り、

交際範囲は激減する方が多いのではないでしょうか?


狭い地域社会ですから、さまざまな場所で出会う高齢者たちと、

度々すれ違うことがあります。

かなりの時間を置いて出会うせいでしょう、

まさにコマ落としの状態で観察することを忘れてはなりませんが、

なんだか急速に衰える方がかなりおいでになります。


私は長年、人間の真贋、言葉の虚実を見極めつつ、

いわば、人間の、言葉の、種々の文書の真贋を鑑定する、

といった性質の仕事をしてきました。

そんなとき、いつものしかかってくる本質的な問いは、

「この人の人間性に、言動に、真実があるのか?」

そんなとき、決め手になるのはいつも、眼でした。

かすかな眼の光の閃きが隠された本心を露呈し、

その真偽を裏付けてくれる、そんな瞬間を幾度も経験しました。


こんな習癖は日常生活でも役立ちます。

退職老人たちに出会うたびに、瞳をまず見つめてしまいます。

知恵の閃き、幸せな人生への感謝、期待に満ちた眼差し、

そんな感触を体験することはまずありません。

倦怠、いらだち、失望、迷い、無気力、

そして、ときには、無反応。

長年仕事で培って来た人生観、生き方、ノウハウ等が、

退職後の人生にちっとも訳にたたないのだけど、

自分を新しい人生にふさわしい生き方に修正する気になれず、

行き場を失い、誇り、矜持をずるずると失いつつある自分に気づいて、

途方にくれているのかも知れません。


解決策は一つしかありません。

職業人生、過去の地位、名声、評判、仕事への取り組み方、姿勢、

そんなものをすべて振り捨て、忘れましょう。

これからの人生の重し、障害物、妨害にしかならないからです。

これからどう生きたいか、自分で決めましょう。

過去を懐かしみ、現在を厭い、将来に絶望しながら、死を待つか?

それとも、これからの人生を自分の本来の人生であると確信して、

新たな目標を定めて、それに向かって準備し、計画し、

着々と地歩を固めつつ、新たな自分を築き上げて行くか?


元気に長生きすればするほど、

平均寿命を超えて長生きする確率が高まります。

つまり、逆説的ですが、長生きすればするほど、

自分の新たな最盛期の期間は伸び続けるのです。

人生のどんな時期にも当てはまることが一つあります。

「新しさを失ったらおしまいだ」

「いつになっても、新しいことができる」


90過ぎて、元気一杯、

70程度にしか見えない人物に会ったことがあります。

彼は、谷一つ超えた向こうの丘の老人施設に、

自分の足で下り上って日参して、

ストレッチのインストラクターを務めておられました。

彼が保証してくれました、

「心と体は90過ぎても鍛えることができます」

私はそれは真実であり、私もできると確信しています。

でも、そのためにはそれだけの努力をたゆまず続け、

体と精神力を鍛える必要があります。

お互い、がんばりましょう。





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# by Sha-Sindbad | 2018-08-19 11:54 | Topogon25/4 | Comments(0)

2003 なんでもない町(2017年12月2日スピードパンクロ28㎜F2は新大阪駅界隈をお忍びで)


新大阪駅南界隈、なんにもない町、と言ってもよいでしょう。
元々、田園地帯でした。
1970年世界万国博が開催されたとき、
その玄関口になる新大阪駅周辺が突如地上げの修羅場となり、
多くの農家がにわか億万長者となりました。
私の父は吹田が出身地でした。
お墓がまだあり、お寺も同族が代々住職。
私より3つ年下の前住職がこう言って、笑いました、

   「みなさん、億というお金に大きな税金がかかってくる。
   なんとか経費を計上して、節税したい。
   それなのに、お金の使い方なんか知りません。
   結局、お金に狂ったようになって、
   北新地で遊び回って、お金を使いました。
   みなさん、ゾンビのような顔になっていましたよ」

そんな地上げの果てに、新大阪周辺は新幹線の駅を中心に、
オフィス街と住宅街が雨後のタケノコのように出現しました。
歴史がないので、なんの変哲もない新興住宅地だったのですが、
それから半世紀経って、古びた住宅地に変りましたが、
依然、なんの変哲もない点は変りません。
半世紀程度では、歴史は積み重ねられないのでしょう。

私はそのど真ん中のココプラザの貸し音楽室に通っています。
劉継紅先生の二胡教室。
その世話役のお手伝いをしていますので、
午前から午後にかけてかなり空き時間を過ごすことになります。
そんな空き時間を利用して、近所を徘徊して、撮影します。
写真家が喜ぶようなフォトジェニックな場所などありません。
写真家はフォトジェニックなシーンを求めて東奔西走し、
眼前に展開する美のページェントとも言うべき光景を撮影します。
私は40数年前、写真を始めて以来、思えば、
あまりそんな撮り方をしなかったようです。

なんでもない街のなんでもない片隅で、なんでもない写真を撮る。
すると、なんだか面白い。
でも、人は、面白いとは感じない。
そのギャップがいつも私には愉快でした。
というのは、写真はいつも私の心を解放してくれました。
人を喜ばせたり、感嘆させたり、なんてことは論外でした。
多忙な職業生活の息抜き、リラックスが写真の効用でした。
人との競争、名声なんて、無用な重荷となるだけ。
そこで、ことさらに、人が撮らないような日常的光景を楽しむ、
そんな平凡な写真人生にますます傾斜していったようです。

新大阪駅界隈は、そんな私には格好の猟場。
なんにもないけど、とにかくシャッターを押す、
そして、あとはレンズにお任せ。
今回は、リコーGXRにスピードパンクロ28㎜F2を付け、
42㎜レンズとして使いました。
平凡な住宅街が思い出の光景に変る、
そんなマジックをみせてくれるのが、
このレンズの強みです。
でも、そんな変身は何の意味もありません。
ただの一人遊び。
でも、楽しませてもらっています。



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# by Sha-Sindbad | 2018-08-17 21:29 | SpeedPanchro28/2 | Comments(0)

2002 裏町(2017年12月6日スーパーアンギュロン21㎜F3.4やはり同じレンズ)2 超接近視線



フォクトレンダーのヘリコイドリング付きMマウントアダプタ、
これが私の写真をかなり変えた、私はそう信じています。
ホロゴン、ビオゴン、スーパーアンギュロン等々、
稀代の名超広角レンズたちをマクロとしても使えるようになった!
ロボグラフィは微視的な写真です。
私という人間のスケールにぴったり合った超接近視線。
これらの超広角レンズの愛好家は多いでしょう。
とくにかなり多数の写真家がスーパーアンギュロンの使い手です。
でも、そんな方でも、上記のアダプタの存在、効用を知らないと、
超接近ロボグラフィたちを見ても、
これがスーパーアンギュロン21㎜F3.4の写真だ、などとは、
とても想像できないだろう、そんな感じがします。

こうした超広角レンズのマクロは、
本来のマクロレンズたちと一線を画した描写性を示します。
被写界深度がとても深いからです。
厚みのあるロボグラフィたちが立ち上がる、そんな感じ。
こうしてますます究極のプライベート写真を集積していく。
私の人生はこんな風に片隅に視線を注ぎながら、流れていく。
これもまた、人生。



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# by Sha-Sindbad | 2018-08-16 11:10 | SuperAngulon21/3.4 | Comments(0)

2002 裏町(2017年12月6日スーパーアンギュロン21㎜F3.4やはり同じレンズ)1 出産間近


私の4番目の孫が生まれた産婦人科医院での撮影から始まる、
奈良の裏町ロボグラフィです。
相変わらずの路傍写真。
スーパーアンギュロン21㎜F3.4のドラマチックな表現力のお陰で、
私にとっては、裏町行脚の記憶を生き生き蘇らせてくれます。
普通ならさっさと忘却の彼方に去ってしまう散歩の一部始終を、
ドラマチックな風合いを加味して思い出させてくれるのですから、
やっぱりこれは良いレンズです。

今、韓流ドラマ「ハッピートゥギャザー」を楽しんでいます。
DVDの紹介文をお借りしましょう。
『美しき日々』のイ・ビョンホン、『夏の香り』のソン・スンホン、
『猟奇的な彼女』のチョン・ジヒョンとチャ・テヒョン……。
今や押しも押されぬ人気の韓流スターたちが、
夢の競演を果たしていた1999年放送のTVドラマが本作品だ。
離ればなれになっていた5人の異父兄弟・姉妹が、
ひょんなことから再会。反発を繰り返しながら、
互いの絆を確かめ合っていく様を描いた、
心温まるファミリードラマとなっている。

チェ・ジウさんの「冬のソナタ」を見つけたのが2007年。
ブログを始めたのが2008年。
それ以来、韓流ドラマを毎夜観るのをやめたことはありません。
ブログも最初は日に幾度もアップしていましたが、
今は2日に1回程度に落ち着いています。
でも、やめません。
音楽と写真とドラマは私の生活の柱。
ロボグラフィと韓流ドラマの両輪で走ってきたようなものです。

もっとも、日本もそうなのでしょうけど、
韓流ドラマもかなり変質してきました。
韓国社会の現代化とともに、社会もドラマも洗練されてきた感じ。
でも、私は、社会も写真も音楽もドラマも泥臭いのが好きです。
たとえば、私は自分の服装に気を配ったことがありません。
外に出て恥ずかしくないのであれば、人がどう見ようが気にならない。
生活も写真も同じスタンスで生きてきました。
韓流ドラマの変質は、そんな私にはかなりこたえています。
どんどんと洗練され、スマートになっていくのですから、やっかい。
泥臭いのが私の好みなのですから。
そんなところへ、久しぶりに古いドラマを見たわけです。

「ハッピートゥギャザー」
古き良き時代の美しい人間関係、人情がまともに私の心を打ちます。
上記の紹介文には漏れているヒロイン、美人女優のキム・ハヌルは
かつて野球選手で今は審判を務める男の娘です。
ソン・スンホン演じる男性主人公の検事をを愛しているのですが、
同僚検事(これが又、ハン・ゴウンという美人スターの駆け出し当時)
に奪われそうになり、半ば諦めて、携帯電話をオフにしています。
父はこれに気づいて、以下のように諭します。
「電話を入れておきなさい。
強打者はいつどんなときでも逃げられない。
負けていても、不利な状況でも、最後の一振りまで全力を尽くす。
それがプロだ。
だから、後悔しない。
それでいい。
どんなにがんばろうとも、勝つときは勝ち、負けるときは負ける。
だが、後悔してはならないんだよ」

韓流ドラマにはこんな味のあるセリフがよく出てきます。
どうやら有言実行の社会のようです。
人間たちが真っ向からぶつかり合い、その理由がはっきり分かります。
ゲーテ流のビルドゥングスロマンが根幹にあります。
だから、たいていのドラマは紆余曲折、波瀾万丈の果てに、
主人公たちは苦しみを乗り越えて一段と優れた人間となり、
それぞれに幸せな結末の大団円を迎えます。
現実で人間の醜い面をめったやたらに見てきた人間にとって、
とても満足すべきうれしい収め方です。
単純と言えば単純ですが、深い知恵と愛に出会うことができます。
「ハッピートゥギャザー」は私が求める韓流ドラマの典型。
こんなドラマが100話以上集まってしまいました。
当分、現代ドラマは敬遠して、古いドラマを楽しむことにします。

そして、ロボグラフィはどこまでも泥臭い路傍風景。
なにもかも泥臭い人生になってしまいそうですが、
上記のドラマのおとうさんが言うように、
「後悔しない」人生になれば、いいじゃありませんか?




