1680 王寺付近で(アポクロマート18㎜F2はちょっとビルトゥウォーゾ)
クラシック音楽界の痛恨の出来事、
そう言えば、思い出すのは誰のことでしょう?
私にとっては、「一も二もなく」じゃなくて、「一と二とあって」、
ジャクリーヌ・デュ・プレがたった28歳で多発性硬化症により隠退したこと、
そして、グレン・グールドがたった50歳で脳卒中により没したこと。
どちらを一とするかは、私には絶対に決めたくないことなのですが、
一つ、よりどころがあります。
グールドの演奏をYouTubeで見ても、感嘆するばかりですが、
ジャクリーヌ・デュ・プレの演奏を見ると、涙がこみ上げてきます。
グールドは期するところがあったのでしょうか?
彼を一躍世界的ピアニストに押し上げたバッハの「ゴールドベルク変奏曲」を、
死の直前に最録音することで、ある意味では、彼は運命の円環を自ら閉じた、
そんな気配が感じられるのに対して、
ジャクリーヌ・デュ・プレはまさにこれからどこまで大成するか分からない、
昇り龍が突然翼を奪われたかのようで、かの喪失感は限りがないからです。
でも、それはそれとして、この二人を見ていると、いつも、
わき起こるのは、人間の可能性の大きさに驚愕する思い。
なぜこんなことを書いているのか?
実は、今回の記事の写真の投稿手順を延々と続けている間、
私は、ジャクリーヌ・デュ・プレと夫バレンボイムによる、
ベートーヴェンのピアノソナタ第三番を聞いていたのです。
デュ・プレとグールドの演奏を聴く度に思ってしまいます、
「天才!」
一方、バレンボイムのピアノ演奏を見る度に思うのは、
「ヴィルトゥオーソ!」なのです。
ウィキペディアによれば、
「ヴィルトゥオーソとは、
演奏の格別な技巧や能力によって達人の域に達した、
超一流の 演奏家を意味する英語からの借用語。」
バレンボイムはそのヴィルトゥオーソそのものと言いたいほどに、
間然するところのない名演を超絶技巧によって繰り広げます。
でも、なぜか、この人を愛することはできない。
ピアノには、そんなヴィルトゥオーソが目白押し。
コルトー、ルービンシュタイン、ホロヴィッツ、バックハウス、
みんなそうです。
偉大な演奏家です。
でも、なぜか、愛せない。
私にとっては、この愛せるということが絶対条件なのです。
たとえば、マリア・カラスは愛せるけど、現代の大ソプラノたちは愛せない。
チェ・ジウは愛せるけど、イ・ヨンエは愛せない。
ディ・ステファノは愛せるけど、三大テナーの皆さん、
とくにドミンゴは愛せない。
マリリン・モンロー、イングリッド・バーグマン、原節子さんは愛せるけど、
現代の大スターたちは誰も愛せない。
私が古いからじゃありません。
たとえば、チェリストにして指揮者のハンナ・チャンは愛せる。
千住真理子さんも愛しますが、
他の日本のヴァイオリニストは数人コンサートで会えましたが、愛せません。
基準も根拠もなにもありません。
どうしようもなく、そうなのですから。
ここまで読んで来た方がおいでになるとして、
じりじりし始めておられるでしょう、
「一体、なにを言いたいんだ!?
それとレンズとどう関係するんだ!」
というのは、今回のレンズでこのヴィルトゥオーゾを思い出したのです。
アポクロマート18㎜F2
まさに間然するところのない見事な描写、レンズ性能です。
私がもっているレンズの中では、コンタレックスのレンズ群と、
キノプティックのアポクロマートたちに共通する特質です。
これらのレンズたちの写真は、常に、圧倒的な印象を伴います。
まさにヴィルトゥオーゾ!
でも、ああ、愛せない!
それなのに、目が離せない。
どうしてこんなに見事な描写になるんだろう?
アポクロマート100㎜F2ははるか昔に売り飛ばしてしまいました。
今、当時の何倍もの高値を呼んでいるようです。
それでも、後悔していません。
この18㎜F2はまだ売り飛ばしたいとは思わないのが不思議です。
レンズの風貌にとても卓抜で颯爽とした感じがあるからでしょうか?
でも、やっぱり、愛せませんねえ..............
