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レンズ千夜一夜

2125 斜行(2019年7月1日スーパーアンギュロン21㎜F3.4なら早駆けロボグラフィで)ブログ万歳!



写真家には、極端に言うと、二種あるようです。

① 一つの被写体にこだわる人。

  フォトジェニックな被写体を見つけると、
  じっくりと腰を据えて、最高に活かす撮り方は何か、
  とことんまで考え抜き、試しもします。

こんな人は、順調に頑張りますと、大成しますね。
そんな風に、様々な見方を体験し、試すことで、
あらゆるシャッターチャンスに有効に反応できるようになります。

② 一つの被写体に全然こだわらない人。

  一触即発、ヒットエンドラン型です。
  見た瞬間に、もうシャッターを落としている。
  構図もシャッターチャンスも本能に頼り切り、
  というより、自分が撮った瞬間、撮った構図、方向がいつもベスト、
  そんな風に決め込んでいる。

こんな人は天才か、それともただのど素人ですね。

でも、写真家というレベル、ジャンルにこだわらないと、
もう一つのタイプが浮かび上がります。

③ 完全ど素人型

  被写体?
  構図?
  シャッターチャンス?
  一体、それ、なあに?
  そういうタイプです。

こんな人は、別の撮り方があることに全然気づいていない。
もしくは、全然、関心がない。
撮ったものが、写真家から見て、べらぼうな駄作であっても、
そんなことに気づきもしないし、関心もない。

私はこれに近いのですが、
十数年前までは本気で写真家を志望していた辺りが違います。
つまり、もうひとつのタイプがあるというわけです。

④ 写真の出来にぜんぜんこだわらない人

  「いいな!」と閃いたら、とにかく撮る。
  ピントが必要なときは、それだけする。
  不要なときは、即座に撮る。
  出会った瞬間の記録となります。  

例えば、誰かに出会った途端に、恋に陥る、
そんな瞬間に、その人の周辺に注意を払う暇がありますか?
目はその人に完全にフォーカスし、
心は電撃に打たれているのに、
頭脳は冷静に周辺状況を観察しているとすれば、
それは、恋の始まりでもなんでもないのです。

ですから、こんな瞬間は、いつも写真に撮れるものではないのです。
でも、恋に陥るという、一生に一度あるかないかの瞬間は別として、
「おおっ、いいじゃないか!
頑張ってるじゃなか! 
お互い、頑張ろう!」
などと口走りたくなる瞬間に日々たくさん出会いますね。
その瞬間を撮る、これが④。
これが今の私です。

あくまでも、プライベートな記録。
思うに、ほとんどの写真趣味人はこの④なのです。
写真を趣味にし、写真教室に通ったりしますと、
  「あれっ? なんだか才能があるみたい!
  写真家たちの作品と比べても、遜色ない!
  もしかしたら?」
なんて気持ちになる人はかなり多いでしょう。
そのまま突っ走っれる人もいます。
でも、どこかの段階で気がつく人の方が多いでしょう、
  「錯覚!
  身の程知らずって、このことだなあ!」
でも、この当然の自覚が本来の写真趣味の出発点なのです。
今まで撮ってもとっても、自分の写真に満足できなかった!
当然です。
手の届かない蜃気楼を目指して、写真砂漠をさまよっていたのですから。

でも、夢は夢、しっかり、そう悟りますと、
自分の写真にこれまでとは違ったアプローチができるようになります。
これまでは、写真を他人に見せる作品と捉えていました。
そうではなく、撮った自分自身の人生の一コマの記録なのだ!
そう捉えると、事態は一変します。
すべての写真が大切になってきます。
全部に自分の人生が写っている!

ほとんどのアマチュア写真家は、
私のこのような考え方をバカにするでしょう。
一人ショボショボ撮って、一人ショボショボ愉しむ、なんて、寂しいよ!

でも、すべてのアマチュア写真家は、
遅かれ早かれ、作品なるものを作れなくなるときが来ます。
そのときが来たとき、たいてい、写真をやめます。
自分のために写真を撮る、というもうひとつのスタンスを知らないからです。
でも、それじゃ、人生の支えとしてきた杖を捨てるに等しいのではありませんか?

生きがいとしての写真人生が消え去ったとき、
あなたに何が残されるでしょうか?
そんな人生の支えが他にもたくさんある人は幸いです。
でも、もしそんな支えが他に見つからなければ、
写真人生を捨てることは、冥途への一里塚になるかも知れませんよ?
生きがいこそ、命なのですから。
ご用心!

私はかなり昔に気づきました。
人に見せるために写真を撮るって、
自分の人生にほとんど寄与しない!
そんなとき、ブログに出会ったのです。
ブログは、狭い写真社会を超えて、
広く社会に自分の写真を発信する場だ、
そうお考えの方も多いでしょう。
でも、それだけじゃありませんね。

私は幸運でした。
ほとんど人が来なかったのです。
もともと、ひとにアピールできる写真なんか撮れない人間でした。
それをネットに公開したからと言って、事情が変わる筈がない。
最初は、自分でもそれが分かっていなかった。
だから、人が来ることをかなり意識し期待していましたが、
1年も経たないうちに、気がつきました。
そうだ、誰も僕の写真なんかに関心は持っていない!
正道に戻れた、そういうべきでしょう
自分の写真付き日記として、楽しめるようになりました。

私は、生涯「選択と決断」を仕事の核にしてきた人間です。
決断は得意中の得意。
以来、写真ブログというスタンスを捨てたことを後悔したことも、
2つのブログのアクセス数をチェックしたことも、絶えてありません。

そんなブログが他人に宛てた文章になっているのは、
私が一番得意とする文章体が書簡形式だからです。
実は、未来の私に向けた書簡なのです。
だから、なんでも気兼ねなく書けるし、
しかもスイスイと文章を書き綴ることができます。
おかげさまで、毎日が楽しい!

今回は、スーパーアンギュロン21mmF3.4写真。
カリスマ性に溢れた超名レンズ。
これを作品制作の核心に据えた写真家はおそらく数知れないでしょう。
私は、作品制作をしないので、一番大切なことは、
私とフィーリングが合う、このこと一つです。
残念ながら、ホロゴンほどピタリと来ません。
ドラマチックすぎるのです。
言葉は悪いけど、私には「アクが強すぎる」という印象。
でも、撮るたびに、心から舌を巻きます。
「なんてすごいレンズなんだ!」
これはこれで、一つの楽しみ。




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# by Sha-Sindbad | 2019-10-20 14:36 | SuperAngulon21/3.4 | Comments(0)

2124 静寂(2019年6月18日ホロゴン15㎜F8迎えて、森もどっしり構え)シミの視点もまた楽し!


近くの神社森、私はアーシングウッドと読んでいますが、
今や私の安息場所となっています。
すでに、蚊に悩まされる季節を過ぎたのではないかと思うのですが、
全然蚊に愛されない私にはわからないのかもしれません。

盛夏だと、私の周囲にも蚊がブンブンまとわりついてきます。
私が蚊に刺されないので、自分たちに神経質にならない、
そう分かっているからかもしれませんが、
真相は、蚊たち、「わっ、久しぶりのご馳走!」と我先に殺到したら、
「なあーんだ、ホロゴンさんだ!
この人は全然美味しくないよ」と、
不平顔でブンブン不平を言っているのかもしれませんね。
でも、今日(10月19日土曜日)は、静寂そのもの。

実は数ヶ月前、数年ぶりに靴を新調したのです。
アーシング用の地下足袋です。

 アーシング健康シューズ TABI
         アーシングジャパン
         ¥13,000

キャッチフレーズは、
「裸足にならずにアーシングできる足袋」

履き心地は、相性に左右されるでしょう。
私は、裸足で外出できるので、とても気持ち良い。

私の足の大きさで注文したのですが、
わずかにかかとが空きます。
5㎜小さいと、足先がきついでしょう。
それに、地下足袋って、つま先だけで歩くので、
問題はないのですが、一応、不要の靴底をカットして、
かかとの隙間を充填しました。

以来、アーシングウッドに乗り出すときは、
常にアーシングシューズを使ってきました。
薄い靴底がありますが、気分は裸足感覚。
足裏は地面の感触をそのまま伝えてくれるので、
固くとがった石ころ道は少し痛いのですが、すぐに慣れます。
足を締め付ける部分がまったくなく、
足にまるで負担がかかりません。

屋内のアーシングマットを使って、
計器で静電気除去のレベルを計測してみますと、
TABIで測ると、メーターが完全に零となりません。
でも、TABIを履いて、戸外で測ってみますと、
不思議なことに、瞬時にメーターが零となります。

もっと不思議なことを念のために書きましょう。
私がアーシングウッドと呼ぶ神社森のような場所では、
ゴム底靴を履いていても、瞬時にアースされてしまいます。
森全体が清浄なのでしょう。

だから、どんどん樹林、林、グリーンフィールドに行ってください。
念のために、湿った葉っぱや樹皮、草、地面に手を触れると、
さらに万全、瞬時にアースされます。
ターザンやモーグリがジャングルの中で無敵だったのも当然なのです。

ホロゴンを手にアーシングウッドを歩くと、
さらに静電気除去効果は完璧となるようです。
ホロゴンが心の中の滞留電気まで除去してくれるから!
私はそう信じています。

さて、アーシングウッドでのホロゴンは?
いつも通りです。
森の存在をガッと全身、レンズ全体で受け止めてくれる!
そんな信頼感に溢れた画像。
いつでも、どこでも、ホロゴンが最高、
私は、ホロゴン画像を見るたびに、そう思うのです。

宇宙の小さなわずかなシミのような私です。
神の視点も、太陽の視点も、地球の視点も、
私には無縁なのですから、当然です。
いいじゃないですか?
そんなシミの視点でも、結構、この宇宙、楽しめますね。

おっと、言葉は正確にしなきゃ!
地下足袋履いたシミの視点、ですね。




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# by Sha-Sindbad | 2019-10-19 18:05 | Hologon15/8Degital | Comments(0)

2123 光ある内に(2019年5月12日古玉タンバール90㎜F2.2が神社の)光の中を歩め




5月12日日曜日午前10時10分、アーシングロードに向けて出発。
この日は嬉しい日でした。
ソニーα7が帰還した2日目。
早速、タンバール90㎜F2.2を使ってみることにしたのです。

タンバール90㎜F2.2の問題点は終始ピント調節にあったようです。
バルナック型ライカに付ける前提で作られたのですが、
バルナックの短い距離計ではピタリ合焦することはかなり困難でした。
バルンックの場合、ウィンドウは2つあって、
ピントウィンドウを覗いて、その中心でピントを合わせた後、
ファインダーウィンドウに目を移して、フレーミングすることになります。
そのせいもあるのでしょうか?
タンバール90㎜F2.2による傑作写真は極めて限られています。

中でも一番素晴らしいものは、
さすがに日本におけるタンバール90㎜F2.2の使い手の草分け、
大御所の木村伊兵衛の作品群でした。
とりわけ、津軽美人、沖縄美人、そして、N夫人、
この3枚のポートレートが傑出しています。
ただし、津軽美人は定かではありません。
もしかすると、エルマー73㎜F1.9かもしれません。

Googleの画像検索をしていただければ分かっていただけるでしょう、
上記の傑作以外には、ほとんどろくな作品は残っていない。
なぜ?
女性たちがタンバールに負けているからです。
ただの美人だからです。
木村伊兵衛は、心になにかを持っている美女たちを対象に撮り、
かつ、こちらがもっと大切ですが、木村伊兵衛ご自身が心にあたたかく大きなものを持って、
その心を働かせて、タンバールを駆使されたからのでしょう。

私の写真の師匠、田島謹之助さんが一度おっしゃったことを忘れることができません。  

  「あのねえ、...さん、  立派な写真を撮りたかったら、
  あんた自身が立派な人間にならないと、
  絶対に無理ですよ。」

私にはそれはついに無理だったようですが、
それでも、少しは理解できる程度にはなりました。
現代の写真がなぜつまらないか?
デジタル写真になり、デジタル加工に凝れば凝るほど、
写真は、撮影時の心の反映を失い、複雑多岐の画像処理を施されて、
ただのビジュアルアートになってしまうのです。
技術ばかりに寄りかかりすぎではないでしょうか?

そのようになる理由も明らかです。
田島さんがおっしゃったように、「立派な人間」になろうしながら、
心に感じた瞬間をあるがままに撮ろうとするなんて、
七面倒くさいことは省略!
写真を始めた途端に、カメラがどんどん写真を撮ってくれるので、
写真家になった気分。

写真教室の講師も、自分の生徒を育てたいので、どんどんおだてます。
「あなた、自分の写真を撮りたかったら、もっと人間経験を積み、
写真を勉強し、人真似はせず、カメラに頼らず、
自分の足でせっせと歩きまわり、自分の目で写真を撮らなきゃ!
作品?作品を創るなんて、10年早すぎるよ!」
なんて、決しておっしゃらないで、優しくあたたかく、

  「すごい!
  これだけ撮れたら、もう立派な写真家ですよ!」

おかげで舞い上がって、
  「そうか、やっぱり!
  わたしはなんだか才能があるみたい!
  カルティエ・ブレッソン?
  あんなの時代遅れですよ、
  ブレブレ写真まで作品でござい、なんて、
  おかしくって!」

かくて、素養も修練もないのに、優れた写真家らしい傑作作品を作ろうと、
安易なデジタル加工の道に走っているからです。
歪んだら、Photoshopで修正!
ピントが甘かったら、Photoshopでシャープネスをかける。
画像が猛烈に精密なので、オリジナルの数%だけ切り取っても、
写真作品として通用する。
なにも一発必中の決死の覚悟で撮影する必要がない。
後で、Photoshopがなんとかしてくれるから。

このような行為そのものが安直すぎて、
ご自分の人間性を損ない続けているとは思いませんか?

地道に自分の作品を追究しながら、ひたすら撮影し続け、
暗中模索の中から、自分らしい作品世界を見つけていく、
それがこれまでのプロアマを問わず、すべての写真家の道でした。
ですから、10年、20年、30年の修行の道だったのに、
写真を始めて2、3年で、「私は写真家でござい!」
おへそが茶を沸かすって、このことですね。

つい、熱くなってしまいました。
自分は写真家にもなれず、ろくな写真も撮れないのに、大層なことを言いなさんな、と、
天国の田島謹之助さんがぼそっと一言つぶやかれた気配を感じます。

大急ぎで、話をタンバールに戻しましょう。
液晶画面で、2段式に画像を超巨大に拡大できるソニーα7は、
実像を見ながら拡大できるのですから、
バルナックの真価を発揮するベースとなるのは当然。
(ああ、私もデジタルカメラに頼りきっている!)

アーシングウッドでは、背景をぼかして、ポイントを浮かび上がらせる、
もっとも単純な撮り方一辺倒で撮りました。
誰も撮らないし、誰も観たくない、そんなスポットばかり撮っています。
私の心に伝わってくるものがあるからです。
彼らは言っています、

  「こんな目立たないところでも、気に入ってるよ。
  自分らしく生きていける、そんな気持ちになれるから」

シャッターを取り替える修理を経て、ソニーα7は実に快調。
今回の突然の故障修理で、私の懐はかなり寒くなりましたが、
やっぱり使い勝手は最高!
私の心はがぜん暖かさを増したようです。
当分、ソニーα7で突っ走ろう!




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# by Sha-Sindbad | 2019-10-15 14:21 | Thambar90/2.2 | Comments(0)

2122 静かな街(2019年5月11日古玉エルマー50㎜F3.5が新大阪でゆったりくつろぎ)



かなり古い話になります。
5月11日土曜日、
ヨドバシカメラに修理をお願いしていたソニーα7、
ようやく手元に戻ってきました。

ライカM9から私のメインカメラの座を奪って何年になるでしょう?
ソニーα7の修理中、ライカM9がメインカメラの座に復帰していました。
切れ込み、立体感、実在感、等々、描写性に関する限り、
どれをとっても、ライカM9の方が上。

でも、ライブビューを含めて、
撮影時のイメージのチェックの容易さという点で、
段違いにソニーα7に軍配があがります。

カルティエ=ブレッソンや木村伊兵衛のように、
数メートルのディスタンスでスナップショットを狙うのであれば、
ライカM9が遙かに強力です。
でも、私はほとんどマクロ域に近いロボグラフィを撮る素人なのです。
ライカで粋がる必要がまったくありません。
実用性が最優先。
こうなると、ロボグラフィストにとって、
等倍で撮れて、ピントチェックが極めて容易なソニーα7がほとんど唯一の選択肢。
レンズの選択肢がわっと拡大するのも大きな利点。

Cマウントレンズなら、まったく同様の理由で、
オリンパスE-PL8!
ほぼソニーα7に匹敵する使い勝手、使い心地です。

当分、この2つのカメラで突っ走ることになりそうです。
おっと、表現が不適切です、
この2つのカメラで這い回ることになりそうです。

ここまで書いてふっと考えました。
以前に書いたことですが、
エキサイトブログが近い将来消える可能性がある!
2つのブログに十万枚を軽く超える写真を掲載してあります。
文章もおそらくエンサイクロブリタニカを超える量になっています。
別のブログに移植することなんて不可能です。
たとえできても、そんな手間暇をかけるつもりはありません。
あっさり消えてしまうことになりそうですね。
でも、構わないことにします。
私が長生きしても、
いつかこの2つのブログを読み返すのはとても無理です。
あまりにも膨大となってしまいました。
それよりもそのときの今を生きることに専心するのがベストです。
過去を引きずって歩くのはよしました。

そのとき、ブログを続けたければ、
別のプロバイダーを選択して、
まったく新しい装いでブログ人生を楽しむことになるでしょう。
選択の条件は、エキサイト同様です。
いかなる宣伝広告も排除できること、
ブログ画面として画面一杯使えること、
無制限に文章、写真を搭載できること。
でも、そんなサイト、ありますかねえ?

思うに、私のようなプライベートブログを楽しんでいる方は
猛烈に多いのではないでしょうか?

よく言われることがあります。
敵から隠れたい。
どこに隠れたらよいか?

