1989 狭き門(2018年1月20日ダルメイヤー25mmF1.9新大阪の休憩時間に活躍)1 狭き門
「狭き門より入れ、
滅びに至る門は大きく、その道は広く、これより入るものおほし。
命に至る門はせまく、その道は細く、これを見出すもの少なし。」
マタイ伝のイエスの言葉ですね。
いろいろな意味がありますね。
だから、生きている言葉なのかも知れません。
私の尊敬する先輩がはるか昔に語った言葉を思い出しました。
「ぼくは、狭い道と広い道、2つのどちらに進むか、
そんな選択を迫られたとき、いつも狭い道を選んできました。
一度も後悔したことはありません」
今頃どうしておられるでしょうか?
今でもお元気で、狭く、でも高みにつながる道を上って行く、
そんな人生をお送りになっていることを祈りたいですね。
私は、そこまで高邁な意識があったわけではないのですが、
どうも狭くて、いつか袋小路のたどりつく道ばかり歩いて来た、
そんな感じがしてなりません。
その証拠に、今だに路地裏ばかり彷徨っていますね。
路地って、たいてい行き止まりですね。
まさに自分の人生をそっくり反映しているのかも知れませんね。
でも、そんなデッドエンドにぶつかってもぶつかっても、元気。
どうやらその秘密は、私が片隅になにか別世界への扉を見つけるから、
そんな感じがしています。
その別世界はただの想像の産物であることは認めます。
私の人間性を高めるものでもなんでもありません。
でも、生きる慰め、次のステップに踏み出す弾みになってくれます。
だから、たとえ孤独であっても、心を弾ませ、にっこりできます。
価値あるものを創造することなどできなくても、平気です。
それがどうした?
価値あるものを創造できる人って、限られているじゃないの?
価値あるものを味わえる感受性を失わなければ、
人生は十分生き甲斐があるってものじゃないかな?
私が入って行く道が「命に至る門」につながっているかどうか?
あらかじめ分かりっこありませんね。
ひたすらどしどしと前に向かって歩いて行くだけです。
一つだけ、余計なこと。
はっきり分かっていることがあります。
差し迫った用もないのに、携帯を眺め続けること、
これは絶対に「命に至る門」にはつながりません。
近眼、老眼、近視眼思考、朦朧頭脳にはしっかりつながっています。
さなきだに少ない創造的な思考力をすり減らし、
頭脳を、雑多で無用な情報が煙らせ、早く衰えさせ、
いつか、なんの図柄もない灰色のジクソーパズルに変えてしまいます。
携帯は、視野暗き道につながっていることだけは確かですね。
携帯こそは「暗き門」なのかも知れません。
by Sha-Sindbad
| 2018-07-07 14:50
| Dallmeyer25/1.9
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