1932 雨の日(2017年10月2日ペッツヴァール58㎜F2.3が西大寺で花の乱)1
2年7か月の孫プリンセスが食卓に輪ゴムを三つ置いて、
にっこりつぶやきました、
「おじさん」
上の2つの○が目、下の1つが口。
実にシンプルな顔認識です。
長女の長男である6歳の孫プリンスとこの子がどうやら、
私のあらゆるものになにか別の生き物、別の存在を見る、
才能と言うか、厄介な癖と言うか、
そんな遺伝子を継いでいます。
前にも別ブログ「わが友ホロゴン」で書いたかも知れません。
一つ簡単な実験があります。
名刺大の紙の長辺を3回折ります。
すると、横から見ると、「M」もしくは「W」の形。
これを手のひらの載せます。
陰影ができるので、4つの平面がしっかり見えています。
この「M」なり「W」なりの凹凸を、逆になるように、
自分の見え方をひっくり返えそうとしてください。
突然、ひらりと像が立ち上がります。
この視覚操作が成功すると、
手のひらの上の空間がまるで別世界のように見えるでしょう。
お暇だったら、実験してみてください。
私たちの視覚は、実のところ、
このような作業を終始行っているのです。
そうして、整合性のある視覚像、世界像を作りだしています。
でも、それが対象を常に正確に視覚再現しているかどうかは、
必ずしも保証されていないのです。
そもそもこの世界が客観的にたった一つの外観しか持たない、
なんてことはありえないのです。
まず、一番最初に認識主体が外界を捉える仕方が、
さまざまの存在によって、それぞれまったく異なります。
地球上の一点に位置した認識主体が、たとえば、
アメーバ、尺取り虫、蟻、蛸、サンショウウオ、カエル、ネズミ、
猫、ライオン、ゾウ、人間、鯨、等々、ランダムに列挙してみると、
お分かりでしょう。
人間は、平素は、互いにかなり共通した認識をしています。
でも、それは、2人の青年が歩いていて、
天使のような顔をした、とてもグラマラスな女性とすれ違います。
顔を見合わせて、異口同音にささやきます。
「すごーい!
生まれてから、あんな綺麗な人に会ったことがない!」
でも、1人は顔に、もう1人は体に心を奪われていて、
受けた印象、記憶はまるで共通しないかも知れません。
私のロボグラフィって、そんなものです。
あなたが私と一緒に歩いていて、路傍で私の被写体に出会っても、
私、「わっ、きみはぼくを待っていてくれたんだね!」
あなた、「なにを騒いでるの? ただの薄汚い地面じゃないの!」
私はあなたがそのとき何をどう見たか、分からないし、
あなたは私がそのとき心ときめくロボグラフィに対面したなんて、
分からない。
私はあなたの気持ちが分からないし、
あなたは私の気持ちがわからないのです。
もし、あなたと私とが同じデジタルカメラセットを持っていて、
その方向を向いて写真を撮ったら、
同じものが同じように撮れるでしょう。
それぞれに現代レンズが克服したさまざまな偏頗な性格があるために、
まったく異質な写り方をしてくれるクラシックレンズだから、
私のその瞬間感じたロボグラフィ性を再現してくれる、
私はそう信じています。
でも、練達の写真家なら、現代レンズであっても、
そこにある異貌の光景を写し取ることができるでしょう。
私はそんな才能は皆無なので、レンズ頼り。
私の場合は、古代レンズあってのロボグラフィ、
私はそう信じています。
中将姫光学さんにお借りしているペッツヴァール58㎜F2.3は、
なんでもないうらぶれた地方都市のなんでもない裏通りで、
バンバンとロボグラフィを見つけ出してくれます。
私に別の目を与えてくれる、
それがペッツヴァールの面白さ、
私はそう信じています。
by Sha-Sindbad
| 2018-02-06 21:15
| petzval58/2.3
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