その答えの一つは、都会の雑踏の中。
私がしていること、それがこれ。

ブログをアピールの場、情報発信手段と考える人も多いでしょう。
でも、そんなアピールも発信もしたくない、
という人も多いのではないでしょうか?
でも、いつまでも、様々に思い、考え、
そんな思い、考えを文章にして記録したい、
あちこち歩き回り、いつまでもロボグラフィを記録したい、
そして、それをブログに掲載したいものです。

よく「メッセージを発信する」という言葉を聴きます。
こんな新しい(新しくないか?)用語など一切知りたくもないし、
使いたくもありません。
そうでなくても、日本文のカタカナ占有率が増大しています。
私も気がついたら使っています。
社会が変わると、文化が変わり、言葉も文章も変わっていきます。
これは避けられないことです。
だから、私も使いますが、
たとえば、「情報を発信する」なんてこと、
私は絶対にするつもりがありません。
隠者になったのです。
情報を発信する隠者なんて、いますかねえ?

よく、「自分の発言、文章には責任を持たなければならない」
そう言われますね。
私は、文章にも写真にも責任を持つつもりはありません。
文章は、自分の心覚えで、ただの思いつき、
写真は、私の歩いた足跡の記録で、
いかなる意味でも、他人に対するメッセージとするつもりはありません。

思うに、良寛さんだって、
自分の書簡や墨跡が後世に残るなんて思っていたでしょうか?
書簡なんて万人がするもので、99パーセント、
この世から消えてしまいました。
良寛さんはこの世を捨て、この世から捨てられたと思っていた筈。
後世の人が希有の人、筆聖とあがめるようになろう、
なんて心の片隅にちらっとも浮かんだことはないでしょう。
もしそんな思いが脳裏をかすめたら、
自分の出家遁世はなんだったのか、と、
絶望に駆られたにちがいありません。

私も出家こそしていないんで、まだ完全に現世を捨てたわけではない。
でも、確信しています。
この世からは、あっさり捨てられてしまっている。
それで良いのです。
人間のほとんど99.9%は、私同様に、
生存中から、そして、遅くとも没後まもなく、
この世の記憶から消えてしまいます。

明治、大正、昭和初期の文学者、小説家たちも同様の運命。
数知れず輩出しました。
でも、人々の記憶に残り、再三読み返される文学者、小説家って、
一体何人居ますか?
私は日本文学はあまり好きではなかったので、
夏目漱石、樋口一葉、太宰治、宮沢賢治、
この四人で十分、という感じがします。
あと、芥川龍之介、幸田露伴、水上勉.....という感じ。
ああ、不世出の文豪の名声をほしいままにした文豪が何人居たでしょう?
文学史の片隅にしか残らないのでしょう。
いずれにしても、私は思い出しません。
こうして、私と同様に、この世の記憶から速やかに消えて行くでしょう。

ということで、ヨドバシでソニーα7を受け取ってから、
今日は、その足で新大阪、
劉継紅先生の二胡レッスン会場に直行して、
持参した二胡を先生の教授用に置いたうえ、
私は行きつけの喫茶店で豚生姜焼き定食とコーヒーをいただき、
この文章を書き綴ったというわけです。
ソニーα7にはエルマー50㎜F3.5を付けて、
久しぶりにソニーα7によるロボグラフィ撮影の醍醐味を満喫しました。
満足。

第二次世界大戦前のエルマーレンズ、
ここで、文頭、うっかり「戦前」と書いてしまいました。
私にとって、長年「戦前」は「第二次世界大戦前」でした。
でも、それから世界大戦は起こっていないにしても、
朝鮮戦争、ヴェトナム戦争、湾岸戦争、イラク戦争等々、
世界中で絶え間なく戦争が続いています。
どうやら、かつての「戦前」という言葉は
万人に通用する言葉ではなくなってしまった感じ。

そこで、第二次世界大戦前、
ここまで書いて、ふっと気づきました。
今、「第二次世界大戦」と書いても、
なんのことか分からない人が世界中に一杯いるようです。
アメリカ人の若者も、昔日本と戦ったことなど知らないそうです。
ヒトラーのことも、人類史上最悪の殺戮者であることなど知らない。
だから、どこかの大臣が講演で
「ヒトラーのように、だんだんと憲法をなし崩しにしたらよい」
などというたわけた発言を堂々として、
自分がどんなに歴史認識も見識もないことに気づかない。
時代が変わる、と言っても、
歴史から正しい教訓を学べないとは、なんと愚かなことでしょうか?
私のブログ文については別として、
この方、「自分の発言、文章には責任を持たなければならない」ことを
忘れないで欲しいものです。
このような発言は、
自分が日本国憲法に基づく法律で選出された国会議員、大臣であることを
否定することであり、
脚立に上ってから、自分で脚立を蹴り飛ばすような愚かな行為であることに
気づいてほしいものです。

ということで、今回は、新大阪までの車内と、新大阪で、
あちらこちらと移動しつつ書き綴ったので、
主題のない雑文となってしまいました。
ただのフィンガリングの体操、というわけでした。





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# by Sha-Sindbad | 2019-10-12 22:21 | Elmar50/3.5 | Comments(0)

2121 老眼幻想(2019年5月18日奈良町に再びメオスティグマート50㎜F1.1がさらりと浮かび)



メオスティグマート50㎜F1.1

チェコのおそらくプロジェクターレンズです。
ヘリコイドも絞りもない、ただのレンズの筒。
知恵者が強烈に硬いボール紙の筒にこれを入れて、
レンズを前後に滑らせることで、ピントを合わせる、
実にシンプルな作りの改造レンズです。
使いやすいこと、この上もありません。

こんな作りですから、ぐいと引き出しますと、
当然超接写ができます。
画像は荒れますが、
類例のないファンタジー画像が撮れます。
でも、これを気に入るかどうかは人さまざまでしょう。
私は大いに気に入っています。

久しぶりに出撃。
奈良町を隅々まで、オッと間違い、隅々だけを
ノンノン楽々と撮りまくりました。
私のようなスケールの小さな人間だから、
満足して使い続けられます。
とにかく御託を並べないで、写真を並べてみましょう。
簡単に一言で言えば、

  「近視眼写真集」

でも、実態は、ぐっと被写体に顔を近づける感じで、
むしろこう言った方が良いかも?

  「老眼写真集」




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# by Sha-Sindbad | 2019-10-09 21:46 | Meostigmat50/1 | Comments(0)

2120 異次元の(2019年5月25日奈良町も宮崎さんのISM50mmF1.1にはすぐ慣れて)ボケ味に



NO.2085で、この超大口径超小型レンズのアーシングウッド試写を掲載しました。
現代のデジタルカメラは、ASA感度を大きく高めても、
大スケールで印刷するのでない限り、
画質が目立って劣化することはありません。
被写界深度だって、進化した画像処理ソフトを使えば、
自在に加減できるのかも知れませんが、
私のように、最低限の画像処理で済ませない人間には無縁。
ISM50mmF1.1なら、絞り一つで加減できます。
そして、その開放描写はまさに異次元。
だから、ボケ味も異次元。

ISMは「イズム」と読んでください。
まさしく宮崎イズムを体現するレンズなのでしょう。
じゃ、宮崎イズムとはなんぞや?
これは宮崎さんに聞いてください。

でも、おそらく20本近い宮崎レンズを使ってきて感じるのは、
こんなところでしょうか?

① 過去の名レンズの系譜を活用して、
過去の名レンズたちの味わいを現代レンズに盛り込みたい。
② 正確無比の現代レンズでは出せない写真表現を可能にしたい。
③ そうすることで、過去の名レンズと現代のレンズの、
どちらの美点も活かした、独自の写真表現を可能にしたい。

本レンズが宮崎さんのコンセプトを実現しているか、どうかは、
使い手一人一人がどれだけ宮崎レンズを使いこなせるかにかかっている、
そんな感じがします。
どんな場合でも、レンズは道具であり、
表現の主体は撮影者なのですから。

念のため。
私は写真家じゃありません。
ただ、試写しているだけ。
でも、自分の写真日記であるブログには、
このレンズが個性あふれる画像を生み出して、
独自の貢献を果たしてくれることは間違いありません。
銀塩フィルム時代でも、現代でも、
このような軽量かつ高性能の大口径レンズを使えるなんて、
とてもかなうことではなかったのですから、
幸せそのものですね。

ISM50mmF1.1の写真をこうやって並べてみて、
かなり現代的な描写のレンズだけど、
さすが超大口径レンズですね。

ホーキング博士のような広大深遠の天才が夢を見たら、
こんな感じかな?
ガチガチにシャープな人はもっと精密な画像で夢を見るでしょう。
でも、柔軟性も発展性も、そして意外性もない。
だから、その夢をバネにして大きく飛翔することができない。
科学もアートも、そして、写真でさえ、
意外性がなくなったら、おしまいですね。




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# by Sha-Sindbad | 2019-10-06 23:37 | ISM50/1.0 | Comments(0)

2119 美女たち(2019年6月4日ヴァリオプラズマ50mmF1.1も奈良町にようやく慣れて)


稀代のレンズ名人宮崎貞安さんの最新作が、
ヴァリオプラズマ50mmF1.1
往年の超ビンテージレンズ、キノプラズマートの復刻版です。
レンズ設計はキノプラズマートのデザインを踏襲しつつ、
レンズ前部に設けたダイヤルによって、
描写性の変化を5段階も楽しめるという、
まさに強力無比の変幻レンズに出来上がっています。
そのデフォルト設定がキノプラズマート仕様というわけです。

でも、このレンズのユーザー層を想像してみますと、
95パーセントは往年の夢幻レンズ、
キノプラズマートに憧れてはみたものの、
納得の行く写真作品にもほとんど出会う見込みがほとんどなく、
まして、手に入れる見込みとなると、可能性ゼロ、
という変幻レンズ愛好家のみなさんでしょう。

私もまさにその一人なのですから、
とにかくキノプラズマート仕様を撮りまくって、
このレンズがどこまで幻のキノプラズマートに近づいたか?
これを知りたい、という気持ちしかありません。
ということで、キノプラズマート仕様、開放オンリーにセットして、
ひたすら撮りまくったわけです。

でも、ここに、こうしたユーザーにはもう一つの壁が立ちはだかります。

  往年にキノプラズマートって、どんな風に撮れるの?

そこで登場したのが、

  岡田祐二・上野由日路共著
  35㎜判オールドレンズの最高峰「50㎜f1.」

これまで出版されたクラシックレンズ研究書の白眉にして最高峰。
私はそう確信しています。
まず、本文を担当された岡田さんがただ者ではありません。
各レンズの本質に迫る造詣と洞察に満ちた文章の格調が高く、
一行一行、讃嘆と驚愕の思いが募るばかり。

写真を担当した上野由日路さんは新進気鋭の作家のようです。
各レンズの作例を見事なポートレートで提供してくれます。
女性ポートレートに限定したことが、
レンズの特性比較に役立つことは明らかですから、
正しい選択であったと思います。

ただし、女性ポートレートとは生涯ほとんど無縁の私にとっては、
女性ポートレートの描写性でレンズの特性をチェックするのはかなり難しい。
それでも、キノプラズマートの作品が極めて品格が高いことは分かります。

宮崎さんのニューレンズと対比したいと思ったのですが、
これはほとんど無理ですね。
写真作品としての格が、写真家とど素人では最初から段違い、
ということはさておいても、
印刷プリントとCRT画面での写真とは、
まったく水と油ほども質感、触感、色感が違うからです。

でも、ニューレンズも、その雰囲気描写においては、確かに夢幻的で、
抜けのよさが清らかさに通じる表現となっています。
十分ニュー・キノプラズマートとしての存在感はあるんじゃないかな? 





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# by Sha-Sindbad | 2019-10-05 23:09 | VarioPrasma50/1.1 | Comments(0)

2119 下町(2019年5月24日大阪加美でキノプラズマート25mmF1.5bの変幻ロボグラフィ)



宮崎貞安さんからキノプラズマート50㎜F1.5の復刻版、
VarioPrasma50mmF1.5
が送られてきて、
かなり沢山撮影できたことはすでに報告しました。

キノプラズマート50mmF1.5の復刻版だけに、
かなりの変幻自在レンズでした。
その試写の合間に、ほぼ同等の条件で撮られたCマウントレンズ、
キノプラズマート25㎜F1.5の写真群をご覧頂くことにしましょう。

このレンズをオリンパスE-PL1に付けると、
見かけ上の写りは50㎜レンズ相当となります。
私には確認しようもありませんが、
オリジナルのキノプラズマート50㎜F1.5とは、
焦点距離的には近いけど、
被写界深度は2倍深い上、
もちろん、異質異次元の画質だろうと思います。

でも、キノプラズマート25㎜F1.5にはそれなりに、
キノプラズマート族の一員であることの誇りが感じられます。
私にとって、という限定付はありますが、
いつもどこか誇りに充ちた毅然たる香りが燻り立つ感じがします。
でも、私のひいき目に過ぎないかも知れません。

とにかく並べて、ごらんに入れることにしましょう。





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# by Sha-Sindbad | 2019-10-02 12:07 | Kinoplasmat25/1.5b | Comments(0)

2118 華麗に(2019年7月8日大阪西九条をスィター25mmF1.5ARなら映画らしく)




セネカを読むほどに、
私はセネカが他人とは思えなくなります。
次の言葉など、私は自分がしゃべっているかのように感じます、

  「わたしの言葉を信じていただきたい。
  尊重すべき、人間のあらゆる過ちを超越した人間のやり方とは、
  自分の時間から一滴たりとも時を奪われぬようにすることなのです。
  ですから、その人の人生はきわめて長い。
  時間はつねに彼の支配下にあり、
  その全部が彼の自由になるものだからです。
  したがってどんな時も使われずにむだに過ごされることはなく、
  他人の勝手にされることはありません。
  なぜなら、彼は時間の吝嗇な監視人として、
  自分自身の時間と取り換えるに値するものなど、
  何も見つけなかったかです。
  それゆえ、彼は時間だけはたっぷり持っていました。
  が、自分の人生から多くの時を民衆に奪われているような人々には、
  つねに時間が欠乏しているでしょう。」
              (「時間の短さについて」)

先日、留守電がありました。
私が退職前に所属した機関からです。
私宛ての封筒が届いたそうです。
聴いたことのない差出人です。
私はこう答えておきました、

  「私の親しい人はすべて私の住所と電話を知っています。
  それを知らない人なのですから、
  おそらく仕事上の連絡でしょう。
  今後もそうですが、すべて処理はそちらに委ねます。
  私は過去から完全に抜け出して、
  今の人生を満喫しているので」

これが私のスタンスです。
多くの退職者が過去を引きずっています。
私の親友のお一人も会うたびに、
在職中の難儀や苦心談を文字通り果てしなく話してくれました。
それは彼の硬派的な生き方を遺憾なく報告するもので、
私も興味津々で耳を傾けました。
そして、いつも驚嘆させられました。
よくぞここまで細部の隅々までよく記憶できるものだ!
私などほとんど覚えていないからです。

私は自分の過去のことなど、はっきり言って、どうでもよい。
過ぎたことは過ぎたことなのです。
だから、彼の談義に少しは感じました、
もうそんなこと全部忘れて、
現在の人生に心のすべてを注ぎ込んだらよいのになあ。
過去はすでに起こったもので、変えようもないのに。
今の人生に何一つ付け加えないのに?

ある人は言うでしょう、
私たちは過去の蓄積によって成り立っている。
だから、過去は大切だ。
でも、私はそうは思わないのです。
過去は大切ですが、
記憶しておかなければならないわけではありません。
過去の蓄積は、私がそれと意識すると否とに関わらず、
私の基盤となっているのです。
記憶している方が重要であると考える根拠はありません。
一々思い出さないと、有効に働いてくれないというわけではないはず。

たとえば、プロ野球で、名投手と対決した打者は、
そんな剛速球をバットでガシッとはじき返して、
ホームランをかっ飛ばすとき、
これまで重ねてきた打撃練習、
これまで対戦してきた名投手たちの難球を一々思い出すでしょうか?
思い出しませんね。
思い出していたら、打てませんね。
その瞬間は、彼の過去などすべて意識から消え去り、
完全な無心となって剛速球を捉えるのではありませんか?

人生も同様です。
人と向き合ったとき、その人の過去などどうでもよい、
と言っても良さそうです。
過去のエピソードなど、
その人の現在のわずかなわずかなデータに過ぎません。
私が知りたいのは、
今、彼がなにを考え、どう生きているか、それだけです。
過去のエピソードは、彼がいわば無限の体験が重なった自分の過去から、
彼が人に知って欲しいほんの一部をピックアップしたに過ぎません。
それを知ったからと言って、
本当に彼という人間を知ることになりませんし、
むしろ、クローズアップ効果により、
逆に誤解に導かれるかも知れません。

実のところ、ある人を知りたかったら、
ご本人から過去の経験談を聞くよりも、
現在のご本人を一見し、
彼の一挙手一投足を観察する方が確かですね。
ところが、こんな見方をしていると、何が起こるか?
ちょっと破壊的、と言ってもよいかも知れません。
あんまり沢山の人と付き合うことができないのです。
なぜ?
一目見たら、この人とは語り合いたいかどうか?
この人を知りたいかどうか?
判ってしまうからです。
そして、この人が私と語り合いたいかどうか?
私を知りたいと思っているかどうか?
判ってしまうからです。
極めて広い交際を保って居られる方がおいでになります。
私には驚異以外のなにものでもありません。
私にはそんなに沢山の友人との交わりを楽しむ時間などないからです。

おそらく人間の大きさが違うのでしょう。
私は大変に小さなスケールの人間なのでしょう。
だから、なおさらに、すべての時間を私自身のために使いたい。
心から敬愛できる友人のためにだけ、自分の時間を割きたい。
そのような友人との交わりだけが人生を豊かにしてくれるから。

7月8日、大阪西九条に持ち出したセットは、

  オリンパスEP-L8
アンジェニューのスィター25㎜F1.5AR
ハリウッドがアカデミー賞を与えた唯一のレンズ製作者、
それがアンジェニューです。
私は、そのシーンを覚えています。
同時中継だったかどうかまでは覚えていませんが、
アカデミー会場に設置された巨大スクリーンの中から、
アンジェニューは受賞の挨拶をしました。
スターたちはスタンディングオベーションで迎えたと、
私は記憶しています。

私が思うに、
昔の映画は映画ごとに俳優たちの写りが違いました。
たとえようもなく美しく、高貴に見えるレンズもあれば、
なんとなく平凡にしか見えないレンズがあります。
現代映画は完全にコンピューター処理されてしまいます。
オリジナルとはまるっきり違います。
昔の映画は、フィルムに収められたら、
もう修正のしようがありません。
スターたちがこぞってスタンディングオベーションした、
ということは、彼らは、
アンジェニューで撮られた自分のイメージに完全に満足したのです。
私が持っているアンジェニューレンズの多くは、
小型撮影機用、つまり、素人用だったのでしょう。
でも、写真レンズとして使ってみても、
色のりがよく、メリハリが効いて、立体感もあり、
生き生きとして温かい画像は比類がないと言っても良いほど。

私もアンジェニュー氏に一票!