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# by Sha-Sindbad | 2018-08-09 23:36 | SuperAngulon21/3.4 | Comments(0)

2001 西大寺と奈良町(2017年12月4日スーパーアンギュロン21㎜F3.4はあたたかに)2 わが町


2000回記念の後には、
一旦中断したスーパーアンギュロン21㎜F3.4後編を続けましょう。

写真界におけるカリスマ性、人気、いずれをとっても、
スーパーアンギュロン21㎜F3.4はホロゴンを凌駕していたようです。
ホロゴンをメインレンズとした写真家など皆無ですが、
スーパーアンギュロン21㎜F3.4にはかなりあるようです。

もっとも有名な写真家はジャンルー・シーフでしょうか?
ファッション写真に超広角レンズのパースペクティブを活用しました。
スーパーアンギュロン21㎜F3.4特有のカリスマ的な描写、
深遠な広がりを見せるパースペクティブはホロゴンほど極端ではないので、
中央の主人公を引き立てる見事な舞台、見せ場を作ってくれます。

でも、私はホロゴンにせよ、スーパーアンギュロン21㎜F3.4にせよ、
広角特有の広大なパースペクティブを活用したいとは思いません。
超広角レンズの特質は広く撮れることではなくて、深く撮れること、
そんな風に考えていることもありますが、
カリスマレンズには申し訳ありませんが、
私ははなから路傍のロボグラフィしか撮らないのですから、
超近接で撮るとき、被写界深度の深さが役に立つことが狙い目。
そんな撮り方をする私にとって、
カリスマレンズが得意とする写真的効果は、むしろ邪魔。
そんな感じさえします。
これを防ぐために、水平垂直を心がけています。
いわば、超広角レンズであることを気づかせない、
そんな撮り方をしたいからです。
こんな撮り方をする私にとっては、
超広角は出会ったものをそっくり記録できる速攻レンズ、
ということになりそうです。

陳少林先生の揚琴伴奏レッスンの帰りと奈良町、
いつもの道、いつもの撮り方だけど、
レンズが変わると、見えるものが違ってきます。
飽きませんね。

愛する妻を見飽きたと言う人は居ませんね。
私は自分が元気で闊歩できる自分の町を愛します。
なぜ?
自分の町を愛さないと、生きてる意味が半減するから。
30年を超えると、まさに「我が町」。



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# by Sha-Sindbad | 2018-08-06 18:29 | SuperAngulon21/3.4 | Comments(0)

2000 寒風(2018年1月15日ホロゴン15㎜F8Uがバス道、西大寺の道すがら) 号外!!  


本ブログ、「レンズ千夜一夜」もついに2000夜目を迎えました。
初めは名前のとおり、千夜で終わりにするつもりでした。
でも、当時まだレンズをぼちぼち手に入れていたうえ、
性質上、ただレンズをとっかえひっかえ使うだけですから、
ブログと撮影が二人三脚でとても気楽に続けられる感じ。
それじゃ、当分続けてみるか、という気分になったわけですが、
引退してみると、事情が変わりました。

第二の人生が高遠、広大なる視野を私に開いたのです。
これからが、私による私のためだけの本当の人生なのだ!
仕事と言える仕事は、子供たち(猫ですが)の世話と、家事だけ。
規則正しく継続することで人生に生き甲斐を見いだせる、
そんなものを幾つも見つけることが必要になりました。
幸い、写真と音楽が2本柱となってくれました。
音楽の方は揚琴、リコーダー、二胡、そしてハーモニカと、
柱が一杯ありますが、
写真の方はやはりホロゴンウルトラワイドから抜き出して、
ライカMマウントとなったホロゴン15㎜F8Uが大黒柱です。

持ったときの気分が違います。
どんな方にもそんなものがあるでしょう。
これがあれば、何もいらない。
これがあれば、空も飛べる!
これは冗談、と言いたいところですが、
ホロゴンウルトラワイドの時代、
「飛び込み自殺型撮影法」を盛んにやっていました。
地面を撮りたい。
でも、普通に下に構えて撮ると、
両下すみに立派に両足が写ります。
そこで、両足をできるだけ開いて、ホロゴンを両手で突き出し、
前方にゆっくりと倒れ込み、
ホロゴンウルトラワイドが両足を写さないあたりまで来たら、
シャッターを切り、次の瞬間、両足を前に飛ばして、
転倒寸前の体を支える。
一瞬ですが、水平に飛んでいました。

不思議に、ソニーα7に付けると、
そんな苦労が不要になってしまいました。
ホールドする両手指がカメラボディの前面よりも前に出ていても、
写りません。
だから、水平地面も両足を開いただけで撮れるようになりました。
私にとっては、魅惑のホロゴンワールドへの魔法の窓。

ただし、手に入れて最初の10年でしっかり悟りました。
ホロゴンの描写を喜ぶ人はほとんどいません。
写真家が誰一人常用メインレンズにしなかったのも当然。
他のレンズと同じ距離、スタンスで撮ると、
四隅に向かって膨張するだだっぴろい光景ばっかり。
ちょっと曲げると、画像は歪んでしまう。
ホロゴンの撮り方はただ一つ、被写体に、1m以内で、
できれば50㎝前後に肉迫して、水平垂直に撮る、
これだけです。

いきおいノーファインダー撮影しかありません。
そんな撮り方、誰もしたくないようです。
なぜ?
作画ができないので、自分の作品を創造できません。
あなた任せ、ホロゴン任せで撮ってもらう写真だけ。
というわけで、写真家の使用に耐えず、
私のようなど素人向きのレンズだったわけです。

すでに出会ってから20年近くなりますが、
20年変わりなく、
ホロゴン様から写真をプレゼントしていただいて、
常に新鮮な驚き、衝撃をエンジョイするだけ。



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# by Sha-Sindbad | 2018-08-04 16:19 | Hologon15/8U | Comments(0)

1999 初冬(2017年12月4日スーパーアンギュロン21㎜F3.4はあたたかに)1


とうとう本ブログも1999号までたどり着きました。
当初はレンズ紹介、レンズの味覚テストが眼目でしたが、
蘊蓄を傾けたレンズ情報、レンズ論など、かけらもないので、
クラシックレンズグルメのみなさんは近寄りません。

私も、レンズの味を確認するために撮影などしていません。
ただレンズを取っ替え引っ替えすることで、
いわば「レンズ論」仕立ての振りをして、
その実、写真付き日記を一人で楽しんでいる点では、
別ブログ「わが友ホロゴン、わがタンバール」と変わらない。

そこことに気づくと、方針を変えました。
それじゃ、いっそのこと、
沢山無差別に撮りまくった写真を無差別に掲載するすることで、
このブログも写真どっさり日記にしちゃおう!

偶然、レンズ界のカリスマの一本、
スーパーアンギュロン21㎜F3.4が順番に回ってきましたので、
(まだ昨年12月撮影分までしか消化できていないのです)
1999号にはこのレンズの前半を掲載し、
2000記念号には、私の横綱レンズ、ホロゴンを登板させ、
いわば、超広角対決を楽しむことにしよう!

まず、スーパーアンギュロン21㎜F3.4がバリバリとロボグラフィ。
今日、以前の自分の写真をランダムに見たくなり、
いつものように、私しか使わない用語の組み合わせでグーグル画像検索。
いつもは、「イングリッド・バーグマン ホロゴン」というような組み合わせ。
今回は「ロボグラフィ ホロゴン」の組み合わせ。
すると、「ハッセルぶらっと」というブログにぶつかりました。
こう記しておられたのです。
「最近 ロボグラフィ という言葉を耳にした。
 なんなん?
 いろいろ検索したら、路傍の変哲もない光景を芸術的に昇華させる 
 ちゅう事らしい・・」
そして、私のロボグラフィと完全に同種のロボグラフィの試写を
掲載されていました。
そうですね。
ロボグラフィ写真は作品ではないので、優劣の比較など起こりませんね。
したがって、撮り方の方は誤解がないのですが、
ブログの上記本文は、もうしわけありませんが、完全な誤解です。
私はただのド素人として、自分の出会った光景をメモするだけ。
その写真を世間に向けて、「私の写真作品です」と呈示する気はありません。
だから、「芸術的に昇華」は、私のロボグラフィに限って、起こりません。
私の目は、どうやら生まれつきらしいのですが、
なんでもない光景に、人間やら動物やら幻影やらを自動的に感じ取ります。
クラシックレンズはそんな私の個人的な変身譚をいかにもそれらしく
写真にしてくれます。
種々のレンズ特性のひずみ、欠陥、不足がどうやら役だっているようです。

ですから、本文の中で再三再四どころか、再百回再千回お断りしています。
私のブログはただの個人的な日記で、人に見せる作品ではありません。
それならアクセス拒否でブログを作ればよいじゃないか?
そう言う方もおいででしょう。
でも、私はただの日記が書けない、書簡だといくらでも書ける、
そういう特殊な性格の人間らしいのです。
だから、未来の私相手に手紙を書くつもりで、第三者宛に書いています。
もしかして誰かが読むかも知れない、そう感じると、
ますます本物の手紙を未知の私と未知の誰か宛に書いているつもりになり、
筆がますます走る、ただそれだけなのです。

ですから、ロボグラフィとは、写真作品の様式を意味するものではなく、
ただの「路傍の写真メモ」、そうお考えください。
皆さんが時折やっていることではないでしょうか?




