2009 路傍の勇者(2018年1月29日キネタール37.5mmF1.8奈良町に帰って来た)
大抵の通行人にとって、道はpassage通路です。
A地点からB地点に移動するルート。
それ以上の意味はありません。
「町歩き」が好まれるようになりました。
その場合、関心の対象となるのは沿道の店、町の雰囲気。
沿道の付属物、電信柱やゴミ箱、雨樋、溝など、
路傍に点在するものたちに気を止めながら歩く人は、
ほとんどいないでしょう。
私の町歩きはその無視されるものたちとのお付き合い。
なぜそんなものに関心を抱くようになったか?
自分でもそのあたりは全然不明ですが、
写真を始めてすぐに私の撮影ポイントとなりました。
古くなったものたちの質感を描写する歓びは、
なぜか写真を始める前から私の心にしっかり根付いていたらしい。
そんなロボグラフィへの関心の源は幼年時代にあったようです。
小さい頃は視点が常に手近な細部に及ぶものです。
私は幼い頃から路傍の種々が好きだったのです。
というのは、そんな記憶がかなり残っているからです。
昔は街灯がゼロという道がいくらでもありました。
私は暗闇が平気な人間ですが、
どうも子供の頃母親に連れられて、夜映画館に行った、
そんな経験を積んで、慣れ切ったのかも知れません。
子供4人中3番目の私一人を連れて出るのが習慣でした。
往きは薄暮でも、映画(常に洋画でした)が終わる頃は夜。
ときには、星のない日など、近くの電燈のないあたりは、
完全な闇でした。
雨がやんだ後の水たまりだらけの土道を歩くのが喜び。
水たまりは別世界への罠という思い入れで、
ひょいひょいと飛び越しながら家路を辿ったのです。
映画の主人公になりきっていたこともあります。
映画と夜の道が私の想像力を鍛えてくれたのかも?
































































by Sha-Sindbad
| 2018-09-01 23:10
| Kinetal37.5/1.8
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