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# by Sha-Sindbad | 2019-09-26 23:04 | Switar25/1.4RX | Comments(0)

2117 淡麗(2019年5月19日ヴァリオプラズマ50mmF1.1が奈良町をしのびやかに)




今でもストリートフォトの写真家がいるのかどうか知りません。
昔は、どんなストリートに行っても、
向こうからやってくる中年男性のカメラマンに、
道の反対側同士ですれ違ったものでした。
次の2点でそれが分かりました。
① 両手にくるんだカメラには、短い焦点の単体レンズ。
② 油断なくあたりをうかがいながら、ゆったりと歩む物腰。

今、そんな写真家に路上で出会ったことはほとんどありません。
たまにアマチュア写真家に出くわしますが、
高齢で、幾人かの男女。
① あたりを見回す眼差しは全然鋭くない。
目的のものが決まっていないから、
なにかを探すような鋭い視線にはなりません。
② 手にしたデジタル一眼レフにはズームレンズ。

退職後、引退後の趣味の遊び、という風情でしかありません。
グーグルで、たとえば、「写真作品」と画像検索してみてください。
カルティエ=ブレッソンや木村伊兵衛風のスナップショットは皆無。
おそらく全部Photoshop等のソフトを使って、
かなり画像処理したコンピュータグラフィックス。
はっきり言って、つまりません。
まず、写真じゃない。
しかも、人が写っていても、その人の人生の一コマではありません。

かつては、写真を読むことで、人間を知ることができました。
今は、ある種のムード、デザインを感じさせられるだけ。
私とは完全に無縁です。
そんなものを見たいとは思わない。
見るなら、本物のアートを見ます。

じゃ、お前の写真はどうなんだ?!
そう詰問する方もおいででしょう。
分かっておられない。
私の文章を読んでもいないから当然です。
私が2つのブログに並べているのは、
私の足跡を思い起こすよすがとしてで、
写真作品としてではありません。
そんなことはとっくにやめました。

私も周囲を見渡しながら歩いています。
でも、スナップショットのチャンスを探しているわけではありません。
私の記憶したいロボグラフィたちは居ないかな?
写真家の虎視眈々たる眼光ではなく、
路傍の私の仲間たちとの出会いを期待する目配りでしかない。

近頃、関西、とくに奈良、京都では、
海外からの観光客が猛烈に増えました。
面白いことに、かつては、欧米のいわゆる白人、
中近東のアラブ人、インド人、中国等のアジア人、
みんな独特に違うので、はっきりと識別できました。
背の高さ、歩き方が全然違っていたことも手伝っていました。
ところが、今は、雑踏を見渡しても、すぐには区別がつかないのです。
例外はありますが、足の長さを含めて、
体格、歩き方、表情まで似てきました。
栄養、環境、教育がかなり共通してきて、
地球人的に平準化しつつあるようです。
しかも、どの国の人も表情がかなり明るく、
かつ動作が活発になってきました。
外向的な人が猛烈に増えた感じがします。

撮りたいと思うような人が前方に見つかることがあります。
この人を撮りたいと思ったら、視線は完全に外したまま、
さりげなくあたりを見物する風情で歩き続け、
ここぞと思う位置に来たことを眼の片隅で確認して、
伸ばした手の先のレンズをその方向に向け、
瞬時にシャッターを切ります。
フレーミングどころか、レンズの視野にどう入ったかなど、
全然分からないまま。
だから、帰宅して、マックの画面でチェックして、
「一体何を撮りたかったのか?」
さっぱり思い出さない写真が幾枚もあります。
ピントがずれているのも数知れず。

だから、写真中には、私の撮影に気づいたように見える眼差しがありますが、
これはただ私のカメラに視線を落としただけ。
通常誰も持たないようなクラシックなレンズだからでしょうか?
私は、その視線がレンズに落ちた次の瞬間に撮っているだけなのです。
昔の銀塩カメラだと、レンズをのぞき込めば、
一眼レフのレンズに視線が合った瞬間、
レンズが瞬くのが分かることがありました。
現代のデジタルカメラでは、かすかな音以外には、
撮ったことを示す徴候は見つかりません。
音は雑踏の中で、相手に届きません。
私は下げた手の先にカメラを持った保持しているだけなので、
しかもそっぽを向いたままスタスタ通り過ぎるだけなので、
気づかれることはほとんどないのです。

「盗撮だ」「盗み撮りだ」と言う人がいますが、
カルティエ=ブレッソンや木村伊兵衛たち、
往年のストリートフォトグラファーがやってきたことは、
すべて同じやり方です。
撮られてはならない姿を密かに撮るのが「盗撮」です。
でも、道行く人を眺めることと、私がやっていることはまったく同じです。
他人に向かって「私を見るな」とは誰も言えない。
自分から公開の場に姿を見せているのですから。
見ることができるものは、撮影もできる、それが道理です。
そして、憲法は「表現の自由」を、絶対的に保護しています。
カルティエ=ブレッソンや木村伊兵衛がしてきたことは、
現代でも、もちろん許される表現行為なのです。
そのあたりを分からないで、自分からおびえ、すくみ、自粛している、
それが現代の写真家です。
法律家がそのような道理をしっかりと説明しないから、
ストリートフォト全滅の時代になってしまったのです。

私は、「道で出会った素敵なものたち、人たち」の
フォトメモを撮ることを楽しみにしています。
本格的な写真趣味は30になる直前に始め、
最初からストリートフォト、ロボグラフィだっので、
すでに写真人生は何十年かになっています。
飽きない。
できたら、自分の葬式で、棺桶のふたをガバッと押し開けて、
ホロゴンをさっと突き出して、会葬者を撮りたいですね。
これだけは練習できないので、
うまく行くかどうか?

今回は、宮崎さんの試作レンズ、
ヴァリオプラズマ50mmF1.1が奈良町を試し撮りした写真群。
やっぱりペッツヴァールらしさが横溢していますね。
現代レンズでありながら、
現代の日の打ち所のないために、
かえって全然面白くない、優等生レンズたちに飽きたら、
このレンズ、いかがですか?
一味も二味も違う写真世界を純粋に楽しめますよ。
フォトショップによる完璧化などかえって邪魔になります。
純粋の写真を楽しめますよ。




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# by Sha-Sindbad | 2019-09-20 22:42 | VarioPrasma50/1.1 | Comments(0)

2116 ひっそり閑(2019年7月10日トリプルアナスティグマート25mmF2.9が信貴山下に足を伸ばし)




ダルメイヤーの小型廉価版レンズ、それが、

  トリプルアナスチグマート25㎜F2.9

オリンパスE-PL8に付けて撮りました。

  最初から最後まで徹頭徹尾、
  ロボグラフィ。

人間には個性があり、
会社には社風があり、
国には国民性があります。
他の人、他社、他国人とはどこか独特に違っている。

私が最高級に愛するレンズたちはこうした社風を超越しています。
でも、その次のレベルのレンズたちのことを考えてみますと、
レンズも制作社ごとに社風のようなものがあり、
どこか他社と一線を画す個性の差があるようです。

そのレベルのレンズたちで考えますと、
やはりダルメイヤーのレンズたちが好きですね。
どこか古くさく、鈍くさいのです。
つまり、雰囲気的に、私に似ているのです。

二胡演奏家陳少林先生のお宅で、月1回、
揚琴伴奏のレッスンを受ける行き帰りに撮りました。
トリプルアナスチグマート、久しぶりに使いましたが、
人間とまったく同じですね、
しばらくぶりに出会っても、
やっぱり個性は変わらない!
人間同様、死ぬまで変わらない、というわけでしょう。




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# by Sha-Sindbad | 2019-09-18 23:00 | Tri.Anasti25/2.9 | Comments(0)

2115 懐かしの街(2018年12月1日ジュピター35mmF2.8が豊中岡町商店街を楽しむ)息の絶えるまで




以前に書きました、
私は古代ギリシアを古代ローマよりも遙かに愛してきたことを。
私にとって、古代ギリシア人と古代中国人は、
この世が私に与えてくれる最高の師たちを輩出したのですから。

若い頃、かなりローマ史も読みました。
プルタルコスの対比列伝(プルターク英雄伝)から始まって、
Loeb Clasical libraryという素晴らしい原文と英語の対訳シリーズで、
リヴィウス、ポリビオス、タキトゥス、カエサル、プロコピウス、マルケリヌスを読み、
ギボンの「ローマ帝国衰亡史」を少なくとも4度読みました。
でも、ローマ人たちの冷徹で知的で容赦のない生き方、
帝国建設の足取りには、驚嘆、驚異の気持ちはあれ、
讃美、嘆賞したいと思う気持ちはほとんどありませんでした。
どこか事務的、冷徹、峻厳に過ぎたからです。

だから、私はセネカを読みませんでした。
もっとも、読んでみて判るのですが、
若くして読んでも心に響かなかったでしょう。
セネカの教えは老年期の人間にこそ痛切に響いてきますが、
客気に満ちた青年期の私にはピンと来なかったと思えるからです。

私は「時熟」という言葉が大好きです。
時満ちて、はじめてなにかが可能になり、
なにかを悟る。
今ようやくセネカの人生論が胸に響く年齢に、私が達したのでしょう。
こんなことばにぶつかりました。

「わたしの言葉を信じていただきたい。
尊重すべき、人間のあらゆる過ちを超越した人間のやり方とは、
自分の時間から一滴たりとも時を奪われぬようにすることなのです。
ですからその人の人生はきわめて長い。
時間はつねに彼の支配下にありう、
その全部が彼の自由になる物だからです。
したがってどんな時も使われずにむだに過ごされることはなく、
他人の勝手にされることはありません。
なぜなら、彼は時間の最も吝嗇な監視人として、
自分自身の時間と取り換えるに値するものなど、
何も見つけなかったからです。
それゆえ彼は時間だけはたっぷり持っていました。
が、自分の人生から多くの時を民衆に奪われているような人々には、
つねに時間が欠乏しているでしょう。」
(「人生の短さについて」岩波文庫)

なんだって?
いつも私が書いているままの気持ちではありませんか?
明日のことなど思い煩わない。
まして、定かならむ未来の事で頭を悩まさない。
今、この瞬間を生き抜きたい。
長期間の志と計画に基づいて着々となにかを達成する、
そんな時代は過ぎてしまいました。
あらゆる人、どんな年齢でもよい、すべての人に共通の運命、
それは、明日はないかも知れない、ということです。

今はあまり気づきませんが、
以前はよくネットで有名人の死亡記事にぶつかりました。
なんと、20歳代から始まって、
ほとんど私よりも年下なのです。
でも、自分よりも年下の人が亡くなったことを惜しんで、
私よりもよく生きることができなかった、
と言うことは誰にもできません。
自分に与えられた時間を使い切った人もいるかもしれないからです、
モーツァルトやアレクサンドロスのように。

  何年生きるか?
  ではありません。
  どんな風に生きるか?
  これが大切。

私は退職をして、世のため人のためになにかをすることがなくなったとき、
心に決めました。

  毎時間、毎瞬、自分のために、自分の家族のために使うぞ!

もう一つ決意しました、

  死ぬ瞬間までそうするぞ!

つまり、ボケるわけにはいかない。
93歳でなお全くボケのない強壮そのものの男性に出会ったことがあります。
自分だって、そうできないわけじゃあるまい!
彼の秘訣は「歩くこと」にありました。
私もそうします。
そのために、体力を蓄える、これが責務となりました。

もともと、子供の頃からすべてのスポーツに親しまず、
体なんか鍛えたことがなかった人間なのです。
毎日執務日も自宅執務日も朝から晩まで机に向かう人生でした。
(もっとも仕事ばかりではなかったのですが)
でも、休日にひたすら撮影に歩き回る習慣を30歳台から付けてきました。
だから、運動能力はなくても、基礎体力はあったようです。
しかも、自分で言うのはなんですが、心だけは強靱でした。
職場での友人同僚の内、3人も仕事に押しつぶされて自殺しました。
私は、もっと不真面目な人間だったことも幸いしたのでしょう、
重圧に心がひしがれることはありませんでした。

退職すると、私が真っ先に考えたのは体力でした。
精神力は人並みには鍛えてあります。
性格そのものが楽天的で積極的なので、
くじけたり、折れたりすることはありません。
でも、体力が脚をすくう危険はある、
そう考えたのです。

既存のジムに通ったり、スポーツしたり、ということは大嫌い。
さまざまにエクササイズをひたすら自分で工夫してきました。

二胡の師匠、二人の親友から、
素晴らしい健康法をプレゼントしていただきました。

若い頃リコーダーで知り合ったETさんからは、
毎朝1、2滴の命の水スーパーミネラル。
(かれは世界的に有名な水の浄化法の発明者)

劉継紅先生から教えられた、
「朝のコップ一杯の水は命の水」。
そこで、私は、スーパーミネラル2滴、
シークァーサーの生搾りをスプーン大さじ2杯、
そして、小さじ半分の蜂蜜に水を足して、コップ1杯にして、
電子レンジで30秒間あたためて、毎朝の最初の水分としています。
温めるのは、付虹先生の相弟子の女性から、
インドのアーユルベーダの教えでは、お湯が健康に一番、
そう聴いたからです。

そして、親友のAKさんからは、彼が製造販売している水素吸引器、
La Fontaine-9。
市販の何十万もする水素吸引器よりも格段に強力な水素供給メカニズム。
体内の隅々まで血液によって運ばれた水素2個は、
細胞内に入って悪性活性酸素1個を捉えて水となり、体外に排出してくれます。
これをパソコン作業、読書中絶えず使っています。
もちろん今も!

そして、この1年以内に加わったのが、YouTubeのエハン塾で知ったアーシング。
電化製品、とくに電子レンジやパソコン等が発生させる電磁波が
体に余分な電気を蓄積します。
人間は本来電気的存在です。
脳のニューロンは電気的反応で情報を伝達します。
心臓は全細胞が一定の電気的パルスで整調されて、
規則正しい鼓動を生涯続けてくれる電気的メカニズム。
余分な電荷はそうした人間の体内の電気的営みを邪魔します。

そんな余分な電気などなくて、
裸足で大地を踏みしめていた近代以前の人間たちは健康でした。
ところが、第二次世界大戦後、
ゴム底靴が急速に革底靴を駆逐して世界に普及しました。
そのゴム底靴の普及率と癌などの炎症性疾患罹患率とが、
同時期に始まり、同じかたちの上昇曲線を描き始めたことが
統計的に証明されています。
解決法は大地と接触して、体内の余分な電気をアース、ただこれだけ。
アースマットに乗ったら、あるいは、地面に裸足で立ったら、
瞬時にアースされ、大地のエネルギーが流入します。

というわけで、市販のアーシングマットセットを3000円で、
ただの通電性のあるマットとアース用の銅棒とアース線を2000円で手に入れ、
書斎机とキッチンのシンクの足下にセット。
キッチンにセットする男性って、あまり居ないかもしれませんね。
今や主夫化した私ならでは。
そして、効果を確認してから、アーシングシーツを購入しました。
妻は私が見つけた健康法はけっして採用しないのですが、
かなり快適なようで、絶対に「あれは効果がないね」なんて言いません。

そして、頭の体操。
まさしく体操でしかないのですが、
とにかく頭と手指を使って、ポメラで、高速タイピングで文章を書き散らす。
ブログ文は、書き出しのときに、何を書くのか決まっていません。
主題を展開するなんて、奥行きのある作文など普段絶対に無理。
別になにかアピールしたい思想、思いつき、アイデアがあるわけでなし、
指が先行して、なにかを書いていたら、かなりの行数になった、
という接触事故風文章。

けがの功名で、ブログにそんな文章を無添削で掲載すると、
なにしろ文章が多いので、検索にかかる率は普通のブログよりは多そうです。
偶然の訪問者が常時1ページ目を瞥見する確率は数人ありそうです。
でも、どんな方でも、数行読んだだけで、
「ははーん、口から出任せだな。時間の無駄だ、よそう」
と、ブログからさっさと退散してくれることになります。
おかげさまで、私は平和裡に、
頭の体操ブログを一人で楽しむことができるわけです。

そんな日記ブログでも、第三者のアクセス可能にしているのは、
上記のように第三者に扉を開いておくことで、
いわば、みっともない記事は出さないぞ、
という引き締め対策にはなるから。

以上の次第で、
さまざまなエクササイズで体を、
2つのブログで頭を、いつも使うことができます。
他人がどう思うかはさておいて、
自分にはとても有利な、愉快な方法が見つかったものです。
私には使い方が判らないコミュニケーション法が、
フェイスブックだの何なのと(つまり、これ一つしか知らない)、
台頭して、どうやらブログはマイナーになってしまったようです。
だから、エキサイトも、利用者が少ないブログ事業を
整理してしまう危険が高まっているらしいのですが、
できたら、細々でよいから、続けて欲しいものですね。
でも、ポイ捨てされたりしたら、また別のサイトで続けましょう。

人生、いくらでも道はあります。

さて、写真は、大学1年の時まで住んだなつかしの街、
豊中市岡町。
その商店街は私の子供のころの記憶とあまり変わっていません。
ロシアの廉価版広角レンズ、
ジュピター35㎜f2.8を、ソニーα7に付けました。
例の通り、ほとんど腰だめのノーファインダー。

前半の女子高校生たちはおそらく府立桜塚高校の生徒たち。
私が高校生の頃は、とても上品な制服姿で目立っていましたが、
その頃の制服とは違いますが、やはり賢そうな面立ちが多い感じ。
伝統なのでしょう。

私がいつも通っていた書店も、改装されていても、まだ健在。
昔ながらの商店街も懐かしい。
岡町駅で、親友のDAさんと二人で、畏友RAさんと会って、
まず撮影、そして、ゆっくりと食事を楽しみました。
強壮を誇った人なのですが、84歳を超えて、かなり弱った感じ。
近頃、胸に軽い疾病が見つかり、保存療法が効かなくなったら、
軽い手術も見込まれる状態ということで、ますます心配です。
でも、ご本人は晴明な精神を保っておられます。
まだまだ長生きされる、私はそう確信しています。