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# by Sha-Sindbad | 2018-08-03 10:56 | SuperAngulon21/3.4 | Comments(0)

1998 落ち穂拾い(2017年11月21日アポクアリア28㎜F2が高畑町の晩秋に心地よげ)2 ロボグラフィ


アポクアリア28mmF2、この日の撮影の後半になって、
ますます調子を上げているようですね。
と、言いたいところですが、
私は自分の写真が分かっています。
長年、自分の写真を人に見せてきました。
一貫して、常に調子は一定しています。
無反応、それだけですね。
わずかに、実にわずかにですが、
私の写真を評価する方も居ない訳ではない。
でも、大抵の場合、訳が分からない、という反応。

私の写真は、私にだけ通用する私の勲章だと思っています。
なぜ?
私は人が分からない、自分だけの写真を撮りたいからです。
アートではないのです。
人になにか伝えたいメッセージがあるわけではないのです。
人が私の写真を見てどう思おうが、私には無縁。

私は写真のセンスもアートセンスも皆無。
そんな繊細な感受性とは完全に隔絶した世界で、
前半生を生きて来た人間です。
私が生きて来た世界では、優劣がはっきり別れます。
知るべきもの、やるべきことが明確です。
知るべきものを知らなければ、アウト。
やるべきことをしなければ、アウト。

アートの世界は違います。
アプリオリに決まっていることなど何一つありません。
もの、状況、作家、観衆(ときには聴衆)との、
一期一会の出会いが放つ火花に意味があります。
そんな出会いがなければ、無意味。

ところが、私はそんな出会いなどと無縁です。
ロボグラフィと私の出会いは一期一会ではありません。
一瞬の目配せ、視線の交錯、その程度の軽さ。
その出会いの痕跡、証拠であるロボグラフィは、
私の記憶の欠片。
私以外の人には無縁。

私の2つのブログで、誤解の余地がないように、
このことを繰り返し繰り返し書いています。
私の写真の師匠田島謹之助がすでに見破っていました。
「あんたの写真、最初、なんか意味ありげだな、
そう思う。
だけど、よくよく見ている内に気づくんだよ、
なんの意味もないんだって」
私は最初からロボグラフィを撮ってきたのですね。



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# by Sha-Sindbad | 2018-08-01 22:03 | Apoquaria28/2 | Comments(0)

1997 落ち穂拾い(2017年11月21日アポクアリア28㎜F2が高畑町の晩秋に心地よげ)1 鬼っ子レンズ


私は別に変人ではありませんが、
写真趣味としては、変わっているかもしれません。

写真家は、プロアマを問わず、作品としての写真は、
色に偏りが無く、透明感のあるものにしたい、
そうお考えのようです。

吉田正さんの写真教室でも、私の持参するプリントも、
写真としての感想はほとんどありませんが、
色については、マゼンタをかぶっているとよく言われます。
私は鈍感なのでしょう。
そう言われて感じるのは、「それがどうしたのですか?」

どうやらクラシックレンズのほとんどは、
モノクローム時代の製品であるだけに、
さまざまな色の偏りがあるようです。
つまり、それが特徴の一つなので、
これを補正したら、元も子もない、という風に感じます。

私は、いわゆる優等生が嫌いです。
すべてにおいてバランスがとれている、そんな感じがいや。
子供の頃クラスの鬼っ子だったような人間が面白いですね。
反応も行動も言葉も予測不能、そんな人間がいいですね。
写真がまさにそれです。
クラシックレンズは光景に個性的に反応します。
その反応がそれぞれに違っていて、楽しい。
優等生レンズは光景をそのままに写し取る傾向があります。
「もう見たじゃない!」
新鮮な喜び、驚きがありません。

宮崎貞安さんのレンズの独創性は、
現代的な優等生的性能を活かしつつ、
光景に対して、そのレンズらしい反応を見せるのです。
だから、「あれっ、ちょっと違う!」
ニューレンズ、アポクアリア28㎜F2がその典型です。
さすがに現代レンズらしいクリアさが、
私のクラシックレンズたちの描写と一線を画しますが、
決して固くはなく、画像に独特のコクと落ち着きがあります。
全部開放描写ですが、すでに適度に厚みもあり、
ロボグラフィらしい変化(ヘンゲ)の雰囲気が漂います。
アポクアリア28mmF2もれっきとした鬼っ子かもしれません。
「隠れ鬼っ子」という感じかな?




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# by Sha-Sindbad | 2018-07-29 11:59 | Apoquaria28/2 | Comments(0)

1996 化けに化け(2017年11月18日スピードパンクロ35㎜F2が新大阪で変容三昧)


この日、新大阪駅界隈は雨でした。
雨はストリートを一変させます。
さしもの美女も、
肌がしっとりとする程度なら、美しさがいや増しに増しますが、
ずぶぬれになると、もう怖いですね。
ストリートのロボグラフィたちはこれが狙い。
濡れれば濡れるほど、メタモルフォーゼ効果が増大します。
そこに、スピードパンクロ35㎜F2が絡むと、
私にとってはまさにフェスティバル!
でも、真っ当な美的意識の持ち主なら尻込みしちゃうでしょうね。
それが狙い、ということもあって、
私のロボグラフィは変化、変幻ほしいままに。。。



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# by Sha-Sindbad | 2018-07-27 19:00 | SpeedPanchro35/2 | Comments(0)

1995 ロボグラフィ異変(2017年11月15日スーパーアンギュロン21mmF4がいつもの道で)


人生って、一体なんだろう?
ときどきそう考えてみます。
先日、二女の車で橿原に行った際、
昼食を橿原のイオンでとることにしました。
ときおり、子供たちの車で奈良県のイオンに参ります。
広い駐車場があるので、駐車場探しに苦労しないこと、
さまざまなお店があるので、子供たち、孫たちのニーズに沿った、
いろいろなショッピングができることが理由。

私は、自分の楽しみのため以外には一切買い物しないので、
イオンなど無縁、無用の長物です。
とくにこれが私たち貧乏人からなけなしの金を搾り取る、
現代屈指の集金メカニズムと知っているだけに、
ここで金は使いたくありませんね。

イオンが吸収したい資金を一番貯めているのは誰?
もちろん退職老人たちです。
彼らにはもはや無用だけど、イオンには有用な金が、
無意味に彼らの懐で眠っている。
もっとも大した金高ではありません。
でも、沢山の貧乏人からごそっと吸い上げたら、
塵も積もれば山となる、の喩えどおり、
イオンの運転資金に有効な働きをしてくれます。

そこで、プロムナードには分不相応なソファが置かれ、
退職老人たちの憩いの場として提供されています。
奥様方は、邪魔な命令、注文しかしゃべれないご主人たちを、
体よく追い出します。
やることがないので、現代の最高のオアシス、イオンに来ます。
孫たち、娘たちのために金を落とすかも知れない。
ということで、立派なソファーを提供されて、
退職老人たちはゆったり腰掛けています。
なにか深い思索に耽っているのでしょうか?
脳裏を過ぎった優れたアイデアが捉まえ直そうと、
脳裏のかげで必死の奮闘を繰り広げつつあるのでしょうか?

私は、職務の中で、人の目をしっかり見ることが、
その人の理解の鍵であると考えていました。
狐疑逡巡、罠の仕掛けに成功、見事裏をかいたぞ、
等々、脳裏を過ぎる様々な思案が目の中にしっぽを出します。

ソクラテスが酷寒のポテイダイア包囲戦の最中の陣中、
まさに深夜、陣営の十字路にさしかかりました。
その瞬間、どうやらこの古今最高の哲人の1人に、
ある見事な思索が浮かび上がったらしいのです。
兵士たちが折良くその十字路を警備していました。
なにもすることがないので、このおかしな男の振る舞いに、
釘付けとなってしまいました。
凍り付くような寒さ、立ち止まったらそのまま氷柱、
そんな酷寒の深夜、哲人は立ちつくしたままでした。
兵士たちもおもしろ半分、大向こうの立ち見としゃれこみました。
朝一番の鶏の声とともに、ソクラテスは、深い思索から醒めて、
短い祈りを捧げてから、何事もなかったかのように、
スタスタと歩き去ってしまいました。

そうなのです。
哲人は、脳裏の中でさまざまな思索の筋を登場人物として、
ドラマを組み立てることができたのです。

でも、退職老人たちの目を見ますと、
ソクラテスのような思索に耽っているとは思えません。
なんだかなにも考えず、なにも見てない、そんな眼差し。
在職中の目標を失って、退職後の新たな達成課題をまだ見つけていない、
そんな途方に暮れた風情が感じられます。
これからどれだけ続くか分からないのです。
自分の力で、新しい目標、行動課題を見つけ、あるいは作る、
それが退職後の最初の関門なのでしょう。
その関門を突破しないと、生きる意味が失われかねません。

でも、この関門をなかなか突破できないのは、
退職後の人生には新しい価値観、新しい行動基準が必要なのに、
在職中に培った価値観、行動基準を捨てて、
そのような新しい境地、行動基準に飛び移るための、
それ相応の覚悟、用意、資源がないのかも知れません。
これが退職者を待ち受ける最終試験なのかも知れません。

一つの解決の糸口は在職中の自分を振返って、
「ああ、この仕事から自由になったら、あれをしたいなあ」
という憧れがあったのではないか?
自分の心の奥底に浮かび上がろうとしていた憧れの対象、
これを思い出すことではないでしょうか?

私は、在職中からそんな憧れをはっきりと抱き続けていました。
一言で言えば、
「美しいものだけを見つめて生きること」

その美しいものが、ここに登場する写真たちなのか?
多くの人がそう疑問に思うでしょう。
確かに今回の写真の半数近くは、走行中のバスから撮りました。
ドラえもんは「どこでもドア」を持っていました。
私が持っているのは、
「どこでも、いつでも撮影」



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# by Sha-Sindbad | 2018-07-26 23:11 | SuperAngulon21/4 | Comments(0)

1994 田園道に憩う(2017年9月17日アンジェニュー50mmF0.95が鹿野園町でしっとり)2


先週土曜日以来、我が家に滞在していた末娘一家4人が、
明日関東に帰ります。
いやはや大変な一週間でした。

3歳の長女と生後半年の二女の2人の孫は、
たった1週間の滞在中にぐんぐんと成長し、変わりました。
とくに二女の方の変化は著しいですね。
来た当座は同じ姿勢でベッドに寝ているだけだったのに、
今ではすっと寝返りをうって、ごろごろと移動し、
腹ばいになると、頭をしっかりもたげて、周囲を観察。
目の動きが極めて敏捷で、反応が鋭く的確になってきました。
表情がとくに赤ん坊から幼児風に豊かになってきました。

孫たちと会えるのは次の正月でしょう。
それまで会えないのはさびしい限りです。
そんな気持ちをかみしめていると、ふっと感じました、
もしかすると、老いるのも、同じくらいに迅速なのかも?

そう考えると、おちおちしていられませんね。
いつも書くことですが、私の対処方は実に簡単、
美しいものだけを見る!

