レンズ千夜一夜

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1246 日暮れ近く (パンタッカー35mmF1.8で西大寺の慣れた道を歩いてみたら)


26日午後は奈良大和西大寺で陳少林先生のレッスンでした。
その往還にいつも写真を撮ります。
パンタッカー35mmF1.8でももちろん撮りました。

楽しい写真がどっさり撮れました。

    楽しいレンズは、
    被写体をどんどん自分で見つけてくれるのです。
    レンズそれぞれにお好みの被写体があるようです。

ロボグラフィは私と路傍のものたちとの出会いですが、
たとえば、選挙の候補者が支援者と握手を交わしつつ、
路上を練り歩くようなものです。

    事情をよく知っているお付きが背後からささやいてくれます、
    「握手したら、支持してくれるかも知れませんよ」
    「あれはだめです、民衆党支援者ですよ、
    見たらわかるでしょ、あのシケタ顔」
    「長年の支援者ですよ、最大級の笑顔で、しっかり握手」
    「ダメー!
    先生が先月捨てた女じゃないですか!
    笑顔やめて!
    にたにた顔で手を握りあってる写真を、
    奥様のところに持ち込まれたらどうするんですか、
    先生っ!」

パンタッカーもそんな小さな所まで気が利くお付き。

    おかげで、先生、ますますお付きに寄りかかり、
    大きな顔もできなくなります。
    選挙も事務局次第と言いますが、
    ロボグラフィもレンズ次第ですね。

私の事務局レンズはみんなシケタ顔はしていますが、有能です。
このあたりも選挙戦と似ていますね。

    私のお好みを知っていて、
    そこでしか出会えないロボグラフィたちを紹介してくれます。
    ありがたいことです。

議員さんたち、そんなお付きに
ちゃんとしかるべきお礼をしているのでしょうか?

    私は、と言えば、なにもお礼をしていなかった、
    ブロアーでホコリを取ってあげたこともない.............
    ますます、ありがたいことで。




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by Sha-Sindbad | 2015-01-31 14:43 | PanTachar40/2.3 | Comments(0)

1245 美章園高架下商店街 (コーラルH45mmF1.9はまるでノクトン)



アイレス写真機製作所が1959年発売したレンジファインダーカメラが、
アイレスバイカウント(Aires Viscount)
そこに付けられたレンズは、

    コーラルH45mmF1.9。

当時一流だったフォクトレンダーのプロミネントに対抗する、
日本製だったようです。
レンズもノクトン50mmF1.5に対抗して、F1.5まで用意されたようです。

畏友RAさんからお借りして使ってみました。

    ライカMマウント改造版です。
    まるでノクトン50mmF1.5そっくりに華麗で切れがいい。
    
このあたりの日本製レンズの性能は、
なかなかどうしてドイツ製に負けていません。

    レンズに堪能な写真家なら区別できるのかも知れません。
    でも、コーラルとノクトンの写真をランダムに見せられたら、
    両レンズの写りの差を判別できる人がどれだけいるでしょう?

    昔、ヤシカコンタックスのツァイスレンズが評判をとったとき、
    写真を見て正確に判別できたのは林忠彦さんだけだった、
    というお話を聞いたことがあります。

コーラルH45mmF1.9も、堂々たる標準レンズですが、
今では知る人ぞ知る、マイナークラシックの位置に甘んじています。

    日本製であることが邪魔をしたかも知れませんね。
    私の印象は、ノクトンと比べると、やや立派すぎる写り。
    ほとんど完璧な描写力。
    私のように、破綻だらけのレンズに魅力を感じる人間には、
    破綻がないのが、どこか物足りないという感じ。

これは当時の他の日本製クラシックレンズと共通している不満。

    独仏英のレンズたちが見せてくれるような、
    はじけるような閃き、きらめきをどこかに感じる、
    そんな遊び、余裕が心をくすぐります。
    そんな気配がみじんもない、というのはちょっと残念。




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by Sha-Sindbad | 2015-01-28 15:43 | Coral45/1.9 | Comments(5)

1244 裏ぶれて (パンタッカー35mmF1.8は西九条に人生を見たのだろうか?)  