年はとりたくないものですが、
時は、とりあえず、万人に等しく刻んで行きます。
図書館で、日本画家の堀文子さんの本を見つけました。
「99歳、ひとりを生きる。ケタ外れの好奇心で」
三笠書房
この本のことはまた別に書きますが、
最後の頁の一行に感動しました、

 「息の絶えるまで感動していたい」

この言葉が秘訣ですね。
自分がいつ息が絶えるか分からないのですから、
今、この瞬間にも感動し続ける、これしかないですね。





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# by Sha-Sindbad | 2019-09-16 23:05 | Jupiter35/2.8 | Comments(0)

2114 いつもの街(2018年12月1日ダルメイヤー25mmF1.9が茫洋とメタモってくれた)



新大阪での二胡レッスンの合間にロボグラフィを楽しむ、
これがこの数年の楽しみ。
2018年12月1日、オリンパスE-PL1を持ち出しました。
レンズは、ダルメイヤー25㎜F1.9。
ペッツヴァールレンズの流れを汲む、
ダルメイヤーの小型映画用レンズです。

このレンズを使う度につくづく思います。
これ一本あれば、いいなあ。
ホロゴンという永世の伴侶がいるのに、すっかりそのことを忘れて、
そんな想いがこみ上げてくるのですから、不思議です。

長年、伴侶一筋の謹厳な人生を送ってきたあなたが、
ある日、道でふと見かけた女性になぜか恋をしてしまう、
そんな人生の落とし穴的存在なのかもしれません。

ローマの将軍のアンブローシウスだったと思いますが、
長年連れ添った貞淑で絶世の美女の妻を離縁してしまいます。
友人が尋ねました、

 「なんであんなに賢く美しい奥さんを離縁したんだ?」

アンブローシウスは自分の革のサンダルを指さして、言いました、

 「このサンダル、実は足に痛いんだが、  
  きみは、それがどこか判るかい?」

でも、そんな女性が実のところ、
傍から見れば、なんの魅力もない人である、
なんてこともよくあるようです。
あなたが恋した女性、
傍から見れば、なんの魅力もないように見えて、
実はとても言葉では言い表せないような魅力を隠しているかも知れません。
ということで、あなたも、人生一度きりです、
がんばって恋に落ちてください。
私は神さまが与えてくれた伴侶とずっと一緒にいますから。

レンズでは、時々、
そんな不意打ちの恋いに落ちてしまうのも乙なものです。
ダルメイヤー25㎜F1.9はまさにそれですね。

でも、私が並べた写真をご覧になって、
あなたはおっしゃるかもしれません、

  「どこが魅力なの?
  ただの平凡なボケレンズじゃないの?」

そう、それでよいのです。
お互い、自分の人生の中で、神さまがくれたセンスでもって、
趣味の人生を送るのです。
誰はばかることがありますか?

昔、男がとんでもないことをうそぶくのを傍観して、
呆然となったことがあります。

  「ぼくはねえ、
   二人に同時に恋をすることができるよ、
   ハッハッハー」

そんなアホなあ...
あんた、二人の女性に恋される顔かねえ?

レンズに限っては、何本に恋してもさしつかえありません。
あなたがレンズフェチであれば、
がんばって、魅力的なレンズをどんどんみつけてください。

新大阪で、レッスンの合間に撮った写真を並べてみました。
かつては新興開発地であった街が半世紀でかなり古びただけ、
古都奈良のような風情が醸し出されてきたわけでもありません。
ただ、古びただけ。
でも、ダルメイヤーも私もびくともしません。
どんな平凡な古市街でも、なにかロボグラフィが見つかるものです。
ただし、新興住宅地はごめんですが。





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# by Sha-Sindbad | 2019-09-14 21:23 | Dallmeyer25/1.9 | Comments(0)

2113 妖精の森(2019年4月18日マクロスイター50mmF1.8はフェアリーさえも)



時代は変わりました。
あらゆる点で変わりました。

良い方向に?
国際社会がグローバルに結ばれてしまって、
簡単に侵略、戦争を起こせなくなったことは良いことです。
でも、かつては戦争という手段によって得ていた侵略と略奪を、
現代では、隠微な経済戦略という形で、
スマートかつ徹底的に成功させるようになっただけ。
政府は明らかにしませんが、私は強く疑っています、
現代日本は米経済によってかなり占領されてしまった?
今や、日本は合衆国の属国と言ってもよいほどに?
いつの時代も、経済を手中に収めた者が支配者なのですから。
とすると、日本人にとっては、悪い方向かも?

コマーシャル戦略が史上空前の効果を上げる時代となりました。
モブによる多数決効果、扇動効果がより有効に働くからです。
なんだかみんな使ってる、みんな買ってる、じゃ、僕も?
金のある人がふっと金を使いたくなり、使ってしまう、
自分では、真実その必要があると信じていますが、
実はひそかな販売戦術に乗せられて、それに気づいていないだけ?
そんな魔術が世界に、日本にどれだけ浸透しているか?
誰も知ることができない時代、
そう言っても過言ではないと思います。

こんな時代に一番強いのは、貧乏人です。
私は、だから、近頃、基本的になにも買いません。
レンズとカメラにお金を使いすぎて、すっからかんというだけですが。
私も、かつては、クラシックレンズを巡る幻想を生み出す販売戦略に
まんまと乗せられてしまっただけなのかも知れません。
しかも、未だに幻想から醒めてもいないのですから、
始末に負えませんね。

そうした販売戦略の一つが、
マクロスイター幻想なのかも知れません。
でも、手に取って眺めて、つくづくと思います、
これほどに美しい姿のレンズは稀だなあ!
そして、撮ってみて、また、つくづくと思います、
これほどに香り豊かな画像を生み出すレンズも少ないなあ!

神社森、名付けて「アーシングウッド」で使いました。
そして、つくづくと感じました、
「やっぱり、無理して手に入れてよかった!」
それほどにマクロスイター幻想は深いのかも知れません。
どうやら、幻想よ、醒めてくれ、現実に戻りたい、
そうだ、マクロスイターも売ってしまおう!
そんな気持ちには絶対になれそうにありませんね。





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# by Sha-Sindbad | 2019-09-12 10:16 | MacroSwitar50/1.8 | Comments(5)

2112 とても古風に(2018年11月19日エルマー35mmF3.5大和西大寺から奈良町へ)


ちょっと考えてみたら、当たり前のことなのですが、
人間って、どんどん生まれ、どんどん死んで行きますね。

人間がこの世で活躍する時間は極めて限定されているのです。
気がついたら、カルロス・クライバーもカラヤンも、
マリア・カラスもディ・ステファノも、
グレン・グールドもジャクリーヌ・デュプレも、
みんなこの世を去ってしまいました。
私の人生を豊かにしてくれていた偉大な音楽家のほとんど全員が
行進するかのようにしてこの世の舞台から去って行ってしまいました。

この世から音楽文化が徐々に消え、
音楽興行だけがテレビ、インターネットを彩る、
そんな時代になってしまいました。
マスコミが「稀代の天才」「不世出のアーチスト」と、
口を極めて褒め称えても、
超絶テクニックだけが突出したパフォーマンスでしかなくて、
一世代前の偉大な音楽家たちのもっていた芸術と文化の香り、
深い精神性など欠片もなく、
まして、半世紀以上前までの歴史的な音楽家たちの
神ともまがう次元での創造性など、神話と化してしまいました。
深い心と情感こそが芸術の魂なのに、
競争とパフォーマンスのビジュアル社会にあって、
ただただ超絶技巧だけでしのぎを削る時代となってしまったのです。

すべてにおいて、偉大さは無用の長物となってしまいました。
人間そのものが、その有用性、存在価値、社会的存在理由のレベルで、
ロボットと優劣を比較される時代となってしまいました。

このような基準での比較にさらされるようになると、
ロボットの効用性が飛躍的に向上する時代においては、
情緒不安定な人間がロボットにますます対抗しがたいことになりそう。

たった一つ、次世代の予備軍算出の点をとっても、
手間、時間、費用、効率、すべての面で、
一人の子を産んで育てる20年の間に、
一定の機能と効用を備えた一人前のロボットを何万体も生産できる!
人間はロボットに太刀打ちできる筋合いはまったくないのです。

さらに、人間なら、一日の実稼働時間は7、8時間+αに制約され、
かつ、日曜日、休日、年休等の制約があるのに、
ロボットなら、メインテナンス時間を除いて、
不眠不休で稼働させることができるのです。
あと半世紀もしないうちに、人間は、一部の支配層を除いて、
不要粗大ゴミと化する危険が高いと言えそうです。

私の観るところ、
早晩、この人間排除原理は行きつけるところまで行くでしょう。
つまり、ロボットが自己意識を抱くようになり、資本家も含めて、
人間は全員クビッ、ということになりそう。

でも、奈良の観光ストリートを埋める海外からの訪問者たち、
十中六、七は帽子もかぶらず、平然と闊歩しています。
ロボットもタジタジとなってしまいそうなタフさ。
これに引きかえ、日本人は?
この猛暑に白昼の外出を自制する方がほとんどでしょう。
という訳で、人間が淘汰される地域の筆頭は日本かも?

今回の使用機器は、

 ソニーα7
 エルマー35mmF3.5

旧エルマーの前時代的な特性の塊ぶりには恐れ入ります。
ちょっと古いレンズで遊んでみたいとお考えの向きも、
どちらかと言うと、このレンズ。
敬遠、リストラへの道を真っしぐらかもしれません。





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# by Sha-Sindbad | 2019-09-05 23:17 | Elmar35mmF3.5 | Comments(0)

2110 はんなりと(2019年3月17日ヴァリオペッツ57mmF2神社道から奈良町にほのかに)




現代の稀代のレンズ制作者宮崎貞安さんの最新作の一つが、

  ヴァリオペッツ57㎜F2。

すでに試写を終えて、レビューを書き、お返ししてから約半年経っています。

19世紀を代表するレンズ、ペッツヴァールの現代復刻版です。
宮崎さんのレンズのユーザーがこのレンズにどんな反応を示したか、
私は知りません。
でも、現代レンズを愛用している写真家には、
現代レンズにけっしてひけを撮らない画質を実現しながら、
ペッツヴァールレンズの味わいを再現するこのレンズは、
かなり好評を博しているのではないでしょうか?

一方、私ときたら、
とにかく古びた味わいで、
とにかく写らないレンズを使いたい。
そんな私には、過ぎたレンズでした。

でも、こうしてブログに採りあげてみますと、
やっぱり紛れもないペッツヴァール!
このレンズを手に入れた人たち、
かなり満足していることでしょう。

これは3月17日、自宅から出発して、徒歩で、
神社道アーシングロード、肘塚、奈良町を巡歴撮影したときの成果です。
完全なロボグラフィ集。
宮崎さんがレンズ特性をチェックするのに役立っても、
販売促進には役立たないでしょう。
販促のための写真作例は、
「こんな写真を撮りたかったんだ。
でも、自分のレンズでは撮れなかった。
このレンズなら、撮れる!」
そう思ってもらわないといけません。
私のロボグラフィではねえ..............




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# by Sha-Sindbad | 2019-09-02 23:59 | Variopetz57/2 | Comments(0)

2109(2019年4月15日バルター50mmF2.3が西大寺から奈良町を巡幸されたら)渋い輝き




撮った途端に目覚ましい写真をプレゼントしてくれて、
私の心を最初から揺り動かしてくれるレンズがあります。
パンタッカーやスピードパンクロ。
そんな派手さはないんだけど、
使えば使うほど、渋い輝きが私の心を満たしてくれる、
そんな晩稲のレンズもあります。
ズマロン35㎜F3.5がそうですし、
ボシュロムの映画用レンズ、
そして、今回のバルター50㎜F2.3など、その最右翼、
という感じがします。

様々な味わいを醸し出せる深い土壌があるのが銀塩レンズなのです
私が現代映画を観ることができなくなったのは、
画像にコンピューター処理が幾重にも施されて、
現実空間を一種の幻想空間にすり替えられていて、
観る者にはその区別がつかないという居心地の悪さが主因です。
迫真の場面と見えて、実はただのコンピューターグラフィクスじゃ、
リアリティなどすっ飛んでしまって、ただの漫画でしかない。
私はドラマを見たいので、漫画じゃ、我慢できません。

でも、もう一つの理由があります。
レンズが受け取った画像を、
カメラ本体のコンピューター処理によって、
肉眼を遙かに超えるロボット視覚的な超精密画像に
否応なく修正、変改されてしまうことにあります。
レンズだって、同じようなことをしている、
そう言えばそうなのですが、
私のように、生涯の大半を銀塩フィルムで楽しんできた人間には、
画像化には限度があり、その限度が現代人よりもかなり低い。
それを超えたら、人間のイメージを遙かに飛び越して、
まるでロボットが外界を視覚処理している感じになってしまうのです。

私のように感じている人はとても少ないようです。
銀塩カメラを長年愛用してきた練達の写真家たちが
喜んでディジタルカメラに移行しているのですから。
ディジタル画像への消極意見を聞くことはほとんどありません。
仕事が猛烈にスムーズ、イージーになったうえ、
望み通りの画像を容易に作り出すことができるからでしょう。

でも、Easy come,easy go.
私ははっきり予言できます。
ディジタル時代の写真家は、美術史はおろか、写真史にも残りません。
仕事はできても、作品の記憶を人々の心の底に残すことはできません。

そう言いつつ、私もディジタルに移行してしまいました。
でも、私の場合、写真アートとは生涯無縁、
ただの遊び、ただの記憶ですから、かまわないのです。
でも、銀塩の味わいを少しでも残したい、
という気持ちを失うことはできません。
その方法としては、
① できる限り、アンダーで撮る。
② コンピューターによる画像調整は、
レベル補正によって、写真群の濃度を整えるだけにする。
③ その他、カット&ペイスト、水平処理等、
いかなるコンピュータ処理もしない。

どうせ私一人が観るのですから、
厚化粧しても意味がありませんね。

こうした方針の最大の利点は、取っ替え引っ替え楽しんでいる
銀塩時代の名レンズたちの味わいを損なうことがあまりないことです。
そのレンズらしさが消えてしまったら、意味がありませんね。

過去の銀幕の女神たちはとても自然な容貌でした。
だから、全員、くっきりと個性、人間性、人生がにじみ出た表情。
現代の銀幕の女神たちなんか、どこか人間離れして、
私に言わせれば、化身。
極度に進化した化粧その他のメイキャップ技法と整形手術のおかげで、
人間味豊かな生身の原形は消えて、
本当に人工の女神になってしまって、
個性も人間性も人生も微塵も感じられません。
だから、私には見ていて苦しいし、そのため、記憶もできない。
心になにも残らないのです。

もっとも、これは、私の方に原因があって、歳をとってしまうと、
若い女性を観ても、女性として感じられないからかもしれません。
私の写真の師匠の田島謹之助さんが、
60を過ぎたころ、苦笑しながらおっしゃったことを思い出します、

  「どうも近頃40歳あたりより若い女性を観ても、
   子供としか思えなくなって、困ってますよ」

私もそうなのかも?

どうやら第二次世界大戦前後より前のボロボロのバルター、
ソニーα7に付けても、人肌の味わいをかなり残してくれます。
このレンズ、スピードパンクロ35㎜F2に劣らないなあ、
という感じがしてきました。




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# by Sha-Sindbad | 2019-09-01 11:44 | Bartar35/2.3 | Comments(0)

2108 春霞(2019年4月14日アンジェニュー35mmF3.5をアーシングロードで使ってみた)


本ブログでアンジェニュー35㎜F3.5を採り上げるのは、これが2回目。
アンジェニューには28㎜F3.5という有名レンズがあります。
手に入れて使ってみるまでは、
良く言えば、幽玄レンズの極致、
ありていに言えば、ボケレンズという評判で有名なレンズです。
でも、私が一本手に入れて、使ってみると、
なんのことはない、しっかり撮れるレンズでした。
姉妹レンズの35㎜F2.5も同様の印象。

でも、しっかり撮れる35㎜レンズ、と来たら、
かなり沢山あります。
35㎜という画角自体が元来、
堂々と正面切って寄り切る力士的画角、
と言うと、ちょっと大げさですが、
簡単に言えば、技量が未熟な人でも撮りやすいレンズです。
ぐっと近寄らないと、ただの「超広角で撮ってみました」式に、
だだっ広い写真ががとれるだけという、28㎜レンズより短いレンズたちと違い、
適当に近づけば、広さも深さもそこそこの写真が撮れるからです。

ということで、
ほとんどブログ記事にしていないという事実は、
レンズとしての個性の希薄さのせい、という感じに終わってしまいました。





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# by Sha-Sindbad | 2019-08-29 17:12 | Anjenieux35/2.5 | Comments(0)

2107 古さの演出(2019年4月8日古都唯一の商店街奈良町もスピードパンクロ35mmf2には降参)



E.T.ホールは、人間を支配する空間の力学を研究しました。
私が彼の研究を彼の著書で読んだのは、
私が二十歳台だった頃のことです。
その後、彼自身、あるいは後継者たちが
どんな風に彼の研究を発展させ、改良していったか、
私は知りません。
私の知見はもう完全に旧式になってしまっているでしょう。

これはどんな人にも起こることですね。
自分の非専門分野なら、知識の更新が起こる可能性は極めて低いから、
それも当然ですが、
自分の専門分野だって、同様です。

でも、そうした専門領域での変化、改訂は、
必ずしも改善ではないかも知れません。
単に時代が変わっただけかも知れないし、
誰かが横車を押して、歴史の鼻面をぐいと向け変えよう、
としているだけかも知れません。

分かっていることは、
どのような知識、知見も永遠ではないこと。

時代は低きから高きに、悪しきから良きに、
流れに沿って変わっていくわけではありません。
人類史を通観しても、短い黄金時代と長い暗黒時代、
そしてその中間のハイブリッド時代、
と、さまざまな振幅、サイクルで時代は変化してきました。
現代は果てしない暗黒時代に向かって
半永久的に下降していくさなかかも知れません。
人知の到達の最高点にすでに達して、
今まさに暗黒時代のどん底にあり、
人知の最低点に向かって下降を開始したところかも知れません。
あるいは、6千万年前と同様、
NASAが危惧している小惑星、彗星が明日にでも地球大気圏に突入し、
何万年もしくは何十万年もの長きにわたる種の絶滅状態が始まるかも知れません

そんな瞬間的カタストロフィではありませんが、
同じくらいに人類に致命的なクライシスをもたらす危険性が増大しつつあります。
すでに幾度も書いていることですが、
現代人は、自身を包み込む地球の生態系をガンガンと破壊しつつあるからです。

地球生態系は今や単一系になりつつあります。
複雑なパーツに分かれていますが、
最終的には他のすべてのパーツに波及効果をもたらす、そんな閉鎖系。
平穏な閉鎖系に会っては、
最高点に位置する人類から最低の生物たちに至るまでの階層が
バランス良く持ちつ持たれつの関係を保つことによって保たれます。

この生態系を途中で切ってしまったら、
生態系全体に致命的な波及効果をもたらすのです。
人類が今やっているのは、まさにそれ。
十数年前、地球の人間環境拡大にともなって、
地球全体で毎年4000種の動植物等の生物が絶滅しつつあると読みました。
少なく見積もって、そんな状態になって、
現在10年が経過していると仮定してみましょう。
40000種の生物が滅滅しまった計算になります。
もちろん私たち人間を取り巻く生態系は
既にずたずたにされてしまっているのではないでしょうか?
そんな風に考えると、ぞっとしてしまいませんか?

