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レンズ千夜一夜

2106 号外!(2019年8月16日奈良町、神社道を仮面のホロゴンが駆け抜けた!) Gフィルター



我が家の近くの神社に見つけた散歩道、
森に入った瞬間、帯磁していた私の体はすっと浄化されます。
私のためのアーシングロード、こう名付けて、
春から毎日のように通っていたのですが、
夏になると、さすがに外出の用がないと、出かけるのは億劫ですね。
今回の写真はまだアーシングロードの散歩を始めた頃考えたこと。

ここに来はじめて、何日になるでしょうか?
と言っても、ただの修辞、
知ってどうなるものでもなし、
別に知りたいとも思いません。

でも、一つ、知りたいことがあります。
散歩中、あるいは、アーシングロードのベンチでポメラ中、
(ポメラが動詞形でも使うことにしました。
「ポメラする」は、ポメラによるブログ文製作行為を意味します)
かなりの人、と言っても、数十人程度、に出会いました。
たいていはかなりの年配の男女。

その中で、私に関心を抱いて顔を向け、
気持ちよく挨拶して、談笑したのは、何人居たと思いますか?

   10人?

とんでもない!

   3人?

まさか!

   0?

そこまでひどくはありません。
正解は、そう、

   1人!

60年配の男性でした。
「何、撮っているんですか?」
にこやかに問いかけていました。

他人の行動に関心を持つ。
にこやかな笑顔を他人に向けることができる。
心を開くことのできる人の振る舞いですね。

正直なところは、たった1人しかいないの?
というところです。

好意的に解釈する限り、
林間道を散策するのではなくて、
ベンチに座り込んでワープロを使う人になんか、
生涯に出会ったことがないので、
不気味に思う方も多いかも知れません。
「変な人には絶対に関わらない」
これが現代の人間関係の鉄則かもしれません。

それに多くの方は、未知の人間に出会って、
その瞬間になんらかの重要な関係を結ぶきっかけを作る、
という関係、立場に立つことが生涯あまりないかも知れません。
だから、未知の人間と親しく言葉を交わすという習慣を持たないようです。

私は、外商関係ではありませんが、
日々、というより、もしかすると、瞬間瞬間、
そんな関係を結ぶためのイニシャティブをとる、
という人生を送ってきたので、
そんな状況に慣れっこになっている、
そのため、平気になっているだけかも知れません。

もちろん仕事のときでも、そんな方が私の目の前に来るのですから、
心をほぐしてあげる必要があります。
例外なくいつも私がケアして人間関係を新たに築く、
という状態でした。
散歩中にそんなことをする立場に立てるわけもありません。

そこで、私が「おはようございます」と声を掛けると、
しぶしぶ挨拶を返す人が50パーセントでしょうか?
ごにょごにょ、と態度を濁しながら、通り過ぎる人が30パーセント、
身を固くして無言で通り過ぎる人が28パーセント、
気持ちよく言葉を返す人が2パーセント、
という程度でしょうか?
(この数値は、私がすでに50人とそんな関係に立ったと推計してのことです。
気持ちよく反応してくれた人はたった1人なので、
2パーセント、というわけです)

さまざまな国で一人で歩きました。
山野を跋渉することもあれば、
スラムの狭い路地をくぐりぬけることもありました。
私は語学が不得意なので(と言って、得意な学問があるわけではありませんが)、
一人で長期滞在して、路地から路地へと撮影して回る、
というスタイルの旅がかなりありましたが、
どこの国でも、私の挨拶に対して反応する人としない人の比率は、
95パーセント対5パーセントでした。
つまり、どこでも、返してくれる人がほとんどでした。
笑顔で返してくれる方もかなり多かったという印象。
日本でも、都会の路地に行けば、田舎に行けば、同じ比率です。
みんなあたたかく返してくれます。

どうやら人口稠密で、絶えず移動することで、
現地人的な生活がほとんどできない人が増えていて、
そんな人たちは「他人を見れば敵と思え」的反応を
自然身につけてしまうのかも知れません。
それが正しい人生訓なのかもしれません。
私のような人間はあっという間にだまされ、
身ぐるみ剥がれることになるのかも?
日本文化も落ちるところまで落ちた、そんな感じがします。
悲しいことです。

さて、今回は特別のニュースがあるので、最新撮影分を割り込ませました。

 ソニーα7
 ホロゴン15mmF8U+Gfilter

相変わらず私の定番セットです。
何が号外なの?
Gフィルターを初めて付けたのです!

Gフィルターって何?
グラデーションフィルターです。
ツァイスがホロゴンウルトラワイドのために作ったフィルター。
周辺光量が中心の1/8しかないので、四隅はほぼ暗黒に近い状態。
そこで、光量調整フィルターを特製したのです。
周辺から中央に向かってなだらかに厚みを増す円盤状に、
ガラスを削ったのだそうです。
この厚みが中心部に入る光を少なくして、
周辺光量の減衰を軽減したのです。

私は十数年間、絶対に使いたいとは思わなかったアイテム。
周辺光量の落ち方がホロゴン独自の雰囲気を醸し出してくれるからです。
でも、ソニーα7のようなデジタルカメラは、
実のところ、15mm超広角には対応していないようです。
周辺光量落ちがさらに激しくなるだけならまだしも、
四隅の画質も目立って劣化してしまうようです。
Gフィルターも当然画面全体の画質を劣化させますから、
いわば二重苦を背負わせる感じがします。

でも、最近、画質と周辺光量の二者選択の問題だ、
そう気づいたのです。
画質劣化は覚悟して、周辺光量はせめて軽減したい、
それがデジタルカメラの作法じゃないか!

こうして初めてGフィルターを使ってみたわけです。
私としては、大成功、これからは頻繁に使ってもいいんじゃない?
でも、画像が少し眠いのが気になります。
今日は歯医者さんです。
今回は同じ場所をGフィルターなしで使ってみましょう。
フィルターが画像に影響を与えていないかどうか?
ちょっとチェックしてみましょう。
常用するかどうかは、それからの思案、そんな気持ちです。





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# by Sha-Sindbad | 2019-08-22 10:21 | Comments(0)

2105 超々精密描写(2019年4月5日奈良神社道ならパンタッカー50㎜F2.3にお任せあれ)時代遅れに?




私は、マックに向かって、
文章を書いたり、写真をブログ掲載用に小型化したりしているとき、
必ずYouTubeやCDで音楽を鳴らしています。
まさに「ながら族」

今日は久しぶりに脱帽したくなるような演奏に出会いました。

 Pepe Romero: Concierto de Aranjuez ( Joaquin Rodrigo),
 Recuerdos de la Alhambra ( Francisco Tarrega)

 https://www.youtube.com/watch?v=QPcjtg6FvX8

私はあまりギターは聴きません。
愛聴するのは、朴葵姫(パクキュヒ)さんだけ。
でも、このペペ・ロメロという人、
まったく未知の人ですが、
「巨匠」と呼びたくなるような風格の演奏家ですね。
音一つ一つに表情があり、迫力があり、「凄み」を感じます。
この世には、こんな演奏家も居るんだなあ、
そう讃歎の思いを感じさせてくれる芸術家でした。

ギタリストの演奏をYouTubeで視ることはあまりないので、
ようやく、一つ気づいたことがあります。
ギターの穴の直前に、小さなマイクがセットされているのです。
どうやら広いコンサートホールに隅まで音を通すために、
マイクで増幅しているのです。
他のビデオでは、ギター本体に配線したりしています。
これまでギターの前にマイクロフォンがセットされていても、
録音用だとばかり思っていました。

二胡は、世界的な楽器に昇格するためには、
マイクを使わなければ音が遠くに届かないことが障害、
これまでそう考えていたのです。
でも、ギターでも、大コンサートホールで、
オーケストラをバックに演奏するときは、
マイクで増幅しているようですね。
とすると、二胡にマイクを使わなければならないことは、
別にマイナスでもないということになりそう。
むしろ、忍びやかなサウンドの質でもあり、
中国音楽を超えて、他のジャンルの音楽に使う可能性が
まだまだ薄いせいなのでしょうね。

それにしても、この人はなんだか凄い。
アンコールの「アルハンブラの思い出」も、
巨匠にふさわしい風格のある音楽となっていました。
なんだかセゴビアの域に近づいている人なのかもしれません。

私はギタリストの世界などほとんど知りません。
ちょっと噴飯物の表現をさせていただきますと、
私が知らないのに、凄い世界があるのだ!

これと似た体験を近頃しました。
親友のWKさんがメールに添付した近作を拝見して、
びっくりさせられてしまったのです。
デジタルカメラ、デジタルレンズの写真表現は完全に肉眼を超えていた!
最近の映画には、遠くの大光景の一点に向かって、
あたかもカメラが宙を飛ぶように接近し、
そのまま、主人公の顔一杯を画面に大写しする、
というシーンがあるようです。
たった一本のレンズでそこまで超接近できるわけがないので、
コンピューター処理なのでしょうけど、
WKさんの写真を見る限り、それに近いほどに超拡大できる!
そんな気がしてきました。

私のお気に入りの古いレンズたち、
もちろんソニーα7のようなデジタルカメラを使っていますが、
上記のように超々精密描写など絶対にできません。
私は、マクロ描写は別として、通常のシーンでの撮影では、
肉眼で見えるほどの精密感があれば十分。
肉眼を超えるような精密描写はとても生理的に受け付けません。
ですから、「とても好きになれない」と返信しておきました。
いつもの癖で、思ったことは隠さない。
親しい人にお世辞が言えないのは、問題かも知れませんね。

でも、WKさんの近作を眺めてつくづく思ったのです。
こんな画像で撮るなんて、銀塩時代には絶対無理でした。
とすると、これは一種の視覚的奇跡かも知れませんね。

若い頃聞いた話を思い出しました。
放火事件が発生すると、捜査官はさっと現場に急行して、
消化作業を見守る見物人たちを一人一人撮影したそうです。
同種の放火事件が発生するたびに、この作業を重ねます。
そして、共通の顔を探しました。
同じ顔が2度見つかると、容疑者のリストに加えられ、
さらに見つかれば、
その人物が居合わせた放火事件に関わっている容疑濃厚、
と言うわけです。
でも、放火事件が発生するのはほとんど日没後から日の出前。
昔の銀塩フィルムではいくら増感しても、
粗粒子で判別困難でした。
現代では、超増感しても、ビシッと精密描写できます。
ビデオもかなりの精度で撮れるでしょうから、
動き方、視線の走らせ方、表情なども捜査の資料となります。
各種事件捜査で絶大な威力を発揮しているかも知れませんね。

というわけで、現代のカメラは警察の方に利用していただき、
私は、銀塩フィルム時代の粒状性を追求しましょう。

でも、今更ながらですが、
超絶精密写真の現代においては、
私のボケ写真なんか、
子供の日光写真(知っている人は少ないかな?)程度のお遊び、
あまりに稚拙で、
とてもとても芸術表現の道具には使えない、
そう感じる方の方が圧倒的に多いのでしょう。
今誰も来なくなったのは、あんまり古臭すぎて、
見るにたえないと感じてしまうせいでしょう。
どうやら時代遅れの前代の遺物に成り果てようとしている、
そんな感じがしてきました。

というわけで、一人楽しく、さらに日記に加えるべく、
今回の写真に移りましょう。

定番です。
アストロ・ベルリンのパンタッカー50㎜F2.3
ソニーα7に付けています。

このセットで上記のような超精密写真なんか撮れません。
もっともソニーα7の設定をいじれば可能かもしれません。
でも、私はクラシックな好みなので、
カルティエ=ブレッソンや木村伊兵衛が撮ったような、
ちょっと粒子が見える、そんな写真を撮りたいのです。

セバスチャン・サルガドの作品集を持っています。
たしかニコンを使っている人だと思いますが、
この人の写真、レジェンドと言いたくなるような、
伝説的物語性に富んだ画像なのですが、
カルティエ=ブレッソン、木村伊兵衛の写真には
絶対に見つからないような超々精密描写です。
だから、一目見て感嘆、驚嘆し、
二度観たいという気持ちにならないので、
書棚にしまい込んでいたわけです。

超々精密描写の写真をばりばりと撮りまくり、
Photoshopでさらに神話的なまでに光彩陸離たる作品を
さらりと創造できる人たちから観たら、
私のボケ写真なんて、お笑い草でしょう。
でも、よく考えたら、人間も写真も、
こんな風にして、世代の交替が繰り返し果たされるのでしょう。
もっとも、そう感嘆に時代遅れになるつもりはありません
私は最後まで私の時代を生きるので。




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# by Sha-Sindbad | 2019-08-18 14:46 | PanTachar50/2.3 | Comments(0)

2104 静謐(2019年8月13日フォコター50㎜F1.5がアーシングウッドの気を捉え)



フォコター50㎜F4.5

ライカが用意した引伸機フォコマート用引伸レンズ。
引伸レンズのキングとして知られました。
カルティエ=ブレッソンや木村伊兵衛の名作群も、
このレンズによって作成されたのではないでしょうか?

でも、この名を聴いても、
デジタル時代の写真家はちらっとも関心を示さないでしょう。
すでに、理想のカメラシステムで重武装しておいでになるから。
これを使えば、撮れない時間、撮れない空間はない、
しかも、畳一枚ほどの大伸ばしをしても、粒子など見えないほどに完璧な画像。
これをPhotoshopでさらに念入りに画像処理をしたら、
現実空間を遙かに凌ぐ光彩陸離たる作品を創造することができるのだ。

写真史で偉大な写真家とされる誰をとっても、
私よりも凄い画像なんて撮れなかった。
写真史はゴミ箱にポイしちゃってもいい。
私の作品がすべての名作を遙かに凌ぐことは明らかなのだから。
そうお考えの写真家の皆さんはかなり多いのではないでしょうか?

私は写真史をポイしちゃう気持ちは微塵もありませんが、
人間世界の真実を見事に写し取った偉大な写真家たちの系譜、
一時代を画した写真芸術の時代はすでに終わった、
そう確信しています。

現代のデジタル写真芸術は、それが芸術であると仮定しても、
過去のフィルム写真とはまったく別個独立の表現形式と言うべきです。
一連の画像処理はまさに現実を完全に変容して、
異次元、異相の幻想画像を創造するのですから、
これは完全に異質なプロセスです。
油絵、エッチングのようなアートと同列、同次元の、
ビジュアルアートであって、
なまじリアルな画像を土台にしているために、
油絵、エッチングよりもさらに人間的真実から離隔する、
幻想表現の芸術となりつつある、そう私は考えています。

私は、成人後の半生にわたって、写真を愛してきましたが、
写真家として自分の作品の表現世界を問いたい、
と考えたことは一度もありませんでした。
写真展こそ数回参加しましたが、
私の気持ちは、自分の作品を提示することにはまったくなく、
友人たちと共同作業をする楽しさを味わいたいという気持ちでした。
自分で撮る写真は、終始一貫として私の記憶のよすがでしかないと、
自分でしっかり悟っていたからです。
自己表現の質を世に問うため、
人に見せる写真アートを創造したいという気持ちなど、
いつの時代にも皆無でした。

古いレンズを味わうというプライベートな楽しみ一点張り。
古いレンズを使うと、正確な色再現などとても期待できません。
私の2つのブログも、色再現の正確性など無縁の写真が並びます。
私は平気ですが、見る人は我慢できないでしょう。
「この人、Photoshopの使い方も分からないんだから、
とんでもないど素人だねえ」

実のところ、今更ながらの白状ですが、
私は、自分に芸術的才能など一欠片もないことを自覚しています。
だから、はなから写真家志望など無縁。

音楽、美術を趣味にする方は多いようですが、
生涯専門家として生きる志を立てて、
幼い頃から一心不乱に努力を積み重ねても、
本物のアーチストとして世に認められるのは至難です。
写真でも同様でしょう。
人に感動を与える写真作品を生涯創造し続ける正真正銘の芸術家は、
日本中を見渡しても、おそらく1世代に10人ほどでしょう。
まして、ピカソ、マチス級の真に偉大な芸術家となると、
さて、100年に1人も居るでしょうか?
(いや、一人もいない、そうおっしゃる方もいるでしょう。
でも、私は少なくとも一人、カルティエ=ブレッソンがいる!
そう信じています。だから「1人」)

もちろんアマチュア写真世界があり、
正真正銘の芸術家でなくても、写真表現を楽しむことは、
人生の楽しみとして許された趣味の中でも最高に楽しいものである。
そう言っても良いでしょう。
でも、私は、そのような慎ましい趣味のレベルにさえも
届いていない方がかなり多いのではないか、と疑っています。

20年ほども昔、写真クラブに所属していた頃、
「カルティエ=ブレッソンなんかすでに乗り越えてしまった!」
そう豪語するメンバーがおいでになりました。
自分はろくでもない写真しか撮れないのに!

