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レンズ千夜一夜

1077 我が町(2023年12月22日スピードパンクロ35㎜F2は静かに奈良町を過ぎ)ありふれた街



2023年12月22日。
アマゾンで注文した品が私の所持品と互換性がないことが分かって、
返品処理をする必要もあって、近鉄奈良駅界隈に出かけました。
なぜかできるはずのコンビニで断られ、
郵便局で無事返送処理完了。

それぞれの自宅に、
どこにでも物品を送ったり送られたりするメカニズムが
常備される時代が来るかも知れませんね。
さらに、時代が進化すると、
ドラえもんの「どこでもドア」まで供給される時代が来るかも知れません。

でも、ここまで社会が自動化されると、
民主主義は雲散霧消し、
社会の超高速化のために役立たないファクターは、
速やかに自動抹消してしまう「どこでもゴミ箱」なんてものが開発され、
あなたや私はさっさと抹消されてしまう時代が来るでしょうね。
やれやれ.....

こんなことを考えてしまうということは、
現実に、現代社会は、「民主主義」、つまり、
国家の成員一人一人の自主独立、基本的人権尊重の時代を脱して、
新たな「国家主義」、つまり、「国家主権」「国民歯車主義」を主体とする、
コンピューター集中管理主義時代へと,
急速に移行しつつあるのかも知れません。
そんなことは頭にちらっとも浮かびませんでしたが、
はっと気づきました。
ある種の覚悟を強いる、国家側の無線通信を、
私の脳が受信したのかも知れません。

こうなると、国家、企業が用意した通信システムを使うのは
危険になるでしょう。
すべての情報、ヒューマンネットワークが支配システムに
筒抜けになってしまう。
三権分立、基本的人権を国家の骨格とする日本国憲法は完全に空文化し、
国民はネットワークに支配される歯車に位置づけられることになるでしょう。

こうなると、とにかく人間一人一人が自分の自由を確保する必要があります。
でも、個人の力など無に等しい。
つまり、人類にとって、お先真っ暗な世界に着々と流されているようです。

せめてレンズ世界で遊ぶことで、
心を正常化しつつ生きることにいたしましょう。

ソニーα7s
スピードパンクロ35㎜F2

米国の映画用レンズ製造業界のトップにあったのは、
シュナイダーとボシュロムの二社でした。
前社は、スピードパンクロレンズ系列を、
後社は、バルターレンズ系列を供給しました。
硬軟両方のニーズに対応したわけです。
ハードボイルドやドキュメンタリーには前者、
ロマンスには後者、
そんな棲み分けがあったのかも知れません。

私は、もちろん、後者が好みです。
世界に一番大切なものは「愛」だ!
私はそう堅く信じています。
ホロゴン、スーパーアンギュロン、ビオゴンたち、
超広角レンズをこよなく愛するのは、
彼らが両手を大きく開いて、あらゆるものを抱擁しようとするからです。
世界を包括する新しい見方を教えてくれるからでしょうか?

でも、40mmから65mmあたりの標準レンズも愛しています。
私の見る光景に一番近いからです。
安心感があり、心を落ち着かせてくれます。
40mmという画角のレンズはかなり珍しい。

なぜでしょうか?
なぜ、20mm、30mm、40mm、60mm、80mm等々、
収まりの良い焦点距離のレンズが少ないのでしょう?
なぜ、28mm、35mm、50mm、55mm、85mm、135mm、180mm等々、
スペシャルな数値のレンズが多いのでしょう?
私にはその理由が分かりません。
多用される焦点距離が特別に優れたレンズ設計に成功していて、
後発メーカーはそうした評判に、
レンズ愛好者が寄りかかりやすい、という経験からでしょうか?
それとも、レンズ設計における種々の制作例、
そのテスト結果が上記のような焦点距離に多く集積されて、
この集積がニューレンズの設計に役立つからでしょうか?