1月25日月曜日は西九条を25分撮影しました。

    カメラはリコーGXR。
    レンズはアストロ・ベルリン
    パンタッカー35mmF1.8

1930年代のノンコートレンズです。

    古色蒼然としたぼろレンズ。
    レンズは白く濁っています。
    おかげで、ジャンク寸前の価格で入手できました。

でも、パンタッカーは腐ってもパンタッカー。

    いつも書いていますが、濁りどころか、
    なにもかもキズのない現代超高級レンズなど、
    私に言わせれば、美容整形したロボットのようなものです。

美女にも両極端がありますね。

    一方の端に、
    非の打ち所などどこにもないほどに整った容貌だけど、
    性格がいただけない。
    もう一方の端に、
    欠点をあげつらうつもりなら、山ほどの欠点はあるけど、
    その多彩な表情、清らかな眼差し、さわやかな振る舞いなどから、
    この人とならいつまでも一緒に居たいと思わせる人。

この両極端の間に無限のバリエーションがあります。
同じように、レンズにも似たような事情がありそうです。

    一方の端に、
    すべての収差や特性が最高だけど、
    撮ってみると何の個性も感じられないレンズ。
    もう一方の端に、
    収差、特性は欠点だらけど、
    撮ってみると、最高のレンズ。

現代レンズの愛好者は、
収差やその他の特性に問題があるようなレンズの画像など、
まったくお呼びじゃありませんから、
ここではクラシックレンズ愛好者の間での選択肢の問題です。

    私もその一人ですが、このような人間にとっては、
    現代レンズでは欠点とされるような特性上の欠点は、
    むしろ長所への突破口、決め手となることがあります。

このパンタッカー35mmがそうです。

    レンズもぼけぼけなら、撮った写真もぼけぼけ。
    でも、私をなんとも心安らかな気持ちにしてくれることでしょう。

    私がJR西九条駅の北側2本の通りで出会った
    下町のロボグラフィたち。
    こんなシケタ奴らをなんとも穏やかな表情で撮ってくれました。
    どこか裏ぶれた風情がこの町のライトモチーフとなりそう。

このレンズ一本で生涯撮り続けたら、
浪速のアッジェになれるかも知れませんね。

    私は別に人に知られたくないので、
    アッジェの可能性にはおさらばして、
    たまにつきあうことにしましょう。
    ほかにも愛してやまないレンズたちが大勢いるのですから。




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by Sha-Sindbad | 2015-01-27 22:43 | PanTachar35/1.8 | Comments(0)

1243 美章園断章 (ダルメイヤー25mmF1.9は未練たらしい動物の生み出したものだった?)

ダルメイヤー25mmF1.9の前回記事に、
petzvalさんからコメントをいただきました。
その文章はコメント欄にひっそり収まっているにはあまりにも惜しい。
本文の方に引っ越しさせていただきました。

    「ダルメイヤー25mm f1.9万歳!
    その昔、蓄音機を初めて聴いた人は
    ラッパの奥で歌手が歌ってる!と勘違いし、
    肖像写真を撮ってもらう時、
    魂を取られる!と勘違いした。。。
    現代人は笑いながら「昔の人は幼稚で単純だった」と言う。
    本当にそうだろうか?と私などは思います。
    人間とは「未練たらしい動物」です。
    消え去る音やイメージを何らかの方法で
    どこかにとどめておいて再生したいのです。
    これがすべての再生芸術?の根本にあるのだと
    私は強く信じております。

    これだけの説明だと単純に聞こえるでしょうが、
    実はもっと深いのです。
    ただ機械的に、あるいは科学的に再生するのでなく、
    消え去ったはずのものが、今そこに、
    目の前にあるかのように錯覚したいのです。
    いつまでもいつまでもそれを握りしめていたいのです。
    音にしろ、イメージにしろ、これこそが再生の原点なのです。

    19世紀の人たちは、恐らくこうは意識してなかったでしょう。
    ただ、彼らの深層意識にこのことが染みついていたのです。
    だから、ペッツヴァールもエジソンも恐ろしくリアルな再生装置を
    つくり出してしまったのだと私は思っています。