その元凶は世界を股にかけて支配権に納めつつある大企業にあります。
大企業は、別に人類を基本成員とする必要がないのです。
彼らは私たち人類との別のレベルのオーガニズムなのですから。

話は大きく逸れてしまいましたが、
私が書きたかったことは、
E.T.ホールの空間心理学のことです。

ホールは小学校のお昼休みタイムの校庭を映画に撮って研究しました。
その結果、小学校3年生の女の子だったと思いますが、
校庭空間を縦横無尽に駆け回る彼女に、
校庭の子供たちがリードされて、
動きを変えていたことが分かったのです。
この研究がどのように理解され、発展させられたか、私は知りませんが、
私のような素人でも極めて重大な意味があることが分かります。
ある集団をリードしコントロールしたい者は、
その集団をリードする成員を見つけ出し、
その成員をコントロールすればよいのです。

今、世界の大企業たち、その息がかかった政治家たちがやっているのが、
まさにこれです。
大衆のことなど、誰も考えていません。
マスコミ操作でどうにでも動かせます。

この原理をしっかりと把握していたのが、
ローマ共和国、帝国軍の軍団とジンギスカンのモンゴル軍団でした。
ローマの軍団は10人隊長、百人隊長、千人隊長、万人隊長と、
体系だった指揮系統を組みました。
モンゴル軍団も十戸長、百戸長、千戸長、万戸長という、
まったく同じ規模の組織化を図ったことは面白いですね。
どちらも、ヨーロッパ、アジアで未曾有の帝国を築いたのですが、
その原動力はそうした合理的編成によって、
兵士たち、国民を駆使して生み出した、想像を絶した機動力にありました。

ローマ帝国はすみずみまで、戦車の軌道を備えた平坦直線の街道を整備しました。
帝国のどこに侵略が起こっても、電撃的に対応できたのです。
モンゴル帝国軍の電撃戦の鍵は、街道の代わりに、
道なき草原を駆け回る、小型ながら耐久性抜群の強靱なモンゴル馬。
兵士たちは疾駆する替え馬に適宜飛び移りながら、
馬上で食事、排泄、睡眠をとりつつ遠征し、
被侵略国側の予測を遙かに超えて素早く奇襲を果たしました。
しかも、種々の人種の商人密偵が侵略地に先行し、
現地の情報をあらかじめ正確に調べ尽くし、
その情報に基づいて行動したのですから、無敵でした。

余談になりますが、日本に襲来した蒙古軍は、
上記のアドバンテージを2つながら使えませんでした。
つまり、日本は大海に守られた島国で、
しかも山と谷で分断された国土であったため、
日本の状況をあらかじめ隠密調査することができず、
無敵の騎馬軍団も使えなかったわけです。
ですから、日本だけが無敵モンゴルをはね退けたと言っても、
土俵の中でがっぷり四つに組んで戦ったわけではないので、
元に征服された他の諸国とは同列に論じることはできないわけです。

閑話休題、
実は、私の孫プリンセス1号も保育園生ですが、
そんなリーダー的存在のようです。
どうやら誰よりも速くみんなで遊ぶ方法を提案するようです。
ピアノレッスンに行くため迎えに行った際に外から眺めると、
園庭では、めまぐるしく駆け回っています。
リーダーは体力が居るのです。
私の孫プリンセス1号も気力体力十分です。
2歳延長のお兄ちゃんもすでに半ば支配下に置いています。

近頃一番楽しんだ韓流ドラマが「ミセン(未生)」。
なんと商社を舞台とするこのドラマにもそんなリーダーが登場します。
性質上、地味そのものですが、なんとこれが波瀾万丈なのです。
韓流ドラマの脚本作者たちの調査力、総合企画力は並大抵のものではありません。
まるで商社マンたちの本物の戦争が眼前に展開するかのようです。
(もっとも私も商社、どころか会社にも入ったことがないので、想像)

ドラマの中核は一つの課の課長とその部下3人。
この課長、熱血果断に難局を乗り切っていきます。
ベテラン社員と、高卒の新入社員が
それぞれ心血を振り絞って課長を支えるのです。
課長が利己的小心、事なかれ主義の並の商社マンだったら、
3人の部下も必死に参与、協力することはなかった!
小チームの協力態勢はこんな風に築き上げ、活動するものだという、
見事な理想型を展開してくれるのです。

課長を演じているのは、イ・ソンミンという役者です。
ただの脇役から一躍万華鏡的な万能演技俳優に変貌を遂げた名優。
彼が主演もしくは重要な助演を務めるドラマをいくつか観ましたが、
すべてにおいて、まったく別人のように変身しています。
イギリスの偉大な役者サー・ローレンス・オリビエ、
アレック・ギネス、ピーター・オトゥール、
フランスのジャン・ルイ・バロー、
アメリカのオーソン・ウェルズ、
このような名優中の名優の域に近づいて行くのでは?
そうまで思わせられるほどの名演です。

もちろん、名優の業績って、名監督あってのことかも知れません。
誰がリーダーか、神のみぞ知る、ですが、
とにかく人間の素晴らしいパフォーマンスの裏には、
素晴らしい演出家的存在がいるものです。
自分自身かも知れませんし、黒子的存在がそうなのかも知れません。
一つ言えることは、それが誰であれ、非凡な才能が絡んでいるからこそ、
人間の優れたパフォーマンスが実現します。
それが人間の力学、というものかも知れません。

私のような平凡な路傍写真においては、
名レンズたちが名演出家、名優の仕事をしてくれます。
私にとって、ホロゴン、パンタッカー50mmF2.3に次ぐ夢レンズ、
スピードパンクロ35mmf2がそんな役割を軽く果たしてくれました。




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# by Sha-Sindbad | 2019-08-27 18:43 | SpeedPanchro35/2 | Comments(0)

2106 号外!(2019年8月16日奈良町、神社道を仮面のホロゴンが駆け抜けた!) Gフィルター



我が家の近くの神社に見つけた散歩道、
森に入った瞬間、帯磁していた私の体はすっと浄化されます。
私のためのアーシングロード、こう名付けて、
春から毎日のように通っていたのですが、
夏になると、さすがに外出の用がないと、出かけるのは億劫ですね。
今回の写真はまだアーシングロードの散歩を始めた頃考えたこと。

ここに来はじめて、何日になるでしょうか?
と言っても、ただの修辞、
知ってどうなるものでもなし、
別に知りたいとも思いません。

でも、一つ、知りたいことがあります。
散歩中、あるいは、アーシングロードのベンチでポメラ中、
(ポメラが動詞形でも使うことにしました。
「ポメラする」は、ポメラによるブログ文製作行為を意味します)
かなりの人、と言っても、数十人程度、に出会いました。
たいていはかなりの年配の男女。

その中で、私に関心を抱いて顔を向け、
気持ちよく挨拶して、談笑したのは、何人居たと思いますか?

   10人?

とんでもない!

   3人?

まさか!

   0?

そこまでひどくはありません。
正解は、そう、

   1人!

60年配の男性でした。
「何、撮っているんですか?」
にこやかに問いかけていました。

他人の行動に関心を持つ。
にこやかな笑顔を他人に向けることができる。
心を開くことのできる人の振る舞いですね。

正直なところは、たった1人しかいないの?
というところです。

好意的に解釈する限り、
林間道を散策するのではなくて、
ベンチに座り込んでワープロを使う人になんか、
生涯に出会ったことがないので、
不気味に思う方も多いかも知れません。
「変な人には絶対に関わらない」
これが現代の人間関係の鉄則かもしれません。

それに多くの方は、未知の人間に出会って、
その瞬間になんらかの重要な関係を結ぶきっかけを作る、
という関係、立場に立つことが生涯あまりないかも知れません。
だから、未知の人間と親しく言葉を交わすという習慣を持たないようです。

私は、外商関係ではありませんが、
日々、というより、もしかすると、瞬間瞬間、
そんな関係を結ぶためのイニシャティブをとる、
という人生を送ってきたので、
そんな状況に慣れっこになっている、
そのため、平気になっているだけかも知れません。

もちろん仕事のときでも、そんな方が私の目の前に来るのですから、
心をほぐしてあげる必要があります。
例外なくいつも私がケアして人間関係を新たに築く、
という状態でした。
散歩中にそんなことをする立場に立てるわけもありません。

そこで、私が「おはようございます」と声を掛けると、
しぶしぶ挨拶を返す人が50パーセントでしょうか?
ごにょごにょ、と態度を濁しながら、通り過ぎる人が30パーセント、
身を固くして無言で通り過ぎる人が28パーセント、
気持ちよく言葉を返す人が2パーセント、
という程度でしょうか?
(この数値は、私がすでに50人とそんな関係に立ったと推計してのことです。
気持ちよく反応してくれた人はたった1人なので、
2パーセント、というわけです)

さまざまな国で一人で歩きました。
山野を跋渉することもあれば、
スラムの狭い路地をくぐりぬけることもありました。
私は語学が不得意なので(と言って、得意な学問があるわけではありませんが)、
一人で長期滞在して、路地から路地へと撮影して回る、
というスタイルの旅がかなりありましたが、
どこの国でも、私の挨拶に対して反応する人としない人の比率は、
95パーセント対5パーセントでした。
つまり、どこでも、返してくれる人がほとんどでした。
笑顔で返してくれる方もかなり多かったという印象。
日本でも、都会の路地に行けば、田舎に行けば、同じ比率です。
みんなあたたかく返してくれます。

どうやら人口稠密で、絶えず移動することで、
現地人的な生活がほとんどできない人が増えていて、
そんな人たちは「他人を見れば敵と思え」的反応を
自然身につけてしまうのかも知れません。
それが正しい人生訓なのかもしれません。
私のような人間はあっという間にだまされ、
身ぐるみ剥がれることになるのかも?
日本文化も落ちるところまで落ちた、そんな感じがします。
悲しいことです。

さて、今回は特別のニュースがあるので、最新撮影分を割り込ませました。

 ソニーα7
 ホロゴン15mmF8U+Gfilter

相変わらず私の定番セットです。
何が号外なの?
Gフィルターを初めて付けたのです!

Gフィルターって何?
グラデーションフィルターです。
ツァイスがホロゴンウルトラワイドのために作ったフィルター。
周辺光量が中心の1/8しかないので、四隅はほぼ暗黒に近い状態。
そこで、光量調整フィルターを特製したのです。
周辺から中央に向かってなだらかに厚みを増す円盤状に、
ガラスを削ったのだそうです。
この厚みが中心部に入る光を少なくして、
周辺光量の減衰を軽減したのです。

私は十数年間、絶対に使いたいとは思わなかったアイテム。
周辺光量の落ち方がホロゴン独自の雰囲気を醸し出してくれるからです。
でも、ソニーα7のようなデジタルカメラは、
実のところ、15mm超広角には対応していないようです。
周辺光量落ちがさらに激しくなるだけならまだしも、
四隅の画質も目立って劣化してしまうようです。
Gフィルターも当然画面全体の画質を劣化させますから、
いわば二重苦を背負わせる感じがします。

でも、最近、画質と周辺光量の二者選択の問題だ、
そう気づいたのです。
画質劣化は覚悟して、周辺光量はせめて軽減したい、
それがデジタルカメラの作法じゃないか!

こうして初めてGフィルターを使ってみたわけです。
私としては、大成功、これからは頻繁に使ってもいいんじゃない?
でも、画像が少し眠いのが気になります。
今日は歯医者さんです。
今回は同じ場所をGフィルターなしで使ってみましょう。
フィルターが画像に影響を与えていないかどうか?
ちょっとチェックしてみましょう。
常用するかどうかは、それからの思案、そんな気持ちです。





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# by Sha-Sindbad | 2019-08-22 10:21 | Comments(0)

2105 超々精密描写(2019年4月5日奈良神社道ならパンタッカー50㎜F2.3にお任せあれ)時代遅れに?




私は、マックに向かって、
文章を書いたり、写真をブログ掲載用に小型化したりしているとき、
必ずYouTubeやCDで音楽を鳴らしています。
まさに「ながら族」

今日は久しぶりに脱帽したくなるような演奏に出会いました。

 Pepe Romero: Concierto de Aranjuez ( Joaquin Rodrigo),
 Recuerdos de la Alhambra ( Francisco Tarrega)

 https://www.youtube.com/watch?v=QPcjtg6FvX8

私はあまりギターは聴きません。
愛聴するのは、朴葵姫(パクキュヒ)さんだけ。
でも、このペペ・ロメロという人、
まったく未知の人ですが、
「巨匠」と呼びたくなるような風格の演奏家ですね。
音一つ一つに表情があり、迫力があり、「凄み」を感じます。
この世には、こんな演奏家も居るんだなあ、
そう讃歎の思いを感じさせてくれる芸術家でした。

ギタリストの演奏をYouTubeで視ることはあまりないので、
ようやく、一つ気づいたことがあります。
ギターの穴の直前に、小さなマイクがセットされているのです。
どうやら広いコンサートホールに隅まで音を通すために、
マイクで増幅しているのです。
他のビデオでは、ギター本体に配線したりしています。
これまでギターの前にマイクロフォンがセットされていても、
録音用だとばかり思っていました。

二胡は、世界的な楽器に昇格するためには、
マイクを使わなければ音が遠くに届かないことが障害、
これまでそう考えていたのです。
でも、ギターでも、大コンサートホールで、
オーケストラをバックに演奏するときは、
マイクで増幅しているようですね。
とすると、二胡にマイクを使わなければならないことは、
別にマイナスでもないということになりそう。
むしろ、忍びやかなサウンドの質でもあり、
中国音楽を超えて、他のジャンルの音楽に使う可能性が
まだまだ薄いせいなのでしょうね。

それにしても、この人はなんだか凄い。
アンコールの「アルハンブラの思い出」も、
巨匠にふさわしい風格のある音楽となっていました。
なんだかセゴビアの域に近づいている人なのかもしれません。

私はギタリストの世界などほとんど知りません。
ちょっと噴飯物の表現をさせていただきますと、
私が知らないのに、凄い世界があるのだ!

これと似た体験を近頃しました。
親友のWKさんがメールに添付した近作を拝見して、
びっくりさせられてしまったのです。
デジタルカメラ、デジタルレンズの写真表現は完全に肉眼を超えていた!
最近の映画には、遠くの大光景の一点に向かって、
あたかもカメラが宙を飛ぶように接近し、
そのまま、主人公の顔一杯を画面に大写しする、
というシーンがあるようです。
たった一本のレンズでそこまで超接近できるわけがないので、
コンピューター処理なのでしょうけど、
WKさんの写真を見る限り、それに近いほどに超拡大できる!
そんな気がしてきました。

私のお気に入りの古いレンズたち、
もちろんソニーα7のようなデジタルカメラを使っていますが、
上記のように超々精密描写など絶対にできません。
私は、マクロ描写は別として、通常のシーンでの撮影では、
肉眼で見えるほどの精密感があれば十分。
肉眼を超えるような精密描写はとても生理的に受け付けません。
ですから、「とても好きになれない」と返信しておきました。
いつもの癖で、思ったことは隠さない。
親しい人にお世辞が言えないのは、問題かも知れませんね。

でも、WKさんの近作を眺めてつくづく思ったのです。
こんな画像で撮るなんて、銀塩時代には絶対無理でした。
とすると、これは一種の視覚的奇跡かも知れませんね。

若い頃聞いた話を思い出しました。
放火事件が発生すると、捜査官はさっと現場に急行して、
消化作業を見守る見物人たちを一人一人撮影したそうです。
同種の放火事件が発生するたびに、この作業を重ねます。
そして、共通の顔を探しました。
同じ顔が2度見つかると、容疑者のリストに加えられ、
さらに見つかれば、
その人物が居合わせた放火事件に関わっている容疑濃厚、
と言うわけです。
でも、放火事件が発生するのはほとんど日没後から日の出前。
昔の銀塩フィルムではいくら増感しても、
粗粒子で判別困難でした。
現代では、超増感しても、ビシッと精密描写できます。
ビデオもかなりの精度で撮れるでしょうから、
動き方、視線の走らせ方、表情なども捜査の資料となります。
各種事件捜査で絶大な威力を発揮しているかも知れませんね。

というわけで、現代のカメラは警察の方に利用していただき、
私は、銀塩フィルム時代の粒状性を追求しましょう。

でも、今更ながらですが、
超絶精密写真の現代においては、
私のボケ写真なんか、
子供の日光写真(知っている人は少ないかな?)程度のお遊び、
あまりに稚拙で、
とてもとても芸術表現の道具には使えない、
そう感じる方の方が圧倒的に多いのでしょう。
今誰も来なくなったのは、あんまり古臭すぎて、
見るにたえないと感じてしまうせいでしょう。
どうやら時代遅れの前代の遺物に成り果てようとしている、
そんな感じがしてきました。

というわけで、一人楽しく、さらに日記に加えるべく、
今回の写真に移りましょう。

定番です。
アストロ・ベルリンのパンタッカー50㎜F2.3
ソニーα7に付けています。

このセットで上記のような超精密写真なんか撮れません。
もっともソニーα7の設定をいじれば可能かもしれません。
でも、私はクラシックな好みなので、
カルティエ=ブレッソンや木村伊兵衛が撮ったような、
ちょっと粒子が見える、そんな写真を撮りたいのです。

セバスチャン・サルガドの作品集を持っています。
たしかニコンを使っている人だと思いますが、
この人の写真、レジェンドと言いたくなるような、
伝説的物語性に富んだ画像なのですが、
カルティエ=ブレッソン、木村伊兵衛の写真には
絶対に見つからないような超々精密描写です。
だから、一目見て感嘆、驚嘆し、
二度観たいという気持ちにならないので、
書棚にしまい込んでいたわけです。

超々精密描写の写真をばりばりと撮りまくり、
Photoshopでさらに神話的なまでに光彩陸離たる作品を
さらりと創造できる人たちから観たら、
私のボケ写真なんて、お笑い草でしょう。
でも、よく考えたら、人間も写真も、
こんな風にして、世代の交替が繰り返し果たされるのでしょう。
もっとも、そう感嘆に時代遅れになるつもりはありません
私は最後まで私の時代を生きるので。




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# by Sha-Sindbad | 2019-08-18 14:46 | PanTachar50/2.3 | Comments(0)

2104 静謐(2019年8月13日フォコター50㎜F1.5がアーシングウッドの気を捉え)



フォコター50㎜F4.5

ライカが用意した引伸機フォコマート用引伸レンズ。
引伸レンズのキングとして知られました。
カルティエ=ブレッソンや木村伊兵衛の名作群も、
このレンズによって作成されたのではないでしょうか?