ちなみに、
レンズ制作者がレンズを設計し、
製作会社がこれを販売するに至る道に、
焦点距離の数値がどう絡んでいようとも、
私が特定のレンズを使いたくなる理由は、
焦点距離の数値にあると感じた経験はありません。

別に写真作品を撮る訳ではないので、
撮影意図となると、写真家のように、
「晩夏の夏の風情をキャッチしたい」なんて考えない。
なにも考えません。

朝、レンズ庫に顔を近づけて、
「さて、今日はどれにしようかな?
よし、これだ!」
その選択には理由はありません。
ただ最初に目が合ったレンズを取り出します。
撮影意図なんて微塵もありません。
何でも良いのです。
私が歩いていく方向からやってくる人、
路傍のなにか、
木々と空。
そして、美女たちと子供。

撮るものと撮らないものがあるのですから、
確かに、ある種の選択が働いて居ます。
でも、意図ではありません。
ただの閃き。
閃きと言っても、誰にもある、ただのチョイス。
これ、撮ろう!
ただ、それだけ。

ブログに数ヶ月遅れで、まったく本文記事と関わりなく、
かつ、なんの説明、言及もなく、掲載します。
たいてい百数十枚撮っています。
ざっと眺めて、「ま、良いだろ!」とチラッと感じたら、選び、
ブログ掲載フォームに縮めます。
若干、暗めにして、だいたい濃度を均す。
ただそれだけの作業で、ブログ掲載作業完了。

その作成作業のときに見るだけで、
よほどの事がない限り、このブログ記事に戻ることはありません。
時は滔々と流れ、元に戻ることはありません。
私のブログも滔々と流れ流れて、去っていくのですが、
作成者自身が以前の記事に目を通す機会はほとんどありません。

私はオリンピック参加のその他大勢組とかなり似ています。
「参加することに意義がある!」
つまり、
「ブログを作成する作業に意義がある!」

作業は単純です。
たいてい百数十枚から三百枚程度ロボグラフィを撮ります。
その中から、「まあ、これは楽しいな」という観点で、
数量無限定で選択します。
ブログ用に小型化し、その順序で掲載するわけです。

日本のブログの文章量と写真数にかけては、
トップクラスのブログだろうと推測しています。
でも、それがどうした?
誰も私のブログなど気づいていないし、
私もただ「撮って、書いて、アップ」するだけ。
なにを書いて、どんな写真をアップしたか、
自分でやったのですから、分かっています。
分かっていることを重複するほど、人生、暇ではありません。

考えてみると、私はほぼこの調子で、
自分のやりたいように仕事をし、
自分の人生を誰かに支配させたり、批判させたり、
といようなことはない生涯でした。
こんな人間は、ともすると唯我独尊に成りかねません。
私は幸い、人に自分の自慢したい、とか、
他人をなんらかの形で支配したい、とか、
仕事で一定の名声を得たい、なんていう気持ちは、
絶無でした。
「人の上に立ちたい」という気持ちが絶無だったからです。
ただ「自分のしたいことをしたい」、これだけ。
よく考えてみると、少年時代も職業時代と退職後の時代も、
ずっと、同じ気持ちで人生を歩んできました。

昔、NHKテレビのプロデューサーに話を伺ったことがありました。
関西の役者たち、漫才師たち、落語家たちが出演するバラエティショーでは、
最初と最後の総出のシーンはとくに危険。
下手をするとカオスに成りかねない状態だったそうです。
だれもが最前列の中央に立とうとひしめき合ったからです。
全員笑顔なのですが、目が血走って、笑っていない!
人の上に出る、ひたすらこれがすべての行動の出発点だったからです。
かわいそうな運命の人たち。
その99パーセントは、大衆からいつか忘れ去られ、
働く場を失って、稼いだ資産を巧みに貯蓄し、運用していない限り、
路頭に迷うことになると聴きました。
辛いですねえ。