現代のデジタル写真家の中には、プロもアマも問わず、
同様の気持ちの方が数知れずおいでになるだろうと推測します。
ネットでも、
私同様に、ただカメラに撮ってもらった写真を並べるブロガー女性、
カルティエ=ブレッソンの写真を見て、したり顔で一言、
「まあ、これなら許せると言ってもよいかも知れませんね」

最近もどなたかが書いていました、
「カルティエ=ブレッソンはどうして
あんなぶれたりぼけたりした写真を作品として平気で並べて居るんでしょう?」
この人なんか、最初から分かっていない。
そして、自分が分かっていないことに微塵も気づいていない。
初めてカメラを手にした人でも、ただシャッターを押せば、
曲がりなりにも写真が撮れる時代の人が言いそうなことです。

でも、どんな場合でも同じ事が言えます。
「easy come,easy go.」
と言うと、ちょっと的外れかも知れませんが、
「悪銭身につかず」にちょっと近い感じ。
昔から、あらゆる業は長く苦しい修練によって身に付ける、
これしか方法はありませんでした。
でも、現代のコンピューター技術は、
そうした修行、修練の道とはまったく異なる補完技法を
人間にプレゼントしました。
でも、ただの補完です。
コンピューターで絵を作っても、あなた任せに過ぎません。
でも、イージーな道を辿る限り、高い丘に登ることはできません。

あなたが、本物のアーチストへの道を歩んでいるか、
それとも、ただのデジタル疑似アーチストで満足しようとしているか?
簡単なテストがあります。

どんな処理をしても満足できる結果を得ることができなかったとしましょう。
そんなとき、あなたは次のどちらの方向に努力をしようと考えますか?

① もっともっと歩いて、もっともっと素晴らしい光景を見つけて、
最高の写真をスパッと撮れるようになろう!

② 画像処理ソフトをもっともっと活用して、
凄い作品に仕上げる技術を高めよう。

私は、はっきり予言できます。
①の人には希望があります。
でも、②の人は早晩飽きてしまい、
スパッと別の趣味に移ってしまうでしょう。

プロ、アマを問わず、銀塩の写真家の多くが
究極のデジタルカメラ、究極のデジタル処理に移行していきます。
でも、そのお陰で、彼らの芸術性ははっきり下降線を辿っています。

最近も、かつて、ハノイのようなアジアの都市のたたずまいを
ハッセルSWCで見事に活写していた写真家の近作を
奈良市写真美術館の特別展で拝見しました。
ケバケバしく毒々しいデジタルカラーにのけぞってしまう、
そんなデジタル画像が並んでいました。
銀塩写真時代に横溢していた凜とした気品も静謐な空気感も完全に消え去って、
デジタル色だけが画面から毒々しく飛び出してきて、
私の気持ちを逆撫でする、そんな疑似アートでした。
この人は完全に行き詰まっている、
私はそう感じました。

男と一緒。
色に溺れたら、写真家もお終いですね。

私は、いつも書きます「5つのノー」で撮っています。

ノーメイキング(やらせ、加工しない)
ノーウェイティング(見た途端に撮る)
ノーシンキング(感じたら即座に撮る)
ノーファインダー(ファインダーをのぞいて構図を作らない)
ノートリミング(撮ったままの画像を楽しむ)

私は、カルティエ=ブレッソンに倣って、画像の外側に白枠を入れていますが、
これは撮ったままを意味します。
現在はデジタルカメラですが、
画像補正はレベル補正で、ブログ掲載写真の濃度を整えるだけ。
それでも、デジタル色に勝手に変換されてしまいます。
悔しいし、つまらない。

私のような気持ちの人はまだ健在です。
たとえば、私の親友のRAさんやDAさんは、
今でも銀塩フィルムで撮っています。
私の写真の友人である写真家の林孝弘さんや前田義夫さん、
3月まで師事していた写真家の吉田正さんのような優れた作家は、
今では、デジタル一眼レフで撮り、Photoshopでプリントしているのに、
銀塩時代と変わらない高雅なモノクローム作品を製作しています。

それぞれの人生、それぞれのセンス、芸術観の違いなのでしょう。
でも、私は、上記のような気持ちを譲歩させるつもりはまったくありません。
一口で言えば、
カメラとPhotoshop、この2つのギアを使いこなすとしても、
Photoshopによる加工を優先する作品には無縁の人生を歩みたい。

今回の写真は、フォコター50㎜F4.5による、
神社道アーシングウッドのロボグラフィ。
深みのある表現には、静謐の空間の気を感じるほど。
これはやはり一角の名玉なんだな、と納得。

銀塩時代にも使いました。
他のレンズとは完全に異質、と思えるほど、
重厚な厚みのある写真で、私など、はっきり辟易させられました。
でも、不思議に、ソニーα7で使うと、
過剰気味の重厚感が後退して、
暗部の描出に長けているせいでしょうか、
ライカらしい空気感とまずまずの存在感を醸し出してくれる、
かなり信頼性の高い道具、という印象が強くなってきました。
銀塩フィルムよりもデジタル画像に適した性格のレンズなのでしょうか?
とにかく、これならロボグラフィに安心して使えそうです。





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# by Sha-Sindbad | 2019-08-14 21:35 | Focotar50/4.5 | Comments(0)

2103 幽遠に(2019年3月31日スピードアナスチグマート20㎜F1.5がアーシングウッドで)



8月になってしまいました。
本当に月日の経つのは早いものです。
でも、はっきり言えることがあります。
時間は人によって長短が違います。
そのとき、そのときの心理状態によっても違います。
期待しているなにかを待つときが、一番時間の経つのが遅いものです。
そうすると、いつもなにかを期待して待つのが良い、
とは決して言えませんね。
待つ時間は私たちになんの実りももたらしてくれないかもしれません。

時間の一番実りがよい使い方は、なんと言っても、
「時間の経つのも忘れるようななにかに没頭すること」
これでしょう。
つまり、いつも何かに心から没頭するのが一番の生き方、
それが私の考え方です。

だから、朝起きてから夜眠りにつくまで、
どの瞬間も自分が本当にしたいなにかをし続けることにしています。
一杯そんなものがあります。
でも、その中で何が一番か?
そう尋ねられますと、やっぱり次のことですね。
「なにかを考え、その考えを書き記すこと」

「本当にしたいなにか」は他にいくらでもあります。
ホロゴンでロボグラフィを撮る。
妻や友人とおしゃべりすること。
孫と遊ぶこと。
歩きまわること。
楊琴、リコーダー、二胡を演奏すること。
本を読むこと。
韓流ドラマや名画を観ること。
etc....

在職中は毎夏一人で海外を旅行することも大切な楽しみでした。
引退して、たった一回だけ旅行しました。
西遊旅行社の秘境ツアー。
もうこれで良いな、そう思いました。
1日に延々8時間もバスを飛ばす、なんてスタイルはもうごめんです。

妻は果てしなく旅を楽しんでいます。
近頃は船の旅を楽しんでいるようです。
留守宅を預かる私と我が子たち(猫ですが)なんか、
どこが面白い?、そう言い合っているのですが、
ご当人、なんだか「さまよえるオランダ人」の子孫らしく、
ますます活き活きとなってご帰還なさるようです。
その間、私はポメラでバンバンと文章をたたきまくっているわけです。
この落差が我が家の妙味、というわけです。

でも、神様は温かく配慮なさってくださるようです。
私は、子供の頃から、少しもお金を必要としない人間でした。
欲しいとも思わない。
だから、資産を蓄える、なんて、
冗談にも頭に浮かんだことがありません。
収入の可能性で職業を選んだこともないし、
在職中も、私は妻からお小遣いをもらって、
その枠内で余暇を楽しんでいました。
そんな人間ですから、
裕福な人間の裕福な生活を羨ましく思ったこともありません。
手持ちの金で買える範囲で十分幸せ、ということでしょう。
実りのない野心も羨望も心に浮かばないので、
余分な神経を使わなくて済みます。
平凡だけど、誰にも遠慮しない人生を生き続けてこれた感じがします。

そんな私にとって、至福の楽しみの一つが、
まだ資金的余裕があった時代に集めたレンズたちとのお付き合い。
今回、アーシングウッドに持ち出したのは、
ダルメーヤーのおそらく16mm用レンズ、

  スピードアナスチグマート20mmF1.5

ボケレンズとして定評のある25mmの弟分のようなレンズです。
描写性はかなり似ています。
穏やかで、茫洋としています。
私の好みです。
明快、華麗よりも、
温和で、幽遠に。



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# by Sha-Sindbad | 2019-08-09 21:26 | Sp.Anastigmat20/1.5 | Comments(0)

2102 (2019年3月29日ダルメーヤー25㎜F1.9が奈良の神社森でアーシング)



先日、インド料理店で、妻と二人で私の誕生祝いをしました。
と言っても、「Happy birthday to you」なんて歌うわけでなく、
ただ食事を頂いただけなのですが、面白いことがありました。

そのインド料理店、一ヶ月ほど前に開店したばかり。
私はインド料理店を見つけると、必ず入ります。
ナンが大好きなのです。
韓国料理店と双璧でしょう。

昔、西遊旅行でカラコルムハイウェイ、フンザのジープ旅行を
楽しんだことがありました。
もちろんインド料理が主体となるのですが、
一番嬉しかった思い出もインド料理のことでした。

エピソード1

田舎町の料理店でランチを頂いた後、
一人、近くを撮影するため店を出ようとしたときのこと。
ふっと入り口近くの地面に目をやりますと、
私たち一行のランドローバーの運転手たち5人の車座。
砂漠をラクダでわたるアラビア部族民のように、
パキスタンのカラコルムハイウェイや山岳地帯の悪路を
まるで平地のように楽々とすっ飛ばすジープ野郎たち。
回教徒ですが、ヒンズー教徒並に階級差が厳然と存在するそうで、
ランドローバーの運転手たちは最下層カーストだと聴きました。

そのリーダーがにっこり笑って手招きして、車座に招待してくれました。
これは私も同程度のカーストと見抜かれたこともありそうですが、
私が運転手たちといつも対等に挨拶、笑顔を交わしていたお陰でしょう。
いつものことですが、私は、一家の伝統で、階級差など認めず、
職場でも部下たちにも、そして目上にも、
常に対等のスタンスで付き合う人間でしたから、
運転手たちの輪に入って、砂だらけの地面に腰を下ろすのも平気。

隣の男が私にナンを手渡してくれました。
例の通り、不浄の左手を使わずにだったと思いますが、
私の方はもしかすると、その左手でうけとったかも知れません。
でも、右利きなので、ナンを右手でちぎると、
車座の中央に置かれた小さな皿にナンを突っ込んで頂きました。
そのおいしかったこと。
旅の間、挨拶以外には、一言も会話を交わすことはありませんが、
人間関係、本当は、言葉など不要ですね。

エピソード2

この旅では、もう一つ、ナンについての懐かしい記憶があります。
カラコルムハイウェイの西側の山中にジープで這い上り、
何泊かしました。
今でも忘れることのできない、魂のふるさとのような山間の里に一泊。
早朝の谷間の村の展望はさながら桃源郷でした。

アフガニスタンからの亡命者たちのナンの店に入りました。
巨大な釜の内側に大きなナンをベタンと貼り付けます。
ごうごうたる炎。
しばらくして出来上がったナンは座布団ほどもある分厚いナンでした。
一切れずつ私たちに手渡してくれました。
この出来立て熱々のナンのおいしさは格別でした。
一生、忘れないでしょう。


こんな風にインド料理にはよい思い出ばかりなので、
ちょうど良い機会と、妻と二人で入りました。
まだ午後6時過ぎなので、店全部を借り切ったような具合。
女性が出てきて、大きく分厚いカバーのメニューを手渡しくれました。
メニュー3頁目がコースメニュー。
目が飛び出ました。
「農薬野菜と。。。。」なるサラダが最上段。
「無農薬野菜」のとんでもない誤植であることは、
次の頁のメニューの先頭は「無農薬野菜」でしたから、それは確か。

推測するに、原稿を書いた人は正しく記載したのです。
でも、メニューらしく装飾を凝らした頁を製作するプリント段階で、
誰かが一個所だけ「無」を忘れたのでしょう。
でも、一般的に言えば、絶対に誰も間違う筈がないほどに、
べらぼうな致命的ミス。

早速ウェイトレスさんに指摘してあげました。
愕然とした面持ちでした。
彼女も初めて気づいたのです。
当然ですね。
気がついているのに、平気で客に出す人はいませんね。

間違うにも事欠いて、こんな間違いを犯すなんて、
とは思ったのですが、このようなミスは起こりがちです。
でも、不思議に思ったことが一つ。

このお店、すでに開店して一ヶ月ほど経つのです。
私が見るまでに、このメニューを何人の人が見たでしょうね?
それなのに、誰一人からも脱字の指摘がなかった!
なぜでしょうか?

① 誰一人、気づかなかった?
それはないでしょう。
ディナーのディッシュごとにやや大きめの活字で書かれている部分。
しかも、その先頭!
誰でも一瞬のけぞったでしょう、
「農薬野菜だって? そんなべらぼうなあ!」

② 気づいたけど、わざと指摘しなかった?
ぜんぜんおいしくなかった!
だから、仕返しにわざと意地悪してやったのだ!
というのならわかりますが、それは、食べてからのお話。
メニューをチェックするのは、食べる前。
どなたも初めての来店客ばかりのはず。

③ 幾人もの人から指摘を受けたけど、ウェイトレスの女性、
いつも驚いた顔をしても、インド人店長には知らせず、
脱字の「無」を書き加えることもしてこなかった?
でも、開店した最初の日から指摘を受けた可能性はあるのに、
店で働き始めたばかりの女性がそんな意地悪をするとは思えませんね。
しかも、そんなことをすれば、インド人店長からは、
日本人なのに、最初から気づいていなかったんだろう、
客から指摘されてもわざと黙っていたんだろうと、
当然の疑惑を受けるのが落ち。

どうやら、開店1ヶ月もしてから私が初めて脱字を指摘した事実は
厳然として揺るがないようです。
というわけで、お誕生日早々、謎に頭を絞る羽目になっています。
未だに答えは見つかりません。

さて、アーシングウッドをダルメイヤー25㎜F1.9で撮りました。
このレンズ、どうらやペッツヴァールのレンズデザインだとのことです。
たしかに周辺はぐるぐるボケ。
でも、中心部はかなり見事な像を結びます。
完全な廉価版のおそらく8㎜用レンズ。
でも、当時の使用者たちはこのレンズにかなり満足していたのではないでしょうか?
まるでチャップリンの初期無声映画の画像みたいなのですから。
おかげで、私もよく持ち出します。
本ブログの記事も40回を超えていますが、
40回を超えたレンズはほんの数本。
廉価版ですが、私にとっては愛蔵レンズなのです。




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# by Sha-Sindbad | 2019-08-04 21:18 | Dallmeyer25/1.9 | Comments(0)

2102 (2019年3月29日ダルメーヤー25㎜F1.9が奈良の神社森でアーシング)



先日、インド料理店で、妻と二人で私の誕生祝いをしました。
と言っても、「Happy birthday to you」なんて歌うわけでなく、
ただ食事を頂いただけなのですが、面白いことがありました。

そのインド料理店、一ヶ月ほど前に開店したばかり。
私はインド料理店を見つけると、必ず入ります。
ナンが大好きなのです。
韓国料理店と双璧でしょう。

昔、西遊旅行でカラコルムハイウェイ、フンザのジープ旅行を
楽しんだことがありました。
もちろんインド料理が主体となるのですが、
一番嬉しかった思い出もインド料理のことでした。

エピソード1

田舎町の料理店でランチを頂いた後、
一人、近くを撮影するため店を出ようとしたときのこと。
ふっと入り口近くの地面に目をやりますと、
私たち一行のランドローバーの運転手たち5人の車座。
砂漠をラクダでわたるアラビア部族民のように、
パキスタンのカラコルムハイウェイや山岳地帯の悪路を
まるで平地のように楽々とすっ飛ばすジープ野郎たち。
回教徒ですが、ヒンズー教徒並に階級差が厳然と存在するそうで、
ランドローバーの運転手たちは最下層カーストだと聴きました。

そのリーダーがにっこり笑って手招きして、車座に招待してくれました。
これは私も同程度のカーストと見抜かれたこともありそうですが、
私が運転手たちといつも対等に挨拶、笑顔を交わしていたお陰でしょう。
いつものことですが、私は、一家の伝統で、階級差など認めず、
職場でも部下たちにも、そして目上にも、
常に対等のスタンスで付き合う人間でしたから、
運転手たちの輪に入って、砂だらけの地面に腰を下ろすのも平気。

隣の男が私にナンを手渡してくれました。
例の通り、不浄の左手を使わずにだったと思いますが、
私の方はもしかすると、その左手でうけとったかも知れません。
でも、右利きなので、ナンを右手でちぎると、
車座の中央に置かれた小さな皿にナンを突っ込んで頂きました。
そのおいしかったこと。
旅の間、挨拶以外には、一言も会話を交わすことはありませんが、
人間関係、本当は、言葉など不要ですね。

エピソード2

この旅では、もう一つ、ナンについての懐かしい記憶があります。
カラコルムハイウェイの西側の山中にジープで這い上り、
何泊かしました。
今でも忘れることのできない、魂のふるさとのような山間の里に一泊。
早朝の谷間の村の展望はさながら桃源郷でした。

アフガニスタンからの亡命者たちのナンの店に入りました。
巨大な釜の内側に大きなナンをベタンと貼り付けます。
ごうごうたる炎。
しばらくして出来上がったナンは座布団ほどもある分厚いナンでした。
一切れずつ私たちに手渡してくれました。
この出来立て熱々のナンのおいしさは格別でした。
一生、忘れないでしょう。

そんな風にインド料理にはよい思い出ばかりなので、
ちょうど良い機会と、妻と二人で入りました。
まだ午後6時過ぎなので、店全部を借り切ったような具合。
女性が出てきて、大きく分厚いカバーのメニューを手渡しくれました。
メニュー3頁目がコースメニュー。
目が飛び出ました。
「農薬野菜と。。。。」なるサラダが最上段。
「無農薬野菜」のとんでもない誤植。
次の頁のメニューの先頭は「農薬野菜」でしたから、それは確か。
推測するに、原稿を書いた人は正しく記載したのです。
でも、メニューらしく装飾を凝らした頁を製作するプリント段階で、
誰かが一個所だけ「無」を忘れたのでしょう。
でも、一般的に言えば、絶対に誰も間違う筈がないほどに、
べらぼうな致命的ミス。
早速ウェイトレスさんに指摘してあげました。
愕然とした面持ちでした。
彼女も初めて気づいたのです。
当然ですね。
気がついているのに、平気で客に出す人はいませんね。