でも、この名を聴いても、
デジタル時代の写真家はちらっとも関心を示さないでしょう。
すでに、理想のカメラシステムで重武装しておいでになるから。
これを使えば、撮れない時間、撮れない空間はない、
しかも、畳一枚ほどの大伸ばしをしても、粒子など見えないほどに完璧な画像。
これをPhotoshopでさらに念入りに画像処理をしたら、
現実空間を遙かに凌ぐ光彩陸離たる作品を創造することができるのだ。

写真史で偉大な写真家とされる誰をとっても、
私よりも凄い画像なんて撮れなかった。
写真史はゴミ箱にポイしちゃってもいい。
私の作品がすべての名作を遙かに凌ぐことは明らかなのだから。
そうお考えの写真家の皆さんはかなり多いのではないでしょうか?

私は写真史をポイしちゃう気持ちは微塵もありませんが、
人間世界の真実を見事に写し取った偉大な写真家たちの系譜、
一時代を画した写真芸術の時代はすでに終わった、
そう確信しています。

現代のデジタル写真芸術は、それが芸術であると仮定しても、
過去のフィルム写真とはまったく別個独立の表現形式と言うべきです。
一連の画像処理はまさに現実を完全に変容して、
異次元、異相の幻想画像を創造するのですから、
これは完全に異質なプロセスです。
油絵、エッチングのようなアートと同列、同次元の、
ビジュアルアートであって、
なまじリアルな画像を土台にしているために、
油絵、エッチングよりもさらに人間的真実から離隔する、
幻想表現の芸術となりつつある、そう私は考えています。

私は、成人後の半生にわたって、写真を愛してきましたが、
写真家として自分の作品の表現世界を問いたい、
と考えたことは一度もありませんでした。
写真展こそ数回参加しましたが、
私の気持ちは、自分の作品を提示することにはまったくなく、
友人たちと共同作業をする楽しさを味わいたいという気持ちでした。
自分で撮る写真は、終始一貫として私の記憶のよすがでしかないと、
自分でしっかり悟っていたからです。
自己表現の質を世に問うため、
人に見せる写真アートを創造したいという気持ちなど、
いつの時代にも皆無でした。

古いレンズを味わうというプライベートな楽しみ一点張り。
古いレンズを使うと、正確な色再現などとても期待できません。
私の2つのブログも、色再現の正確性など無縁の写真が並びます。
私は平気ですが、見る人は我慢できないでしょう。
「この人、Photoshopの使い方も分からないんだから、
とんでもないど素人だねえ」

実のところ、今更ながらの白状ですが、
私は、自分に芸術的才能など一欠片もないことを自覚しています。
だから、はなから写真家志望など無縁。

音楽、美術を趣味にする方は多いようですが、
生涯専門家として生きる志を立てて、
幼い頃から一心不乱に努力を積み重ねても、
本物のアーチストとして世に認められるのは至難です。
写真でも同様でしょう。
人に感動を与える写真作品を生涯創造し続ける正真正銘の芸術家は、
日本中を見渡しても、おそらく1世代に10人ほどでしょう。
まして、ピカソ、マチス級の真に偉大な芸術家となると、
さて、100年に1人も居るでしょうか?
(いや、一人もいない、そうおっしゃる方もいるでしょう。
でも、私は少なくとも一人、カルティエ=ブレッソンがいる!
そう信じています。だから「1人」)

もちろんアマチュア写真世界があり、
正真正銘の芸術家でなくても、写真表現を楽しむことは、
人生の楽しみとして許された趣味の中でも最高に楽しいものである。
そう言っても良いでしょう。
でも、私は、そのような慎ましい趣味のレベルにさえも
届いていない方がかなり多いのではないか、と疑っています。

20年ほども昔、写真クラブに所属していた頃、
「カルティエ=ブレッソンなんかすでに乗り越えてしまった!」
そう豪語するメンバーがおいでになりました。
自分はろくでもない写真しか撮れないのに!

現代のデジタル写真家の中には、プロもアマも問わず、
同様の気持ちの方が数知れずおいでになるだろうと推測します。
ネットでも、
私同様に、ただカメラに撮ってもらった写真を並べるブロガー女性、
カルティエ=ブレッソンの写真を見て、したり顔で一言、
「まあ、これなら許せると言ってもよいかも知れませんね」

最近もどなたかが書いていました、
「カルティエ=ブレッソンはどうして
あんなぶれたりぼけたりした写真を作品として平気で並べて居るんでしょう?」
この人なんか、最初から分かっていない。
そして、自分が分かっていないことに微塵も気づいていない。
初めてカメラを手にした人でも、ただシャッターを押せば、
曲がりなりにも写真が撮れる時代の人が言いそうなことです。

でも、どんな場合でも同じ事が言えます。
「easy come,easy go.」
と言うと、ちょっと的外れかも知れませんが、
「悪銭身につかず」にちょっと近い感じ。
昔から、あらゆる業は長く苦しい修練によって身に付ける、
これしか方法はありませんでした。
でも、現代のコンピューター技術は、
そうした修行、修練の道とはまったく異なる補完技法を
人間にプレゼントしました。
でも、ただの補完です。
コンピューターで絵を作っても、あなた任せに過ぎません。
でも、イージーな道を辿る限り、高い丘に登ることはできません。

あなたが、本物のアーチストへの道を歩んでいるか、
それとも、ただのデジタル疑似アーチストで満足しようとしているか?
簡単なテストがあります。

どんな処理をしても満足できる結果を得ることができなかったとしましょう。
そんなとき、あなたは次のどちらの方向に努力をしようと考えますか?

① もっともっと歩いて、もっともっと素晴らしい光景を見つけて、
最高の写真をスパッと撮れるようになろう!

② 画像処理ソフトをもっともっと活用して、
凄い作品に仕上げる技術を高めよう。

私は、はっきり予言できます。
①の人には希望があります。
でも、②の人は早晩飽きてしまい、
スパッと別の趣味に移ってしまうでしょう。

プロ、アマを問わず、銀塩の写真家の多くが
究極のデジタルカメラ、究極のデジタル処理に移行していきます。
でも、そのお陰で、彼らの芸術性ははっきり下降線を辿っています。

最近も、かつて、ハノイのようなアジアの都市のたたずまいを
ハッセルSWCで見事に活写していた写真家の近作を
奈良市写真美術館の特別展で拝見しました。
ケバケバしく毒々しいデジタルカラーにのけぞってしまう、
そんなデジタル画像が並んでいました。
銀塩写真時代に横溢していた凜とした気品も静謐な空気感も完全に消え去って、
デジタル色だけが画面から毒々しく飛び出してきて、
私の気持ちを逆撫でする、そんな疑似アートでした。
この人は完全に行き詰まっている、
私はそう感じました。

男と一緒。
色に溺れたら、写真家もお終いですね。

私は、いつも書きます「5つのノー」で撮っています。

ノーメイキング(やらせ、加工しない)
ノーウェイティング(見た途端に撮る)
ノーシンキング(感じたら即座に撮る)
ノーファインダー(ファインダーをのぞいて構図を作らない)
ノートリミング(撮ったままの画像を楽しむ)

私は、カルティエ=ブレッソンに倣って、画像の外側に白枠を入れていますが、
これは撮ったままを意味します。
現在はデジタルカメラですが、
画像補正はレベル補正で、ブログ掲載写真の濃度を整えるだけ。
それでも、デジタル色に勝手に変換されてしまいます。
悔しいし、つまらない。

私のような気持ちの人はまだ健在です。
たとえば、私の親友のRAさんやDAさんは、
今でも銀塩フィルムで撮っています。
私の写真の友人である写真家の林孝弘さんや前田義夫さん、
3月まで師事していた写真家の吉田正さんのような優れた作家は、
今では、デジタル一眼レフで撮り、Photoshopでプリントしているのに、
銀塩時代と変わらない高雅なモノクローム作品を製作しています。

それぞれの人生、それぞれのセンス、芸術観の違いなのでしょう。
でも、私は、上記のような気持ちを譲歩させるつもりはまったくありません。
一口で言えば、
カメラとPhotoshop、この2つのギアを使いこなすとしても、
Photoshopによる加工を優先する作品には無縁の人生を歩みたい。

今回の写真は、フォコター50㎜F4.5による、
神社道アーシングウッドのロボグラフィ。
深みのある表現には、静謐の空間の気を感じるほど。
これはやはり一角の名玉なんだな、と納得。

銀塩時代にも使いました。
他のレンズとは完全に異質、と思えるほど、
重厚な厚みのある写真で、私など、はっきり辟易させられました。
でも、不思議に、ソニーα7で使うと、
過剰気味の重厚感が後退して、
暗部の描出に長けているせいでしょうか、
ライカらしい空気感とまずまずの存在感を醸し出してくれる、
かなり信頼性の高い道具、という印象が強くなってきました。
銀塩フィルムよりもデジタル画像に適した性格のレンズなのでしょうか?
とにかく、これならロボグラフィに安心して使えそうです。





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# by Sha-Sindbad | 2019-08-14 21:35 | Focotar50/4.5 | Comments(0)

2103 幽遠に(2019年3月31日スピードアナスチグマート20㎜F1.5がアーシングウッドで)



8月になってしまいました。
本当に月日の経つのは早いものです。
でも、はっきり言えることがあります。
時間は人によって長短が違います。
そのとき、そのときの心理状態によっても違います。
期待しているなにかを待つときが、一番時間の経つのが遅いものです。
そうすると、いつもなにかを期待して待つのが良い、
とは決して言えませんね。
待つ時間は私たちになんの実りももたらしてくれないかもしれません。

時間の一番実りがよい使い方は、なんと言っても、
「時間の経つのも忘れるようななにかに没頭すること」
これでしょう。
つまり、いつも何かに心から没頭するのが一番の生き方、
それが私の考え方です。

だから、朝起きてから夜眠りにつくまで、
どの瞬間も自分が本当にしたいなにかをし続けることにしています。
一杯そんなものがあります。
でも、その中で何が一番か?
そう尋ねられますと、やっぱり次のことですね。
「なにかを考え、その考えを書き記すこと」

「本当にしたいなにか」は他にいくらでもあります。
ホロゴンでロボグラフィを撮る。
妻や友人とおしゃべりすること。
孫と遊ぶこと。
歩きまわること。
楊琴、リコーダー、二胡を演奏すること。
本を読むこと。
韓流ドラマや名画を観ること。
etc....

在職中は毎夏一人で海外を旅行することも大切な楽しみでした。
引退して、たった一回だけ旅行しました。
西遊旅行社の秘境ツアー。
もうこれで良いな、そう思いました。
1日に延々8時間もバスを飛ばす、なんてスタイルはもうごめんです。

妻は果てしなく旅を楽しんでいます。
近頃は船の旅を楽しんでいるようです。
留守宅を預かる私と我が子たち(猫ですが)なんか、
どこが面白い?、そう言い合っているのですが、
ご当人、なんだか「さまよえるオランダ人」の子孫らしく、
ますます活き活きとなってご帰還なさるようです。
その間、私はポメラでバンバンと文章をたたきまくっているわけです。
この落差が我が家の妙味、というわけです。

でも、神様は温かく配慮なさってくださるようです。
私は、子供の頃から、少しもお金を必要としない人間でした。
欲しいとも思わない。
だから、資産を蓄える、なんて、
冗談にも頭に浮かんだことがありません。
収入の可能性で職業を選んだこともないし、
在職中も、私は妻からお小遣いをもらって、
その枠内で余暇を楽しんでいました。
そんな人間ですから、
裕福な人間の裕福な生活を羨ましく思ったこともありません。
手持ちの金で買える範囲で十分幸せ、ということでしょう。
実りのない野心も羨望も心に浮かばないので、
余分な神経を使わなくて済みます。
平凡だけど、誰にも遠慮しない人生を生き続けてこれた感じがします。

そんな私にとって、至福の楽しみの一つが、
まだ資金的余裕があった時代に集めたレンズたちとのお付き合い。
今回、アーシングウッドに持ち出したのは、
ダルメーヤーのおそらく16mm用レンズ、

  スピードアナスチグマート20mmF1.5

ボケレンズとして定評のある25mmの弟分のようなレンズです。
描写性はかなり似ています。
穏やかで、茫洋としています。
私の好みです。
明快、華麗よりも、
温和で、幽遠に。



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# by Sha-Sindbad | 2019-08-09 21:26 | Sp.Anastigmat20/1.5 | Comments(0)

2102 (2019年3月29日ダルメーヤー25㎜F1.9が奈良の神社森でアーシング)



先日、インド料理店で、妻と二人で私の誕生祝いをしました。
と言っても、「Happy birthday to you」なんて歌うわけでなく、
ただ食事を頂いただけなのですが、面白いことがありました。

そのインド料理店、一ヶ月ほど前に開店したばかり。
私はインド料理店を見つけると、必ず入ります。
ナンが大好きなのです。
韓国料理店と双璧でしょう。

昔、西遊旅行でカラコルムハイウェイ、フンザのジープ旅行を
楽しんだことがありました。
もちろんインド料理が主体となるのですが、
一番嬉しかった思い出もインド料理のことでした。

エピソード1

田舎町の料理店でランチを頂いた後、
一人、近くを撮影するため店を出ようとしたときのこと。
ふっと入り口近くの地面に目をやりますと、
私たち一行のランドローバーの運転手たち5人の車座。
砂漠をラクダでわたるアラビア部族民のように、
パキスタンのカラコルムハイウェイや山岳地帯の悪路を
まるで平地のように楽々とすっ飛ばすジープ野郎たち。
回教徒ですが、ヒンズー教徒並に階級差が厳然と存在するそうで、
ランドローバーの運転手たちは最下層カーストだと聴きました。

そのリーダーがにっこり笑って手招きして、車座に招待してくれました。
これは私も同程度のカーストと見抜かれたこともありそうですが、
私が運転手たちといつも対等に挨拶、笑顔を交わしていたお陰でしょう。
いつものことですが、私は、一家の伝統で、階級差など認めず、
職場でも部下たちにも、そして目上にも、
常に対等のスタンスで付き合う人間でしたから、
運転手たちの輪に入って、砂だらけの地面に腰を下ろすのも平気。

隣の男が私にナンを手渡してくれました。
例の通り、不浄の左手を使わずにだったと思いますが、
私の方はもしかすると、その左手でうけとったかも知れません。
でも、右利きなので、ナンを右手でちぎると、
車座の中央に置かれた小さな皿にナンを突っ込んで頂きました。
そのおいしかったこと。
旅の間、挨拶以外には、一言も会話を交わすことはありませんが、
人間関係、本当は、言葉など不要ですね。

エピソード2

この旅では、もう一つ、ナンについての懐かしい記憶があります。
カラコルムハイウェイの西側の山中にジープで這い上り、
何泊かしました。
今でも忘れることのできない、魂のふるさとのような山間の里に一泊。
早朝の谷間の村の展望はさながら桃源郷でした。

アフガニスタンからの亡命者たちのナンの店に入りました。
巨大な釜の内側に大きなナンをベタンと貼り付けます。
ごうごうたる炎。
しばらくして出来上がったナンは座布団ほどもある分厚いナンでした。
一切れずつ私たちに手渡してくれました。
この出来立て熱々のナンのおいしさは格別でした。
一生、忘れないでしょう。


こんな風にインド料理にはよい思い出ばかりなので、
ちょうど良い機会と、妻と二人で入りました。
まだ午後6時過ぎなので、店全部を借り切ったような具合。
女性が出てきて、大きく分厚いカバーのメニューを手渡しくれました。
メニュー3頁目がコースメニュー。
目が飛び出ました。
「農薬野菜と。。。。」なるサラダが最上段。
「無農薬野菜」のとんでもない誤植であることは、
次の頁のメニューの先頭は「無農薬野菜」でしたから、それは確か。

推測するに、原稿を書いた人は正しく記載したのです。
でも、メニューらしく装飾を凝らした頁を製作するプリント段階で、
誰かが一個所だけ「無」を忘れたのでしょう。
でも、一般的に言えば、絶対に誰も間違う筈がないほどに、
べらぼうな致命的ミス。

早速ウェイトレスさんに指摘してあげました。
愕然とした面持ちでした。
彼女も初めて気づいたのです。
当然ですね。
気がついているのに、平気で客に出す人はいませんね。

間違うにも事欠いて、こんな間違いを犯すなんて、
とは思ったのですが、このようなミスは起こりがちです。
でも、不思議に思ったことが一つ。

このお店、すでに開店して一ヶ月ほど経つのです。
私が見るまでに、このメニューを何人の人が見たでしょうね?
それなのに、誰一人からも脱字の指摘がなかった!
なぜでしょうか?