    こんな主張をすると、アッハッハと笑う人がいます。
    エジソンの蓄音機の音がリアルだって? 
    ベストのコンディションで痛んでないレコード(円筒管)を聴くなら、
    このことはイヤと言うほど思い知らされます。

    宮崎さんは言われました:
        「ペッツヴァールレンズの中心部はシャープ、
        でも、ただシャープなだけじゃない。。。」
    未熟者ではありますが、私に言わせるなら、
    中心部の像は画面から「浮き出る」のです。
    まさに「そこにある!」のです。

    やがてツァイスが新しいガラスをつくり出し、次に3枚玉が発明され、
    写真は「隅々までシャープ」に発展して行きます。
    確かにプロターの質感描写やトリプレットの透明感には
    惜しみなく拍手を送りたい。
    でも、イメージは浮き出て来ないで、
    紙の中に大人しくおさまっているのです。。。
    そうは言っても、私はペッツヴァールだけじゃなく、
    プロターもトリプレットも大好きです。
    まだ「時代の精神」は薄まっておりません。

    ただ、その後の時代、
    特にここ数十年間のレンズや音響再生装置の「進歩」?を見ておりますと、
    「ああ、人間はもはや未練たらしくなくなったんだ。。。」
    と言ってしまいたくなるのです!」

ペッツヴァールの魅力をこんな風に書いていただくと、
とても納得してしまいます。

    というのも、私は、SPレコードのリアルさを体験しているからです。
    金沢の蓄音機館で、戦前の大テナー、ティト・スキーパを聴きました。
    たしかHMVのラッパ型の手回しの蓄音機。
    そのラッパから等身大のティトが飛び出してきました。
    フロトーの「マルタ」だったと記憶しています。
    SPからのLPへの復刻版で永年親しんでいたティトが、
    まだ生きていた!

現代ディジタルレンズの完璧な描写が実はなんの魅力もないことも、
これまで口を酸っぱくして書き続けてきました。
今、百万人の見方を得たような気持ちです。

私がティト・スキーパと出会った体験は、
ベラスケスが黒人の青年を描いたときにも同じことが起こりました。

    絵と実物とを知らぬ間にすり替えたのに、誰も気付かなかった。
    思うに、細かく描いているから、ではありません。
    もっと別の次元の生命感に満ちた太い描線が
    錯覚を生み出したのでしょうか?

「未練たらしい動物」、petzvalさんはそう喝破されました。

    私がホロゴンで仰天してきたのも、そんな気持ちかも知れません。
    自分の忘れやすい、うかつな視線で描いた像ではなくて、
    4Bの太い芯の鉛筆でぐいぐいと筆を惜しんで描かれた水墨、
    そんなイメージが私の心をとらえたのです。

ペッツヴァールレンズに再び見果てぬ夢を見そうです。
ホロゴンで抱いたのと同じ思いをまったく別のイメージで体験したい。

以前に私はダルメイヤー25㎜F1.9についてこう書きました、

    「このレンズも神様の贈り物のようで、
        私は大変に神様に愛されているようです。」
    「武士の妻のような凛々しい穏やかさが身上」
    私のこのレンズに対する思いは、
    手に入れた当時から格別だったわけです。

petzvalさんのコメントで知りました、

    その思いはペッツヴァールレンズ愛好者の皆さんにも通じるようだ。
    厳しい寒さですが、私の心はとてもあたたかい。





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by Sha-Sindbad | 2015-01-27 01:05 | Dallmeyer25/1.9 | Comments(7)

1242 喫茶店で (ダルメイヤー25mmF1.9は古色蒼然のたたずまいが好きらしく)



petzvalさんからNo.1240でとても簡単にお答えしにくいコメントを頂きました。

    こんなにお答えしにくいコメントははじめて。
    私の思考力を軽く超えているからです。

私の文章をご覧になったらお分かりのように、
私の思考はごく単純。

    ただの直感と連想で単文を連ねるだけ。
    撮影と一緒です。
    パッと浮かんだら、パッと捉まえる。

petzvalさんがおっしゃるとおり、
私は表現などいたしません。

    2つのブログにすでにかなり沢山の、
    どうやら8000を超える文章を書きましたが、
    自分の写真が表現であると書いた文章は一つもない筈。
    自分が写真家であることか、写真作品を作るとか言ったこともない。
    そんなこと、思ってもいないからです。
    ただの素人が私の心を騒がせてくれるものたちとの出会いを、
    写真という形で残したい、ただそれだけ。