間違うにも事欠いて、こんな間違いを犯すなんて、
とは思ったのですが、このようなミスは起こりがちです。
でも、不思議に思ったことが一つ。

このお店、すでに開店して一ヶ月ほど経つのです。
私が見るまでに、このメニューを何人の人が見たでしょうね?
それなのに、誰一人からも脱字の指摘がなかった!
① 誰一人、気づかなかった?
それはないでしょう。
ディナーのディッシュごとにやや大きめの活字で書かれている部分。
しかも、その先頭!
誰でも一瞬のけぞったでしょう、
「農薬野菜だって? そんなべらぼうなあ!」
② 気づいたけど、わざと指摘しなかった?
ぜんぜんおいしくなかった!
だから、仕返しにわざと意地悪してやったのだ!
というのは、食べてからのお話。
メニューをチェックするのは、食べる前。
どなたも初めての来店客ばかりのはず。

③ 幾人もの人から指摘を受けたけど、ウェイトレスの女性、
いつも驚いた顔をしても、インド人店長には知らせず、
脱字の「無」を書き加えることもしてこなかった?
でも、開店した最初の日から指摘を受けた可能性はあるのに、
店で働き始めたばかりの女性がそんな意地悪をするとは思えませんね。
しかも、そんなことをすれば、
日本人なので、最初から気づいていなかったんだろう、
客から指摘されてもわざと黙っていたんだろうと、
店長の当然の疑惑を受けるのが落ち。
どうやら、開店1ヶ月もしてから私が初めて脱字を指摘した事実は
厳然として揺るがないようです。
というわけで、お誕生日早々、謎に頭を絞る羽目になっています。
未だに答えは見つかりません。

さて、アーシングウッドをダルメイヤー25㎜F1.9で撮りました。
このレンズ、どうらやペッツヴァールのレンズデザインだとのことです。
たしかに周辺はぐるぐるボケ。
でも、中心部はかなり見事な像を結びます。
完全な廉価版のおそらく8㎜用レンズ。
でも、当時の使用者たちはこのレンズにかなり満足していたのではないでしょうか?
まるでチャップリンの初期無声映画の画像みたいなのですから。
おかげで、私もよく持ち出します。
本ブログの記事も40回を超えていますが、
40回を超えたレンズはほんの数本。
廉価版ですが、私にとっては愛蔵レンズなのです。

# by Sha-Sindbad | 2019-08-03 12:59 | Dallmeyer25/1.9 | Comments(0)

2101 馥郁と(2019年3月27日ズマロン35㎜F3.5が観光都市奈良の現在を)



人間にとって一番魅力的な視覚対象は?
誰かにそう尋ねられたら、あなたはどう答えますか?
もちろん、答えは一つですね。

   人間!

もちろん観たくない人間だっていますね。
でも、あなた以外の人間が全部消え去ったら、どうですか?
生きていくことができませんね。

あなたが写真家だったとして、
一番撮りたい被写体は何ですか?
誰かにそう尋ねられたら、あなたはどう答えますか?
人によって、様々でしょう。
でも、アマチュア写真家時代の私にとっては、答えは一つでした。

   人間!

偉大な写真家の多くは、人間を撮ることで偉大性を獲得しました。
カルティエ=ブレッソンや木村伊兵衛が
まさしくそんな写真家の頂点ですが、
アマチュア写真家だった時代に、
魅力的な人間を沢山撮る幸運に恵まれた人、
それが、アンリ・ラルティーグですね。

古き良き時代のフランス人たちの優雅な日常を、
誰よりもたっぷりと撮り続けることができた人です。
1894年、富裕な家庭に生まれ、幼くしてカメラをプレゼントされ、
日常を撮り続けました。

 12歳のときに撮った「カロリーヌ叔母、ブラントヴィーニュ氏」
 17歳のときに撮った「女優のアルレット」

どちらも傑作。
いつ、なにを撮ったらよいのか?
彼はその頃既に知っていました。
当時から彼は巨匠でした。

それが才能、というものでしょう。
写真好きは沢山居ますが、
才能のある写真好きって、千人に一人、万人に一人でしょう。
そんな人が「写真家」なのでしょう。

私はもちろん写真の才能なんて皆無でしたが、
写真を好きになる才能なら、たっぷり持っていました。
ありあまるほどなので、良い写真を好きになるだけではなくて、
自分の写真なら、なんでも好きになる才能。
これがあるから、半世紀近く、写真を撮り続けてこれたのでしょう。

「芸は身をたすく」と言います。
「自分の写真なら、なんでも好きになる才能」があるゆえに、
私は写真をいつまでも愛し続けることができます。
人からの是認、賞賛を必要としない。
だから、一人で撮り続けることができるのでしょう。

ホロゴンウルトラワイドに出会う前、
私はズマロン35㎜F3.5に夢中でした。
それ以前のお気に入りがフレクトゴン35㎜F2.4。
つまり、私は35㎜レンズに魅せられていたわけです。
今でも、やっぱり魅せられています。
人間、変わらないものです。

私が35㎜レンズをフレクトゴンからズマロンに替えた理由、
それは、完璧な空気感よりも、
温かな穏やかさに好みが変わったからでした。
今でも、好みは変わっていないようです。




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# by Sha-Sindbad | 2019-08-01 11:55 | Summaron35/3.5 | Comments(0)

2100.02 夢幻(2019年3月31日スピードアナスティグマート25㎜F1.5も僕も夢うつつに歩いた)



今回は高畑町、奈良町あたりをぶらぶら歩きした記録です。

装備は、私にとってお気に入りのセットの一つ。

  オリンパスE-PL1 
  スピードアナスティブマート25㎜F1.5

いつも通りに、ただのロボグラフィです。
いつもは、私の足跡記録なので、時系列、つまり、撮影順に並べています。
後日見たとき、状況を脳裏に蘇らせるのに便利だからです。
でも、今回何気なくブログ用に小型化する作業を済ませてみると、
高畑町での撮影分の間に奈良町の分が挟まってしまいました。
どこかでベルトの穴を掛け違えた感じ。
こんなことは記憶にはないし、
そうなった理由も心当たりがありませんが、
それじゃ、ブログにアップするために改めて時系列に並べ替えるか?
となると、はっきり言って、そんな手間を掛けるつもりはありません。

公式の回答とすれば、
「組み写真じゃないから」ということになりそうですが、
どう並べようと、私はその写真を見れば、撮ったときのことを思い出せます。
あなたは、どこかに行ったときの懐かしい思い出を、
時間順に思い出しますか?
そんなことはありませんね。
フラッシュバックのように、なぜか一瞬、一瞬が、
順不同に脳裏に浮かんで来るのではありませんか?
だから、実のところ、どんな並べ方でもよいのかも知れません。

随分前、高名な写真家の有野永霧先生にお会いしたとき、
ネパールで撮影したストリートフォトを
キャビネで30枚ばかりご覧頂いたことがあります。
先生、卓上一杯に並べた写真をさらっとご覧になって、

  「私もそうなんですが(実はそうではありません)、
  こんな風に、コンセプトをあらかじめしっかりとまとめないで、
  行き当たりばったりに写真を撮る人は、
  コンセプトに基づいて撮る人にどうしても及びません。」

まことにおっしゃるとおりです。
カルティエ=ブレッソンも木村伊兵衛も、
写真集や写真展では私と似たような写真群です。
つまり、単写真の集まり。
カルティエ=ブレッソンは、第二次世界大戦後マグナム結成後は、
もちろんマグナム派遣ドキュメンタリストとして稼働しましたが、
彼の名声をますます高めたゆえんは、
そうした有名誌掲載のフォトドキュメンタリーのお陰ではなく、
その中から適宜ピックアップして、
ストリートフォトの傑作写真集を出版し、
写真展を開催したことによります。

写真史の流れはもちろん写真の「目は口ほどにものを言い」式の
ドキュメンタリー性へと進んできたわけで、
カルティエ=ブレッソンや木村伊兵衛の傑作写真集的な時代は
超克されたとされています。
でも、私は、写真の社会性、社会的機能の発揮とはまるきり無縁、
しかも、あまり心に迫るドキュメンタリー写真作品にも出会えず。
自分の写真は、そんな時流とは関わりなく、
自分の思い出を写真にとどめたいという気持ち。

そんな私の気持ちを代弁してくれるエピソードが、
太宰治の富岳百景にあります。
彼が寄宿していた旅館にバスで変えるとき、座席を老女と共にします。
文章こそ記憶していませんが、老女は悲しげで、
バスガイドの言葉にも耳を傾けず、
窓の外を憂わしげに眺めていたのですが、
ふっと、隣の太宰に聞こえよがしにつぶやきました、

  「おや、月見草」

そのとき、老女に指し示された、路傍にひっそりと咲く月見草の姿に、
太宰はすっかり魅了されてしまいます、
その一節、グーグルで見つけました、

  「3378mの富士の山と、立派に対峙し、
  微塵も揺るがず、なんと言うか、
  金剛力草とでも言いたいくらい、
  けなげにすっくと立っていた
  あの月見草は良かった。
  富士には、月見草がよく似合う」

私が太宰に出会ったのは、妻から薦められて、10年ほど前なので、
私は、自分が同じ彼と同じ気分を、
都会の裏通りの路傍のものたちを感じてきたことに、
少し誇らしい気持ちがします。

ただし、私は学生時代に、岩波文庫の「ワーズワース詩集」に出会って、
「路傍の百合にも神が宿る」というような趣旨の言葉に、
震えるほどの共感を感じたことを思い出しました。
私にとっては、ワーズワースの方が原点。
そして、ふっと思うのですが、
太宰の上記の一節はワーズワースの詩に想を得たのではないか、
とさえ思えてしまいます。

そう考えて、正確にはどんな一節だったか、
調べようと、書棚を探しました。
若い頃から壮年期にかけて、現在に数倍する蔵書を楽しんでいました。
幾度もの転居の都度処分し、最後に、終の棲家と考えて現住居に移る際、
私の書斎はわずか5.6畳、妻の書斎の半分しかないということで、
ごっそり処分してしまいました。
でも、上記のワーズワースの岩波文庫版は残した、
そうはっきり記憶していました。
でも、どこにあったか記憶していないので、探しました。
2mを超える幅の巨大なビューロー式机が窓側を占拠しているので、
東側の書棚と机の間は40㎝しかありません。
天井に接する一番上の段が文庫本用に低くなっているのですが、
何分文庫本たち古くなって、題名が下から読み取れません。
やむなく、書棚の下の段に足を掛けてよじのぼると、
本が奥に並ぶ前のスペースに一冊だけ横になって放置されていました。
見ると、私が自製した箱式の保存箱背表紙に、Wordsworthの一文字。
まったく偶然の巡り会い。
そして、パッと頁を開いて、目に飛び込んできたのは、
前記とは別の詩句でしたが、太宰の発想の元になったとしたら、
こちらの方がふさわしいと思える一句でした。

  いともささやかなる一茎の花も、屢々、  
  涙にあまる深き思いをわれに与うる。

私がうろ覚えに覚えている、神が宿る百合の詩句は
ついに見つかりませんでした。
まあ、良いでしょう。
私にとって大切なことは、
私が写真を始めた学生時代すでに、
写真ではまだ意識しなくても、
文学としては、今私が常に意識するロボグラフィ的なファクターに、
既に心が強く動いていたことを確認できたことでした。
どうやら私は学生時代からあまり成長していない、
ということかも知れませんが。




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# by Sha-Sindbad | 2019-07-24 18:46 | Sp.Anastigmat25/1.5 | Comments(0)

2100 時代遅れ(2018年2月22日パンタッカー50㎜F2.3は西九条を何度撮影したことか?)


写真アートが本格的にアートの世界に地歩を築いたのは、
20世紀初頭からでしょう。
それとともに、写真趣味も普及し始めました。
よほどの才能がある人でない限り、
写真趣味が写真家的な作品作りに発展することは極めて難しいあたり、
絵画や音楽とも共通性がありました。
素人は素人、とてもアーチストのパフォーマンスには近づけませんでした。

でも、完全自動カメラからさらに進んで電子カメラ化され、
Photoshopなどの画像処理ソフトが普及する現代に至って、
表面的にではありますが、そうした障壁は崩れ去った感があります。
修業時代は不要となり、
初心者があっと言う間に、自分は天性写真家なのだと思い込み、
大家然と振る舞う時代になってしまいました。

フィルムカメラの時代、
経験者、さらには大家の持つ体験、センスの重みは圧倒的でした。
経験、修行、師匠の重みがものを言った時代でした。
だから、一丁前に作品を作るなんて、容易に実現できない夢。
だから、長年の実績がある写真家からなんらかの教え、
ヒントを受けることには大きな価値がありました。
デジカメ時代になると、
そんな体験の積み重ね、修業はほとんど無意味と化しました、
というより、そう見えるようになりました。
カメラや画像処理ソフトが、苦しい修業の代わりに、
凄い画像をプレゼントしてくれるのですから。

アルティエ=ブレッソンのモノクローム作品に接したデジカメ女性が、
ブログに自信たっぷりに書きました、
  
  「まあ、許せる範囲かも?」

別のデジカメ写真家が、
「ブレッソンって、どうしてぶれた写真を作品でございと発表しているのでしょう?」
畳一枚ほどならいくらでも伸ばせる超精密デジタル写真をいつも撮っているので、
それができない過去の写真家の写真作品などまるで参考にならないのです。

こんな人は、カルティエ=ブレッソンが撮った写真を
トリミングなしに作品として発表したと聴いたら、
きっとこういうでしょう。

  「バカなこだわりだね。
  分かってないんだねえ。
  パソコンの前に座ってからが勝負なのに、ねえ!」

私は、写真芸術は滅びつつあると思っています。
カルティエ=ブレッソンや木村伊兵衛のような、
味わい豊かなストリートフォト、ドキュメンタリーは、
創る人がいなくなったばかりではなく、
その価値を認める人も居なくなりつつあるのですから。

かつてフォトグラフィが「写真」と訳されたのは、
写真は現実のあるがままの記録として無限の価値があると考えられたためでしょう。
今、デジタル写真も映画もコンピューターグラフィックス、
完全なフィクションとなってしまいました。

私もその潮流に押し流されて、デジタル写真の海にアップアップしています。
いかなる創作意図もないまま、眺めた瞬間、シャッターを押し、
記録されたデジタルデータそのものを最低限レベル補正したりしなかったりして、
一記事を構成する写真群を平準化するだけ、というのが私の写真なのですが、
画像処理ソフトでいじり倒したデジタル作品との間に、
はっきりとした懸隔があるわけでなく、
結局、私もデジタル写真の制約の下に写真趣味を楽しんでいるわけです。

価値は制限から生まれるものです。
フィリム写真時代の写真家は、
フィルムに焼き付けられたシーンを変改することはほとんどできないから、
撮影行動の一瞬一瞬が取り返しのつかない1本勝負だったのです。
だから、写真に気合いが入り、面白かった。

現代のデジタル処理画像は、申し訳ありませんが、
まるで腰が据わっていません。
ああ、時代は変わるものですね。
というより、むしろ無限に退行していくものですね。

人間も、小賢しい才子ばかりで、
西郷隆盛や坂本龍馬のような時代を突き抜ける大物は
絶対に現れない、現れようとしても、寄ってたかって潰される、
そんな袋小路の末世になってしまいました。

気が滅入るので、レンズの話に戻りましょう。

  アストロ・ベルリンの映画用レンズ、
   パンタッカー50㎜F2.3。

私のセカンドエース。
例の通り、画像処理は最低限レベル補正にとどめ、
私の30年来の「5つのノー」、
   ノーメイキング
   ノーウェインティング
   ノーシンキング
   ノートリミング
   ノーファインダー
これを可能な限り遵守しています。

ただし、超接近はさすがに置きピンでは撮れないので、
ファインダーをピント合わせのための拡大画面にしたままにして、
ピントを合わせたい部分のピントと合わせたら、
即時、画像全体を見ることなく、シャッターを切っています。

なぜ、そんなことをするの?
しっかりファインダーで構図をチェックするのが作品作りの基本じゃないの?
そうおっしゃる方もおいででしょう。
私の回答はシンプルです。

  ① 私は写真作品なんか創っていません。
  ② 人に見せる目的は一切ありません。

じゃ、このブログはなんなの?
これは日記です。
それじゃ、閲覧不可にすればいいじゃないの?
友人への通信でもあります。

  こうして、元気に生きてるぞ!
  心配するなよ!