① 誰一人、気づかなかった?
それはないでしょう。
ディナーのディッシュごとにやや大きめの活字で書かれている部分。
しかも、その先頭!
誰でも一瞬のけぞったでしょう、
「農薬野菜だって? そんなべらぼうなあ!」

② 気づいたけど、わざと指摘しなかった?
ぜんぜんおいしくなかった!
だから、仕返しにわざと意地悪してやったのだ!
というのならわかりますが、それは、食べてからのお話。
メニューをチェックするのは、食べる前。
どなたも初めての来店客ばかりのはず。

③ 幾人もの人から指摘を受けたけど、ウェイトレスの女性、
いつも驚いた顔をしても、インド人店長には知らせず、
脱字の「無」を書き加えることもしてこなかった?
でも、開店した最初の日から指摘を受けた可能性はあるのに、
店で働き始めたばかりの女性がそんな意地悪をするとは思えませんね。
しかも、そんなことをすれば、インド人店長からは、
日本人なのに、最初から気づいていなかったんだろう、
客から指摘されてもわざと黙っていたんだろうと、
当然の疑惑を受けるのが落ち。

どうやら、開店1ヶ月もしてから私が初めて脱字を指摘した事実は
厳然として揺るがないようです。
というわけで、お誕生日早々、謎に頭を絞る羽目になっています。
未だに答えは見つかりません。

さて、アーシングウッドをダルメイヤー25㎜F1.9で撮りました。
このレンズ、どうらやペッツヴァールのレンズデザインだとのことです。
たしかに周辺はぐるぐるボケ。
でも、中心部はかなり見事な像を結びます。
完全な廉価版のおそらく8㎜用レンズ。
でも、当時の使用者たちはこのレンズにかなり満足していたのではないでしょうか?
まるでチャップリンの初期無声映画の画像みたいなのですから。
おかげで、私もよく持ち出します。
本ブログの記事も40回を超えていますが、
40回を超えたレンズはほんの数本。
廉価版ですが、私にとっては愛蔵レンズなのです。




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# by Sha-Sindbad | 2019-08-04 21:18 | Dallmeyer25/1.9 | Comments(0)

2102 (2019年3月29日ダルメーヤー25㎜F1.9が奈良の神社森でアーシング)



先日、インド料理店で、妻と二人で私の誕生祝いをしました。
と言っても、「Happy birthday to you」なんて歌うわけでなく、
ただ食事を頂いただけなのですが、面白いことがありました。

そのインド料理店、一ヶ月ほど前に開店したばかり。
私はインド料理店を見つけると、必ず入ります。
ナンが大好きなのです。
韓国料理店と双璧でしょう。

昔、西遊旅行でカラコルムハイウェイ、フンザのジープ旅行を
楽しんだことがありました。
もちろんインド料理が主体となるのですが、
一番嬉しかった思い出もインド料理のことでした。

エピソード1

田舎町の料理店でランチを頂いた後、
一人、近くを撮影するため店を出ようとしたときのこと。
ふっと入り口近くの地面に目をやりますと、
私たち一行のランドローバーの運転手たち5人の車座。
砂漠をラクダでわたるアラビア部族民のように、
パキスタンのカラコルムハイウェイや山岳地帯の悪路を
まるで平地のように楽々とすっ飛ばすジープ野郎たち。
回教徒ですが、ヒンズー教徒並に階級差が厳然と存在するそうで、
ランドローバーの運転手たちは最下層カーストだと聴きました。

そのリーダーがにっこり笑って手招きして、車座に招待してくれました。
これは私も同程度のカーストと見抜かれたこともありそうですが、
私が運転手たちといつも対等に挨拶、笑顔を交わしていたお陰でしょう。
いつものことですが、私は、一家の伝統で、階級差など認めず、
職場でも部下たちにも、そして目上にも、
常に対等のスタンスで付き合う人間でしたから、
運転手たちの輪に入って、砂だらけの地面に腰を下ろすのも平気。

隣の男が私にナンを手渡してくれました。
例の通り、不浄の左手を使わずにだったと思いますが、
私の方はもしかすると、その左手でうけとったかも知れません。
でも、右利きなので、ナンを右手でちぎると、
車座の中央に置かれた小さな皿にナンを突っ込んで頂きました。
そのおいしかったこと。
旅の間、挨拶以外には、一言も会話を交わすことはありませんが、
人間関係、本当は、言葉など不要ですね。

エピソード2

この旅では、もう一つ、ナンについての懐かしい記憶があります。
カラコルムハイウェイの西側の山中にジープで這い上り、
何泊かしました。
今でも忘れることのできない、魂のふるさとのような山間の里に一泊。
早朝の谷間の村の展望はさながら桃源郷でした。

アフガニスタンからの亡命者たちのナンの店に入りました。
巨大な釜の内側に大きなナンをベタンと貼り付けます。
ごうごうたる炎。
しばらくして出来上がったナンは座布団ほどもある分厚いナンでした。
一切れずつ私たちに手渡してくれました。
この出来立て熱々のナンのおいしさは格別でした。
一生、忘れないでしょう。

そんな風にインド料理にはよい思い出ばかりなので、
ちょうど良い機会と、妻と二人で入りました。
まだ午後6時過ぎなので、店全部を借り切ったような具合。
女性が出てきて、大きく分厚いカバーのメニューを手渡しくれました。
メニュー3頁目がコースメニュー。
目が飛び出ました。
「農薬野菜と。。。。」なるサラダが最上段。
「無農薬野菜」のとんでもない誤植。
次の頁のメニューの先頭は「農薬野菜」でしたから、それは確か。
推測するに、原稿を書いた人は正しく記載したのです。
でも、メニューらしく装飾を凝らした頁を製作するプリント段階で、
誰かが一個所だけ「無」を忘れたのでしょう。
でも、一般的に言えば、絶対に誰も間違う筈がないほどに、
べらぼうな致命的ミス。
早速ウェイトレスさんに指摘してあげました。
愕然とした面持ちでした。
彼女も初めて気づいたのです。
当然ですね。
気がついているのに、平気で客に出す人はいませんね。

間違うにも事欠いて、こんな間違いを犯すなんて、
とは思ったのですが、このようなミスは起こりがちです。
でも、不思議に思ったことが一つ。

このお店、すでに開店して一ヶ月ほど経つのです。
私が見るまでに、このメニューを何人の人が見たでしょうね?
それなのに、誰一人からも脱字の指摘がなかった!
① 誰一人、気づかなかった?
それはないでしょう。
ディナーのディッシュごとにやや大きめの活字で書かれている部分。
しかも、その先頭!
誰でも一瞬のけぞったでしょう、
「農薬野菜だって? そんなべらぼうなあ!」
② 気づいたけど、わざと指摘しなかった?
ぜんぜんおいしくなかった!
だから、仕返しにわざと意地悪してやったのだ!
というのは、食べてからのお話。
メニューをチェックするのは、食べる前。
どなたも初めての来店客ばかりのはず。

③ 幾人もの人から指摘を受けたけど、ウェイトレスの女性、
いつも驚いた顔をしても、インド人店長には知らせず、
脱字の「無」を書き加えることもしてこなかった?
でも、開店した最初の日から指摘を受けた可能性はあるのに、
店で働き始めたばかりの女性がそんな意地悪をするとは思えませんね。
しかも、そんなことをすれば、
日本人なので、最初から気づいていなかったんだろう、
客から指摘されてもわざと黙っていたんだろうと、
店長の当然の疑惑を受けるのが落ち。
どうやら、開店1ヶ月もしてから私が初めて脱字を指摘した事実は
厳然として揺るがないようです。
というわけで、お誕生日早々、謎に頭を絞る羽目になっています。
未だに答えは見つかりません。

さて、アーシングウッドをダルメイヤー25㎜F1.9で撮りました。
このレンズ、どうらやペッツヴァールのレンズデザインだとのことです。
たしかに周辺はぐるぐるボケ。
でも、中心部はかなり見事な像を結びます。
完全な廉価版のおそらく8㎜用レンズ。
でも、当時の使用者たちはこのレンズにかなり満足していたのではないでしょうか?
まるでチャップリンの初期無声映画の画像みたいなのですから。
おかげで、私もよく持ち出します。
本ブログの記事も40回を超えていますが、
40回を超えたレンズはほんの数本。
廉価版ですが、私にとっては愛蔵レンズなのです。

# by Sha-Sindbad | 2019-08-03 12:59 | Dallmeyer25/1.9 | Comments(0)

2101 馥郁と(2019年3月27日ズマロン35㎜F3.5が観光都市奈良の現在を)



人間にとって一番魅力的な視覚対象は?
誰かにそう尋ねられたら、あなたはどう答えますか?
もちろん、答えは一つですね。

   人間!

もちろん観たくない人間だっていますね。
でも、あなた以外の人間が全部消え去ったら、どうですか?
生きていくことができませんね。

あなたが写真家だったとして、
一番撮りたい被写体は何ですか?
誰かにそう尋ねられたら、あなたはどう答えますか?
人によって、様々でしょう。
でも、アマチュア写真家時代の私にとっては、答えは一つでした。

   人間!

偉大な写真家の多くは、人間を撮ることで偉大性を獲得しました。
カルティエ=ブレッソンや木村伊兵衛が
まさしくそんな写真家の頂点ですが、
アマチュア写真家だった時代に、
魅力的な人間を沢山撮る幸運に恵まれた人、
それが、アンリ・ラルティーグですね。

古き良き時代のフランス人たちの優雅な日常を、
誰よりもたっぷりと撮り続けることができた人です。
1894年、富裕な家庭に生まれ、幼くしてカメラをプレゼントされ、
日常を撮り続けました。

 12歳のときに撮った「カロリーヌ叔母、ブラントヴィーニュ氏」
 17歳のときに撮った「女優のアルレット」

どちらも傑作。
いつ、なにを撮ったらよいのか?
彼はその頃既に知っていました。
当時から彼は巨匠でした。

それが才能、というものでしょう。
写真好きは沢山居ますが、
才能のある写真好きって、千人に一人、万人に一人でしょう。
そんな人が「写真家」なのでしょう。

私はもちろん写真の才能なんて皆無でしたが、
写真を好きになる才能なら、たっぷり持っていました。
ありあまるほどなので、良い写真を好きになるだけではなくて、
自分の写真なら、なんでも好きになる才能。
これがあるから、半世紀近く、写真を撮り続けてこれたのでしょう。

「芸は身をたすく」と言います。
「自分の写真なら、なんでも好きになる才能」があるゆえに、
私は写真をいつまでも愛し続けることができます。
人からの是認、賞賛を必要としない。
だから、一人で撮り続けることができるのでしょう。

ホロゴンウルトラワイドに出会う前、
私はズマロン35㎜F3.5に夢中でした。
それ以前のお気に入りがフレクトゴン35㎜F2.4。
つまり、私は35㎜レンズに魅せられていたわけです。
今でも、やっぱり魅せられています。
人間、変わらないものです。

私が35㎜レンズをフレクトゴンからズマロンに替えた理由、
それは、完璧な空気感よりも、
温かな穏やかさに好みが変わったからでした。
今でも、好みは変わっていないようです。




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# by Sha-Sindbad | 2019-08-01 11:55 | Summaron35/3.5 | Comments(0)

2100.02 夢幻(2019年3月31日スピードアナスティグマート25㎜F1.5も僕も夢うつつに歩いた)



今回は高畑町、奈良町あたりをぶらぶら歩きした記録です。

装備は、私にとってお気に入りのセットの一つ。

  オリンパスE-PL1 
  スピードアナスティブマート25㎜F1.5

いつも通りに、ただのロボグラフィです。
いつもは、私の足跡記録なので、時系列、つまり、撮影順に並べています。
後日見たとき、状況を脳裏に蘇らせるのに便利だからです。
でも、今回何気なくブログ用に小型化する作業を済ませてみると、
高畑町での撮影分の間に奈良町の分が挟まってしまいました。
どこかでベルトの穴を掛け違えた感じ。
こんなことは記憶にはないし、
そうなった理由も心当たりがありませんが、
それじゃ、ブログにアップするために改めて時系列に並べ替えるか?
となると、はっきり言って、そんな手間を掛けるつもりはありません。

公式の回答とすれば、
「組み写真じゃないから」ということになりそうですが、
どう並べようと、私はその写真を見れば、撮ったときのことを思い出せます。
あなたは、どこかに行ったときの懐かしい思い出を、
時間順に思い出しますか?
そんなことはありませんね。
フラッシュバックのように、なぜか一瞬、一瞬が、
順不同に脳裏に浮かんで来るのではありませんか?
だから、実のところ、どんな並べ方でもよいのかも知れません。

随分前、高名な写真家の有野永霧先生にお会いしたとき、
ネパールで撮影したストリートフォトを
キャビネで30枚ばかりご覧頂いたことがあります。
先生、卓上一杯に並べた写真をさらっとご覧になって、

  「私もそうなんですが(実はそうではありません)、
  こんな風に、コンセプトをあらかじめしっかりとまとめないで、
  行き当たりばったりに写真を撮る人は、
  コンセプトに基づいて撮る人にどうしても及びません。」

まことにおっしゃるとおりです。
カルティエ=ブレッソンも木村伊兵衛も、
写真集や写真展では私と似たような写真群です。
つまり、単写真の集まり。
カルティエ=ブレッソンは、第二次世界大戦後マグナム結成後は、
もちろんマグナム派遣ドキュメンタリストとして稼働しましたが、
彼の名声をますます高めたゆえんは、
そうした有名誌掲載のフォトドキュメンタリーのお陰ではなく、
その中から適宜ピックアップして、
ストリートフォトの傑作写真集を出版し、
写真展を開催したことによります。

写真史の流れはもちろん写真の「目は口ほどにものを言い」式の
ドキュメンタリー性へと進んできたわけで、
カルティエ=ブレッソンや木村伊兵衛の傑作写真集的な時代は
超克されたとされています。
でも、私は、写真の社会性、社会的機能の発揮とはまるきり無縁、
しかも、あまり心に迫るドキュメンタリー写真作品にも出会えず。
自分の写真は、そんな時流とは関わりなく、
自分の思い出を写真にとどめたいという気持ち。

そんな私の気持ちを代弁してくれるエピソードが、
太宰治の富岳百景にあります。
彼が寄宿していた旅館にバスで変えるとき、座席を老女と共にします。
文章こそ記憶していませんが、老女は悲しげで、
バスガイドの言葉にも耳を傾けず、
窓の外を憂わしげに眺めていたのですが、
ふっと、隣の太宰に聞こえよがしにつぶやきました、

  「おや、月見草」

そのとき、老女に指し示された、路傍にひっそりと咲く月見草の姿に、
太宰はすっかり魅了されてしまいます、
その一節、グーグルで見つけました、

  「3378mの富士の山と、立派に対峙し、
  微塵も揺るがず、なんと言うか、
  金剛力草とでも言いたいくらい、
  けなげにすっくと立っていた
  あの月見草は良かった。
  富士には、月見草がよく似合う」

私が太宰に出会ったのは、妻から薦められて、10年ほど前なので、
私は、自分が同じ彼と同じ気分を、
都会の裏通りの路傍のものたちを感じてきたことに、
少し誇らしい気持ちがします。

ただし、私は学生時代に、岩波文庫の「ワーズワース詩集」に出会って、
「路傍の百合にも神が宿る」というような趣旨の言葉に、
震えるほどの共感を感じたことを思い出しました。
私にとっては、ワーズワースの方が原点。
そして、ふっと思うのですが、
太宰の上記の一節はワーズワースの詩に想を得たのではないか、
とさえ思えてしまいます。

そう考えて、正確にはどんな一節だったか、
調べようと、書棚を探しました。
若い頃から壮年期にかけて、現在に数倍する蔵書を楽しんでいました。
幾度もの転居の都度処分し、最後に、終の棲家と考えて現住居に移る際、
私の書斎はわずか5.6畳、妻の書斎の半分しかないということで、
ごっそり処分してしまいました。
でも、上記のワーズワースの岩波文庫版は残した、
そうはっきり記憶していました。
でも、どこにあったか記憶していないので、探しました。
2mを超える幅の巨大なビューロー式机が窓側を占拠しているので、
東側の書棚と机の間は40㎝しかありません。
天井に接する一番上の段が文庫本用に低くなっているのですが、
何分文庫本たち古くなって、題名が下から読み取れません。
やむなく、書棚の下の段に足を掛けてよじのぼると、
本が奥に並ぶ前のスペースに一冊だけ横になって放置されていました。
見ると、私が自製した箱式の保存箱背表紙に、Wordsworthの一文字。
まったく偶然の巡り会い。
そして、パッと頁を開いて、目に飛び込んできたのは、
前記とは別の詩句でしたが、太宰の発想の元になったとしたら、
こちらの方がふさわしいと思える一句でした。

  いともささやかなる一茎の花も、屢々、  
  涙にあまる深き思いをわれに与うる。

私がうろ覚えに覚えている、神が宿る百合の詩句は
ついに見つかりませんでした。
まあ、良いでしょう。
私にとって大切なことは、
私が写真を始めた学生時代すでに、
写真ではまだ意識しなくても、
文学としては、今私が常に意識するロボグラフィ的なファクターに、
既に心が強く動いていたことを確認できたことでした。
どうやら私は学生時代からあまり成長していない、
ということかも知れませんが。




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# by Sha-Sindbad | 2019-07-24 18:46 | Sp.Anastigmat25/1.5 | Comments(0)

2100 時代遅れ(2018年2月22日パンタッカー50㎜F2.3は西九条を何度撮影したことか?)