petzvalさんがおっしゃるとおり、その瞬間、どんな写真になるかなど、
考えたこともないし、まして期待したり、企図したりしたこともない。

    すべてがレンズと神様の賜物。

    ですから、私は自分の写真を誰よりも早く喜び、
    こんな写真を私にプレゼントしてくれたことを深く感謝し、
    撮ったときの気持ち、状況を思い出して、
    自分の人生を再確認するのです。

    私の写真は極めてプライベートな記憶の鍵。

petzvalさんのカナヘビのお話、一編の短編のようです。

    そんな深く感じる心をお持ちの方に出会えたのは喜びです。
    私はもっと刹那的で浅い。
    突然、予感もなく異貌のイメージが地面からふわりと立ち上がり、
    私を喜ばせてくれます。
    すると、さっと撮って、次のインスピレーションを追いかけて移動。
    こんな風に一日中ただかけずり回るだけ。

昨日も撮影枚数は800枚を超えましたが、
これだけの出会いを深く心にあたためることなんて、
人一倍記憶力の悪い私は無理。
でも、心配無用。

    ちゃんとレンズが記憶してくれて、
    出会いの喜びを意外なイメージに直してくれるのですから。

petzvalさんが子供の喜びをお書きになっていますが、
実のところ、私は未だに子供なのでしょう。

    「小さな水槽の中に宇宙を再現した!」とお書きですが、
    私のロボグラフィもかなりこれに似た気持ち。

    路地の片隅に一瞬現れる宇宙の顔をさっとなぞった気持ち!

この気持ちは、小学生の頃、教室の隅でもちあげた鉛筆に、
深海をゆらりと潜航する潜水艦を見たときから、
また学生の頃ワーズワースに出会ったときから変わらようです。





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        [後書き]
          阪和線美章園駅界隈の、阪和線の高架下を
          さまざまなお店、民家が埋めています。
          これがとてもクラシックで、絵になります。

          200mほどでしたか、東側の道を南下し、
          その後、西側の道に移って北上しました。
          美章園駅近くに戻って、高架下の喫茶店に入りました。

          年配のご夫婦がやっています。
          壁面の3枚の風景写真はご主人。
          調理スペースに面したカウンター席の上の仕切壁には
          奥様の絵が並んでいます。

          お二人の作品はなかなかの出来。
          お二人がそれぞれにご自分の趣味を
          楽しんでおられる様子がありありと浮かび上がります。
          これはなかなかに難しいことですね。

          おかげで、とても雰囲気のよい喫茶店で、
          とても素敵なアートを楽しみながら、
          しばしの安らぎを味わうことができました。

          こんなやさしい気持ちにダルメイヤーはぴったり合いますね。
by Sha-Sindbad | 2015-01-26 00:25 | Dallmeyer25/1.9 | Comments(0)

1241 JR奈良駅まで (ダルメイヤー25mmF1.9はペッツバール型らしく)



昨日は、天王寺を撮影しました。

    サブに持ち出したのがオリンパスE-PL1。
    レンズはダルメイヤー25mmF1.9。

我が家からJR奈良駅まで16枚撮りました。
バス停での待ち時間と走るバス車内からの撮影。
全部ご覧頂きましょう。

    ふんわりとフレアがかかり、
    とても柔和な雰囲気を醸し出してくれます。
    でも、中央の主題部分は見事に決まります。

これまで、このレンズを大いに気に入って使ってきたのですが、
ペッツバール型レンズであるからではなく、
ただ描写が気に入っただけ。

    でも、改めて中将姫光学さんやksmtさんの愛好する
    ペッツバールレンズたちと通じるところのある描写性なのだと分かると、
    ああ、19世紀の香りが幾分なりとも混じっているのだなあと感じて、
    いや増しに愛情を感じてしまいます。
    (最初から分かって、そのことを記載していたのですが、
    私にとってはただの知識に過ぎなかったというわけです。
    今はそれが私の心をそそる実感となったということ。)