純然たる閲覧不可の昔風日記になったら、
緊張感を失い、あっという間に、無期限休止になるでしょう。
だから、そんなことをするつもりはありません。

そんな設定にしなくとも、
長大な駄文、無数の駄写真のおかげで、
偶然の検索結果で訪問する方以外には誰も来なくなりました。
おかげで、平安の人生を送れます。

つまるところ、私の2つのブログは、未来の私に当てたラブレター。
ただし、あまりにも膨大な上、
近いうちに、エキサイトがブログ事業から撤退し、
世界のブロガーユーザーをさらりと斬って捨ててしまうでしょう。
ブログは、正真正銘、自由な精神からのメッセージの場です。
独裁者が民衆をほしいままに操作する障害になるだけなのですから。

というわけで、私のブログは、私にとっては、
未来の私が読み返すことはほとんど期待できないラブレター。
そんなブログでも、こうして記事を用意する時間は、
私にとってなにものにも代えがたい貴重な一時なのです。




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# by Sha-Sindbad | 2019-07-21 23:28 | Pan.Tachar50/2.3 | Comments(0)

2099 人々(2019年4月10日ズミクロン35㎜F8八枚玉が奈良町スナップを楽しんだ)



どなたもそうだと思うのですが、
私は生涯にかなり沢山の人と会ってきました。
人間は一体生涯に何人の人と出会うのでしょう?
そうやって日々出会う人の中に初対面の人が混じっている率は
どれ位でしょう?

生涯に出会った人の数が一番多い人って、誰でしょう?
もしかすると、ナポレオンかも知れませんね。
生涯に幾度会戦を行ったのでしょう。
その都度大変な数の軍勢を指揮しました。
もちろん政治構造、軍隊構造はどれもピラミッド構造ですから、
彼が本当に人間性、能力を把握すべきスタッフの数は
かなり限定されていたかも知れません。
でも、ナポレオンは、スタッフの才能を熟知し、
適材適所に起用することで勝利を収め続けたのですが、
その理解の中には、将軍たちがどのようなやり方で軍団を指揮するのか、
互いにどう協力し合えるのかを的確に理解することができたから、
生涯においてほとんど常勝を続けることができたのでしょう。

それに、ナポレオンの記憶力、関心の深さは特別だったようです。
エルバ島から奇跡のカムバックを果たした時のことです。
彼は整列した近衛兵たちを一人一人名前で呼びかけた、
というのですから、本当にただものではありません。
近衛兵たちは心を揺さぶられて、
「陛下のためには死んでも良い」と思い詰め、
ワーテルローで死んでいったのでしょう。

私は、職業時代、大した仕事ではありませんでしたが、
ナポレオンとはまるで異なる場面で人と出会い続けました。
ナポレオンが軍を指揮したときに必要とした眼力とは別の眼力が必要でした。
でも、初対面で、どんな人間なのか、ほとんど判断材料がない。
そこで、なにを重要な判断材料に使ったか?
目と言葉、この二つでした。
じっと目を見つめながら、あれこれと会話を交わす、
そうすると、どんな人間か、段々と判ってくるものです。
そして、もう一つ、同じくらいに大切なことは、
相手も私のことをわかってくれます。
ある種の信頼関係が結ばれないと、
この世の大抵のことはうまく行かないものですね。

私と同じ立場に居ながら、ほとんど相手と目を合わせない人がいます。
会話も満足に交わさない。
これで相手が判るのだろうか?
相手の心をつかめるのだろうか?
いつもいぶかしく感じたものです。

でも、人をそんなに簡単に理解したつもりになるのは危険ですね。
目を合わせないように見えて、実はこれが作戦。
さりげなく斜交いに相手を観察する、
それがそんな人の手法なのかもしれません。
実は、路上スナップって、このようなタイプの人向きなのかも知れません。

カメラを持ちながら、路上を進むのです。
対面歩行しつつ近づいてくる人の中には、
スナップ写真家じゃないかと気づく人だっているでしょう。
そうすると、向こうも、何気ない振りをしながらも、
警戒を怠らないかも知れません。
その警戒の意味は人さまざまでしょう。
たとえば、世界中でかなりの国で、
撮られることを歓迎する人たちも多いようです。
中国も、高齢者はいやがりますが、若者は大歓迎。
大きな流れとしては、世界中がビジュアル化して、
喜んでレンズの前でパフォーマンスする人が増えているようです。

そうではあっても、それがスナップに好都合と言うでもありません。
気づかれたら、その人はお好みの表情をさっと作るので、
写真になりません。
自然な振る舞いの瞬間をキャッチするのが
スナップ写真のコツだからです。

昔、カメラを胸に固定して、レリーズで撮る写真家が居ました。
これって、むしろ、「今から撮りますよ」と、
進んで宣伝しているようなものではありませんか?
私は、片手にカメラを持ち、
あるいは、ホロゴンのように両手で持ちながら、
撮りたい人を10m以上前方で見分けます。
そして、それからは全くあらぬ方に視線をやりながら、
さりげなく歩みを進めます。
そんな風にしても、目の片隅には見えています。
そして、「今だ!」と心がささやいた瞬間に、
シャッターを落とします。

実のところ、ロボグラフィ専科に徹するようになって、
ストリートフォトはほとんど止めていました。
近頃、また撮り始めているのです。
いざという瞬間の撮影行為はかなり下手になっています。
でも、楽しいものです。
撮りたいと思う何かを持っている人しか撮りません。
それが何かを共通して言い当てることはできません。
人さまざまです。
だから、魅力もさまざま。
でも、魅力があるから、撮ります。

スナップ写真家が10人同じストリートを同時に前後しながら歩いたら、
それぞれ独自の瞬間、別々の人を撮るでしょう。
スナップもまた一つの人間関係なのですから。
でも、この頃、久しぶりにスナップ路線も併用するようになり、
ストリートでのノーファインダースナップを楽しむようになっていますが、
かなりコツを忘れてしまったようです。
きっと動きも傍目にはぎこちないことでしょう。

どうやら県外に撮影に出ることがほとんど無くなり、
奈良市内の同じエリアを巡回しているのですから、
目先の変わったことも試して、心を躍らせる体験もときにはしてみたい、
というところでしょうか?

カルティエ=ブレッソンがズミクロン35㎜F2を愛用したかどうか?
私は知りません。
彼は生涯ライカを主に使ったようですが、作品を観る限り、
28㎜から135㎜までさまざまな焦点距離のレンズを使ったようです。
でも、一番の主力は50㎜と35㎜だった感じ。
初期にはエルマーが主力だったことは間違いがありません。
私が撮っても、とても似た味わいで撮れるからです。
もちろん作品の質ではありませんよ。

初期のスクリューマウントのズミクロン35㎜は使ったのではないか、
という感じがします。
かなり大きなスケールでの作品群がかなりあり、
パースペクティブもかなり自然で、
21㎜はもとより28㎜ならもう少し極端だろうという感じがするからです。

面白いことは、カメラ位置。
彼の場合、多くの作品で、
カメラが高い位置にあったことを感じさせるパースペティブ。
つまり、彼は立ったまま、丁寧にファインダーを覗いて撮っていた。
しかも、彼はたしか190ほどの長身。
だから、いつも若干見下ろすような感じがあります。

木村伊兵衛も同様の撮り方だった感じがします。
さほど長身ではなかったので、
カルティエ・ブレッソンほど見下ろす感じは少ないのですが、
やはり人物よりもちょっと高い視点を感じさせます。

二人とも撮影の瞬間に作品を作ってしまいたい、
そう考えて居られたのでしょう。
撮影は常に真剣勝負でした。
私の場合は、作品作りという目標がないので、その点、実に気楽。
奈良の諸処でズミクロン35㎜F2八枚玉を、
すべてノーファインダー、ウェストレベルで撮りました。
ちょっと古めかしい色合いですが、
ネガフィルムの時代、もっと古めかしかったことを覚えていますので、
これはこれで新鮮味があって、よろしい。

でも、現代レンズとPhotoshopに慣れている方は、
なんと色の悪いレンズ、使い物にならない、
そうお感じになるでしょう。
私は、Photoshopで、正しい色再現に修正するつもりはありません。
確かにクラシックレンズはそれぞれに独特にずれています。
現代人はそれを欠点と呼び、
私は個性、コクと呼びます。
人間の面白さも同じスタンスがある感じですね。
人間って、欠陥だらけです。
独自の長所を得るために、なにかを捨てた、ということもありそう。

現代人の理想像は、使う側から言いますと、
いわば高性能な部品として有効に機能すること。
個性、癖など無駄なファクターなのです。
現代では、商品開発、新機構の整備等、新たな計画は、
一部のプロジェクトチームがコンピューターを駆使してプログラムします。
計画、プログラムの実施者はすべて厳格な役割指定を受けたパーツとして、
システムに組み込まれます。
要するに、人間は部品化しつつあるようです。
部品の理想はなにか?
廉価に製作調達でき、取り換え簡単、代替可能、ということ。
ああ、人間は部品になってしまいそうですね。

そこで、写真に話を戻しますと、
現代では、撮影行為は創造行為の準備段階に過ぎません。
大切なことは画像処理ソフトで、思いのままに加工して、
斬新かつ独創的な画像ファイルを創造することにあります。

ここだけの話ですが、
私には、そうして創造された現代の作品が面白くないのです。
ちっとも心が動かないのです。
これは写真じゃない!
現代の写真芸術は次の異質な2つのジャンルが混在する過渡期にある、
これが私の評価です。

  ①写真アート
  ②ビジュアルアート

いつかは、①が消滅し、②だけになってしまうでしょう。
今でも、②の制作者たちは、
銀塩カメラによって作られた写真作品を
憐憫の情をもって見下す時代になってしまいました。
もうその時代は始まっています、
こんなことをうそぶく初心者自称アーチストがいます、
「カルティエ=ブレッソンって、
どうしてあんなにぶれた写真を平気で作品にしているんですか?」
「昔のカメラで撮った写真って、
まあ、許せるかな、という感じですね」

私はこんな人たちと一緒に写真を語り合いたいとは思いませんね。

それにしても、思います。
今回撮った人たちのほとんどが海外からの観光客。
そうした人たちも日本人も、
なんとしっかりしていることか!
政治家たちは著しく劣化しているけれども、
一般人は決して劣化していませんね。





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# by Sha-Sindbad | 2019-07-18 23:22 | Summicron35/2 | Comments(0)

2098 秘境(2018年11月11日キノプラズマート19mmf1.5持ってミステリーツアーに)



昨年の11月11日、妻とミステリーバスツアーに参加しました。
私は退職後たった一回参加した西遊旅行の雲南省秘境ツアーで、
もう秘境ツアーもただの旅もこりごり、
という心境に至った後のこと。
私は秘境の町であっても、ただの町であって、
隅から隅まで一人で歩き回りたいのです。
ところが、秘境ツアーなるもの、
ユーザーの希望を担って、秘境たっぷり駆け回るツアー。
一日8時間もバスに乗るって、あなた、我慢ができますか?
秘境は、へディン以来、2本の足で歩くのが定石なのに、
バスであっちに走り、こっちに走り...
もうコリゴリです。

ところが、妻はどんな形であれ、旅が大好き人間。
前世は旅回りの一座のお姫様役、
いや旅回りのサーカスのブランコ乗りだったらしい。
まったく厭きません。
そして、ときどきこうして勝手に予約して私も連れ出します。

関西、とくに大阪を起点とする日帰り秘境ツアーって、
行くところが限定されています。
若狭湾や和歌山南部の海岸線、山陽道は、
いずれも強行軍になってしまいます。
年配客だらけの近頃ではとくにとても企画できません。
勢い琵琶湖沿岸となります。
どうせ近江八幡から彦根、長浜止まりだろう、そう多寡をくくって、
おっと滋賀をくくっていたら、そのとおりでした。
近江八幡の北縁あたり。
名前は忘れましたが、誰も来ないような小さな古い神社、
水郷めぐり、そして、マイナーな酒造を周るツアーでした。
どこが秘境なの?

携帯したセットは、

  オリンパスE-PL1
  キノプラズマート19㎜F1.5

このレンズ、以前に幾度も書きましたが、eBayの出品。
錆だらけボロボロのキノプラズマートの歪んだ姿、
まさしく残骸でしかない惨めな姿の写真立ち。
ダメ元で入札したら、誰も競合せず、ごく安価で手に入れました。
大阪梅田のマツモトカメラの松本さんにオーバーホールをお願いしました。
いつも誠実な仕事をなさる方です。
シンデレラ並の、あっと驚く美女に変身しました。
それ以来、私の秘蔵の1本。

今回の秘境ツアーでは、ひたすら撮影に徹しました。
一行から別行動のような感じ。
こうして撮った写真、
と言っても、いつものロボグラフィですが、
ブログ掲載用に小型化しながら、
心の底から感じました。

ああ、ぼくは、こんなレンズたちのおかげで、
自分の好きな光景、ものたちを、
自分の大好きな風に写真にできる。
なんて幸せなんだろう!

こんな風に書きますと、お分かりになるでしょう。
私は自分の写真が大好きなのです。
私は私の写真が一枚残らず大好きなのです。
でも、誰も私の写真にはなにも感じません。
長い間写真趣味を続けて、私が常に感じてきたことは、
孤立感だったかも知れません。
私がなんの工夫もなく、
目の前のなにかにどんと近づいて、ぱっと撮る、
という素人風の撮影に徹してきたせいもあるかもしれません。
ただ撮っただけ、という安直さが一目瞭然の写真たち。

多くの写真家は、
他の追随を許さぬ名人芸的写真術、
絶対的瞬間を切り取る忍耐力、企画力で、
見事な切れ味の写真を創造します。
私の写真にはそんな写真術も妙技も欠片もありません。
第一、待たない。
以前からよく書きますが、
「5つのノーを言える男」で通してきました。

  ノーメイキング
  ノーウェイティング
  ノーファインダー
  ノーシンキング
  ノートリミング

20年前ホロゴンウルトラワイドを手に入れて確立した手法ですが、
その時点で写真作品を作る気持ちを捨てた、
ということが判ります。

開放値の小さなレンズはさすがにピント合わせが必要ですが、
ソニーα7やオリンパスE-PL8は私のためにできています。
液晶ファインダーをピント合わせ用に拡大できます。
私は常に拡大にしておいて、ピントを合わせると、
ただちにシャッターを押します。
写真は新鮮な瞬間を撮りたいものです。
シャッターを押しますと、液晶画面が元に戻りますが、
そうなっても後の祭り。
そのまま次の被写体を探します。

今回の写真たち、例によって、私の出会いの記録でしかありません。
写真家なら、フォトジェニックな被写体を探すでしょう。
私は、そんなものとは無縁。
意味不明、場所不明、もの不明のもの、
中には、お邪魔虫のように違和感たっぷりのものも混じりますが、
全部私のかわいいロボグラフィたち。




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# by Sha-Sindbad | 2019-07-15 21:54 | KinoPlasmat3/4inchf1 | Comments(0)

2097 一変(2019年4月4日パンタッカー50mmF2.3の登場でアーシングウッドが神域に)



近くの神社の森をアーシングウッドと名付けて、
心身浄化の場としてから、数ヶ月が経ちました。

春の頃はどんな時間帯に行っても、
散歩する方に出会いましたが、
6月半ばが過ぎた頃から、人影はほとんど消えてしまいました。
どうやら夏場にさしかかり、蚊だの、蛇だの、と、
皆さんのいやがるキャラクターが出没する季節、
ゆっくりと逍遙する気持ちになれない方が多いようです。

私は、若い頃からもっと剣呑な輩の出没する修羅場で生きてきましたので、
蚊にせよ、蛇にせよ、かわいいものです。
蛇はちょっかいを出さなければいいし、
なぜか、蚊は私を刺さないで、大事にしてくれます。

若い頃、アフリカで、シュバイツァー博士は、
蚊やハエをけっして殺さなかったと読んで以来、
なるべく虫も殺さないようにしています。

ムカデは近頃あまり見かけなくなりましたが、
田舎町では、屋内でよく出没しました。
布団の中まで入ってきます。
ちょっとガサッと音がしただけで、
さっと目を覚ますようになりました。
殺し屋とか西部の拳銃使いって、こうなんだな、と実感。
私も瞬時に覚醒します。
殺し屋はピストルに手が伸びますが、
私の手がサッと伸びてつかむのは、傍に置いたタオル。
赤電球を点けたままなので、黒いガザゴソは瞬時に見つかります。
ムカデを見つけた瞬間、サッとタオルを掛けるのです。
すると、なぜかムカデ君も負けていません、
逆立ちして百足でタオルをしっかり掴まえるのです。
すかさず、ムカデ君が格闘するタオルを丸めて戸外に出て、
タオルをサッと一振り。
ムカデは伊達に沢山の足を親からもらったわけではないようで、
4、5本はずっこけているのかも知れませんが、
まあとにかくさっと足で着地。
そして、あたふたと逃げて行ってしまいます。

新聞紙などで叩きつぶす人がいますが、
後で床をキレイにしなければなりません。
第一、ムカデは、事故で人間を嚙みつかない限り、
害虫ではないのですから、大事にしてあげましょう。
おっとまた余談。

今回持ち出したのは、ホロゴンに続く最愛のレンズ、
パンタッカー50㎜F2.3
ソニーα7につけています。

私にとってこのレンズはなにか?

  ホロゴンとともに、私の写真遊びの両輪、
  つまり、人生の友。

そう言い切ることができます。
なぜ?
なぜか、など、分かりません。
そんな理由を一口で言い切ることができるのであれば、
飽きるのもすぐでしょう。
本当に相性が良い存在、
たとえば、妻。
お互いに一生変わり続けていきます。
スーフィ教の輪舞の祈りのようなものではありませんか?
互いに距離も位置も大勢も変わりながらも、
なぜかいつまでも、どこまでも輪を描いて踊り続けられます。

上記2本のレンズもそうです。

このレンズはここが良いんだ、などと、
一口、二口、十口、百口で説明し切れるレンズ、
これはただのテンポラリーなお気に入りに過ぎません。
どこかで倦きます。
飽きなくても、存在を忘れます。

でも、ホロゴンと出会って20年、
パンタッカーと出会って15年、
忘れたことがありません。
それどころか、何度付き合っても驚きばかり。

さて、アーシングウッドでも、
パンタッカーは活き活きと変身してくれました。
何度も撮った光景ばかり。
でも、今、この瞬間に初めて出会った!
そんな新鮮な印象で迫ってきます。

誰もが同じ印象を抱くとは思いません。
感じる力も、感じるものも人様々なのですから。
でも、感じるにせよ、感じないにせよ、
誰かの写真を見たときに、私は、たちどころに感じます。
この人は違う、なにかを感じて撮っている!
この人は並、カメラ、レンズにただ撮ってるもらっているだけだ!