写真アートが本格的にアートの世界に地歩を築いたのは、
20世紀初頭からでしょう。
それとともに、写真趣味も普及し始めました。
よほどの才能がある人でない限り、
写真趣味が写真家的な作品作りに発展することは極めて難しいあたり、
絵画や音楽とも共通性がありました。
素人は素人、とてもアーチストのパフォーマンスには近づけませんでした。

でも、完全自動カメラからさらに進んで電子カメラ化され、
Photoshopなどの画像処理ソフトが普及する現代に至って、
表面的にではありますが、そうした障壁は崩れ去った感があります。
修業時代は不要となり、
初心者があっと言う間に、自分は天性写真家なのだと思い込み、
大家然と振る舞う時代になってしまいました。

フィルムカメラの時代、
経験者、さらには大家の持つ体験、センスの重みは圧倒的でした。
経験、修行、師匠の重みがものを言った時代でした。
だから、一丁前に作品を作るなんて、容易に実現できない夢。
だから、長年の実績がある写真家からなんらかの教え、
ヒントを受けることには大きな価値がありました。
デジカメ時代になると、
そんな体験の積み重ね、修業はほとんど無意味と化しました、
というより、そう見えるようになりました。
カメラや画像処理ソフトが、苦しい修業の代わりに、
凄い画像をプレゼントしてくれるのですから。

アルティエ=ブレッソンのモノクローム作品に接したデジカメ女性が、
ブログに自信たっぷりに書きました、
  
  「まあ、許せる範囲かも?」

別のデジカメ写真家が、
「ブレッソンって、どうしてぶれた写真を作品でございと発表しているのでしょう?」
畳一枚ほどならいくらでも伸ばせる超精密デジタル写真をいつも撮っているので、
それができない過去の写真家の写真作品などまるで参考にならないのです。

こんな人は、カルティエ=ブレッソンが撮った写真を
トリミングなしに作品として発表したと聴いたら、
きっとこういうでしょう。

  「バカなこだわりだね。
  分かってないんだねえ。
  パソコンの前に座ってからが勝負なのに、ねえ!」

私は、写真芸術は滅びつつあると思っています。
カルティエ=ブレッソンや木村伊兵衛のような、
味わい豊かなストリートフォト、ドキュメンタリーは、
創る人がいなくなったばかりではなく、
その価値を認める人も居なくなりつつあるのですから。

かつてフォトグラフィが「写真」と訳されたのは、
写真は現実のあるがままの記録として無限の価値があると考えられたためでしょう。
今、デジタル写真も映画もコンピューターグラフィックス、
完全なフィクションとなってしまいました。

私もその潮流に押し流されて、デジタル写真の海にアップアップしています。
いかなる創作意図もないまま、眺めた瞬間、シャッターを押し、
記録されたデジタルデータそのものを最低限レベル補正したりしなかったりして、
一記事を構成する写真群を平準化するだけ、というのが私の写真なのですが、
画像処理ソフトでいじり倒したデジタル作品との間に、
はっきりとした懸隔があるわけでなく、
結局、私もデジタル写真の制約の下に写真趣味を楽しんでいるわけです。

価値は制限から生まれるものです。
フィリム写真時代の写真家は、
フィルムに焼き付けられたシーンを変改することはほとんどできないから、
撮影行動の一瞬一瞬が取り返しのつかない1本勝負だったのです。
だから、写真に気合いが入り、面白かった。

現代のデジタル処理画像は、申し訳ありませんが、
まるで腰が据わっていません。
ああ、時代は変わるものですね。
というより、むしろ無限に退行していくものですね。

人間も、小賢しい才子ばかりで、
西郷隆盛や坂本龍馬のような時代を突き抜ける大物は
絶対に現れない、現れようとしても、寄ってたかって潰される、
そんな袋小路の末世になってしまいました。

気が滅入るので、レンズの話に戻りましょう。

  アストロ・ベルリンの映画用レンズ、
   パンタッカー50㎜F2.3。

私のセカンドエース。
例の通り、画像処理は最低限レベル補正にとどめ、
私の30年来の「5つのノー」、
   ノーメイキング
   ノーウェインティング
   ノーシンキング
   ノートリミング
   ノーファインダー
これを可能な限り遵守しています。

ただし、超接近はさすがに置きピンでは撮れないので、
ファインダーをピント合わせのための拡大画面にしたままにして、
ピントを合わせたい部分のピントと合わせたら、
即時、画像全体を見ることなく、シャッターを切っています。

なぜ、そんなことをするの?
しっかりファインダーで構図をチェックするのが作品作りの基本じゃないの?
そうおっしゃる方もおいででしょう。
私の回答はシンプルです。

  ① 私は写真作品なんか創っていません。
  ② 人に見せる目的は一切ありません。

じゃ、このブログはなんなの?
これは日記です。
それじゃ、閲覧不可にすればいいじゃないの?
友人への通信でもあります。

  こうして、元気に生きてるぞ!
  心配するなよ!

純然たる閲覧不可の昔風日記になったら、
緊張感を失い、あっという間に、無期限休止になるでしょう。
だから、そんなことをするつもりはありません。

そんな設定にしなくとも、
長大な駄文、無数の駄写真のおかげで、
偶然の検索結果で訪問する方以外には誰も来なくなりました。
おかげで、平安の人生を送れます。

つまるところ、私の2つのブログは、未来の私に当てたラブレター。
ただし、あまりにも膨大な上、
近いうちに、エキサイトがブログ事業から撤退し、
世界のブロガーユーザーをさらりと斬って捨ててしまうでしょう。
ブログは、正真正銘、自由な精神からのメッセージの場です。
独裁者が民衆をほしいままに操作する障害になるだけなのですから。

というわけで、私のブログは、私にとっては、
未来の私が読み返すことはほとんど期待できないラブレター。
そんなブログでも、こうして記事を用意する時間は、
私にとってなにものにも代えがたい貴重な一時なのです。




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# by Sha-Sindbad | 2019-07-21 23:28 | Pan.Tachar50/2.3 | Comments(0)

2099 人々(2019年4月10日ズミクロン35㎜F8八枚玉が奈良町スナップを楽しんだ)



どなたもそうだと思うのですが、
私は生涯にかなり沢山の人と会ってきました。
人間は一体生涯に何人の人と出会うのでしょう?
そうやって日々出会う人の中に初対面の人が混じっている率は
どれ位でしょう?

生涯に出会った人の数が一番多い人って、誰でしょう?
もしかすると、ナポレオンかも知れませんね。
生涯に幾度会戦を行ったのでしょう。
その都度大変な数の軍勢を指揮しました。
もちろん政治構造、軍隊構造はどれもピラミッド構造ですから、
彼が本当に人間性、能力を把握すべきスタッフの数は
かなり限定されていたかも知れません。
でも、ナポレオンは、スタッフの才能を熟知し、
適材適所に起用することで勝利を収め続けたのですが、
その理解の中には、将軍たちがどのようなやり方で軍団を指揮するのか、
互いにどう協力し合えるのかを的確に理解することができたから、
生涯においてほとんど常勝を続けることができたのでしょう。

それに、ナポレオンの記憶力、関心の深さは特別だったようです。
エルバ島から奇跡のカムバックを果たした時のことです。
彼は整列した近衛兵たちを一人一人名前で呼びかけた、
というのですから、本当にただものではありません。
近衛兵たちは心を揺さぶられて、
「陛下のためには死んでも良い」と思い詰め、
ワーテルローで死んでいったのでしょう。

私は、職業時代、大した仕事ではありませんでしたが、
ナポレオンとはまるで異なる場面で人と出会い続けました。
ナポレオンが軍を指揮したときに必要とした眼力とは別の眼力が必要でした。
でも、初対面で、どんな人間なのか、ほとんど判断材料がない。
そこで、なにを重要な判断材料に使ったか?
目と言葉、この二つでした。
じっと目を見つめながら、あれこれと会話を交わす、
そうすると、どんな人間か、段々と判ってくるものです。
そして、もう一つ、同じくらいに大切なことは、
相手も私のことをわかってくれます。
ある種の信頼関係が結ばれないと、
この世の大抵のことはうまく行かないものですね。

私と同じ立場に居ながら、ほとんど相手と目を合わせない人がいます。
会話も満足に交わさない。
これで相手が判るのだろうか?
相手の心をつかめるのだろうか?
いつもいぶかしく感じたものです。

でも、人をそんなに簡単に理解したつもりになるのは危険ですね。
目を合わせないように見えて、実はこれが作戦。
さりげなく斜交いに相手を観察する、
それがそんな人の手法なのかもしれません。
実は、路上スナップって、このようなタイプの人向きなのかも知れません。

カメラを持ちながら、路上を進むのです。
対面歩行しつつ近づいてくる人の中には、
スナップ写真家じゃないかと気づく人だっているでしょう。
そうすると、向こうも、何気ない振りをしながらも、
警戒を怠らないかも知れません。
その警戒の意味は人さまざまでしょう。
たとえば、世界中でかなりの国で、
撮られることを歓迎する人たちも多いようです。
中国も、高齢者はいやがりますが、若者は大歓迎。
大きな流れとしては、世界中がビジュアル化して、
喜んでレンズの前でパフォーマンスする人が増えているようです。

そうではあっても、それがスナップに好都合と言うでもありません。
気づかれたら、その人はお好みの表情をさっと作るので、
写真になりません。
自然な振る舞いの瞬間をキャッチするのが
スナップ写真のコツだからです。

昔、カメラを胸に固定して、レリーズで撮る写真家が居ました。
これって、むしろ、「今から撮りますよ」と、
進んで宣伝しているようなものではありませんか?
私は、片手にカメラを持ち、
あるいは、ホロゴンのように両手で持ちながら、
撮りたい人を10m以上前方で見分けます。
そして、それからは全くあらぬ方に視線をやりながら、
さりげなく歩みを進めます。
そんな風にしても、目の片隅には見えています。
そして、「今だ!」と心がささやいた瞬間に、
シャッターを落とします。

実のところ、ロボグラフィ専科に徹するようになって、
ストリートフォトはほとんど止めていました。
近頃、また撮り始めているのです。
いざという瞬間の撮影行為はかなり下手になっています。
でも、楽しいものです。
撮りたいと思う何かを持っている人しか撮りません。
それが何かを共通して言い当てることはできません。
人さまざまです。
だから、魅力もさまざま。
でも、魅力があるから、撮ります。

スナップ写真家が10人同じストリートを同時に前後しながら歩いたら、
それぞれ独自の瞬間、別々の人を撮るでしょう。
スナップもまた一つの人間関係なのですから。
でも、この頃、久しぶりにスナップ路線も併用するようになり、
ストリートでのノーファインダースナップを楽しむようになっていますが、
かなりコツを忘れてしまったようです。
きっと動きも傍目にはぎこちないことでしょう。

どうやら県外に撮影に出ることがほとんど無くなり、
奈良市内の同じエリアを巡回しているのですから、
目先の変わったことも試して、心を躍らせる体験もときにはしてみたい、
というところでしょうか?

カルティエ=ブレッソンがズミクロン35㎜F2を愛用したかどうか?
私は知りません。
彼は生涯ライカを主に使ったようですが、作品を観る限り、
28㎜から135㎜までさまざまな焦点距離のレンズを使ったようです。
でも、一番の主力は50㎜と35㎜だった感じ。
初期にはエルマーが主力だったことは間違いがありません。
私が撮っても、とても似た味わいで撮れるからです。
もちろん作品の質ではありませんよ。

初期のスクリューマウントのズミクロン35㎜は使ったのではないか、
という感じがします。
かなり大きなスケールでの作品群がかなりあり、
パースペクティブもかなり自然で、
21㎜はもとより28㎜ならもう少し極端だろうという感じがするからです。

面白いことは、カメラ位置。
彼の場合、多くの作品で、
カメラが高い位置にあったことを感じさせるパースペティブ。
つまり、彼は立ったまま、丁寧にファインダーを覗いて撮っていた。
しかも、彼はたしか190ほどの長身。
だから、いつも若干見下ろすような感じがあります。

木村伊兵衛も同様の撮り方だった感じがします。
さほど長身ではなかったので、
カルティエ・ブレッソンほど見下ろす感じは少ないのですが、
やはり人物よりもちょっと高い視点を感じさせます。

二人とも撮影の瞬間に作品を作ってしまいたい、
そう考えて居られたのでしょう。
撮影は常に真剣勝負でした。
私の場合は、作品作りという目標がないので、その点、実に気楽。
奈良の諸処でズミクロン35㎜F2八枚玉を、
すべてノーファインダー、ウェストレベルで撮りました。
ちょっと古めかしい色合いですが、
ネガフィルムの時代、もっと古めかしかったことを覚えていますので、
これはこれで新鮮味があって、よろしい。

でも、現代レンズとPhotoshopに慣れている方は、
なんと色の悪いレンズ、使い物にならない、
そうお感じになるでしょう。
私は、Photoshopで、正しい色再現に修正するつもりはありません。
確かにクラシックレンズはそれぞれに独特にずれています。
現代人はそれを欠点と呼び、
私は個性、コクと呼びます。
人間の面白さも同じスタンスがある感じですね。
人間って、欠陥だらけです。
独自の長所を得るために、なにかを捨てた、ということもありそう。

現代人の理想像は、使う側から言いますと、
いわば高性能な部品として有効に機能すること。
個性、癖など無駄なファクターなのです。
現代では、商品開発、新機構の整備等、新たな計画は、
一部のプロジェクトチームがコンピューターを駆使してプログラムします。
計画、プログラムの実施者はすべて厳格な役割指定を受けたパーツとして、
システムに組み込まれます。
要するに、人間は部品化しつつあるようです。
部品の理想はなにか?
廉価に製作調達でき、取り換え簡単、代替可能、ということ。
ああ、人間は部品になってしまいそうですね。

そこで、写真に話を戻しますと、
現代では、撮影行為は創造行為の準備段階に過ぎません。
大切なことは画像処理ソフトで、思いのままに加工して、
斬新かつ独創的な画像ファイルを創造することにあります。

ここだけの話ですが、
私には、そうして創造された現代の作品が面白くないのです。
ちっとも心が動かないのです。
これは写真じゃない!
現代の写真芸術は次の異質な2つのジャンルが混在する過渡期にある、
これが私の評価です。

  ①写真アート
  ②ビジュアルアート

いつかは、①が消滅し、②だけになってしまうでしょう。
今でも、②の制作者たちは、
銀塩カメラによって作られた写真作品を
憐憫の情をもって見下す時代になってしまいました。
もうその時代は始まっています、
こんなことをうそぶく初心者自称アーチストがいます、
「カルティエ=ブレッソンって、
どうしてあんなにぶれた写真を平気で作品にしているんですか?」
「昔のカメラで撮った写真って、
まあ、許せるかな、という感じですね」

私はこんな人たちと一緒に写真を語り合いたいとは思いませんね。

それにしても、思います。
今回撮った人たちのほとんどが海外からの観光客。
そうした人たちも日本人も、
なんとしっかりしていることか!
政治家たちは著しく劣化しているけれども、
一般人は決して劣化していませんね。





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# by Sha-Sindbad | 2019-07-18 23:22 | Summicron35/2 | Comments(0)

2098 秘境(2018年11月11日キノプラズマート19mmf1.5持ってミステリーツアーに)



昨年の11月11日、妻とミステリーバスツアーに参加しました。
私は退職後たった一回参加した西遊旅行の雲南省秘境ツアーで、
もう秘境ツアーもただの旅もこりごり、
という心境に至った後のこと。
私は秘境の町であっても、ただの町であって、
隅から隅まで一人で歩き回りたいのです。
ところが、秘境ツアーなるもの、
ユーザーの希望を担って、秘境たっぷり駆け回るツアー。
一日8時間もバスに乗るって、あなた、我慢ができますか?
秘境は、へディン以来、2本の足で歩くのが定石なのに、
バスであっちに走り、こっちに走り...
もうコリゴリです。

ところが、妻はどんな形であれ、旅が大好き人間。
前世は旅回りの一座のお姫様役、
いや旅回りのサーカスのブランコ乗りだったらしい。
まったく厭きません。
そして、ときどきこうして勝手に予約して私も連れ出します。

関西、とくに大阪を起点とする日帰り秘境ツアーって、
行くところが限定されています。
若狭湾や和歌山南部の海岸線、山陽道は、
いずれも強行軍になってしまいます。
年配客だらけの近頃ではとくにとても企画できません。
勢い琵琶湖沿岸となります。
どうせ近江八幡から彦根、長浜止まりだろう、そう多寡をくくって、
おっと滋賀をくくっていたら、そのとおりでした。
近江八幡の北縁あたり。
名前は忘れましたが、誰も来ないような小さな古い神社、
水郷めぐり、そして、マイナーな酒造を周るツアーでした。
どこが秘境なの?

携帯したセットは、

  オリンパスE-PL1
  キノプラズマート19㎜F1.5

このレンズ、以前に幾度も書きましたが、eBayの出品。
錆だらけボロボロのキノプラズマートの歪んだ姿、
まさしく残骸でしかない惨めな姿の写真立ち。
ダメ元で入札したら、誰も競合せず、ごく安価で手に入れました。
大阪梅田のマツモトカメラの松本さんにオーバーホールをお願いしました。
いつも誠実な仕事をなさる方です。
シンデレラ並の、あっと驚く美女に変身しました。
それ以来、私の秘蔵の1本。

今回の秘境ツアーでは、ひたすら撮影に徹しました。
一行から別行動のような感じ。
こうして撮った写真、
と言っても、いつものロボグラフィですが、
ブログ掲載用に小型化しながら、
心の底から感じました。

ああ、ぼくは、こんなレンズたちのおかげで、
自分の好きな光景、ものたちを、
自分の大好きな風に写真にできる。
なんて幸せなんだろう!

こんな風に書きますと、お分かりになるでしょう。
私は自分の写真が大好きなのです。
私は私の写真が一枚残らず大好きなのです。
でも、誰も私の写真にはなにも感じません。
長い間写真趣味を続けて、私が常に感じてきたことは、
孤立感だったかも知れません。
私がなんの工夫もなく、
目の前のなにかにどんと近づいて、ぱっと撮る、
という素人風の撮影に徹してきたせいもあるかもしれません。
ただ撮っただけ、という安直さが一目瞭然の写真たち。

多くの写真家は、
他の追随を許さぬ名人芸的写真術、
絶対的瞬間を切り取る忍耐力、企画力で、
見事な切れ味の写真を創造します。
私の写真にはそんな写真術も妙技も欠片もありません。
第一、待たない。
以前からよく書きますが、
「5つのノーを言える男」で通してきました。

  ノーメイキング
  ノーウェイティング
  ノーファインダー
  ノーシンキング
  ノートリミング

20年前ホロゴンウルトラワイドを手に入れて確立した手法ですが、
その時点で写真作品を作る気持ちを捨てた、
ということが判ります。

開放値の小さなレンズはさすがにピント合わせが必要ですが、
ソニーα7やオリンパスE-PL8は私のためにできています。
液晶ファインダーをピント合わせ用に拡大できます。
私は常に拡大にしておいて、ピントを合わせると、
ただちにシャッターを押します。
写真は新鮮な瞬間を撮りたいものです。
シャッターを押しますと、液晶画面が元に戻りますが、
そうなっても後の祭り。
そのまま次の被写体を探します。

今回の写真たち、例によって、私の出会いの記録でしかありません。
写真家なら、フォトジェニックな被写体を探すでしょう。
私は、そんなものとは無縁。
意味不明、場所不明、もの不明のもの、
中には、お邪魔虫のように違和感たっぷりのものも混じりますが、
全部私のかわいいロボグラフィたち。




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# by Sha-Sindbad | 2019-07-15 21:54 | KinoPlasmat3/4inchf1 | Comments(0)