私のこんな気持ちを感じ取ったせいか、
このレンズの写真たち、うれしそうですね。

    「そう、ぼくには古い血が流れていて、
    そんな血がものを特別な見方で見させてくれるんだよ」
    そう言っているようです。




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        [後書き]
          私はパソコンでの写真修正は1点だけ。
          その1点は、すべての写真の濃度を一定に直すこと。
          レベル補正だけ使います。

          私の濃度基準はホロゴン写真。
          銀塩ポジでのマイナス1.5から2が私のお好み。
          だから、銀塩カメラは、すべて自動露出などないので、
          脳内露出計がその濃度に自動的に設定してくれます。
          私のフィルムは完全に同じ濃さにあがります。

          デジタルホロゴンの場合、
          カメラの濃度を標準マイナス1.7に設定。
          すべてのレンズをだいたいそのあたりに設定して撮ります。
          液晶をチェックして、濃度の設定を微調整します。

          それでも、パソコンで開いた画像は、
          ホロゴン基準から離れていることがあります。
          そんなとき、レベル補正で、私のお好みの濃度に調整します。
          それ以外は一切手をつけません。
          もちろんトリミングもしません。

          このレンズもホロゴン基準に合わせて濃度を修正してきました。
          今回、その修正をやめました。
          ただし、iPhoneで見たとき、
          私の本来の設定濃度よりもかなり薄めになります。
          だから、レベル補正の左の黒▲を山形の曲線の麓までずらす、
          この作業だけはしました。
by Sha-Sindbad | 2015-01-25 12:00 | Dallmeyer25/1.9 | Comments(1)

1240 古書店  (スーパーワイドへリアー15㎜F3.5は私の気分まで写してくれる)



petzvalさんがコメントで、
文学上のロボグラフィを紹介してくれました。

彼の言葉に刺激されて、
梶井基次郎の「檸檬」を読んでみました。

    近頃、とても便利になりましたね。
    「青空文庫」という無料文学サイトがあります。
    著作権の切れた文学をダウンロードできます。
    もちろん「檸檬」もありました。

    マックで開いて、好きな字体、好きな大きさで読むことができます。
    目を酷使しているせいでしょうか?
    近頃、小さな字を読むのがつらいので、とても便利です。
    思いっきり大きくして読みました。
    でも、大きくし過ぎると、読みづらくなりますね。
    なにごとも、過ぎたるは及ばざるがごとし、ということ。

私は少数の例外は別として、日本文学を毛嫌いしてきました。

    くだくだと自分にしか興味のないことを書き連ねて、
    なにが文学だ、という感じ。
    そのあおりを食ったのでしょう、
    梶井基次郎は読んだことがありませんでした。
    面白い。
    小説というより、エッセイ。
    なんだか私が自分のことを書いているみたい。

petzvalさんの引用部分も冒頭近くに見つかりました。

    何故だかその頃
    私は見すぼらしくて美しいものに
    強くひきつけられたのを覚えている。
    風景にしても壊れかかった街だとか、
    その街にしてもよそよそしい表通りよりも
    どこか親しみのある、汚い洗濯物が干してあったり
    がらくたが転がしてあったり
    むさくるしい部屋が覗のぞいていたりする裏通りが
    好きであった。
    雨や風が蝕むしばんでやがて土に帰ってしまう、
    と言ったような趣きのある街で、
    土塀が崩れていたり家並が傾きかかっていたり
    ――勢いのいいのは植物だけで、
    時とするとびっくりさせるような向日葵
    があったりカンナが咲いていたりする。

完全に私のロボグラフィ撮影の境地ではありませんか?

