1174 加美の神々だろうか (スーパーシックス25mmF1.9からはなにか気が漂ってくる)
私の友人の一人は、神仏は路傍の石仏すら撮りません。
神仏を写真の対象にすることをはばかるお気持ちから。
私は完璧な無神論者ですから、
そんな気持ちは毛頭ありません。
自分で心から信じることができないものは、
それがなんであれ、信じるつもりはありません。
大仏様でも阿修羅でも百済観音でも月光菩薩でも、
私にとっては偉大な芸術。
撮らせていただけるのであれば、遠慮無く撮りたいという気持ち。
理由は簡単です。
古代に、阿修羅が邪神たちと仏教護持のために戦ったとしたら、
現代でも戦っていなければおかしい。
ユダヤの神エホバがモーゼを保護したのであれば、
イエスがエホバの神を父とするのであれば、
現代でも神が地球上で苦しむ民のために来臨していただきたい。
国家のためと称して、国民を苦しめつづける、
奇怪な政治家たちを一掃していただきたい。
でも、阿修羅もエホバもはるか昔にどうやら地球の歴史に介入するのを、
なぜかおやめになってしまったようです。
だから、私は神社仏閣の神仏も撮影可能なら遠慮無く撮影します。
前回に引き続き、スーパーシックス25mmF1.9の写真を大量にご覧下さい。
38枚。
私にとっては、驚きの画像。
それが、私以外の人にとっては、ただのがらくた写真なのですから、
楽しいですね。
写真は、時には表現としてコミュニケーションの手段になりますが、
時には、表現なんかじゃまるでなくて、
孤島を取り巻く怒濤、暗礁、濃霧となることがあるようです。
私はなんだかシェークスピアの「テンペスト」のプロスペローの気分。
そんな風に感じられる限り、私はご機嫌。
スーパーシックス25mmF1.9の描写力はどんなレンズにも劣らない、
そんな気がしてきました。
その写真たちからは、なにかしら不可思議な気配が漂ってくるからです。
by Sha-Sindbad
| 2014-11-05 16:57
| SuperSix25/1.9
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