私の写真たちの余生は平安です。
別に自分の資産を巧みに使って成り上がった訳ではないので、
私の他は誰も来ないブログで静かに余生を過ごしている訳です。

私は私なりに選抜してブログに掲載しています。
でも、その選択基準はあくまでもプライベート。
私の足跡を残す、ただそれだけの基準。
私以外の人になんらかの感銘を与えたい、
そんな動機は皆無ですから、
誰も関心を持たない、ただの路傍シーンが続くだけ。
私が写真家としての才能をまったく有しなかったことが幸いしました。

写真家なら、ある種のコンセプトを感じさて、
かなりのインパクトをもたらす体験となるようにしたい、
そう意図するものでしょう。
まあ、私は経験がないので、そう推測するだけ。
そして、元来、写真家の才能など皆無なので、
自分自身の写真がそんなインパクトを有し、
人の心を動かした、という体験がないだけに、
写真家の作品とするためにどうしたらよいか、など、
ノウハウは皆無。
「私の写真を見て下さい」なんていう度胸も自信もないのですから、
作者自身が作品と見ていない写真たちを、
偶然アクセスしてしまった人に何の感銘を与えないことは明らかです。

いくつか参加した写真クラブ等の写真展も、
私の写真が並ぶコーナーの前は、
観覧者が素通りするコーナーでした。
「なんや、これ?」
という訳でした。

ある写真家はおっしゃいました、
「この人の写真は子供でも撮れる。
ただそっち向けてシャッターを落とすだけなんだから」
私、「その通りですよ!」
そんな写真を半世紀ひたすら撮り続けて来たのです。
いかなる成長、進歩、進化、変革もなく!
でも、少しはどこかが変わったかも知れません。
どんな存在も必ず変化を免れないのですから。

まず、確かに、高齢化したことは事実です。
すでに79歳。
この年齢だと、すでに三途の川を渡った人もかなり居るはずです。
まさしく日本人男性の平均年齢あたりでしょうから、
同年齢の半数は先立っている状態にあるかも知れません。
私の親友だったNKさんは、私より6、7歳は若いのに、
3年ほど前突然消息を絶ってしまいました。
超高価、超高機能のマウンテンバイシクル、
巨大なマウンテンバイクを愛用して、
三重と奈良の県境の山地を縦横無尽に駆け回るのが趣味でした。
でも、ふっつり連絡を絶ってしまい、
メールの応答がなく、レターも返信がありません。

私は幾人か大切な親友に先立たれていますので、
電話はたった一回だけ。
応答がなかった........
もう二度と電話したいという気持ちになれませんね。
(昔、いかなる連絡も絶ってしまった写真仲間がいました。
後日知りました。
精神的に病んでしまい、妻子と別れ、仕事も捨てて、
その状態である日自ら命を絶ってしまったのです...
自殺する人の多くは、
家庭と仕事の両方に深刻な精神トラブルを抱えてしまって、
出口が見つからぬままに、最終決断に至るようです。
人それぞれに人生があるのです。

私は、幸い、かなり強靱な精神力を受け継いだようです。
この精神力と反発力がない限り、できない仕事を選び、
趣味の写真でも、アマチュア写真世界で楽しむ道を捨て、
一人、路地から路地にうろつくロボグラフィに徹してきました。
ロボグラフィは私一人で楽しみます。
報酬はただただ思うがままのロボグラフィ、
つまり、道行きの記録を集積でき、
これをブログに掲載することで、
私の心に豊かな歓びがこみ上げてくるのを覚える!
まさしく独特の趣味です。

一人家に籠もって、ひたすらニタリニタリしていたら、
早晩、自閉症の疑いで収容される危険があるかも知れません。
でも、ロボグラフィ趣味はシンプルで、いつまでも楽しめます。
すなわち、一週にきっかり4回、
さまざまな場所を選択して、一日歩き、
ロボグラフィを撮り重ね、いつか機が熟すると、
ブログに掲載する。

読者はゼロですが、私の写真は、ごく例外的な数枚をのぞき、
まったく写真家のみなさんの関心を呼ばない性質のものです。
簡潔に言えば、
「なんでこんなものを撮るんだ?
要するに、フォトジェニックではない!」
そう考える人が多いようです。