「檸檬」の筆者は、以前は丸善の華麗な展示品に魅せられて、
時間の経つのを忘れたのに、今ではそれができないで、
上記のような裏町に心が傾斜しているのです。
私もかなり似た気持ち。

「檸檬」そっくりの光景を思い出しました。

    21日、JR新今宮駅で下車、通天閣を右前方に見ながら、
    スーパーワイドへリアー15㎜F3.5付きソニーα7で撮影しつつ、
    うらぶれた町をそぞろ歩いたときのこと。
    古本屋のところまで来て、いつものようにのぞいてみました。
    ご主人はいつも友人と座談を楽しんでいるようです。
    その周辺はあまり服を着ていない美女たちが表紙の、
    雑誌や本が所狭しと並べられています。

    その一角よりも右側、道路に面する凹みに本棚。
    ここは、美女たちとは無関係な古書たちのコーナー。
    前回はここでモンテーニュ関係を2冊手に入れました。
    今回も心が動いた本が数冊ありましたが、重くなるので、
    帰り道に通りかかったら手に入れることにしました。
 
昨夜、このときの感じにそっくりの個所を「檸檬」に見つけました。
作者は、なぜか気分が変化して、
日頃敬遠していた丸善に入ってみる気持ちになったのです。

    憂鬱が立てこめて来る、
    私は歩き廻った疲労が出て来たのだと思った。
    私は画本の棚の前へ行ってみた。
    画集の重たいのを取り出すのさえ常に増して力が要るな! 
    と思った。しかし私は一冊ずつ抜き出してはみる、
    そして開けてはみるのだが、
    克明にはぐってゆく気持はさらに湧いて来ない。
    しかも呪われたことにはまた次の一冊を引き出して来る。
    それも同じことだ。
    それでいて一度バラバラとやってみなくては気が済まないのだ。
    それ以上は堪らなくなってそこへ置いてしまう。
    以前の位置へ戻すことさえできない。

私の場合、戻すのは忘れたのに、
一枚撮影するのは忘れていない。

    よく考えてみますと、
    私の場合、憂鬱が立てこめて来たり、
    私は歩き廻った疲労が出て来たりすることは決してない。
    だから、本質的には、「檸檬」の筆者とはまるで違うようです。
    その証拠写真がこれ。




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by Sha-Sindbad | 2015-01-23 11:48 | S.W.Heliar15/4.5 | Comments(3)

1239 JR奈良駅まで (スーパーワイドへリアー15㎜F3.5が段々と私に慣れてきたみたい)



書き忘れましたが、前回の写真は今回と同じ15㎜で撮りました。
もちろん昔ながらの私の「5つのノーを言える男になりたい」原則で撮りました。

    ① ノーファインダー
    ② ノーシンキング
    ③ ノーメイキング
    ④ ノーウェイティング
    ⑤ ノートリミング

もちろん厳密に思考を停止するのは無理です。

    そうではなくて、感じたら、その瞬間に撮り、
    思考を介入させない、というやり方です。
    「よし、やるぞ」、そう決めた次の瞬間に、
    「いや、待てよ」と理性が横やりを入れることがありますね。
    そのとき、無理矢理、理性をねじ伏せて実行する、その手法。

15㎜のような超広角はそれがとてもやりやすい。

    撮りたい、そう感じた瞬間さっとレンズを突き出して撮る、
    ただそれだけなのですから。

50㎜のように、フォーカシングが必要なレンズの場合、

    ファインダーをのぞいている限り、これは難しい。
    そこで私は、ライカなら、ファインダーの中央だけ見て、
    他のデジタルカメラなら、ピント拡大機能を常用して、
    中央のピント合わせをしたら、液晶画面に戻らず、
    そのままシャッターを押し込みます。

ソニーα7の場合、手元に構えたときに、
液晶を持ち上げて水平にすることで、液晶を確認できます。

    ローアングルのとき、便利なように見えますね。
    でも、これは使うと、どうしても構図をいじくることになり、
    写真の鮮度をぐっと落としてしまいます。
    写真家には有用でも、ロボグラフィストには有害。

最近、液晶ファインダーをつけないライカが発表されたそうですね。

    ライカM Edition 60
    ズミルックスM 35mm f1.4 ASPH.とのセット販売で税込232万2,000円
    232万円?

iPhoneで検索してみました。
デザインを見た瞬間、「なんだ、これは!」

    こんなデジタルカメラを作るんだったら、
    そして何百万円もとるんだったら、M3デザインにしろ!

    飲み過ぎて、急性アルコール中毒で緊急入院して、
    3日間寝たきりからようやくなんとか快復して退院する、
    富豪のどら息子みたいに、ふやけた五頭身スタイル!