ある意味で無責任です。
でも、自分の前半生に、かなりの程度社会に奉仕しました。
後半生は自分に奉仕する、そう心に決めています。
私がそうして見つめた美の写真を2つのブログで並べています。
なんで、これが美なの?
そうお感じになる方が多いでしょう。
そんな方は所詮私とは別世界で生きておいでになるのです。
ご遠慮なく!
永遠にさよならしちゃいましょう。




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# by Sha-Sindbad | 2018-07-21 23:26 | Anjenieux25/0.95 | Comments(0)

1993 田園道に憩う(2017年9月17日アンジェニュー50mmF0.95が鹿野園町でしっとり)


私は近頃は図書館を定期的に利用しています。
書斎に永世置いておきたい本はあらかた手に入れました。
これから幾度目かの愛読をしたいものです。
でも、ちょっとした好奇心も満足させたい。
そこで、図書館で借ります。

いつもかなり満足します。
でも、記憶力が抜群に悪い私ですから、大抵、忘れます。
その本を忘れたことさえ忘れます。
でも、ほんの少しは記憶の奥底に沈殿してくれます。
それで十分でしょう。
この汚辱と混乱に満ちた末世の出来事など記憶に留めたくないので、
私が記憶すべきことはどんどん減少していくのですから。
ただ一言でもよいかもしれません、
「ひたすら美しいものだけを愛して生きよう」

この言葉に動機付けられてか、芸術関連の本を多く探します。
藪野健「絵画の着想」(中央公論社)はかなり楽しみました。
ちょっと意地悪い表現で申し訳ありませんが、
文章も絵も饒舌そのものです。
きっと知においても美においても、アイデアが沸騰しているのでしょう。
でも、ちょっと付き合いきれないほどに、言葉、イメージが氾濫します。
もっと簡潔なら、もっと心に沁みるのに......

(誰か読む人が居たら、きっとこういうでしょう。
お前の方こそ、言葉も写真も氾濫状態じゃないか?
それは違います。
私のブログは、私の心覚え、メモなのですから。
文章は、単なるボケ防止の、頭に浮かんだままの殴り書きだし、
写真は、私が歩いたままの記憶想起用ペグなのですから)

さて、藪野さん、
何カ所か、鍵となるアイデアを大書されています。
これがなかなかピンと来て、刺激的です。
たとえば、
「絵を描くことは格闘技に似ている。
ローマの競技場に佇んで
そう思った。
キャンバスやデッサン帳は
いわば舞台で、
最初の一撃は、第一撃、
開幕に当たる」

私のロボグラフィとは全然違うなあ。
ロボグラフィには格闘とか努力の要素は皆無。
一番近いのは、海外のストリートですれ違い様、
見知らぬ人とちらっと目が会った瞬間、
好ましいと思ったら自然にほころぶ微笑み、
目配せ、うなづき、そんなすれ違いのエール。

私がバックストリートを徘徊するのは当然です。
表通りは、すべてが一目を惹くための仕掛け。
その奇抜、意外なイメージが見る人の心にこびりつき、
いつかなにかを選択する瞬間、時限爆弾効果を発揮して、
かすかに記憶する方に親しみを感じて、手を出してしまう、
そんな落とし穴だらけの表通りと違い、
バックストリートは他人に見せる場所ではありません。
自分たちが住む場所。
見せかけのものなどありません。
生活だけがあります。
そんな場所での撮影は格闘技には似ていません。
最初の一撃は、なにかへの開幕に当たるわけではなく、
それで完了。
「 コンチワ! サイナラ!」
写真に残されるものは、
私とロボグラフィとの出会いの一瞬だけ。

私の場合、99%、開放絞りで撮ります。
だから、50㎜以上の長焦点レンズではピントを合わせます。
デジタルカメラの利点は液晶中心部を拡大できること。
たいていの写真家なら、ピントを合わせると、
液晶画面を元に戻して、画面全体の構成をチェックします。
私はしません。
ピント拡大画面でピントが合った瞬間、シャッターを落とす。
挨拶が終わったら、さっと手を振ってお別れするだけ。

帰宅してから、マックの画面で写真と出会います。
ああ、こんなだったなあ。
私の記憶が蘇ります。
写真的な構成をチェックして、トリミングなど一切なし。
ブログ画面での写真の周辺の白線は、写真の外枠です。
カルティエ=ブレッソンが往年やっていたような、
黒枠の焼き付けの丁度反対に、白枠を残している、
その手法をコピーしたもの。
カルティエ=ブレッソンは、こうして、
撮ったままの写真がそのまま作品であると証明して、
瞬時のスナップがそっくり作品にする天才性で
見る人を圧倒してきました。
私の場合、作品とするための仕掛けなんかじゃありません。
自分の目の前に現れたロボグラフィを、
そっくりそのまま思い出すための仕掛けとなって、
1人私の心を温めてきたというわけです。

というわけで、絵の場合は、「最初の一撃は開幕に当たる」のに、
ロボグラフィの場合は、「最初の一撃の後にはなにもない」

昨年9月に鹿野園町を散策して、オリンパスEP-L1に付けたのは、
アンジェニュー50mmF0.95
私が持っている一番明るいレンズです。
さすがに背景が美しく、
それだけロボグラフィたちがすっくと立ち上がります。
私にとっては、これも「魔のレンズ」の一本。



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# by Sha-Sindbad | 2018-07-19 23:07 | Anjenieux25/0.95 | Comments(0)

1992 田舎暮らし(2017年11月11日フォコター50mmF1.9のバス停界隈)


前回記事は揚琴の付虹先生のお宅でのレッスンを終えてから、
ユニバーサルシティ駅で撮った写真の前半。
今回記事は、その後半と、奈良に帰り着いてから、
我が家直近のバス停に降り立ってから家までの、
歩いて3分足らず、距離にして300mほどの道ばた写真です。

ソニーα7に付けたフォコターで撮った、まさに路傍写真たち。
貧寒とした田舎のだらだら坂道です。
道行く人になどほとんど出会いません。
そんな田舎に住んでいる撮影者の生活には、
この世の選良の華麗なる人生にふさわしいものなど、
何一つありませんね。
まさに浄瑠璃のセリフ、「田舎ぐらしは暇ばっかり」ですね。

でも、人間って、慣れるものです。
こんな路傍の雑草たちがまさに生きる伴侶となってくれています。
お感じにはならないでしょうけど、
私の心は温かさと愛情にふくれあがっています。
ご理解にはなれないでしょう。

でも、構いません。
人は皆、孤島です。
それぞれ自分の小さな島に住んでいます。
どう生きるかは、勝手。
人間にとって大切なことは、なにをするかではありません。
どんな気持ちでするか、です。

子供の頃、グレース・ケリー主演の映画「泥棒成金」で見ました。
ヒッチコック監督の佳作。
大金持ちが朝食の席上、自分の葉巻を目玉焼きで消すシーン。
なんてことをするんだ、と仰天した記憶を忘れることができません。
今から考えると、金まみれになった人間の価値観の迷走、
し放題の放縦な生活の中でふっと心に影をさす倦怠、
そんな空虚な心情をちょっとした仕草で描ききったのでしょう。

私とは正反対の境遇、心境。
富も地位も名声もなにもなく、ひっそりと片隅で生きる。
でも、心は晴れ渡り、小さな世界のすべてに愛情を注ぐ日々。
ロボグラフィって、そんな人間の視線の記録というわけです。

このようなフォトジェニックなものなどなにもない状況で、
使ってみますと、フォコター50mmF1.9、なかなか良い!
誰からも気に留めてもらえないヤツらが、
思いもかけずレンズを向けられて、わっと心を躍らせている、
そんな風に感じるのですが、ねえ..............





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# by Sha-Sindbad | 2018-07-14 22:34 | Focotar50/4.5 | Comments(4)

1991 唯我独尊(2017年11月11日フォコター50mmF4.5が新大阪の休憩時間に活躍)


一番豪快な描写をするレンズはなにか?
私の知る限り、答えは一つです。
ライカ社の引伸しレンズ、フォコター50㎜F4.5
宮崎さんにライカMマウント用レンズに改造していただきました。
でも、あまり使っていません。

こんな友人をあなたはお持ちではありませんか?
何時会っても、自信たっぷり。
私は、いわば天才。
私はそれを知っているし、あなたもそれは認めざるを得ない。
そこで、2人の会話のテーマは常に彼自身、ということになります。

そんな人に私は40年前に出会いました。
今でも、彼は変わっていません。
そして、その天才ぶりに驚倒させられます。
でも、出会いがいつも少し物足りないのです。
別れてから気づきます、
今回も彼は僕になんにも尋ねなかったなあ...........

フォコターって、そんな友人の雰囲気にかなり似ています。
いわば、天才的レンズ。
フォコターもそれを知っているし、
私がそう思っていることも知っている、
でも、フォコターは私のことにはさほど関心を抱いていない、
そんな感じ。

天才たちが愛用して、その信頼にこたえてきました。
とくに、ライカレンズで撮った写真の引き伸ばしは、
このレンズに限る、そう言う人が沢山居ました。
確かに、カルティエ=ブレッソンのプリントを見る度に、
なんと堂々たる立体感、実在感!
なんという独特になだらかなグラデーション!
そして、生き生きとした雰囲気描写!
きっと彼のラボはフォコターを使っていたでしょう。

私はローデンシュトックの50㎜、80㎜しか使いませんでした。
ニコンの引き伸ばしレンズを試してみましたが、
切れ味、シャープネスは断然ニコン。
でも、グラデーションを犠牲にしていました。
おそらくフォコターは、上記の2本の良い点を備えていたでしょう。
でも、フォコターは高くて買えなかったのです。

ところが、モノクロプリント時代が去ってしまうと、
フォコターが往時の半額以下になって出回るようになりました。
さっそくあっけにとられるほど廉価で手に入れ、
宮崎さんにMマウントを付けて頂きました。
でも、なかなか手が伸びない。
なぜ?
ライカレンズの描写とかなり違う感じなのです。

ごくごく単純に各社のレンズの描写性を表現してみますと、
ツァイスは男性的、
ライカは女性的です。
フォクトレンダーは透明感があり、
シュナイダーは鋼の感触。
アンジェニューはコクがあって、
ダルメイヤーはやさしい。
余りにも単純化しすぎていますが、私の第一印象がそんな感じ。

じゃ、フォコターは?
他のすべてのレンズとちょっと違う感じなのです。
他の各社のレンズだって、自分の絵を描き、自分の歌を歌います。
でも、自分を愛してくれる人のために最大限協力してくれます。
だから、レンズ選びに成功すると、写真家はいつも、
自分の表現を徹底的に追求できるのです。
ところが、フォコターって、ちょっと頑固なのです。
いつも自分の絵を描き、自分の歌を歌います。
使い手に残された選択は、
フォコターの絵、歌を好むか好まないか、だけ。

だから、時代を創造する作品を生み出した写真家には、
義経に弁慶が使えたように、一変、かしづいたのでしょう。
でも、おそらくフォコターをカメラに付けて、
自分の写真世界を築き上げた写真家って、
世界広しと言えども、いないのではないでしょうか?




