52 入口 (ビオゴン21mmF4.5は悲運のレンズだった)
歴史にifは禁物ですが、
それでも、止めようもなく考えてしまうifがいくつもあります。
もし元寇が日本征服に成功していたら?
もし明智光秀が信長を倒さなかったら?
もし日本が第二次世界大戦後東西に二分されていたら?
レンズの歴史でいつも考えるのは2つのこと。
もしビル・ブラントかジャンルー・シーフがホロゴン15mmF8を使っていたら?
もしライカ社が21㎜超広角をM型ライカに使うために、
シュナイダーではなく、ツァイスにビオゴン21mmF4.5を発注していたら?
残念ながら、この2つのifは起こらず、
ジャンルー・シーフはスーパーアンギュロン21mmf3.4を選びました。
考えてみると、ライカ社は、ツァイスと戦争していたのですから、
起こるはずのないことだったのかも知れません。
でも、ライカ社は、ホロゴン15mmF8は発注したのですから、
絶対起こらなかったとは言えないと、未練がましく考えてしまいます。
おかげで、ビオゴン21mmF4.5を使って名作をものした写真家って、
見あたらないこととなってしまいました。
一方、かなり沢山の写真家たちがスーパーアンギュロン21mmf3.4を常用して、
写真世界を展開しました。
もちろんスーパーアンギュロン21mmf3.4は凄いレンズです。
yoshiさんが日々それを実証しています。
でも、もし、ビオゴンがM型ライカに供給されていたら、
ジャンルー・シーフもyoshiさんもきっとビオゴンを使い、
もっと魔術的な雰囲気を醸しだしただろうに、
そう残念に思ってしまうのです。
[後書き]
でも、供給されなかったビオゴンを使って、
私はライカM4-Pで撮っていますね。
これは、Lマウント改造レンズなのです。
私がかってに夢の組み合わせを選んだというわけです。
でも、あんまり写真は残っていません。
なぜか?
重い!
by Sha-sindbad
| 2011-08-04 15:07
| Biogon21/4.5
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