それより、どのカメラにも液晶画面オフ機能を付けて下さい!

    エプソンRD−1初期型だったでしょうか?
    液晶を反転して隠してしまうことができましたね。
    それもいいけど、液晶画面だけの電源のon,offで十分。
    なんで、それができないの?

おっと、一体なんでこんなことを書いてきたのか?

    スーパーワイドへリアー15㎜F3.5で撮っているとき、
    液晶が邪魔になって、いらいらさせられるからです。
    ぐっと手を突き出して撮るとき、不可避的に目に入ってしまう。
    その度に、目の方を無理矢理オフにしなければならない!

フォトショップに水平垂直に修正する機能があるようですね。

    余計な!
    無理に水平垂直を付けると、きわめて不自然になるからです。

あなた四角四面のまじめ紳士と付き合いたいですか?

    私はいやですね。
    さりとて、ゆがみっぱなしのワルも面倒。
    すっきり筋が通っているけど、
    どこかほんのちょっとゆがんでいるところがある、
    そんな人が面白い。
    それと同じですね。

ということで、21日水曜日、家からバス停まで、
そして、JR奈良駅で大和路快速に乗車するまで、
水平垂直も構図もなにも考えずに、バンバン撮りました。

    いい加減な写真です。
    でも、もともとこいつら、ちょっとおかしいのですから、

        いい加減な人が、
        いい加減なロボグラフィたちを撮るときは、
        いい加減に、
        これが正式な作法。





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by Sha-Sindbad | 2015-01-22 16:21 | S.W.Heliar15/4.5 | Comments(0)

1238 Angels are dancing on the sky (東大寺の空、飛天が乱舞して)



本ブログに5Picturesシリーズを設けていたことを忘れていました。

吉田正さんの写真教室には、
5枚セットの組写真を持参することにしています。
1月の5枚をご覧頂きましょう。

子供の頃の紙芝居のおじさんよろしく、
写真を並べた後、こんな風に説明しました。

    (1枚目)左手から飛天たちが踊りながら現れ、
    (2枚目)遙かな高みに向かって飛翔した後、
    (3枚目)飛天たちは天上で合流し、
    (4枚目)入り乱れて乱舞し、
    (5枚目)東大寺の上で、さらに華麗な踊りを繰り広げました」




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紀貫之は、宮廷の女性たちが楽しむ日記形式を借りて、
紀行文「土佐日記」を書きました。

    私も世の写真家たちのすなる組写真をしてみんとて、
    写真作品を作るつもりなどまるでないのに、
    せっかく写真教室で写真のことを教えていただくのですから、
    この機会を利用して、組写真の作り方を教えていただこうと考えて、

もともとそんなつもりもなく撮ったロボグラフィを
無理にお話を作って、5枚を組み合わせたものを毎回持参しています。
でも、実は、この組み方って、おかしいのです。

組写真っていったいなんでしょう?

    ピアノ五重奏のようなものではないでしょうか?

一番有名なシューベルトの「鱒」を取り上げてみましょう。

    ピアノ、ヴァイオリン、ビオラ、チェロ、コントラバス、
    それぞれに独奏楽器として、大変な表現力をもった楽器たちです。
    無伴奏でも最高の音楽を創れます。
    とくに、ピアノと弦楽器とでは、打楽器と擦弦楽器なのですから、
    音の出し方がまるで違います。

でも、この異質な楽器が協奏すると、
無伴奏の音楽とはまるで次元の違う膨らみのある音楽が創造できます。

    作曲家たちは様々な組み合わせを考案して、
    驚くほど多様かつ豊かな音楽世界を生み出してきました。

でも、だからと言って、どんな組み合わせでもよいとは言えません。

    たとえば、ティンパニーとハープとピッコロを組み合わせても、
    まさにトンチンカンで貧寒としたサウンドしか生まれないでしょう。
    異質でありながら、ハーモニーを生み出せるセットだけが成功します。