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# by Sha-Sindbad | 2018-07-12 23:01 | Focotar50/4.5 | Comments(0)

1990 習慣(2018年1月20日ダルメイヤー25mmF1.9新大阪の休憩時間に活躍)2 君のためなら


先日、奈良駅に向かうJR大和路線快速に乗っていました。
JR大阪駅で乗り込んだとき、2つ空席を見つけました。
私はかなりすばしこいのです。
とくに妻と一緒のときの慣行が新婚以前からできています。
結婚したとき、「君のためならなんでもするよ」と、
約束したせいです。

つまり、電車に乗車したとき、一席しか見つからなければ、
妻が座り、私が立つ。
今回は空席が2席です。

私も座れそう!
まず、近場の席にさっとバッグを置き、
別のドアから乗り込んだ妻に、手を上げて「見つけたよ」と合図。
でも、よく考えると、バッグをもう1つの席に置いてから、
妻用のベターな位置にある席に立って、妻を待てばよかった。
妻はほぼ満員に近い人ごみを縫ってやってきて、
すっと私の席に座りました。

たいていのご夫婦では、そんな状況でも、奥様が譲る側に回り、
50年配を超えると、どちらかと言うと、旦那優先のようです。
私は自分の言葉を遵守します。
記憶力は悪いのに、自分がした約束は覚えています。
これは妻が超絶的に記憶力が良いせいもあります。
だから、何年経っても、ずっとかしずく側に据え置き状態。

でも、今回の場合、かなり疲れて、JR大和路線に乗り込んだのですから、
私も一席確保して、座っても良かった。
でも、哀れ、私はもう1つ、遵守していることがあった!
「レディファースト」
今時、死語ですね。
でも、私は自分が採用した路線はずっと守る人間。

妻が私の守っている席に、乗客を縫ってたどり着くのを待つ間に、
別の女性ももう一つの空き席に気づいて、妻に続いてやって来ました。
こうなると、その女性の前で、もう1つの空き席にすっと座って、
「早いもの勝ち、これがこの世の絶対真理ですねえ、すまないねえ」
なんて、澄ましたりはできません。

人間って、こんな風にある決断、ある選択が何十年経っても有効、
ということがあるものですね。
怖いですねえ。



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# by Sha-Sindbad | 2018-07-10 23:03 | Dallmeyer25/1.9 | Comments(0)

1989 狭き門(2018年1月20日ダルメイヤー25mmF1.9新大阪の休憩時間に活躍)1 狭き門


「狭き門より入れ、
滅びに至る門は大きく、その道は広く、これより入るものおほし。
命に至る門はせまく、その道は細く、これを見出すもの少なし。」

マタイ伝のイエスの言葉ですね。
いろいろな意味がありますね。
だから、生きている言葉なのかも知れません。

私の尊敬する先輩がはるか昔に語った言葉を思い出しました。

   「ぼくは、狭い道と広い道、2つのどちらに進むか、
   そんな選択を迫られたとき、いつも狭い道を選んできました。
   一度も後悔したことはありません」

今頃どうしておられるでしょうか?
今でもお元気で、狭く、でも高みにつながる道を上って行く、
そんな人生をお送りになっていることを祈りたいですね。

私は、そこまで高邁な意識があったわけではないのですが、
どうも狭くて、いつか袋小路のたどりつく道ばかり歩いて来た、
そんな感じがしてなりません。

その証拠に、今だに路地裏ばかり彷徨っていますね。
路地って、たいてい行き止まりですね。
まさに自分の人生をそっくり反映しているのかも知れませんね。

でも、そんなデッドエンドにぶつかってもぶつかっても、元気。
どうやらその秘密は、私が片隅になにか別世界への扉を見つけるから、
そんな感じがしています。
その別世界はただの想像の産物であることは認めます。
私の人間性を高めるものでもなんでもありません。
でも、生きる慰め、次のステップに踏み出す弾みになってくれます。
だから、たとえ孤独であっても、心を弾ませ、にっこりできます。

価値あるものを創造することなどできなくても、平気です。
それがどうした?
価値あるものを創造できる人って、限られているじゃないの?
価値あるものを味わえる感受性を失わなければ、
人生は十分生き甲斐があるってものじゃないかな?

私が入って行く道が「命に至る門」につながっているかどうか?
あらかじめ分かりっこありませんね。
ひたすらどしどしと前に向かって歩いて行くだけです。

一つだけ、余計なこと。
はっきり分かっていることがあります。
差し迫った用もないのに、携帯を眺め続けること、
これは絶対に「命に至る門」にはつながりません。
近眼、老眼、近視眼思考、朦朧頭脳にはしっかりつながっています。
さなきだに少ない創造的な思考力をすり減らし、
頭脳を、雑多で無用な情報が煙らせ、早く衰えさせ、
いつか、なんの図柄もない灰色のジクソーパズルに変えてしまいます。
携帯は、視野暗き道につながっていることだけは確かですね。
携帯こそは「暗き門」なのかも知れません。



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# by Sha-Sindbad | 2018-07-07 14:50 | Dallmeyer25/1.9 | Comments(0)

1988 古色(2017年10月6日ダルメイヤー25mmF1.9大阪加美の下町で震え)


私が音楽の中で最大に愛するものと言えば、
女性の歌声です。
大好きな歌手が一杯います。
桂銀淑さん、山口百恵さん、イ.ソニさんも大好きな歌手です。
スミ・ジョーさん、キャスリーン・バトルも劣らず好きです。
でも、私がその歌声を聞く度に、心の底から驚きと喜びと讃歎を感じる、
ウルトラスペシャルな歌手が3人居ます。

   マリア・カラス
   キルステン・フラグスタート
   キャスリーン・フェリア

つい今さっき、最後のキャスリーン・フェリアに仰天させられました。
先ほども、彼女の歌をたっぷり登録しているサイト、
Classical Music goturhjem2所収の1曲です。

    Kathleen Ferrier singing a medley while playing the piano.

        https://www.youtube.com/watch?v=k2wwGX9kkgs&list
        =RDDP0M1omMFQg&index=11

聴いたことのないイギリス風の軽い歌のピアノ弾き語りなのですが、
もしかすると、彼女自身の即興かも知れません。
わきたつような喜びに弾ける歌声と笑い、
二度の耳にできないと思えるほど、神秘な艶を帯びた輝かしい響き、
神が与えたもうた唯一無二のコントラルトの声の最上の瞬間は、
このときだったかも知れない?
そんな風に思いたい位に、初々しい歌声。

たった41歳で乳ガンのために世を去りました。
密かに忍び寄る死の予感が彼女の今に深い陰影を与えて、
このひとときをなおさらに尊いものにしたのでは?
そんな想像をさせてしまうほどに、光に満ちています。

いつもながらの我田引水で申し訳ないのですが、
キャスリーン・フェリアの古いモノーラル録音を聴いていますと、
銀塩モノクローム写真の味わいにとても似ている、
そう感じてしまいます。
現代のデジタル録音を考えますと、音質はよくありません。
でも、デジタル録音に人肌の暖かみを感じることができません。
デジタル写真とそのあたりの感触が平行しています。

コンピュータグラフィックスにはめ込まれた現代スターたちと、
ジャン・ギャバン主演の仏映画「現金に手を出すな」との差。
ルート・ロイベリック主演の「菩提樹」も思い出しますね。

今回のダルメイヤーの廉価版Cマウントレンズ、
ダルメイヤー25㎜F1.9E
なぜか古いモノクロ映画の味わいを出してくれます。

こんな写真を楽しいと思う人間そのものが時代遅れだ!
そう言われるのがオチですが、構いません。
大阪の下町、平野区の加美の路地裏が、
まるでタイムマシーンに乗って撮ったかのように、
古き良き時代の香りを帯びるようです。
こうしてこのチビレンズの写真を観る度に、
これ一本きりでもいいな、
そう本気で考えてしまいます。



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# by Sha-Sindbad | 2018-07-05 20:46 | Dallmeyer25/1.9 | Comments(0)

1987 陰翳(2018年1月27日ヒストリオダゴナール40mmF6.3が京都駅界隈を試写)


私はどうも時代にいつも遅れる質の人間のようです。

でも、それには理由がないわけではありません。
あらゆることが便利になって行く時代です。
自分が子供の頃のことを思い出しますと、
日本と世界はこんなにも変ってしまったか、とため息が出てしまいます。
便利過ぎて、なにもかもがコクがなくなってしまいました。

私もさまざまな便利を享受してはいますが、
世界全体がどんどんつまらなくなっていくのは悲しいですね。
世界各地の民族音楽が全部滅亡寸前に落ちぶれてしまい、
ロックのビートが音楽世界を完全に支配する時代になってしまいました。
世界中に漫画、コミックが氾濫し、携帯でゲームに夢中になり、
本を読む若者は世界中から姿を消そうとしています。

日本ときたら、もう惨憺たる有様。
立憲民主主義など密かに捨て去られてしまい、
民主主義の皮をかぶった権力主義者が支配する暗黒時代に、
怒濤のような勢いで移行しつつあります。
原子力行政が真の原因である、福島原発事故が収拾不能、
原発のほとんどが耐用期間を超え、日本列島はいつか、
全土チェルノブイリ状態になろうとしているのに、
報道機関は完全な沈黙を守り、まるで原発事故など過去の出来事。
でも、誰もそんなこと気にもしていない。
まさに繁栄の極にある日本で生きることができて、幸せ!

写真で言いますと、世界中の写真好きの99%は、
ズームレンズ付きデジタルカメラでスイスイと撮り放題時代。
正直に言いますと、私はうんざりです。
デジタルレンズで撮って、画像処理ソフトで加工しまくった写真は、
私にはとても写真には見えません。
生理的に受け付けることができません。

自分だって、デジタルカメラを使っているのですから、
大きなことは言えた筋合いではありませんが、
完璧な現代レンズとは比較にならない低画質の古代レンズで、
なんとかバランスを取ろうとあがいています。

今は、写真を撮るための修行も技能もほとんど不要になり、
感性だけで勝負できる時代になったと言う方もいます。
私は、密かにつぶやきます、
そうじゃないだろう? 
画像処理ソフトの腕だけで勝負できる時代だろう?
おかげで、心に心底ぐっと突き刺さって来る写真なんか、
出会えなくなって、何年経ったでしょう?

そんな時代に、レンズの独特の個性を全開する、
そんな古き良き時代の面影を宿すレンズたちを、
現代に復元するべく、続々とニューレンズを制作されている、
MSオプティカルこと、宮崎貞安さんの試みは異色そのもの。

   ヒストリオダゴナール40mmF6.3

古のダゴールの面影を色濃く留める最新レンズです。
試作品をお借りしての試写分がまだ残っていました。
ざっとごらん頂きましょう。

もちろんいつもの通り、レベル補正で濃度を整えただけ。
レンズの個性がそのまま出ています。
なんのてらいもなく、情景を素直に写し取る、
質実剛健の気合いがこもったレンズ、
そんな感じがしませんか?