10年ほど前だと思います。
私の親友の写真展のギャラリーで。
いかにも永年撮ってきたという風情の70年配のカメラマン、
ぐるっと回ってから、
こう聞こえよがしに一声放って去りました、
「こんなん、誰でも撮れるわ!」

この人が写真展の作家をバカにする発言をわざとするあたり、
苦労して撮ってきた作家への人間らしいリスペクトを欠いていて、
まず人として落第ですが、
こう振る舞うことで、自分を高めたい、というわけです。
でも、一番いけないところは、
一見そう見える作品群のプレゼンテーションに作家がどんな意図を込めたか、
もう少し踏み込んで考えてみようという、配慮と鑑賞眼を欠いている点。
写真家とは言えませんね。
ただのハイアマチュアであることを自ら暴露している。
こんな高慢な方に出会うと、私はいつもそう感じます。

こういう人を表現する言葉はいくらでもあります。
「めくら、蛇に怖じず」
「井の中の蛙」

司馬遼太郎が小説「北斗の人」に、恰好のサンプルを書いています。
この話が好きなので、すでに少なくとも2度は書きました。

主人公千葉周作が崖っぷちの桟道を通っていたときのことです。
反対側から、侍二人。
すれ違えません。
にらみ合いになりました。
相手の武士が言いました、
「四つん這いになれ。またいで通る」
二人四つん這いになるより、一人がなる方が危険は少ないので、
提案は合理的ではありますが、
やっぱり相手を自分より下と見ての横暴。
じっと顔を見つめていた周作、
黙って四つん這いになりました。
相手の二人、「俺たちが上」とご機嫌でまたいで通りすぎた後、
先頭の武士が相棒に言いました、
「またぐとき、ぞっとした。
あの侍、ただ者ではないぞ」
すると、もう一人、脳天気に、
「ふーん?
なんにも感じなかったけど...」

これが人間の違いです。
すべて自分を判断の基準、判定者とみなして、
世界の森羅万象をバッタバッタと切り裁いても、
大事な点を全部見落としているかも知れないのです。
私もそんな風に振舞っていますが、
まずは、どんなときでも、油断をせず、
出会う人、ものに敬意を払うことが肝要、
そんな感じがします。

パンタッカー50㎜F2.3って、
レンズながら、そんなものの見方、捉え方ができる、
いわば、「見る達人」なのです。



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# by Sha-Sindbad | 2019-07-11 21:51 | PanTachar50/2.3 | Comments(2)

2096 優れてダイナミック(2019年3月28日スイター25mmF1.4ARが神社道でドラマ監督に変身)



3月28日、アーシングウッドに持ち出したレンズは、

  ケルン
  スィター25㎜F2AR

スィター25㎜F1.4には、RXとARの2種類があるようです。
どう違うのか読んだ記憶がありますが、
例によって、覚えていません。
私の人生にどうでもよいことは記憶に残りません。
人生に大切なことさえ記憶に残らないことが多いのですから、
おいておや、というところです。

以前の記事を見直してみますと、
描写性については既にあれこれ書いてあるようです。
だから、今回感じたことだけを書いてみることにしましょう。

一番びっくりしたのは、豪奢なコントラスト。
私の愛用レンズの多くはボケレンズ。
しかも、すべて開放ですから、どれも最高にボケまくっている。

スィターもF2の開放一点張りです。
バックはしっかりとボケてくれます。
でも、画像全体の印象は豪華そのもの。
どこまでも究明せずには置くものか!
というような性格の方にはもってこいの明快レンズ。

私は、どうでも良いことはどうでも良い、という向きなので、
このレンズにはちょっと辟易するところがないわけではありません。
でも、ここまでダイナミックに華麗だと、
やっぱり脱帽せざるを得ない、という感じ。

おっと待った、と、クレームが付くかもしれませんね。
ブログでは、白は白、黒は黒と決めつけて、
かなり牽強付会なまでに書きたい放題じゃないか?
これは誤解。
私のブログの性格をお忘れになっているようですね。
私は頭の体操をしているのです。
母は晩年アルツハイマーで懊悩しました。
父は84で亡くなるまでボケませんでした。
つまり、アルツハイマーにならない限り、
私はボケない可能性がある、そう考えています。
まだアルツハイマーの徴候はありません。
だから、とにかく頭をダイナミックに使い続けていたい。
頭脳明晰な才人なら、頭の切れ味を華麗に見せつけるでしょう。
でも、私はまずまず平凡域をウロウロしているレベルなので、
とにかく手当たり次第書きまくって、
なんとか日々のノルマを果たそうとしているわけです。
だから、この駄文を読む人が居ない方がもっけの幸い。

ということで、続けましょう。

今見ている韓流ドラマは「記憶 愛する人へ」
まだ3分の2しか観ていませんが、傑作です。
敏腕辣腕をもってなる弁護士がまだ40代なのに、
なんとアルツハイマーの宣告を受けてしまうのです。
次第にその症状らしい見当識消失、記憶の欠落が起こりはじめます。
そんな存在そのものを揺るがしかねない危機に直面して、
決然と戦う男の姿がグレート。
ちょっと無表情にとぼけた脇役をやっていた俳優、
イ・ソンミンが、底なしの演技力を発揮して、
圧倒的な存在感で主人公を演じています。
墨をたっぷり含んだ太筆が、大きな紙を一杯使って、
ぐいぐいと草書体を書き下ろして行く感じで、壮観。

なんだって、そんな話に逸れるの?
逸れてはいません。
スィター25㎜F2ARというレンズとそっくりな印象なのです。
外観はなんでもないちっぽけな普及タイプの16㎜用シネレンズ。
でも、その描き出すイメージは壮観!

まあ、ご覧ください。




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# by Sha-Sindbad | 2019-07-06 22:52 | Switar25/1.4AR | Comments(0)

2095 どこか高級(2019年3月25日トポゴン25mmF4.5の大阪茶屋町の印象は)今がすべて



私が一番最初に持った趣味は音楽でした。
そして、音楽は今でも命。
だけど、私の心身能力、感、と生活スタイルは、
名曲に半時間も一時間もじっと耳を傾けるような、
深い精神性とは無縁になってしまったようです。
今や、300枚ほどのレコード、数百枚のCDは棚の肥やしになって、
私は主にYouTubeで音楽を楽しむ人生。

CDやレコードは購入して聴いてみないと、その音楽が私の人生を豊かにしてくれるか分からない。
でも、YouTubeには、そうしたCD音源もコンサートビデオも、
なぜかそっくりそのまま掲載されているのです。
聴いてみて、あまりに私の心を揺さぶるものがあったら、
CDを購入しています。
グールドは10年越しの最高峰の音楽家ですが、彼に劣らぬ至高の演奏家、
マルタ・アルゲリッチ、ジャクリーヌ・デュプレはそうして出会いました。
近頃、私の心を揺さぶってくれた演奏は、

 Beethoven Piano Concerto 3 - Argerich Video
https://www.youtube.com/watch?v=NBoZt6qbo1A

一音一音がなんと繊細で、なんと壮麗で、
しかも、なんとクリエイティブなのでしょう!
若手のハイテクニシャンたちの「私が最高!」
と言わんばかりのぶっとばし奏法とは次元があまりにも違いすぎます。

テクニックは、上には上がある式で積み上がっていきます。
あいつがそうなら、もっとすごい演奏をしてやると、
それを凌ぐアクロバティックなテクニックを磨き上げる世界。
でも、偉大な作曲家の心の奥底深くに沈潜してゆくような、
汲めども尽きぬ深いニュアンスで一音一音を刻み込んで行く、
そんな表現世界はそうしたハイテクニックの遙か上を、
ときには飛天のように、ときには鳳凰のように、ときには飛龍のように、
漂い、浮かび、上昇し、下降し、消えたり、現れたりと、
精神世界の諸相、魂の歌を紡ぎ出してくれます。
一音、一音だけではなく、
音と音の間の沈黙さえもなにかを私たちに伝えてくれます。

このような至高の演奏家たちの最上の演奏は、もしかすると、
作曲家さえも予測できなかった深み、高みに至っているのかもしれません。
写真家にも、そんな偉大な音楽を奏でる天才が居ます。
もちろんカルティエ=ブレッソンもその一人ですが、
そんな写真家たちには、「一期一会」の稀有の瞬間を捉えた至高の体験記録、
そうとしか言いようのない名作が残されています。

現代のように、
まず、ここぞと思う被写体は多段階露出で撮っておきましょう。
そして、あとはPhotoshopのような現像、画像処理ソフトで、
心ゆくまで徹底的に自分の作品を創造しましょう、
というスタンスは、
原稿がたとえ一期一会の出会いの写真であっても、
あまりにも厚化粧が施されてしまって、
現実の出会いの瞬間を素材として作り上げられた
虚構のイメージと化してしまっています。

私は現代は写真芸術の可能性を破壊し廃棄してしまった、
そう考えています。
カルティエ=ブレッソン級の芸術家が生まれる可能性はなくなりました。
写真を題材にしたビジュアルアートしか生まれない。
それはそれで素晴らしいでしょう。
でも、私の心をちっとも感動させないのですから、
世話はありません。
厚化粧と整形ですっかり変貌した美女を、
さらにコンピュータ処理で女神に変身させようという時代と、
そっくり軌を一にしています。
現場とPhotoshop画像とは似てもにつかない。
私のように、自分とその場の出会いを記録にとどめたいという人間には、
これじゃ、記憶になんの役にも立たないではありませんか?

私は、カメラの画像関係の設定項目をすべて最低に落として撮影し、
Photoshopのレベル補正で濃度だけを整えています。
それでも、実のところ、
フィルム時代のナチュラルなニュアンスはほとんど飛んでしまっています。
でも、幸い、私は自分の写真を見たら、その場の情景を、
向かい合っていた自分自身の内面の動きとともに、
まざまざと思い出すことができます。
それができるのは私一人です。
だから、私は、表現を志す写真家ではなく、
ただのド素人の記念撮影レベルなのです。

だから、デジタルカメラ時代になってから、
自分の撮影した写真プリントを人に見せるとしても、
「カメラ、レンズがこんなものを撮ってくれました」と紹介するだけで、
「私が撮りました。私の作品を見てください」
とは絶対に言わなくなったのです。

このブログも、人が辟易して来ないように、
推敲しないままの思いつきの羅列を掲載し、
その後に、数十枚、撮影順に、掲載しているわけです。
しかも、写真と文章とは、大抵の場合、無関係。
でも、私はそれらの断片を使って、
文章は、ただの思いつきを羅列しているだけなのですから、
自分の心の中で一つの記憶に再現することができます。
どなたが読んでも、つまらない駄文でしょう。
おかげで、私は、今では完全にブログ世界からはみ出してしまいました。
だから、安心して自分の記録を蓄積できます。

もっとも、エキサイトブログももうじき消える可能性が高いらしい。
だから、読み直して自分の記憶を新たにするという未来は
まったく期待できないのです。
ブログ投稿の意義は投稿行為という現在にあります。
投稿のために写真を投稿用に作り替え、アップし、
これに適当に自分の文章記録を探して選び出すことで、
一期一会的に自分の記憶に再会しているのです。
つまり、ブログの意義は未来にではなく、
投稿している今にあるのです。
自分の愛しいある時間を生きなおして、その体験を噛みしめる、
社会から完全に引退してしまった私には、
これ位有意義で楽しい時間はない、とさえ言えそうです。




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# by Sha-Sindbad | 2019-07-04 12:44 | Topogon25/4 | Comments(0)

2095 どこかチープ(2018年3月22日スーパーコーマット37.5mmF1.9、奈良町写真で本ブログ初見参)



今回は、本ブログデビューのレンズ。

  スーパーコーマット37㎜F1.9

Bell&Howell社の映画用レンズのようです。
実は正式のレンズ表示は1.5inch。
私は日本人なので、インチ表記は不慣れ。
で、ミリに換算しています。
本物のクラシックレンズ愛好家は、こんなことはしませんね。
私は、本物じゃないわけです。
ただの、クラシックレンズ写真ファン。

8㎜用のレンズのようですが、
eBayで、M42-FX E&Fマウントを接着したものを購入しました。
実質35㎜レンズとして使えます。
奇妙な襟巻き式ホルダーが根元に付いています。
デフォールトのデザインかどうか知りません。
ネットで、このレンズに2度とぶつからないのは、
私の探し方が不徹底なのでしょう。

描写はご覧のとおりです。
戦前のライカレンズのように、
なんとも言えない深みと温かみと精密感がミックスした、
高級レンズらしいたたずまい!
と言いたいところですが、そんな高級レンズたちとは大違い。
色の質がなんとも言えずチープで、
このあたりはなんともしようがないので、
それをむしろチャームポイントとせざるを得ない、という感じ。
どこか癖があって、私にはかなり面白い描写です。

ちょっと場末のおきゃんなお姉ちゃん、
そんな感じがするのは、
映画で作られた印象なのでしょう。
そんな女性の代表格は、
なんと言っても、カルメンかもしれませんね。
となりますと、カルメンタイプの美女はもとより、
妻以外のいかなる地上の天女たちとお付き合いする機会を
ついにもたなかっただけに、レンズ世界でお付き合いするのも一興。
そう考えて再三使ってみたら、存外に良かったわけです。

でも、現実には、フジX-Pro1というカメラになかなか馴染めません。
ソニーα7と比較すると、格段に使い勝手が悪いと感じるのは、
私がソニーα7に馴染んでいるせいなのでしょうけど、
やはりCCDが等倍でないことが大きな心理的障害。
このレンズを使いたいという必要性も手伝って購入してはみたけど、
一日撮影に持ち出すだけの信頼性、愛着がなかなか生まれません。

このカメラ、このレンズも時々使ってあげて、
段々と親しんでいくことにしましょう。



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# by Sha-Sindbad | 2019-07-01 22:03 | SuparComat38/1.9 | Comments(0)

2094 潜む者たち(2019年3月11日スピードアナスティグマート25㎜F1.5が高畑町奈良町を廻り)



あるところで、3年ほど会わなかった知人にばったり出会いました。
たった3年です、
相手が20歳台から50歳台までなら、
そう書いても、なんの支障も不具合も懸念もありません。
でも、70歳台だとどうなるか?
ほとんど同一性もないほどに老い衰えておられたのです。
なんだか仙人になりつつある、という感じさえしました。
もしかすると、1年1年の時の経過が、
一世代ほどもの変化を伴っているのかも知れない。

私から観て、相手がそうだとすれば、
相手だって、私を観てそう思うかもしれない。
そう考えると、さらに愕然とします。
そうであって、たまるか!!!
そう憤然と感じますが、相手だってそうでしょう。

先日、大阪の天満橋筋商店街を撮影したとき、
私が路地の入り口あたりで撮影していると、
やはり70過ぎのがっしりとした老人が通りかかり、
近くの雑草を指さして、
「元気で茂ってますなあ」
こんな風に気軽に声を掛け合うのが大阪人です。
私も、
「これが雑草ですよね。
どんな環境でも、絶対に生き抜くぞって、頑張ってますねえ」
彼、
「わしの方はあかんわ。
このごろ、足が弱なってしもうて」
観ると、ステッキを片手に持っています。
「膝がよくないんですか?」
こんな風にずけずけと踏み込むのが、大阪人です。
「いや、なんとのう弱ってしもて、あかんわ」
「それだったら、一にも二にも、歩きましょう。
どんなにゆっくりでも良いから、歩きましょう。
それから、朝起きたら、布団の上でいいから、
仰向けになって、自転車こぎをしましょう」
と、やり方を無理やり伝授。
これも大阪式です。
しかも、くどい。
「でも、最初から何回も続けたらいけませんよ。
ちょうどもうじき6月です。
6月1日に1回だけ、膝を自転車こぎしましょう。
あとはその日の数だけ、つまり、1回ずつ増やして行きましょう。
どこかこれで十分と思う数まで来たら、
そこで増やすのはやめて、毎日、その数だけ自転車こぎしてください。
そして、毎日、必ず散歩。
そうやって、体の衰えを自分でなんとか防ぎましょう。
たった一回の人生なんだから、
そう簡単に衰えてたまるか、という気持ちになってください」

いやあ、お節介もいいところですね。
これが大阪人です。
四海はみな兄弟、なのです。

かなり昔、
大阪の小さな商店街の年末の福引き光景。
いかにも庶民というおばちゃんが福引きのドラムを回しました。
係のお兄ちゃん、あくまでも明るく、
「残念でしたあ、
外れでーす。
はい、景品のティッシュペーパー」
すると、おばちゃん、こちらもあくまでも明るく、
「にいちゃん、もっかい(もう一回)させて。
今度は当たる予感があるねん!」
これが大阪のおばちゃんです。
縁もゆかりもない、町でばったり遇っただけのおっちゃんに、
健康法を伝授する私とほとんど変わりがありませんね。