そう言えば、思い出すのは誰のことでしょう?
私にとっては、「一も二もなく」じゃなくて、「一と二とあって」、
ジャクリーヌ・デュ・プレがたった28歳で多発性硬化症により隠退したこと、
そして、グレン・グールドがたった50歳で脳卒中により没したこと。
どちらを一とするかは、私には絶対に決めたくないことなのですが、
一つ、よりどころがあります。
グールドの演奏をYouTubeで見ても、感嘆するばかりですが、
ジャクリーヌ・デュ・プレの演奏を見ると、涙がこみ上げてきます。
グールドは期するところがあったのでしょうか?
彼を一躍世界的ピアニストに押し上げたバッハの「ゴールドベルク変奏曲」を、
死の直前に最録音することで、ある意味では、彼は運命の円環を自ら閉じた、
そんな気配が感じられるのに対して、
ジャクリーヌ・デュ・プレはまさにこれからどこまで大成するか分からない、
昇り龍が突然翼を奪われたかのようで、かの喪失感は限りがないからです。
でも、それはそれとして、この二人を見ていると、いつも、
わき起こるのは、人間の可能性の大きさに驚愕する思い。
なぜこんなことを書いているのか?
実は、今回の記事の写真の投稿手順を延々と続けている間、
私は、ジャクリーヌ・デュ・プレと夫バレンボイムによる、
ベートーヴェンのピアノソナタ第三番を聞いていたのです。
デュ・プレとグールドの演奏を聴く度に思ってしまいます、
「天才!」
一方、バレンボイムのピアノ演奏を見る度に思うのは、
「ヴィルトゥオーソ!」なのです。
ウィキペディアによれば、
「ヴィルトゥオーソとは、
演奏の格別な技巧や能力によって達人の域に達した、
超一流の 演奏家を意味する英語からの借用語。」
バレンボイムはそのヴィルトゥオーソそのものと言いたいほどに、
間然するところのない名演を超絶技巧によって繰り広げます。
でも、なぜか、この人を愛することはできない。
ピアノには、そんなヴィルトゥオーソが目白押し。
コルトー、ルービンシュタイン、ホロヴィッツ、バックハウス、
みんなそうです。
偉大な演奏家です。
でも、なぜか、愛せない。
私にとっては、この愛せるということが絶対条件なのです。
たとえば、マリア・カラスは愛せるけど、現代の大ソプラノたちは愛せない。
チェ・ジウは愛せるけど、イ・ヨンエは愛せない。
ディ・ステファノは愛せるけど、三大テナーの皆さん、
とくにドミンゴは愛せない。
マリリン・モンロー、イングリッド・バーグマン、原節子さんは愛せるけど、
現代の大スターたちは誰も愛せない。
私が古いからじゃありません。
たとえば、チェリストにして指揮者のハンナ・チャンは愛せる。
千住真理子さんも愛しますが、
他の日本のヴァイオリニストは数人コンサートで会えましたが、愛せません。
基準も根拠もなにもありません。
どうしようもなく、そうなのですから。
ここまで読んで来た方がおいでになるとして、
じりじりし始めておられるでしょう、
「一体、なにを言いたいんだ!?
それとレンズとどう関係するんだ!」
というのは、今回のレンズでこのヴィルトゥオーゾを思い出したのです。
アポクロマート18㎜F2
まさに間然するところのない見事な描写、レンズ性能です。
私がもっているレンズの中では、コンタレックスのレンズ群と、
キノプティックのアポクロマートたちに共通する特質です。
これらのレンズたちの写真は、常に、圧倒的な印象を伴います。
まさにヴィルトゥオーゾ!
でも、ああ、愛せない!
それなのに、目が離せない。
どうしてこんなに見事な描写になるんだろう?
アポクロマート100㎜F2ははるか昔に売り飛ばしてしまいました。
今、当時の何倍もの高値を呼んでいるようです。
それでも、後悔していません。
この18㎜F2はまだ売り飛ばしたいとは思わないのが不思議です。
レンズの風貌にとても卓抜で颯爽とした感じがあるからでしょうか?
でも、やっぱり、愛せませんねえ..............
by Sha-Sindbad
| 2016-11-24 23:56
| Apochromat18/2
|
Comments(0)