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# by Sha-Sindbad | 2018-07-03 18:28 | HistrioDagonar40/6.3 | Comments(0)

1986 しっとり(2017年11月8日パンタッカー75mmF4.5が雨の神社をぶらり)


現代のディジタルカメラのシステムでは、
作品作りの本格的プロセスはフォトショップのような、
画像処理ソフトに最大の比重がかかります。
画像処理ソフトが加工しやすいように、
クセのないニュートラルな画像を用意する、
これがレンズの役割となります。

私が使っているレンズは銀塩フィルム時代のレンズたち、
そして、銀塩フィルムの作品作りは撮影の瞬間にかかっています。
絞り調節による被写界深度の選択、露出補正による最適露出の決定、
これらはすべて撮影者が撮影の度に選択しました。
その当時のカメラもレンズもかなり個性的ですから、
カメラ、レンズの選択決定もまた作品作りの本質要因でした。

だから、レンズたち、よく言えば、極めて個性的、
ありていに言えば、癖だらけ、欠点だらけでした。
そんな癖や欠点が作品に味わいを出すことを予期する、
これも撮影者の作品作りの一環でした。

私は徹底的にこの時代の人間です。
プリントの段階でさまざまに画像処理する人もいましたが、
私は基本的に、撮影時で勝負終わり、その後はいじらない、
そんな主義でした。

今でも、そのやり方を持続しています。
なぜ?
自分の創意と工夫とセンスだけで写真を創りたいから。
写真作品など作らなくなって、
私の人生の記録に徹するようになると、
なおさらに、出会いを素直に記録することに徹したい。

じゃ、現代のレンズが一番癖がなくていいんじゃない?
でも、それこそ、筋違い。
すでにお分かりと思いますが、
私は徹底的に癖だらけの人間です。
その癖をそのままに、人生を押し通ってきました。
死ぬまで、そうするつもりです。
だから、現代のレンズの癖がなく、完璧な画像には、
身震いするほどの嫌悪感、疎外感、悪寒を感じるのです。

とんでもないほどに癖のあるレンズと私とがピタリ合う!
そんなレンズがかなり沢山見つかります。
そんな癖だらけの古代レンズたちこそ、私の伴侶。

私の癖とレンズの癖とがバッティングしたら、
そのレンズは、私のレンズじゃないだけ。
そんなレンズに数知れず出会いましたが、
さっさとお別れして、お互いにしこりを残しませんでした。

私の友人たちも、ここだけの話、私に優るとも劣らぬ、
猛烈な癖だらけ人間です。
だから、ワクワクするほどに面白い奴らです。
どうしても我慢のできない人とは付き合いません。
レンズと一緒。

ドイツの映画レンズメーカーの雄、アストロベルリンは、
いわば癖だらけのレンズたちを陸続と製産したようです。
ドイツ人は日本人以上にとんでもない癖だらけ民族です。
おそらく中国人と双璧でしょう。
だから、そんなドイツ人がアストロレンズを生み出し、
ドイツ人映画カメラマンたちに愛されたのでしょう。

沢山の系列があります。
ズームレンズがなかった時代です。
ズームレンズじゃないのに、まったく同質の画像にならないと、
レンズを交換するたびに、銀幕の画像の画質が変化したりすると、
まとも物語に没入することなどできません。
だから、同じ絞りで各種焦点距離のレンズがシリーズ化され、
同じ色合い、同じ性格の画像を提供したアストロは愛された、
そう聞きました。

でも、私は同じパンタッカーF2.3系列のレンズを数本使いましたが、
実のところ、シャープネスもコントラストも画質もまちまち。
なぜ?
それは制作年代が違うから、ということで説明できそうです。

このパンタッカー75㎜F2.3は、残念ながら、
私の№2のパンタッカー50㎜F2.3よりもかなり新しいレンズです。
だから、コントラストも厚みもシャープネスも一層ダイナミック。
50㎜はメタモルフォーゼを常におこしてくれますが、
75㎜はむしろリアリズムを強化するタイプのレンズです。
おそらく映画製作方針が、時代とともに、
ロマンチックからリアルなタッチに移行していったせいでしょう。
映画スクリーンも巨大化するにともない、
フィルムコントラストを高める必要もあったかも知れませんね?

そのお陰で、このレンズ、目覚ましい高画質が災いして、
私のお気に入りになりそこねたようです。
人間もレンズもあまりに鋭敏すぎると、
私のような強烈アバウト抜け作人間とはとてもかみ合わない、
という感じ。




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# by Sha-Sindbad | 2018-07-01 22:33 | Comments(0)

1985 一日一日(2017年11月6日ビオゴン21mmF4.5で鹿野園町をぐるっと散歩)


エドワード・T・ホールの「文化としての時間」に、
ネイティブアメリカンのキシェ部族について、こんな文章があります。
「人生を生きるということは、音楽を作曲することや、
絵を描くこと、あるいは詩を書くことと似ている。
正しい生き方で生きた一日一日は、
芸術作品にもなりうるし、
あるいは大失敗となる可能性もある」
そして、
「キシェの人間は、毎日をいったいどう生きるかという
プロセスについて、本当に深く真剣に考えなくてはならないのだ」
この文章を読んで感じたことは、
引退してしまった人間は、生産性に主眼を置いた生き方から、
キシェ部族の生き方に移行した方がよいのではないか?

私はまだキシェ部族の生き方を実践できる自信はありません。
今日は、二つのブログに記事を投稿できたかな、
今日は、何枚写真を撮ったかな、などと気にしているようでは、
まだまだ生産性を大事にしていて、
芸術作品としての一日とはとても言えませんね。

つまり、第2の人生を生きるにふさわしい時間の使い方を
まだ会得していないようです。
でも、少しは近づいているんじゃないかな、と思うことがあります。
以前は仕事にせよ、趣味にせよ、自分のためにする時間を
まずしっかり確保したいという気持ちがありました。

でも、昨年11月来、
家事の大半が徐々に私の両肩にかかっていて、
朝など、さまざまに堆積している仕事をまず片付けてから、
あまった時間を自分の楽しみに充てる、
というスタンスが身に染みつきつつあります。

そして、ふっと感じるのですが、
たとえば、洗濯物を干したり、畳んだりしていても、
あわてず、いそがず、家事仕事を、まるで呼吸のように、
自分の人生で当然に行う行為と受け取っているらしいのです。
キシェ部族の生き方への道を辿り始めたのかな?
そう考えたいものです。

さて、今回は、私のお気に入り超広角の一本、

   ツァイスのビオゴン21㎜F4.5

同じ超広角でも、ホロゴンとはまるで違う絵になります。
私には、ホロゴンの方がはるかに自然な画像。
でも、ホロゴンと似た写真が撮れるのであれば、
ホロゴン一本で十分ですね。
ホロゴンに優るとは思えないけど、
これはこれで面白いんじゃない?
そう感じる画像をプレゼントしてくれるのがたまりませんん。

2度、委託販売に出したのですが、ついに売れませんでした。
どうやら、スーパーアンギュロン2本の人気に押されているらしい。
凄みという点では決して負けないのに、なぜなんだろう?
そして、ふっと思いついたのですが、
アンギュロン2本に少しひけをとる部分があります。
それは、なに?
愛敬、じゃないでしょうか?
アンギュロン2本も凄い描写をするのですが、どこか華があります。
ビオゴン21㎜F4.5は、幕下と立ち会って、立ち上がりざま、
がつんと張り手を食らわす無敵の横綱の雰囲気が漂います。
なにもそこまでしなくてもいいんじゃない?

じゃ、アンギュロン2本を残して、ビオゴンはお払い箱?
実際にその気持ちになったことは既に書いた通りです。
でも、今では、売れなかったことが幸いした、
そう考えています。
このレンズで撮ることは、やはり歓びなのですから。



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# by Sha-Sindbad | 2018-06-29 11:04 | Biogon21/4.5 | Comments(0)

1984 どこでも(2017年11月3日アナスティグアート35mmF4.5が奈良町と我が家を往復)


もし写真の達人が私のブログにおいでになったら、
即座に「間違いました! さよなら!」でしょう。

フォトジェニックとは絶対に言えない被写体、
カメラマンなら絶対に撮らないような被写体、
なにがなんだか分からない意味不明の被写体、
こんなものがずらりと並ぶだけではありません。
果てしなく羅列されている。

今回はとりたててひどい!
奈良町になにか用があったらしい。
で、カメラを持って飛び出したけど、
用は覚えていません。
ただの道中記録です。

自分の被写体に出会わない限り、撮らない、
そんな創造的な方もおいででしょう。
私は、創造とはなんの関係もありません。
被写体に出会うことよりも、
シャッターを落とすことの方が大事、
別に写真なんか撮れなくてもいい、
なんでもよい、どこでもよい、
私が居たという印を遺したり
記憶のよすがにするだけ。

なにをするか?
なんて、結果は一切不問。
とにかく、撮り続ける、これが私です。
心が燃え上がっていた瞬間を時系列に記憶する、
「このとき、ぼくは生きていた!」と言える、
これだけが大切です。

避暑地のリゾートに最適のカメラ、
ダルメイヤーのアドヴォケートに付いていたレンズです。
このレンズで撮った写真を眺めると、
私も、どこに居ても、まるで避暑地気分で撮っている!
それが分かります。
海岸でなにもしないで、昼寝をしていた、
ああ、懐かしいなあ!
そんな気分。



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# by Sha-Sindbad | 2018-06-26 17:14 | Anastigmat35mmF4.5 | Comments(0)

1983 朦朧体(2018年4月5日タンバール90㎜F2.2で定かならぬ奈良町)2


私は12、3年前から中国の撥弦楽器、揚琴を学んでいます。
ツィンバロン、ダルシマー、サンドゥーリ等、
同種の民族楽器が世界中にあります。
これが中国に入り、一大変化を遂げました。
上記の楽器たちは独特の音律の民族楽器ですが、
中国人はこれを12音階の楽器に改良したのです。
そのうえ、バチを竹に変えました。
これは揚琴の奏法を画期的に変えてしまいました。
しなやかで弾力性があり、かつ小回りが効きます。
遙かに精緻多彩な音楽を生み出す楽器に生まれ変わりました。

そんな揚琴演奏の当代の第一人者は、黄河先生。
中国の音楽大学の双璧は北京中央音楽院と上海音楽院。
その中央音楽院の揚琴教授でした。

私の先生、付虹先生から聴きました、
最近、中央音楽院の揚琴教授が王玉珏さんに交替したそうです。
黄河先生の弟子です。
世代交代ですが、この新教授の演奏がYouTubeに沢山あります。
付虹先生に教えていただき、これを見て、仰天してしまいました。
演奏のスタイルが革命的なほどに変わったのです。
黄河先生の伝統的な演奏を一つご覧下さい。

黄河扬琴独奏:《黄河颂》
https://www.youtube.com/watch?v=e2J3443XZoM

一つ一つの音に芯があって、粒立ちがとてもよくて、
目も醒めるような、水際だった名演です。
誰も真似ができないんじゃないか、とさえ思えます。
試しに、ツィンバロン、ダルシマーの演奏をご覧になれば、
揚琴の表現力がどんなに増大しているか、
お分かりになるでしょう。

そこで、新しい王玉珏教授の演奏をご覧下さい。

王丹紅創作揚琴協奏曲《狂想曲》王玉珏
https://www.youtube.com/watch?v=b1Nsto7uQdU&list=
PL1kIeRJejsQZ2fryUfVPfn1mKZKb32iIE&index=4&t=0s

なんだか同じ楽器と思えないほどに違うではありませんか?
硬質の感触を出来るかぎり押さえて、
近頃大きく改良された揚琴をお使いになっていることも、
音の幅、質、表現性に好影響を与えているのかも知れません。
でも、2分目あたりの繊細で優美なアルペジオにぶつかると、
もうすっかり心を奪われてしまいました。

王玉珏さんも学生の頃の演奏は黄河先生の奏法に近い感じ。
現在の優艶な奏法が王玉珏さんの創造かどうかは分かりません。
少なくとも、王玉珏さんの演奏に助演している奏者たちは、
全員、王玉珏さんと同じ奏法に変わっています。

でも、実は、私の先生、付虹先生の演奏法もかなり近いのです。
先生の演奏はYouTubeでたった一つしか見つかりません。
それもiPhoneのファイルなので、音質も画質も今一。
私も昔から、先生の演奏法をYouTubeなりで見て、
学びたいと思ってきました。
黄河先生の超絶技法は、一生かかっても学べないでしょう。
でも、付虹先生や王玉珏さんの奏法なら、
私が弾けるようなやさしい曲にでも応用ができます。
でも、付虹先生のビデオはない。
自分でiPhoneで撮らせていただきましたが、
クローズアップで撮るせいか、
とても真似できるものじゃない!

