レンズ千夜一夜

2018年 08月 01日 ( 1 )

1998 落ち穂拾い(2017年11月21日アポクアリア28㎜F2が高畑町の晩秋に心地よげ)2 ロボグラフィ


アポクアリア28mmF2、この日の撮影の後半になって、
ますます調子を上げているようですね。
と、言いたいところですが、
私は自分の写真が分かっています。
長年、自分の写真を人に見せてきました。
一貫して、常に調子は一定しています。
無反応、それだけですね。
わずかに、実にわずかにですが、
私の写真を評価する方も居ない訳ではない。
でも、大抵の場合、訳が分からない、という反応。

私の写真は、私にだけ通用する私の勲章だと思っています。
なぜ?
私は人が分からない、自分だけの写真を撮りたいからです。
アートではないのです。
人になにか伝えたいメッセージがあるわけではないのです。
人が私の写真を見てどう思おうが、私には無縁。

私は写真のセンスもアートセンスも皆無。
そんな繊細な感受性とは完全に隔絶した世界で、
前半生を生きて来た人間です。
私が生きて来た世界では、優劣がはっきり別れます。
知るべきもの、やるべきことが明確です。
知るべきものを知らなければ、アウト。
やるべきことをしなければ、アウト。

アートの世界は違います。
アプリオリに決まっていることなど何一つありません。
もの、状況、作家、観衆(ときには聴衆)との、
一期一会の出会いが放つ火花に意味があります。
そんな出会いがなければ、無意味。

ところが、私はそんな出会いなどと無縁です。
ロボグラフィと私の出会いは一期一会ではありません。
一瞬の目配せ、視線の交錯、その程度の軽さ。
その出会いの痕跡、証拠であるロボグラフィは、
私の記憶の欠片。
私以外の人には無縁。

私の2つのブログで、誤解の余地がないように、
このことを繰り返し繰り返し書いています。
私の写真の師匠田島謹之助がすでに見破っていました。
「あんたの写真、最初、なんか意味ありげだな、
そう思う。
だけど、よくよく見ている内に気づくんだよ、
なんの意味もないんだって」
私は最初からロボグラフィを撮ってきたのですね。



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by Sha-Sindbad | 2018-08-01 22:03 | Apoquaria28/2 | Comments(0)