2084 変化、変化(2018年6月16日キノプラズマート19㎜F1.5が新大阪の下町を楽しんだ)また、変化
このブログに書いたかどうか記憶にありませんが、
新大阪での撮影は、私にとっては、ただの息抜きです。
隠居の身になると、江戸時代は新内、長唄などをたしなんだようです。
現代では、写真や絵画が人気ですが、
音楽関係をやる人もかなりいるようです。
私も、いわば人並みに、楽器を習っていますが、
ハーモニカはちょっとお休みして、
目下習っているのは、楊琴と二胡。
独学がリコーダー。
私の撮影場所に奈良の大和西大寺、大阪の新大阪、
ユニバーサルシティ、西九条が多いのは、
すべて楽器のレッスンの合間や終わってからの、ついで仕事。
その中で一番収穫の少ないのが新大阪です。
大阪万博当時ににわか造成で生み出された町です。
由緒ある名跡など何一つありません。
でも、今更ながら驚くのですが、大阪万博は1970年。
もう半世紀経ってしまった!
だから、私もお世辞にも若いとは言えず、
新大阪の町も新興地とはとても言えません。
新大阪の町は、万博以後は別に副都心として発展することなく、
新幹線駅の後背地的な地味な雰囲気を振り払うことはできませんでした。
そこで、毎回レンズは変えても、写真が変わるわけでもなく、
いつもいつも地味で意味不明のロボグラフィに終始しています。
こんな地味な町をかなり華麗に変身させてくれるのが、
このキノプラズマート19㎜F1.5です。
もっとも撮影者自身がレンズに合わせて変身するわけでなし、
相変わらずのロボグラフィ三昧ですが、見かけ上はちょっと派手。
でも、よく考えてみますと、
全国の幼児のパパ、ママたち、彼らも相変わらず我が子一筋に、
腕前は初心者クラスに頑固にとどまっていても、
我が子の生態を下手は下手なりに撮り続けて、
飽きることがありません。
これこそ、私が長年撮りに撮って、私のために追い求めたスタンス。
撮った本人が楽しければ、それで十分。
どうのこうのと無い物ねだりをしても始まりませんね。
これが決まると、マンネリから永久におさらばです。
いつも心に言い聞かせるのは、
出会ったものたちを、感じたままに記録しよう。
そこで、一つ、おかしなねじれが起こります。
私は、子供の頃から、
外界になにか現実にない存在を見つける癖がありました。
長ずるにつれて、その癖はますます発達し、
大学入学後ただちに写真趣味に飛び込んだのは、
まさにメタモルフォーゼを自分で記録しておきたいという気持ちから。
新大阪のような地味な町でも、この気持ちがある限り、
撮るものは一杯見つかります。
私が見て、私が化けさせたロボグラフィを撮ることなら、
どんな町でもできることなのですから。
でも、これぞ究極の独りよがり。
今日の夕食どき、
妻がつくづく呆れたように、
「あなた位、写真が上達しなかった人はいないわね。
最初の頃とちっとん変わっていないんだから」
私もにんまりと同意しました。
心の中に思っただけですが、
「それって、かなりの離れ業じゃないのかな?」
このキノプラズマート19㎜F1.5っていうレンズを含めて、
ロボグラフィに最適のレンズたちを使い続けたからできたこと、
なのではないでしょうか?
by Sha-Sindbad
| 2019-05-19 11:26
| MacroSwitar36/1.4
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