王玉珏さんの奏法ももちろん真似できるものではないけど、
すでに十数曲は見つかっています。
さまざまなテクニックの部分が散りばめられているので、
ああ、ここではこんな風に弾くんだなあ、と、
僅かながらも学ぶことができそうです。
第一に、ソフトなサウンドの魅力を一杯感じ取ると、
自分の楽器でもこんな音を出したい、という目標ができます。

そこで、肝心要の写真に話を移しますと、
写真でも、硬軟二つの潮流が常にあるのではないでしょうか?
私の体験では、硬派の代表はツァイスレンズ。
軟派の代表はもちろんライカレンズ。
その究極の代表格がタンバール90㎜F2.2ですね。
なんだか、タンバールって、レンズ界の王玉珏さん、
そんな感じがしてきました。

問題は、私という人間はもともと硬派の人間です。
そんな人間がムリにタンバールを使おうとすると、
まるで弁慶が猫撫で声で迫る、
そんな場違い感がかすかに漂います。
演奏もそうでしょうけど、
技法の問題、レンズの問題ではなく、
心そのものがしなやかに変わる必要がありそうです。
軟調レンズを使うときは、そんな気持ちを忘れず、
心を柔らかく保ち、対象への眼差しも和らげつつ、
そっと撮りたい、そんな気になっています。




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# by Sha-Sindbad | 2018-06-24 17:09 | Thambar90/2.2 | Comments(0)

1982 朦朧体(2018年4月5日タンバール90㎜F2.2で定かならぬ奈良町)


私はもともと写真をツァイスレンズで始めました。
大学時代はミノルタSR-1で、ミノルタのレンズで撮っていましたが、
職業生活に入って4年目、宮崎市で写真クラブ「写壇はにわ」入会。
これが私の長い写真生活の本格的な始まりでした。

そのとき、私は大阪の老舗「ツカモトカメラ」で手に入れた、
ツァイスのスーパーイコンタ6×9、
ヤシカコンタックスとレンズ3本で出発しました。
その後、コンタックスシリーズを7、8本集めた挙げ句、
コンタレックスシリーズに移行したのですから、
いわばツァイス党だったわけです。

立体感、存在感溢れる描写を好んでいたわけです。
でも、その後、平行してライカの沼にもずぶずぶ沈みこみ、
いわば王羲之風の魁偉な書体と、良寛風の洒脱な書体、
この両方に心が揺れ動く時代に移行していきました。

ライカレンズ群の中でも、ひときわ私の心をそそったのは、
タンバール90㎜F2.2。
自分の技術でもセンスでも、そして資力でも、
とても追いつけない高嶺、それが、
タンバール90㎜F2.2。

銀塩カメラからデジタルカメラの時代に移行し、
その最初期は、ライカレンズの市場はかなり暴落し、
タンバールも往時の半額以下に落ちたことがありました。
そのライカレンズ受難の時期に、私の手に落ちたのです。
こうして、私にとって、ホロゴンと並ぶ究極のレンズが、
私の手の中で遊ぶようになったのですが、
実は、未だに使いこなすことができないじゃじゃ馬。

銀塩時代にはその一番の難関がピントにありました。
なぜかピントが来ないのです。
ソフトレンズの本来の理想は、
焦点がびしりと合った主人公が霧に包まれつつ立ち上がる、
そんな幽玄な境地にあるように思われるのですが、
肝心要の焦点が来ないのでは、ただのボケ写真です。

デジタルのソニーα7で使うようになって、
液晶画面の拡大機能で、焦点問題は解決しました。
でも、もっと基本的な障害が立ちはだかっています。
私のセンスそのものが、
タンバールの理想となるような幽玄の境地にほど遠い!

タンバールの朦朧体写真を撮るためには、
撮影者自身はかなり感性と知性を使う必要がありますが、
私と言えば、人間そのものが朦朧体、
これじゃ、始まりませんね。

撮影面では、半逆光程度の角度がよさそうですが、
私は基本的に順光派であることも邪魔しているのかも。
未だに四苦八苦しています。

古都奈良の奈良公園から奈良町を歩き回りましたが、
タンバール写真と言うには恥ずかしいような写真ばかり。
でも、2回に分けて、ごらん頂きましょう。




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# by Sha-Sindbad | 2018-06-23 16:08 | Thambar90/2.2 | Comments(0)

1982 朦朧体(2018年4月5日タンバール90㎜F2.2で定かならぬ奈良町)


私はもともと写真をツァイスレンズで始めました。
大学時代はミノルタSR-1で、ミノルタのレンズで撮っていましたが、
職業生活に入って4年目、宮崎市で写真クラブ「写壇はにわ」入会。
これが私の長い写真生活の本格的な始まりでした。

そのとき、私は大阪の老舗「ツカモトカメラ」で手に入れた、
ツァイスのスーパーイコンタ6×9、
ヤシカコンタックスとレンズ3本で出発しました。
その後、コンタックスシリーズを7、8本集めた挙げ句、
コンタレックスシリーズに移行したのですから、
いわばツァイス党だったわけです。

立体感、存在感溢れる描写を好んでいたわけです。
でも、その後、平行してライカの沼にもずぶずぶ沈みこみ、
いわば王羲之風の魁偉な書体と、良寛風の洒脱な書体、
この両方に心が揺れ動く時代に移行していきました。

ライカレンズ群の中でも、ひときわ私の心をそそったのは、
タンバール90㎜F2.2。
自分の技術でもセンスでも、そして資力でも、
とても追いつけない高嶺、それが、
タンバール90㎜F2.2。

銀塩カメラからデジタルカメラの時代に移行し、
その最初期は、ライカレンズの市場はかなり暴落し、
タンバールも往時の半額以下に落ちたことがありました。
そのライカレンズ受難の時期に、私の手に落ちたのです。
こうして、私にとって、ホロゴンと並ぶ究極のレンズが、
私の手の中で遊ぶようになったのですが、
実は、未だに使いこなすことができないじゃじゃ馬。

銀塩時代にはその一番の難関がピントにありました。
なぜかピントが来ないのです。
ソフトレンズの本来の理想は、
焦点がびしりと合った主人公が霧に包まれつつ立ち上がる、
そんな幽玄な境地にあるように思われるのですが、
肝心要の焦点が来ないのでは、ただのボケ写真です。

デジタルのソニーα7で使うようになって、
液晶画面の拡大機能で、焦点問題は解決しました。
でも、もっと基本的な障害が立ちはだかっています。
私のセンスそのものが、
タンバールの理想となるような幽玄の境地にほど遠い!

タンバールの朦朧体写真を撮るためには、
撮影者自身はかなり感性と知性を使う必要がありますが、
私と言えば、人間そのものが朦朧体、
これじゃ、始まりませんね。

撮影面では、私のお好みの被写体が暗がりの中の黒いもの、
というような地味がものが多いため、タンバール向きではなさそう。
それに、半逆光程度の角度がよさそうですが、
私は基本的に順光派であることも邪魔しているのかも。
未だに四苦八苦しています。

古都奈良の奈良公園から奈良町を歩き回りましたが、
タンバール写真と言うには恥ずかしいような写真ばかり。
でも、2回に分けて、ごらん頂きましょう。




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# by Sha-Sindbad | 2018-06-23 15:49 | Thambar90/2.2 | Comments(0)

1981 古色(2017年10月31日ビオゴン35㎜F2.8は奈良町を重々しく過ぎ)


大阪北部大地震の後には雨ばかり続きます。
なんだかこれまでの大地震でもそうだった感じがしますね。
ネットで調べてみると、同じ疑問を抱いた人が質問。
ベストアンサーは、
「地震時に発生するある種の電磁波が、
凝結核となって大気中に雨雲を発生させ、雨を降らせるのです。
大噴火火山の噴煙でも、
噴煙の微粒子が同じように凝結核となって、
雨を降らせることが知られています。」

ホントかどうか知りませんが、じめじめしますね。
被害者の皆さんのことを考えると、
そして、かなり人災の要素が混じっていることを考えますと、
ますます気が滅入りますね。

今回採り上げるレンズはツァイスのビオゴン35mmF2.8。
レンジファインダー・ツァイス用の名レンズです。
精密感と重厚感とが相まって、みすぼらしいロボグラフィでも、
どこかしらどっしりとした印象を帯びるようです。
私のロボグラフィ写真はそうでなくても暗めです。
本日の奈良町ロボグラフィは、上記の諸事情が重なって、
ますます暗めですね。



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# by Sha-Sindbad | 2018-06-20 17:10 | Biogon35/2.8 | Comments(0)

1980 ありふれた日(2017年10月27日依然としてエルマー50㎜F3.5が奈良町、加美で)


先日、銀行のATMコーナーを出た途端、
次の男性が私に声をかけました。
見ると、在職時代によく接触を持った青年です。
でも、退職してから4年しか経たないのに、
かなり老けて、れっきとした中年に。

きっと、私も同様の印象を与えたことでしょう。
日々鏡で自分の顔を見ていたら、分からないこと、
それは、自分の顔の変化でしょうから。

でも、この出会いが私に与えたショックは実は別でした。
私は、彼がどんな職業で、私とどんなかかわり合いにあったか、
全然思い出せなかった!