ソウルの韓国人はどこか大阪人に似ています。
お節介で、ただちに誰とでも打ち解ける。
韓流ドラマを観ていると、外国とは思えません、
大阪人そっくりのやりとりによく出会います。
中国人はどうなのでしょう?
上海人はかなり大阪人に似ている感じがします。
でも、日本に入ってくる中国人は広大な大陸にまたがっているらしく、
振る舞いもレスポンスもかなり違いますね。
なんだかサラリーマン風のキビキビした男女もよく見かけます。
大阪に在住する人も増えてきているようです。
できるだけ大阪式を身につけてほしいものです。
でも、将来的には逆かもしれません。
日本人の方が中国的な行動様式を身につけていく必要が
出てくるかも知れませんね。

さて、今回は、本ブログには少ないCマウントシリーズ。
私の最愛のCマウントレンズの一つ、
スピードアナスチマート25㎜F1.5
もちろんオリンパスE-PL1に付けています。
私のブログも、めでたく孤島ブログに成りおおせたようです。
アクセスリポートは、最初の1年経過後はのぞいたことがない。
でも、人気がなくなりました。
私が親しくしていた人気ブロガーのサイトを久しぶりのぞきました。
何気なくリンク欄を眺めてみると、本ブログが抹消されていました。
要するに、接点がなくなったということでしょう。
彼が来ないなら、ほとんど誰も来ないでしょう。
誰もが忙しいのです。
何を言いたいかわからない駄文に付き合ったり、
なんの意味があるのか、時には、何を撮ったか判らない、
ただ撮影順に奇怪なロボグラフィが数知れず延々と並ぶのですから、
もはや、検索結果による間違い訪問以外にはアクセスはゼロでしょう。

よし、ますます書きたい放題、写真並べ放題!
こういう状態を「ますおさんの夢」状態と言いますね。
サザエさんの漫画で、
ご主人のますおさん、美女に襲いかかる巨漢を見つけ、
なぜか自分が夢の中にいることに気づき、俄然張り切ります、
「そうか、夢なんだ!
したい放題できるぞ!」
そして、巨漢をぶっ飛ばしちゃうのです。
私のやっていること、これそっくりですね。




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# by Sha-Sindbad | 2019-06-25 17:53 | Sp.Anastigmat25/1.5 | Comments(0)

2094 小形ながら大物(2019年2月18日キネタール37.5㎜F1.8が西大寺をぐるりと視野に)



私のもう一つのブログ、「わが友ホロゴンわが夢タンバール」では、
キネタール50㎜F1.8をちょうど特集中です。
もう一本、キネタールを持っています。

    25㎜F1.8。

アリフレックス仕様と成っています。
ただし、このアリフレックスマウント部が改造されて、
Cマウントアダプタになっています。
したがって、使えるボディは違うのですが、
いずれも切れ込みの鋭い、鮮鋭そのものの描写が特徴。

レンズは、アリフレックスのボディ底深くに鎮座して、
異常に長いフードに守られている姿。
おかげで、フレアゼロの明晰な画像が得られます。

オリンパスE-PL8に装着しますと、
レンズとボディが1対1というバランスで、
左手にレンズボディがピタリとフィットして、
いかにも仕事をします、という壮観なスタイル。
大いに気に入っています。




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# by Sha-Sindbad | 2019-06-22 22:42 | Kinetal37.5/1.8 | Comments(0)

2093 典麗!(2019年1月26日ヴァリオペッツ50㎜F2.3が大阪西九条を生き生きと)



私は写真趣味の40数年の間、
実のところ、一部の例外を除いて、
現代のレンズを使ったことがありません。

1991年夏、スリランカ旅行をしたとき、
妻のキャノンEOSにズームレンズ2本を借りました。
生まれて初めてのオートフォーカス一眼レフでした。
実は最後のオートフォーカス一眼レフになるのですが、
実にスムーズに撮影できました。
でも、これが肝心なことですが、ちっとも楽しくない!

被写体を発見し、さっとレンズを回して、
手動でフォーカスをびしりと決める、
そんなスリリングな行為が撮影だと思っていたので、
その一番肝心な部分が抜け落ちたオートフォーカスでは、
写真を撮るという行為の快楽を完全に欠いている、
そう感じたからです。

撮影結果はとても楽々と撮れたという感じで、
EOSのレンズには、私が求めるようなスリリングな意外性も、
そのレンズならではの独特のコクもありませんでした。
これに懲りて、現代のカメラ、レンズは二度と使いませんでした。

例外は、コンタックスT2、ミノルタTC-1のような超小型カメラだけ。
これらのレンズは特別でした。
歴史的名レンズに匹敵する独自の個性があったからです。

というわけで、現代レンズは使わない主義なのですが、
それなのに、宮崎貞安さんのレンズだけはかなり沢山使い続けています。
私が知る限りでは、現代でも有数の独創レンズ作家です。
宮崎貞安さんのレンズも、古典的な名レンズたちに比肩する、
まさに「現代の古典的名作レンズ」の個性とコクに満ちた画像を
プレゼントしてくれるからです。
とりわけゾンネタール50㎜F1.1Softは、
私のお宝レンズベスト5に出たり入ったりという超名作。

そんな宮崎さんが最近新シリーズを展開しておられます。
「古典的名レンズの復刻シリーズ」

私は、上記のゾンネタールあたりからでしょうか、
宮崎貞安さんのレンズ制作の試作品の実写テストを
お手伝いさせていただいて、稀な幸運に恵まれたと、
常々、感謝して来たのです、
本シリーズに入って、感謝の気持ちはさらに増しています。
なぜって、宮崎さんのお作りになる復刻シリーズは、
1本1本、見事な傑作なのですから。
ヴァリペッツ57㎜F2で、本シリーズが佳境に入った、
そう感じています。

レンズ史上を彩る最初の名レンズがペッツヴァール。
その復刻版50㎜がこのヴァリペッツ57㎜F2。
すでに5回試写結果を本ブログに掲載していますが、
6回目になって、大変嬉しい状態となってきました。
私がこのレンズを使い慣れたのでしょうか?
今回の撮影結果を一言で言えば、
典麗!
そうとしか言いようのない麗しい描写。
とにかくじっくりご覧頂きましょう。




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# by Sha-Sindbad | 2019-06-20 18:39 | Variopetz57/2 | Comments(0)

2092 感謝(2018年12月9日パンタッカー50㎜F2.3が大阪西九条を生き生きと)



写真家吉田正さんの写真教室の受講を辞めて、かなり経ちました。
吉田さんの語りに心を奪われることもなくなったわけでもなく、
教室の皆さんの個性溢れる作品たちに接して、
驚嘆することがなくなったわけでもありません。
ただ、私の人生の時間がどれだけあるか、
神様しか知らない。
だから、私としては、もうほとんど残っていないことを常に前提して、
それでもなお私がやりたいことをやりたい、残り時間のすべてを自分一人で使いたい、
そんな気持ちになったのです。

ある意味で惜しいのですが、
私を動かしたのは、「西は西、東は東」の原理だったわけです。
写真家の世界、写真家を志望する人たちの作品世界、
それはかなり以前から私の世界と遠く隔たっていたのです。
私はそれに気づきながら、私の人生を楽しく彩ってくれるのではと考えて、
受講を続けてきたのですが、
私の写真に対するスタンスを正当化するファクターはついに見つからないと、
最終的にはっきりと見極めがついたのです。
私のプライベートな記憶の写真は、
パブリックな作品プレゼンテーションを目標とする写真家の写真と、
どこにも接点がなくなった、ということなのでしょう。

でも、実のところ、
私のような個人的スタンスで写真を楽しんでいる方の方が多いでしょう。
写真家志望の皆さんの写真世界はむしろレア。
大抵の人は自分の個人的なスーベニアとして写真を心の底から楽しんでいます。
私が今更ながら気づいたのは、私は自分のスタンスを意識しながらも、
仲間ほしさに、写真歴の大半を写真クラブで過ごしてきたのは、
時間の無駄ではなかったとしても、
一種の贅沢にすぎなかった、ということでした。

今年の四月以来、人に写真を作品として見せることを完全に止めて、
ブログ日記に掲載することに専念するようになって、
私は自分の精神が浄化されたという気持ちさえ感じています。

思い出すのですが、遙か昔から、
私は自分の写真を賞賛されると、かなり奇妙な気分になることに気づいていました。
ということは、つまり、私は写真歴のかなり昔から、
パブリックな作品作りへの動機を失っていた。
じゃ、なんだったのだ?
その写真を撮ってくれたレンズへの感謝、
その情景を記憶できることの喜び、
これだったようです。

どうやら、と言うより、間違いなく、
私は変人なのでしょう。
おそらく私は写歴45年を超えて、
アマチュア写真家のほとんどの方よりも沢山写真を撮ってきたように思います。

でも、正直なところ、下手な鉄砲数撃ちゃ当たる、ですね。
私のような撮り方だと、ロボットにホロゴンを渡して、
奈良町を1時間撮らせたら、私のと区別の付かない写真がずらりと並ぶでしょう。

10年ほど前でしたか?
心斎橋の画廊で8歳の少年写真家の写真展を観ました。
画廊を出てきたとき、友人たちが口々に言ったことは、
「ホロゴン写真とそっくり同じですね」
つまり、誰でも腰あたりにレンズを下ろして水平に撮ったら、
撮れるものは一緒なのです。
私が写真家的な作品作りをしていなかったことはこのエピソードで証明済み。

私が一種のレンズ収集家、愛好家になったのは、
今から12、3年ほど前でしょうか?
Cマウントレンズの快楽に出会ってからのことのようです。
レンズの数だけ、少しずつ肌合いの違う写真が撮れるようになりました。
どのレンズでも、私の好みの場に行き会わせて、
そのレンズにふさわしい距離まで接近して、
液晶画面拡大のピント合わせだけで撮っているのですから、
レンズの数だけヴァリエーションは在っても、
基本的な調子は「行き当たりばったり」式という点で不変。
写真家の皆さんは私の本質をとっくの昔に見抜いてしまわれました。

写真家の基本的なメルクマールは、
「他の人には撮れない作品を創造すること」
ではないでしょうか?
一方、私の写真に一貫して流れるメルクマールは、
「誰でも撮れる、
だけども、誰も撮りたいとは別に思わない」

こんな風に自覚できると、私はますます元気いっぱいになれるのです。
じゃ、少なくとも、人まねだけはしないで済んでいるんだ。
こうして右顧左眄せず、自分の心覚えとしての写真だけを撮り続けている、
この首尾一貫性を自画自賛したくなるのです。
今回もパンタッカーレンズの快楽に浸りきっていますが、
「行き当たりばったり」式の基本的な調子は不変です。
パンタッカーというレンズ、
アストロ・ベルリンという映画会社の、
おそらく民生用の主力レンズなのでしょう。
とても個性的な空気感、真理空間を演出してくれます。

写真作品用レンズとしては癖がありすぎと言えるでしょう。
でも、私のように自分の記憶のために写真を撮る人間には、
心の底から愛したくなるようなコクをにじみ出させてくれます。
とくに50㎜がそうです。
私にとっては、ホロゴンに次ぐ、私の人生レンズ。
でも、アストロ・ベルリンのレンズはみんな同じ雰囲気です。

 どこか翳りのあるプライベート空間の演出

私のようなロボグラファー
(これも造語です。ロボグラフィを撮る人、という意味です。)にとって、
自分が出会った場所がどこか独特の様相を呈する状態で記録化できる、
これは痺れるほどの喜びなのです。
自分自身が体験したスペシャルな空間の描写。
それなのに、他人から見たら、
「これがどうしてスペシャル?」
このズレが私をますます痺れさせてくれます。
「独りよがりの美学」というわけです。




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# by Sha-Sindbad | 2019-06-17 23:08 | Pan.Tachar50/2.3 | Comments(0)

2091 大和路(2019年2月4日キノプラズマート25mmF1.5b手に西大寺に移り、ますます幸せ)



人生の過ごし方って、人によって、多種多様ですね。
これが人生にとって価値ある本当の過ごし方だ、
なんて万人に等しく価値のある過ごし方などありません。
たとえば、なにかを鑑賞したい。
人生に価値あるものを鑑賞したい。
じゃ、なにを鑑賞するか?
これも人それぞれ異なる回答をするでしょう。

「モナリザだ!」
そうおっしゃる方もいるでしょう。
でも、ルーブルに毎日毎日通い、開館時間から閉館時間まで、
「モナリザ」の前に陣取って、
対面し、対話し続けるのも素敵なことですが、
それだけが本当に人生に価値あることでしょうか?

人生とは生きることです。
どんどんと移りゆく時を過ごすのです。
一つのことからすべてを想像し、さまざまに創造できる人ならいざ知らず、
私たち凡人は一つのことをいつまでも続けるわけにはいきません。

私がたどりついた結論は実に簡単です。
今、私がやりたいと思ったことを今この場でやる、
観たいと思ったことを直ちに観る、
それで良いのじゃないか?

こんな説もあります。
誰も四六時中価値あることをすることはできない、
本当に価値ある行為とその準備のための行為とを交互に重ねる、
それが価値ある人生だ、という考え方もあるでしょう。

でも、「価値ある人生」って誰にとってのか?
こう考えると、私はどうしても、人のため、世のため、なのであると、
大上段に構えることができません。
それは結果的にプレゼントされるもの、というスタンスで良いのじゃない?
まずはひたすら自分のために生きればよい、いや、そうしかできない、
私はそう考えます。
世のためになるけど、自分のためにはならない行為を無理して行うなんて、
かなり病的ではありませんか?

さしあたり、ロボグラフィが世のため人のためになるとは考えられません。
でも、私が平気でロボグラフィのために沢山の時間を割けるのは、
世のため人のためになんか今更がんばりたくない、
という気持ちがあるからでしょう。
こんな風に考えますと、大きな価値ある行為だけではなくて、
日常のすべての作業も人生に価値のある行為だと考えたいものです。

ほんのときたま、自分のブログ記事を読み返すことがあります。
そんなとき、初めて自分の写真を並べたままの姿で観るのです。
人に見せるために撮っていないから、
写真家さんたちの作品とはまったく異質です。
友人から笑われました、
「人に見せたっていいじゃない?」
私も人が観ることは全然気にしていません。
でも、人が観ることを念頭に置いて、写真になにかしら意味を与えたり、
優れた写真作品らしい美観を演出したり、なんて、
写真家がしているような煩わしいことはしたくない。
人が観たっていいけど、わざわざ見せたいとは一切考えない。

その一環として、美しい構図の写真を撮るための努力は一切払いません。
私がノーファインダーで撮り、ピントを合わせる必要がある場合でも、
拡大画面で合わせた瞬間、いきなりシャッターを落として、
全体像に画面を戻して、構図をチェックしたりしないのは、
自分であれ、他人であれ、後で写真を見る者がどう感じるかなど、
まったく考慮しないで済ませているから、
いわば待ったなし、自由気ままに撮影を楽しめるからです。

推測するに、どうも写真歴の最初の12年間
モノクロームで撮っていたときの気持ちを持ち続けているらしい。
当然ながらナチュラルな色つきイメージを前にして、
シャッターを切ると、その写真は、
私が肉眼で見たイメージとまったく異質な白黒画像に一変しているのです。
その変換のミラクルが写真の醍醐味でした。
カラーの濃度と白黒のグラデーションの濃度はまったく違います。
だから、肉眼の視覚像とモノクローム写真とは異質そのものなのです。

本物の写真家は、肉眼で見ただけで、作品をイメージできるのだそうです。
私は、当時も今も、そんな芸当はできません。
すべて行き当たりばったり。
撮れた結果はすべてレンズの贈り物。
これもまた一つの人生の喜びなのです。

キノプラズマート25㎜F1.5も、
私にとっては、人生の喜びの源泉の一つ。
なぜ?
どう撮れるか?
何年撮り続けても、予想できないのです。
結果がよいときもよくないときもあります。
でも、どんな写真もみんな私の写真、そう納得できる独自性があります。
退屈な写真、まともな写真など一枚もない。

でも、他の人から見たら、
退屈でない写真、まともでない写真なんか一枚もない、
ということなのでしょうね。
そのギャップがまた私をわくわくさせてくれます。
私は人と一緒のことなど、できたら、したくないので。





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# by Sha-Sindbad | 2019-06-13 22:02 | Kinoplasmat25/1.5b | Comments(0)

2090 エキササイズ(2019年1月13日パンタッカー75mmF2.3で奈良町撮ると、幸せな気分に)エクササイズの日々



アーシングを始めて以来、かなり絶好調気分。
疲れを感じず、翌日に疲れが残らないのです。
もちろん水素吸引も含めての毎日のエキササイズにも
大きな貢献を見ることができますが、
とにかくアーシングの効果は絶大。

朝の儀式を書いておきますと、
目覚ましがなったら、即座に目が覚めます。
まず布団の上で両足を突き上げ、
ぶらぶらと揺さぶり運動。
これによって、体の端に貯まった血液を中央に戻します。
まあ、そういう効果があると聴きました。

ほんとかどうかは知りませんが、
これで確かにすかっとして、さっと起き上がり、
側のヨガマットに移り、
上に置いたストレッチポールで、
ポールを横にし、縦にし、各40往復ゴロゴロ転がって、
背骨を伸ばします。
これはかなり効果的という感じがします。
終わると、さっとポールを脇に立てて、ヨガマット上、
20分間十数種類の自分で考案したストレッチを、
ゆっくりとした速度で楽しみます。
これらの運動で全身かなり柔らかくほぐされ、
血流もぐんぐんと流れをよくしてくれる、そう信じています。