組写真もそうですね。

    同じような写真を5枚組み合わせても、
    ただの羅列でしかありません。
    2つの楽器のさまざまな音程の組み合わせが、
    妙なる響き、共鳴、和音、倍音、ハーモニーを生み出すように、
    あるいは撞木と鐘が荘厳、森厳なる響きを生み出すように、
    1枚ずつでは絶対に生み出せないような雰囲気、気分、情感を生み出す、
    それが組写真ですね。

ところが、私はそんな面倒な作曲をする意思も能力もまるでありません。

    だから、Club Sei-G写真展でもそうでしたが、
    5枚の写真が一つの物語を語り出せるように組み合わせます。
    でも、物言わぬ写真たちを5枚並べて、
    作者の意図通りの物語を感じてくれるなんて、
    そんな雄弁な組写真を作ることなんて、私の実力では不可能。

だから、言葉で無理に絵物語を作っているわけですが、
こんなやり方では、本来の意味での組写真への道は遠いですね。
まして、いっそう大掛かりな組み写真である個展なんて、
ありえませんね。

    もともと写真展などするつもりがないので、それはよいのですが、
    せめて吉田正写真教室にはいつか、
    五重奏と言うにふさわしい組写真を持参したいものです。
by Sha-Sindbad | 2015-01-21 19:08 | 5 Pictures | Comments(0)

1237 誰がために鐘は鳴る?(スイター25mmF1.5が梅田茶屋町に初登場で、いきなり全開)



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クラシックレンズに話を戻しますと、
このようなかさ上げ効果、ワッショイ効果は無視して、
三流レンズたち、つまり、そのような風潮の中でも
なお低廉に見捨てられているぼろレンズ、凡レンズに、
珠玉の名品を見つける楽しみに徹することにしましょう。

Cマウントレンズの中には、どうやら数知れず出回っているおかげか、
稀少性ゼロでいつまで経っても低廉そのものという、
いわば恵まれない一族がいます。
こんな中に、描写は超一流というレンズがあるものです。

    親友のために手に入れたスイター25mmF1.5ARがそれ。

私も手に入れました。
RXよりも明朗、明晰な描写に魅せられたからです。

18日日曜日、このレンズをオリンパスE-PL1に付けて初使用。

    吉田正写真教室が午後12時半はねたあと、
    教室を飛び出して、阪急電車に飛び乗りました。
    畏友のRAさんが大阪梅田で待っていてくれるからです。
    紀伊国屋書店前の広場で落ち合い、昼食後、茶屋町を撮影しました。
    午後1時45分落ち合い、昼食と途中の喫茶店経営で話し込んで、
    合計1時間半をおしゃべりに費やし、
    午後5時15分ベルギービールのレストランに入るまで、
    約1時間半で316枚の収穫がありました。

別ブログでは、久しぶりにCマウントレンズでシリーズを組みました。

    スイターは実質50mmの標準レンズとして使っています。
    このちびスイターが大御所マクロスイターと互角に勝負できるか?
    これが興味。

その中から一枚だけ、ごらんいただくことにしましょう。

あなたにはこれがなにに見えますか?
ただの停車場風景、それだけしか見えませんか?

    いつも書いていることですが、
    それしか見えないのであれば、もうこのブログ来るのよしましょう。
    ただのゴミ箱写真しか並んでいないのですから、時間の無駄。

    私のブログはどちらも、私一人のためのただの写真日記。
    私の心を揺るがせた路傍のものたちとの出会いを記録しつつ、
    日々の雑感を綴っただけ。
    写真ブログではありません。

    いわば、人の家の台所をお勝手口からのぞき込むようなものです。
    そのあたり、紛らわしいのですが、誤解のないように。
    どなたもこなたも、時間の無駄はやめて、
    写真ブロガーの皆さんのすてきな写真をお楽しみくださいね。

私には別のものが見えます。

    それが何に見えるかを押し付けて、
    そんな風に見ろ、と、あなたに強要するつもりはありません。
    実のところ、全ての写真がそうなのです。
    ある写真を見て、なにかを想起し、生きる勇気が湧いて来る、
    そんな体験ができたら、素敵ですね。
    私は自分の写真をエネルギー源として使っています。
    だから、毎日が楽しい。
by Sha-Sindbad | 2015-01-20 12:38 | Switar25/1.4AR | Comments(3)