記憶は、意識するにせよ、しないにせよ、反復して想起すること、
これが鍵なのだそうです。
「去る者は日々にうとし」
これは記憶にまつわる真相を喝破しているのでしょう。

でも、別にこのような事態に、忘却に抵抗したいわけではありません。
私の第2の人生にはなんの意味もないデータとなってしまっている。
そんな成り行きに棹を差したい気持ちなぞ、さらにないのですから。

このように考えますと、
私のロボグラフィの営みはこのような忘却への抵抗なのです。

仕事で重要な役割を演じてくれた人を忘れて、
路傍のまるで些末そのもののシーンを記憶に止めたい。
どこか本末転倒に陥っているのじゃないか?
そうおっしゃる方も多いでしょう。

私の言える言葉はただ一つですね、
「どうぞ、ご勝手に」
ロボグラフィはそんな写真です。
人にはなんの意味もないことが、私には意味を持つ。
それが私であり、
それが私の人生。




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# by Sha-Sindbad | 2018-06-15 23:18 | Elmar50/3.5 | Comments(0)

1979 おっとりと(2017年10月26日奈良町ならエルマー50㎜F3.5が任しとき)


ライカの50㎜標準レンズの初代ではないかもしれませんが、
おそらく2代目がエルマー50㎜F3.5。
これがライカ標準レンズの王様だ、と言う人がいます。
いや、あらゆる標準レンズの王者だ、と言う人もいます。

私は、良いレンズだけど、そこまで言うのは、ちょっと、
という感じです。
でも、素朴、実直だけど、ずしりとした重みが感じられ、
ちょっと圧倒されることがあります。
このあたりは第二次世界大戦前の古きよき時代の名残り、
そんな感じさえ、感じることがあります。
やっぱり凄いレンズなのです。

現代の写真家たちはRawで撮って、
Photoshop等のパソコンソフトで自在に画像処理をします。
ひたすら感嘆させられます。
でも、次の瞬間、忘れます。
これは、写真じゃない、アートだ、と感じるからです。
私は別に写真を素材にしたアートを、
「写真」として見たいとは思わないからです。

私はjpegで撮って、レベル補正で濃度だけ整えます。
私の好みの暗さで初手から撮りたいのですが、
デジタルカメラではなぜかそれができません。
フィルム時代、カメラのほとんどが露出計などないので、
勘だけで露出を決めて、同じ濃度で上げていたのに、
現代の自動露出内蔵カメラ、ソニーα7で使っても、
そんな風に同じ濃度で撮ることができないって、
なんだか、話が逆じゃないの?
そう言いたくなります。

だから、必要に応じて、レベル補正だけ使います。
エルマー50㎜F3.5による撮影も同様でした。
でも、濃度を整えると、このレンズ、
ライカのオールドレンズらしい適度な厚みを見せてくれます。

どう、適度なのだ?
そうお尋ねになるでしょう。
私のロボグラフィにふさわしい厚みに、つまり、
道ばたで静かな存在感を漂わせるものの威厳、
とでも言いたくなるような、厚みに、
そうお答えしておきましょう。




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# by Sha-Sindbad | 2018-06-13 23:02 | Elmar50/3.5 | Comments(0)

1978 切れ味(2018年6月2日天理の町のたたずまいをゾンネタール73㎜F1.5がそっと)


昨日、奈良県立美術館に参りました。
特別展「奈良の刀剣 匠の美と伝統」
解題はこうです、
「古代から現代まで続く刀の文化とその芸術性。
併せて現代に活躍する奈良ゆかりの刀匠の活動を紹介することで、
多彩な角度から刀剣の魅力を紹介します」
別に刀剣が好きではありません。
危険なものですから、敢えて避けたいという気持ち。
でも、なにかアートに出会いたいと突然の衝動。

七支刀の復元実験もあるということで、参りました。
七支刀は真鍮のようにピカピカ光って、神秘性ゼロ。
ちょっとがっかりしました。
でも、この刀、刃の付き方がこじんまりし過ぎて、
とても実戦には使えそうにないあたり、
いかにも見栄えだけの用途に作られた感じで、
それなりに好感が持てました。

備前長船のような古刀と、現代の刀匠の力作を一気に見ますと、
まるでレンズに似た傾向を感じて、笑ってしまいました。

古刀はそれぞれに装飾性を押さえた質実剛毅な雰囲気。
新刀はいかにも切れますぞと言わんばかりの見事な作り。
でも、こう書きますと、「生意気な」と叱られそうですが、
見かけ倒しのような不足感を感じてしまいます。

ほとんどの刀剣は横から片面だけ見るかたちの陳列。
備前長船のちょっと小型の刀一本がガラス箱の中に、
四周から目を寄せてしっかり味わえるように置かれています。
その切っ先からのあまりに鋭利な佇まいにぞっとしました。
人間の身体なんか豆腐に斬り込むように易々と通ってしまう、
そんな恐ろしさを感じたのです。

私の知り合いは日本刀のコレクターでしたが、
畳の間に置かれたソファーに座って、刀に打粉を打っていました。
突然、手の間から刀がするっと床に落ちてしまいました。
どんな持ち方をしていたのでしょうね?
ともかく刀は畳の中にすーっと10㎝ほど音もなく吸い込まれて、
突き立ちました。
その人、それで日本刀のコレクションを全部処分してしまいました。

別の方に聴いた、その人の知人のお話。
真剣で居合い抜きの演武を鮮やかに決めて、
目は前方を見据えたまま、やおら剣を腰の鞘にそろり納めました。
ふっと視線を落とすと、鞘には入っていない。
ご自分の脇腹に束まで通っていた!
私はこのお話を聞いたとき、「そんなバカな」と思いました。
でも、実物を間近に見て、「ありうる!」と思い返しました。

「水滸伝」にも、英雄の一人、九紋竜史進のお話があります。
若い頃、お金に困って、
たしか家伝の刀か剣を市場で売ろうとしたのです。
見物人たちの見る前で、類い稀な鋭利さをデモして見せます。
正確なところは忘れましたが、髪の毛を刃の上に落とすと、
その細い毛が縦に二つに切れて、2本になって、
刃の両側に落ちたというようなお話。
このお話を読んだときも、「そんなバカな」と思いました。
でも、日本刀なら、起こりうる、そんな感じがしました。

こんな刀を腰に差した武士たちが、
我がもの顔に往来していた時代に生まれなくて、よかった!
これが美術展の最大の印象、って、
お前は芸術の観賞眼がないんじゃないの?
そう言われそうですが、そうなのだから、仕方がありません。
美しいなあ、なんて思う前に、ぞっとするばかりでした。

でも、その経験があったせいでしょう。
宮崎貞安さんのニューレンズ、
ゾンネタール73㎜F1.5の天理試写を今朝一覧して、
このレンズの開放での切れ味の良さに、
ほんのりとしたフレアがまとわりついて、
とても上品なたたずまいを見せていることに驚きました。
そのあたりの奥ゆかしさに古刀の味わいを見た、
そう書きますと、我田引水、身びいきに過ぎるんじゃない、
そうおっしゃる方もおいでかも知れませんが、
この印象もまた私の自然な印象です。
このレンズ、やっぱり開放で使いたいですね。




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# by Sha-Sindbad | 2018-06-09 22:25 | Sonnetar73mmF1.5 | Comments(0)

1978 切れ味(2018年6月2日天理の町のたたずまいをゾンネタール73㎜F1.5がそっと)


昨日、奈良県立美術館に参りました。
特別展「奈良の刀剣 匠の美と伝統」
解題はこうです、
「古代から現代まで続く刀の文化とその芸術性。
併せて現代に活躍する奈良ゆかりの刀匠の活動を紹介することで、
多彩な角度から刀剣の魅力を紹介します」

別に刀剣が好きではありません。
危険なものですから、敢えて避けたいという気持ち。
でも、なにかアートに出会いたいと突然の衝動。

七支刀の復元実験もあるということで、参りました。
七支刀は真鍮のようにピカピカ光って、神秘性ゼロ。
ちょっとがっかりしました。
でも、この刀、刃の付き方がこじんまりし過ぎて、
とても実戦には使えそうにないあたり、
いかにも見栄えだけの用途に作られた感じで、
それなりに好感が持てました。

備前長船のような古刀と、現代の刀匠の力作を一気に見ますと、
まるでレンズに似た傾向を感じて、笑ってしまいました。

古刀はそれぞれに装飾性を押さえた質実剛毅な雰囲気。
新刀はいかにも切れますぞと言わんばかりの見事な作り。
でも、こう書きますと、「生意気な」と叱られそうですが、
見かけ倒しのような不足感を感じてしまいます。

ほとんどの刀剣は横から片面だけ見るかたちの陳列。
備前長船のちょっと小型の刀一本がガラス箱の中に、
四周から目を寄せてしっかり味わえるように置かれています。
その切っ先からのあまりに鋭利な佇まいにぞっとしました。
人間の身体なんか豆腐に斬り込むように易々と通ってしまう、
そんな恐ろしさを感じたのです。

私の知り合いは日本刀のコレクターでしたが、
畳の間に置かれたソファーに座って、刀に打粉を打っていました。
突然、手の間から刀がするっと床に落ちてしまいました。
どんな持ち方をしていたのでしょうね?
ともかく刀は畳の中にすーっと10㎝ほど音もなく吸い込まれて、
突き立ちました。
その人、それで日本刀のコレクションを全部処分してしまいました。

別の方に聴いた、その人の知人のお話。
真剣で居合い抜きの演武を鮮やかに決めて、
目は前方を見据えたまま、やおら剣を腰の鞘にそろり納めました。
ふっと視線を落とすと、鞘には入っていない。
その代わりに、ご自分の脇腹に束まで通っていた!
私はこのお話を聞いたとき、「そんなバカな」と思いました。
でも、実物を間近に見て、「ありうる!」と思い返しました。

「水滸伝」にも、英雄の一人、九紋龍史進のお話があります。
若い頃、お金に困って、
たしか家伝の刀か剣を市場で売ろうとしたのです。
見物人たちの見る前で、類い稀な鋭利さをデモして見せます。
正確なところは忘れましたが、髪の毛を刃の上に落とすと、
その細い毛が縦に二つに切れて、2本になって、
刃の両側に落ちたというようなお話。
このお話を読んだときも、「そんなバカな」と思いました。
でも、日本刀なら、起こりうる、そんな感じがしました。

こんな刀を腰に差した武士たちが、
我がもの顔に往来していた時代に生まれなくて、よかった!
これが美術展の最大の印象、って、
お前は芸術の観賞眼がないんじゃないの?
そう言われそうですが、そうなのだから、仕方がありません。
美しいなあ、なんて思う前に、ぞっとするばかりでした。

でも、その経験があったせいでしょう。
宮崎貞安さんのニューレンズ、
ゾンネタール73㎜F1.5の天理試写を今朝一覧して、
このレンズの開放での切れ味の良さに、
ほんのりとしたフレアがまとわりついて、
とても上品なたたずまいを見せていることに驚きました。
そのあたりの奥ゆかしさに古刀の味わいを見た、
そう書きますと、我田引水、身びいきに過ぎるんじゃない、
そうおっしゃる方もおいでかも知れませんが、
この印象もまた私の自然な印象です。
このレンズ、やっぱり開放で使いたいですね。




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# by Sha-Sindbad | 2018-06-09 21:37 | Sonnetar73mmF1.5 | Comments(2)