朝食は洋式にパンと紅茶とシリアル。
シリアルは2種類、これに干しぶどうとバナナ半分、
ミルク、ヨーグルトをミックスして、これが主体。
美味しい朝食を済ませ、洗面をします。
退職すると、髭を蓄える方がかなりおられます。
私は貧相がなおさら貧乏たらしくなるので、
きちんと髭を剃ります。
その都度、櫛の歯をやわらかティッシューで拭い、
(まだ生きているようなものです。
水分は厳禁だそうで、おそらく頭髪の油が命の素)
これで朝の支度が完了。

そのあと寝室に戻り、
夫婦の寝具を畳んで押し入れに収め、
(私は寝具を①一ひねり、②二つ折りの手順で、
瞬時にきちんと畳むことができます。
何十年とやってきたので、当たり前。
寝具を押し入れに収めるのも運動の一種)
そして、昨夜洗った食器を食器棚や棚にきちんと収め、
朝食の食器を洗い、食卓を整理して、
朝の作業、終わり!
大体40分かかります。

でも、まさに流れ作業ですが、一つ秘訣。
寝室の整理にかかった後は、可能な限り、
コードレスイヤホーンを耳にセットし、iPhoneのYouTubeで、
ナショナルジオグラフィックのHistory Channelのような、
啓発的な番組に耳を傾けながら、作業するのです。
沢山収集した老読本を聞くこともあります。
これでますます元気が出るので、退屈せず、
はかどる作業を毎日重ねることで、流れ作業が身につきます。

実はこれ、すべて老化防止策。
たいてい、これらの作業が済むと、
アーシングウッドに出かけます。
アーシング、撮影、浄化、運動、幾重にも役立ちます。
こんな神秘の森(と言っても、小さなものですが)が、
我が家から徒歩数分で、しかも誰にも出会わず入り込めるのです。
天の恵み、それ以外にはありません。

ある朝、
その森に入る道(バス道から神域をぐるっと半周する迂回路)で、
溝に落ちた椿の花を撮っていると、
ときどき出会う60年配のがっしりとした男性が、
にこにこ笑いながら、尋ねてくれました、
「なにか良いものがありますか?」
こんな風に人に笑顔を見せることができる人には、
ほとんど出会いませんね。
うれしくなって、
「この神域で出会うもの全部がいいですよ。
この椿を見てください。
もう溝に落ちてしまったけど、
まだ嬉しそうに頑張っているじゃありませんか?
我々みたいなものです」
その人、ますます笑って、別れました。
この人とはその後も会うたびに10分ほど立ち話をします。
彼だけです。
笑顔一つ見せず、挨拶もしない人がほとんど。
大阪の下町とは大違い。

退職したとき、ほとんどの人は、どうやら、
「ああ、これで私の人生も下り坂になった。
納め時に近づいたなあ」
私は違いました。
職員たちに拍手で送り出された瞬間、感じたことは、
「ああ、これで自由になった!
これからがぼくの人生だ!」
何十年という職業生活で、やることはやった、
でも、社会への貢献はこれで終わり!
あとは自分のために生きるぞ!
それが私が待望した瞬間だったわけです。

どなたにもそんな気持ちは大なり小なりあるのでは?
でも、自分の職業、社会的地位を自分と思ってしまった人には、
「生身の自分こそ本当の自分で、
職業、社会的地位なんて、ただの衣服に過ぎない」
と考えるのはとても難しいようです。
私は、職業に就く前に、大先輩の講義を受けました。
「君たちねえ、みんなが君たちに頭を下げるだろうけど、
それは君たちの職責に頭を下げてるだけで、
君たちに本心から敬意を払っているんじゃないよ。
そのことを一生忘れちゃいけないよ」
私は、記憶力は抜群に悪いのに、
このときの先輩の表情、言葉はけっして忘れませんでした。
今でも、その場の情景をくっきりと思い出します。
それは底の底から私を粛然とさせる体験でした。
人生の恩人の一人だった、私はそう考えています。
彼の言葉は一生役に立ちました。

よく考えると、私の人生って、こんな恩人たちのお陰で、
なんとか保っているようなものですね。




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# by Sha-Sindbad | 2019-06-08 23:32 | PanTachar75/3.5 | Comments(0)

2089 幻のレンズ(2019年5月27日ヴァリオプラズマ50mmF1.5が大阪本町の繁華街を楽しんだ)



ツァイスにあって、テッサーやプラナーというような
レンズ史に燦然と輝く名レンズたちを設計したパウル・ルドルフが、
ツァイス退職後にフーゴ・メイヤー社に就職して作った
映画用レンズの一つがキノプラズマート。
各種の焦点距離があります。

近年におけるレンズ研究の金字塔は、
岡田祐二さん、上野由日路さんの近著、

  35㎜判オールドレンズの最高峰「50㎜f1.5」

私家版で、発売後速やかに完売と成ってしまったようで、
まさに幻の名著と成りそうです。
その第2章に名レンズ30本の詳細な紹介がなされていますが、
その冒頭が本レンズなのです。

その紹介文が名文。
はるか東に向かって一礼して、岡田さんの許可を得たことにして、
引用させていただきます。
(ただし、段落はブログの都合上、
自由に改行させていただきました。)

「キノ・プラズマートによる写真は自分自身の内部での写真というものへの見方を
根本的に変えてくれたと思う。
絞り開放での「ぐるぐるボケ」は
あたかもこのレンズの代名詞のように言われるぐらい有名であるが、
ペッツバールレンズでの周辺の強烈さとも異なるユニークなものであるし、
f8くらいまで絞り込んだときに、
ピント部分に現れる粒子が輝くような描写は何物にも代えがたい貴重な財産である。
一枚一枚の写真がどのような描写で現れるのか心が弾んだ。
そして、それと同時に同時代の古典レンズに対する興味が沸々と湧き出てくるのを感じていた。
これがまさに「レンズ沼」への入り口であり、
結局著者はその沼に引きずり込む案内人として、
もっとも強力なレンズを最初に選んでしまったわけである。」

なんと岡田さんの原点がこのレンズだったとは!
ますますこのレンズに魅力を感じさせてくれた文章です。

すでにこのレンズを入手できた「選ばれた人たち」以外の人間には
オリジナルのキノプラズマートを手に入れることは
完全に不可能となってしまった現在、
この幻のレンズの玄妙なる世界を実体験できる人はいません。
でも、その世界をほんの少しでも覗いてみたい、
キノプラズマートとは完全に別種でもいいから、
一種独特な幻惑描写の片鱗を味わってみたい方は、
私一人ではないでしょう。

宮崎さんの復刻版、ヴァリオプラズマ50㎜F1.5は、
キノプラズマートのレンズ設計を踏襲しています。
オリジナルキノプラズマートの魅力を忠実に再現することまでは、
宮崎さんご自身、期待なさっているわけではありませんが、
使ってみて、十分納得できます。
現代レンズには決して実現できない
独特のレンズ表現に出会うチャンスを与えてくれるレンズ、
そう言うことができそうです。
やっぱり使ってみたいじゃありませんか?

大阪の本町界隈を1時間ほど撮影しました。
その作例をご覧頂きましょう。

上記の本の作例はプロの写真家がお撮りになっています。
実に精密にして濃厚なる表現ですね。
どうやら現代の写真処理の可能性を最大限活かした再現です。
一方、私はまず、ど素人の小手先写真である上に、
ソニーα7の撮影スタイルを「スタンダード」にして、
そのコントラスト、彩度、シャープネスをすべて最低に落として、
JPEGで撮って、濃度を揃えるだけの処理で、アップしています。
もちろん、全写真、ノートリミング、ノー編集です。
できるだけ銀塩フィルム時代の写真に近づけないと考えているからです。
だから、上野さんの高品位の写真とは比較にならない位、低品位。
これは私の2つのブログのすべての写真に言えることですが、
私としては、これでもまだデジタル臭い、と感じられるのですから、
どうやら時代遅れの人間らしいですね。
そんな時代遅れの素人がヴァリオプラズマ50㎜F1.5を楽しんでみたら、
こんな写真になった、という気楽なスタンスで、
ニューレンズの試写をお楽しみください。




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# by Sha-Sindbad | 2019-06-05 22:48 | VarioPrasma50/1.1 | Comments(0)

2088 意外性(2019年1月12日クックシネマ25㎜F3.5と新大阪の相性は抜群)


クックという会社、よく知りませんが、
映画用の名レンズをかなり沢山作っているようです。
クックシネマ25㎜F3.5はおそらく素人用でしょう。
まさにパンケーキ型の小型レンズですが、
これがなんとドラマチックな表現力の持ち主。

ミッシャ・エルマンというヴァイオリニストが昔一世を風靡しました。
晩餐会だったでしょうか?
まさに宴たけなわとなったとき、
司会者がゲスト演奏家として、エルマンを紹介しました。
現れた冴えないぶ男に女性たちはがっかりしました。
でも、ひとたび演奏が始まると、
女性たちは完全にエルマンの虜となってしまったそうです。

クックシネマ25㎜にはそんなエルマンの趣きがある、
と言いたくなります。
奇妙な形の冴えない小型レンズです。
でも、なんだか独特の実在感と立体感溢れる画像をプレゼントしてくれます。
どこにそんな独創的な創造力が潜んでいるのか、
つくづく不思議になります。

長い間、さまざまなレンズと親しんできましたが、
レンズって、つくづく人間に似ている、という気がしています。
外観が立派なレンズが名レンズとは限らない!

昔、東京地検の特捜部で活躍した検察官に会ったことがあります。
彼、曰く、
「これまでの人生で一番立派な容貌、風采の持ち主に二人出会いました。
二人とも詐欺師でした」
その一人は昔「ほらの吹原」の異名を取った人物でした。

ただし、この検事さん、人生で一番優れた人柄の人物って、
どんな容貌、風采であったかは語りませんでした。
当たり前ですね。
さまざまな遺伝、環境、人生の中で容貌、容姿は
次第にかたちを現すものでしょうから。

私に言えることはただ一つ。
「人を見かけで判断してはいけない」
これだけです。
レンズがまさにそうですね。

このクックシネマ25㎜F3.5、
見かけはまったく無様だけど、
性能はまさに抜群。
使えば使うほどに、
このあたりのアンバランスがこのレンズのチャームポイントになっていく、
そんな妙味がこのレンズの魅力かも知れません。

蛇足ですが、
上記の検事さん、鬼の特捜検事とはとても思えない、
雛人形のお内裏様そっくりの頼りなさげな容貌でした。
ま、他人のことなど言える身ではありません。
私も容貌風さいはまるっきり冴えませんねえ。
でも、クックシネマ25㎜F3.5並に、
人間性の方は抜群、なんて言うつもりは全くありません。

ついでに、もう一つ、私が感じる特徴を書いておきましょう。

  人間もレンズも一緒。
  いつも同じパフォーマンスとは限らない。
  人間だって、レンズだって、
  調子の良いときもあれば、悪いときもある。
  だから、飽きずに付き合えます。



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# by Sha-Sindbad | 2019-06-04 22:56 | CookeCinema25/3.5 | Comments(0)

2087 隠れ道(2018年12月16日タンバール90㎜F2.3が鹿野園町の里をほんのりそぞろ歩き)



世界中に理想郷伝説があります。
そして、その理想郷に付けられた名前が、
それぞれにみんな素敵な響きですね。

   トマス・モアの「ユートピア」
   ケルト神話の「アヴァロン」
   プラトンの「アトランティス」
   聖書の「エデン」
   コールリッジの「ザナドゥ」
   チベットの「シャングリラ」
   南米の理想郷「エル・ドラード」
   ギリシア神話の「アルカディア」と「エリュシオン」   
   陶淵明の「桃源郷」
   ケルト神話の「ティル・ナ・ノーグ」
   琉球神話の「ニライカナイ」

どれもこれもうっとりとさせる語感ですね。
満たされぬ現実の苦しみにあえぐ人々が、
いつか悲惨から逃れて、平安に包まれて暮らしたい地、
唇と舌を転がしてみてください。
そっとつぶやくにふさわしい、やさしい響きばかり。
世界中の人たちが、憧れに満ちた思いでそっとつぶやける言葉にふさわしい、
あたたかく優しく潤いに満ちた語感は格別の味わいですね。
カキクケコ、ガギグゲゴは、ほとんど含まれていません。
刺激的な語感を感じさせるのでしょうか?

クラシックレンズの命名にも同種の命名原理が働いている感じがします。
「憧れに満ちた語感」
私の最愛のレンズ2本も完全にこの原理に合致しています。

   ホロゴン
   タンバール

ひさしぶりに、そのタンバール90㎜F2.2を使いました。
意味不明のロボグラフィばかりですが、私にはとても心安らぐソフト描写。
やっぱりタンバールって、いいな...
そっとため息。




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# by Sha-Sindbad | 2019-06-02 15:40 | Thambar90/2.2 | Comments(0)

2086 刻み込む(2018年12月17日キノプラズマート25㎜F1.5が奈良町を重厚に捉えた)



宮崎貞安さんからキノプラズマート50㎜F1.5の復刻版、
VarioPrasma50mmF1.5
が送られてきたことはすでに報告しました。
同時に送られてきた超大口径レンズ、
ISM50mmF1.0を早期に返還しなければならない都合上、
VarioPrasma50mmF1.5の試写は後回しになっています。

その間に、ほぼ同等の条件で撮られたCマウントレンズ、
キノプラズマート25㎜F1.5
の写真群をご覧頂くことにしましょう。

このレンズをオリンパスE-PL1に付けると、
見かけ上の写りは50㎜レンズ相当となります。
私には確認しようもありませんが、
おそらくオリジナルのキノプラズマート50㎜F1.5とは、
異質かつ一段落ちる画質だろうと思います。
でも、キノプラズマート25㎜F1.5にはそれなりに、
キノプラズマート族の一員であることの誇りが感じられます。
私にとって、という限定付はありますが、
いつもどこか誇りに充ちた毅然たる香りが燻り立つ感じがするのです。
でも、私のひいき目に過ぎないかも知れません。

とにかくずらりと並べて、
ごらんに入れることにしましょう。




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# by Sha-Sindbad | 2019-05-25 23:33 | Kinoplasmat25/1.5a | Comments(0)

2085 ニューレンズ登場!!(2019年5月20日ニューレンズ、ISM50㎜F1.0を樹林で筆下ろし)



5月19日日曜日朝、
現代の稀代のレンズ制作者、宮崎貞安さんから、
ニューレンズが届きました、それも2本も!
その1本は、キノプラズマート50㎜F1.5の復刻版。
そして、もう1本は、宮崎貞安さんのオリジナルの逸品、
 
 ISM50mmF1.0

宮崎さん、誇らしく、
「イズム、と呼んでください」
レンズが電化製品のただの部品と化しつつある現代において、
このレンズは、宮崎貞安さんの究極の頂点の一つとなるかも知れません。
宮崎貞安さんのそんな強烈な意志が、
「ISM」という命名に込められている感じがします。

宮崎さんのこんなお気持ち。

 私は時代に流されない。
 写真芸術は、無個性の工業製品などでは創られない!
 人類の創造として、それ自体アートである個性的レンズが、
 本物の個性に溢れたアーチストと出会ったとき、
 本物の写真芸術が創造される!
 そんなレンズを世に問うときが来た!

宮崎貞安さんのそんな思いが烈烈と沸き立ってくる、
そんな印象を受けるレンズなのです。

F1.0と、レンズ史上実現されたハイスピードレンズでも、
トップクラスの明るさなのに、
レンズ径48㎜、高さ50㎜、重さたった175グラムと、
超小型超軽量!
まさに手の中にしっとりと収まる道具なのです。

今日、5月20日月曜日、早速試写に持ち出しました。
いつものように、近くのアーシングウッドでのアーシングウォーク。
約40分間ぐるりと回りながら撮影し、
丸太割の腐りかけベンチに腰を下ろして、
ポメラを取り出して、早速感想文、というわけです。

私はレンズに関する基礎知識などまったく持ち合わせていません。
さまざまなレンズを掲載するのに、
クラシックレンズ愛好家が見向きもしないのは、
私のど素人性と、ブログとしての性格が一記事読めばバレてしまいます。
レンズブログとは名ばかり。
ただの日記でしかない!

そんなブログですから、宮崎貞安さんのために、
宣伝啓蒙の役割を果たすのはかなり困難になってしまいました。
でも、こんな稀代のレンズにお目にかかると、
誰かが観ようが観まいが、
少なくとも作例だけはしっかりと紹介させていただくつもり。

さて、約40分で135枚、1時間推定で202枚です。
私の銀塩フィルム時代は36枚撮りを1時間に6本、
つまり、216枚平均で撮っていたのですから、
フィルム時代よりも少し丁寧に撮っている感じ。
でも、フィルム時代は、むしろF8に絞って、
距離固定の被写界深度、ノーファインダーでバンバン撮ってたのに、
今回は、超大口径の最短付近でピントを慎重に合わせつつ、
大事に撮っているのですから、
撮影量はおっつかっつというところでしょうか?

これまでに撮ったことがないほどの清らかさに仰天しています。
でも、レンズの性能については、私に評価能力はありません。
作例をご覧になって、ご自分でお考えになってください。

現代のレンズ制作者たちだったら、
歪曲、色収差、周辺光量、像等の崩れがないか、
などと、鵜の目鷹の目でしょう。
こんな風に完璧なレンズを創ろうという志向が、
レンズそのものの存在、性格をただの工業部品と化してしまい、
制作者たちも、かつての名レンズ創造者たちの独創志向を失い、
無欠点の優等レンズを求めるただの技術者になってしまっていることに
お気づきになっていないのでしょうか?

でも、その元凶はユーザーかも知れません。
色崩れはないか?
歪曲はないか?
周辺光量、像の平坦性は確保されているか?
などと、レンズの諸性能の向上ばかり要求する時代なのですから、
得られた画像の芸術性、無限性、創造性なんてまったく念頭にない。
それはフォトショップなどの画像処理ソフトでカバーできる、
という感じでしょうか?
こんな風に、ユーザーがレンズの個性など二の次なのですから、
レンズ技術者たちも、第一の目標は売り上げ向上、これだけ、
という時代になってしまいました。
かつての偉大なレンズ制作者たちの個性的な創造人生を送る人は、
現代では、宮崎貞安さんお一人!
私はそう感じています。



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# by Sha-Sindbad | 2019-05-20 21:53 | IOS50/1.0 | Comments(0)

2084 変化、変化(2018年6月16日キノプラズマート19㎜F1.5が新大阪の下町を楽しんだ)また、変化



このブログに書いたかどうか記憶にありませんが、
新大阪での撮影は、私にとっては、ただの息抜きです。
隠居の身になると、江戸時代は新内、長唄などをたしなんだようです。
現代では、写真や絵画が人気ですが、
音楽関係をやる人もかなりいるようです。
私も、いわば人並みに、楽器を習っていますが、
ハーモニカはちょっとお休みして、
目下習っているのは、楊琴と二胡。
独学がリコーダー。
私の撮影場所に奈良の大和西大寺、大阪の新大阪、
ユニバーサルシティ、西九条が多いのは、
すべて楽器のレッスンの合間や終わってからの、ついで仕事。

その中で一番収穫の少ないのが新大阪です。
大阪万博当時ににわか造成で生み出された町です。
由緒ある名跡など何一つありません。
でも、今更ながら驚くのですが、大阪万博は1970年。
もう半世紀経ってしまった!
だから、私もお世辞にも若いとは言えず、
新大阪の町も新興地とはとても言えません。
新大阪の町は、万博以後は別に副都心として発展することなく、
新幹線駅の後背地的な地味な雰囲気を振り払うことはできませんでした。

そこで、毎回レンズは変えても、写真が変わるわけでもなく、
いつもいつも地味で意味不明のロボグラフィに終始しています。
こんな地味な町をかなり華麗に変身させてくれるのが、
このキノプラズマート19㎜F1.5です。
もっとも撮影者自身がレンズに合わせて変身するわけでなし、
相変わらずのロボグラフィ三昧ですが、見かけ上はちょっと派手。

でも、よく考えてみますと、
全国の幼児のパパ、ママたち、彼らも相変わらず我が子一筋に、
腕前は初心者クラスに頑固にとどまっていても、
我が子の生態を下手は下手なりに撮り続けて、
飽きることがありません。
これこそ、私が長年撮りに撮って、私のために追い求めたスタンス。
撮った本人が楽しければ、それで十分。
どうのこうのと無い物ねだりをしても始まりませんね。
これが決まると、マンネリから永久におさらばです。
いつも心に言い聞かせるのは、
出会ったものたちを、感じたままに記録しよう。

そこで、一つ、おかしなねじれが起こります。
私は、子供の頃から、
外界になにか現実にない存在を見つける癖がありました。
長ずるにつれて、その癖はますます発達し、
大学入学後ただちに写真趣味に飛び込んだのは、
まさにメタモルフォーゼを自分で記録しておきたいという気持ちから。
新大阪のような地味な町でも、この気持ちがある限り、
撮るものは一杯見つかります。
私が見て、私が化けさせたロボグラフィを撮ることなら、
どんな町でもできることなのですから。
でも、これぞ究極の独りよがり。

今日の夕食どき、
妻がつくづく呆れたように、
「あなた位、写真が上達しなかった人はいないわね。
最初の頃とちっとん変わっていないんだから」
私もにんまりと同意しました。
心の中に思っただけですが、
「それって、かなりの離れ業じゃないのかな?」

このキノプラズマート19㎜F1.5っていうレンズを含めて、
ロボグラフィに最適のレンズたちを使い続けたからできたこと、
なのではないでしょうか?




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# by Sha-Sindbad | 2019-05-19 11:26 | MacroSwitar36/1.4 | Comments(0)

2083 古い町(2018年6月4日アポクロマート18㎜F2が西大寺、奈良町巡歴)



間違って、私の2つのブログにおいでになる方のために、
時折、私の2つのブログの性格について、
注意書きを掲載しています。

私の2つのブログの基本的性格は、
ただの日記です。
これ以上のものでもこれ以下のものでもない。
ブログを始めた当時は写真ブログと考えていました。
でも、そのうち、私の気持ちが変質し始めてしまいました。
最初は、私だって、人気ブログを作れるんじゃないか?
これは、私には珍しい、完全な誤解でした。

今から考えると、人気ブログの条件は少なくとも3つあるようです。

 ① 人が観たい写真を掲載すること。
 ② リンクを使って、人気ブロガーたちとのネットワークに加わること。
 ③ 人気ブログにせっせとコメントすること。

私は上記の3点をまるっきりクリアーしなかった!

まず、①
明治40年日本彫刻会が創設され、
岡倉天心に会長を依頼することにしました。
そのとき、天心に尋ねたそうです、
「日本画は売れるのに、彫刻はどうして売れないのでしょうか?」
天心、即座に、
「売りたいと思うようなものを作るから、
売れないのさ」
まさに「non写真家」のリトマス試験紙がこれですね。
私がまさにその典型。
私以外の人がどんな写真を求めているか、なんて、
考えたことがない。
自分が撮りたいと思う写真ばかり撮ってきました。
これじゃ、人が観ても喜びません。
だから、コンテストにも応募せず、
自分の写真を人からほとんど評価されたことがないわけです。

次に、②
私のブログも始めた頃は、
ご自分のブログのリンク欄に加えてくださる方が時折居られました。
でも、うっかりしていた、では済まされないのですが、
私は、自分のブログにリンク欄を設定しなかったのです。
なぜ?
簡単に言えば、私は人生でも、
そんな風にヒューマンネットワークを作る人間ではないからです。
これは本当には行けないことですね。
人は一人では生きていけないのですから。
でも、私は性格上、
一人で生きるのが一番自分に似合っていると感じる人間でした。
だから、お世辞とか社交辞令など生涯やったことがありません。
思ったことしか言わない。
もっとも、相手が嫌がることは言わないにしていますが。
年賀状もほんとに出したい相手にしか出さない。
そんな年賀状も退職と同時にやめました。
本当に付き合いたい人とは別の方法でコミュニケートできます。
社交儀礼は一切なしにしよう。
こんな人間の撮る写真が人気を呼ぶはずがありませんし、
写真家の作品だとされる可能性もありませんね。

③についても、最初は、かなり訪問していたのです。
私は人の写真を見るのが好きだからです。
でも、段々と自分の生活が忙しくなってきました。
とくに、退職をした頃、決断したことが手伝っています。
これからはぼけ防止のために、写真日記にしよう。
人気ブログの場合、掲載写真は1枚ないし数枚が多いようです。
掲載基準を高くすることで、
傑作写真ブログとしてアピールすることができます。
私は十数年前から、自分は写真家じゃない、
そう心にしっかりと自分の認識を確定しました。

だから、両ブログを自分の日記としてからは、
日記らしく、撮影順に数十枚、ときには百枚近くも一挙掲載します。
さほど好きでもない写真を一度に百枚近く見続ける人は居ませんね。
撮った本人でさえ、最後までずっと繰っていくのは苦痛です。
だから、途中でやめてしまいます。
重複写真が時折見つかるそうです。
これは自分の好みの写真を強調せんがためである!
というのは嘘っぱちで、何十枚も小型写真化して、
順番にブログに掲載していくのは大変な作業なのです。
目がくらみ、手が震え、足がなえ、というのは大げさですが、
作成後、念のため最終チェックなんてする気にはとてもなりません。
どうせ、誰も見ないんだら、重複していても、気になりませんしね。

以上の理由があって、
写真ブログは「写真付き日記」に転向したあのですが、
これは私の人生にとって大成功でした。
人生に一つの目標ができたからです。
私は生涯金に縁のない人生でした。
そんな人間はひっそりと一人でフェスティバルするのがふさわしい。

というわけで、今回も、西大寺から奈良町にと移動しつつ、
Cマウントレンズの白眉、アポクロマート18㎜F2で、
ロボグラフィばかり、どんどんと撮っていきました。
ご承知のように、どんなに優れた写真家でも、
自身のライフワークとするような作品など、
月にせいぜい数枚程度でしょう。
ライフワークでなくても、自身のレベルを維持できるような写真なら、
やっぱり日に数枚あれば良い方でしょう。
私は、そんな達成基準、作品レベルなど設定したことがありません。
最初の最初から、ひたすらシャッターを落とすのが楽しかった。
今も同じ。
だから、写真のレベルなんて、私には無関係。
「いい!」と心が動いたら、撮っているんですから、
撮れた写真はみんな私のお気に入り。
しかも、私は、画像修正はレベルを揃えるだけに限定しているので、
フォトショップで作品づくりなどしません。
見たままを小型化して掲載しています。
だからこそ、私の人生の一コマ、一コマの忠実な記録になります。
この日も、楽しいロボグラフィたちに出会えました。




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# by Sha-Sindbad | 2019-05-15 22:49 | Apochromat18/2 | Comments(0)

2082 晩秋(2018年12月6日奈良町とズマロン35㎜F3.5は相性がよかった)



目を開いて探すと、面白い言葉がいろいろと見つかるものですね。
今度見つかったのは彫刻家のイサムノグチの言葉。

 日本では、人が年老いて最後にたどりつく趣味は石だと言われている。
 ただの石、自然のままの石が玄人の目には
 すでに出来上がった彫刻なのである。
 しかしこの言い方は完全には正しくない。
 肝心なのは見る観点だ。
 どんな物をも、一個の古靴でさえも、
 彫刻となるものは、
 その見方と置き方なのである。

うれしい言葉です。
ロボグラフィについても、まったく同じことが言えるのですから。

 どんな物をも、一個の古靴でさえも、
 ロボグラフィとなるものは、
 その見方と置き方なのである。

大抵の方は承服しないで、
こうおっしゃるでしょう。

 どんな物をも、一個の古靴でさえも、
 どんな風に見方と置き方を変えても、
 写真とはならない

もちろんおっしゃるとおりです。
「ロボグラフィ」なる写真分野は存在しません。
私がロボグラフィと称して撮っている写真は、
誰の目から見ても、「写真作品」と言えるものではありません。
第一、私も「写真作品である」と称したことはありません。
私は、だから、アマチュア写真家であると自称したこともありません。
ただの写真好き。

もっとも、こう言い張るからと言って、
なにか一層高級なステータスを自ら放棄したつもりもありません。
多くの敵を作る危険を冒して断言しますと、
「もし、写真家を一個の独自な視点で写真作品を創造する人
と規定するならば、
アマチュアはたくさん居るけれど、
写真家と言える人はほとんど稀にしか居ない。」
こんな視点から見れば、「私は写真家です」という言葉は、
ほとんどの場合、自称、願望表現に過ぎないことになります。
だから、私が「写真家ではございません」と言ったからと言って、
別にことさらに卑下したり謙遜したりしたわけじゃありません。

私が敬愛する二人の写真家、
アンリ・カルティエ・ブレッソンと木村伊兵衛は、
いずれも視点も撮り方も違いますが、
人間を中心とするスナップ写真で一家を成しました。
二人の作品を眺めていきますと、第二次世界大戦を挟む時代の
人間相、社会相が巧まずして浮かび上がってきます。
生の人間たちが時代の中でどんな風に躍動していたか、
という人間的真実のドキュメントとなっています。

カルティエ・ブレッソンの言葉はそれを表しています。

  どんな人をも、一個の影でさえも、
  写真ドキュメントとなるものは、
  その見方と撮り方なのである。

カルティエ・ブレッソン、木村伊兵衛は、
そんな写真ドキュメントとなるよう、自分の写真を撮ったのです。
でも、彼らだけではありません。
当時世界に輩出した偉大な写真家たちは、
当時の時代層、社会、人間の生き方を活写し、
後世のために貴重な記録を残してくれました。

私のロボグラフィは、そんな記録とはなりえません。
カエサルの史上最短の報告文が、
「来た、見た、勝った」でした。
私のロボグラフィもそれです。
「来た、見た、撮った」
カエサルの報告は外敵の侵入を防ぐことができた、
という共和国の運命に関する公的な報告でした。
私の報告は、あくまでもプライベート。
ですから、私のロボグラフィは写真作品にはなりえないのです。
そのつもりすらまったくないのですから。

人間は孤島です。
ヴェトナム戦争で、米軍は見晴らしの良い高台に砦を構えたところ、
かえってヴェトコンに包囲され、曲射砲の雨にさらされました。
兵士たちはそれぞれ小さな穴を掘って身を隠しました。
地面に下方から飛んでくる弾丸からは安全でしたが、
弧を描いて飛び込んでくる曲射砲の砲弾を逃れる術はなく、
ひたすら自分の穴に的中しないことを神に祈り続けました。
でも、いつかは頭の上に落ちてくる砲弾を見たかもしれません。

人間はみんな米軍海兵隊員と同じ運命にさらされています。
彼らの何人かは、幸運にも弾丸を見ることなく、
救援を受けることができました。
私たちの場合はいつか必ず落ちてくる砲弾を受けるのでしょう。
誰もヘリコプターによる救援を受けることはできません。
でも、一つ、慰めがあります。
いつ弾丸が落下してくるか、誰にも分からない!
知らない間に、やられてしまうこともある!

マルティン・ハイデガーは「常に死を忘れるな」と教えました。
私はついにハイデガーの生徒にはなりませんでした。
忘れてもいいなないの?

  「常に死を忘れよ」
  「今、この瞬間に集中せよ」

それが私のモットーです。

私は道を歩くときは、それがどこであれ、
カメラを手にしていますが、
自己集中力に優れた人は別として、
私のように注意力散漫な人間には、
これ以上に今、この瞬間に集中できる方法はありません。

注意力は散漫でも、持続力だけは人に負けない私は、
この習慣を45年以上続けてきました。
ロビン・フッドは死のベッドで、名優のリトル・ジョンに助けられて、
愛用の弓で窓の外に向かって一本の矢を放ち、そして、息を引き取りました。
理想の死に方ではありませんか?
私もそうしたいですね。

さて、奈良町をソニーα7にズマロン35㎜F3.5を付けて撮りました。
このレンズを」使うたびに、このレンズの懐は深い、そう感じます。
どこに行っても、しっかり私の気持ちに沿ってくれます。
イサムノグチさんにしたがって、こう言ってみたくなります。
 
 どんな物をも、一個の古靴でさえも、
 ロボグラフィとなるものは、
 その見方と置き方なのであるが、
 それでもズマロンで撮ったときの気分は格別。



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# by Sha-Sindbad | 2019-05-14 22:25 | Summaron35/3.5 | Comments(0)

2081 凄い子供達︎(2018年11月28日奈良町をダルメイヤー25㎜F1.9が忍びやかに)



偶然、凄い子供達をyoutubeで知りました。

  日本生まれ日本育ちの川上拓土くん(8)
  【驚愕】倉敷で観光ガイドする子供が凄すぎる!
 
とにかく流暢な本格的英語ガイドです。
でも、ただ暗記しているのではありません。
外国人ツーリストと当意即妙、ウィット一杯に受け答えして、
まるでベテランのガイドさん。

拓土くんだけではありません。
いくつもビデオがあるようです。
どうやら新手の英語力アップの秘法ということらしい。
でも、一体どうやれば、こんな離れ業をできるのでしょう?
自分自身と比較して、つくづく賛嘆せざるをえません。

また、あちこちに幾人もいるようです。
その1人に、ツーリストの男性がつくづくと、
「ぼくは英語教師なんだけど、
これまで教えた誰よりも優秀だよ」
こんな子供たちが出てくるほどに、
日本の子供達は国際化しているのでしょうか?

3つか4つのビデオしか覗いていませんが、
子供達ののびのびとした受け答えにつくづく讃嘆し、
ついで、我が身を振り返って、恥ずかしくなりますね。
すでに海外旅行をする資金も尽き、
ご覧のように、ほとんど徒歩を移動手段として、
近場ばかり歩き回っています。
普段、日本語会話さえあまりしないので、
だんだんと語学力全般劣化の一途を辿っている感じさえします。

せめて写真撮影の腕だけは現状を保ちたいものです。
でも、どんな能力にも言えることですが、
現状を維持したければ、現状をしのぐレベルアップを目指して、
一層の努力を重ねなければなりませんね。
私のように、ほとんど同じ場所で、完全に同じ撮り方をする限り、
技術も感性も貧弱になっていくものです。

そこで、頼りたい奥の手があります。
名レンズたち。
今回は、ダルメイヤー25㎜F1.9。
奈良町のロボグラフィたちをほんのりとキャッチしてくれます。
廉価版のチビレンズですが、
本サイトですでに40回も採り上げた、私の大のお気に入りレンズ。
私にとっては、この古めかしいペッツヴァール表現に出会うたびに、
現代レンズの完璧描写にどうしても馴染めないのはなぜなのか、
よーく分かる感じがします。
そんな私の気持ちはおそらくどなたにも理解していただけないでしょう。



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# by Sha-Sindbad | 2019-05-08 17:45 | Apoquaria28/2 | Comments(0)