たった一人の友人しか、
私を高く評価する人はありませんでした。
ただし、密かな誇りをかき立てる評価を、
ある写真家から得られたことは幾度も記録してきました。
非常に高名なプロの写真家ですが、
「この人は、あるいは、写真家と言える存在かも知れない。
時々、そんな風に考えることがあります」
ありがたいお言葉で、忘れることができません。
でも、誰も同調する人は居なかったことも事実です。
20年ほども昔のことです。
そんなことを思い出すようじゃ、
私も年を取ったなあ、ということでしかないのですが.....

でも、心身とも快調そのもの。
疲労感を感じることがありません。
まだ、もう少しは快調な人生を楽しめそう。



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# by Sha-Sindbad | 2024-03-18 17:19 | SpeedPanchro35/2 | Comments(0)

1076 共に夢を生きる(2024年1月8日ホロゴン15㎜F8が奈良町に親しんで)死ぬまで?


晴れ、やや温かい。

私は、いわば、何十年も本を読んできましたが、
基本的には、偏った読書でした。
中国、ギリシア、日本の古典を中核として、
あとはさまざまな関心が見つけてくれた愛読書ばかり読んできました。
近頃、本が買えなくなりました。
理由は簡単です。
① 金がなくなった!
② 金があっても、本を置く場所がなくなった!

私の書斎は2階北側に作りつけた、たった5.6畳の小部屋です。
東西両壁が天井までの書棚を大工さんに作ってもらいました。
職業時代には、どこに転居しても、
たいてい8から10畳の書斎が用意されていました。
でも、引退すると、そんな家は望むべくもありません。
でも、購入した家に書斎スペースを増築したいと、
建築士に相談しますと、実に巧みに実現してくれました。
東西両壁面に、西側は9段、東側は7段と、
狭いけど、収納性十分の書棚を作ってくれました。
東側は、下2段にたっぷり画集、写真集を収納できます。
数百冊の愛読書が天井までびっしり並んでいます。
読み直すだけで、十分残る生涯を使うことができそうです。
書斎机は、狭い部屋を考慮して、ビューロー形式。
なんと幅が2.5m近い巨大ビューロー。
高さ50センチの天板を開くと、60センチほどのテーブルに!
こんなに広大な天板を持つ書斎机を持っている人は少ないでしょう。

でも、心配は地震です。
ここ数年来、大震災の危険性が喧伝されています。
富士山、阿蘇山、硫黄島等、世界有数の活火山の活動が活発化しています。
その上に、活断層のリスクも高まっています。
あと2,30年の内に東海道から九州にかけての太平洋沿岸で発生して、
沿岸という沿岸に未曾有の大津波と大地震が発生する危険性。

上記のどの災害が起こっても、
私たちの日本人のほとんど人生は、
目出度く(もなく)「一件落着」!
となる危険性が極めて大きい。
生き延びても、もし書斎にいるときに襲来したら、
両側の書棚の本が私に襲いかかってくるかも知れません。
ヘルメットをかぶりながら生活するのがよいかも?

でも、とにかく、現在の平安に感謝して生きることにしましょう。
つまり、私たちは、今無事息災の間に人生を最大限謳歌して、
いつ何時終末のときが来ても、従容として運命に従う、
これしか生きる道はないのでしょう。

端的に言いますと、私自身は、
明日にでも起こる危険性が極めて高い、そう踏んでいます。
たとえば、溶岩流が溜まりに溜まっている阿蘇山、硫黄島の噴火。
一度巨大噴火が起これば、日本列島の大半が溶岩の雨を浴びます。
河川も水源地も道路もなにもかもすべてが、
溶岩で覆われ、交通機関も水道も歩行道路もすべてが不通になります。
つまり、日本人の大半は飢餓によって失われると言われています。
こんな私たちの運命は神のみぞ知るです。

せめて、専門家たちが「大げさなほら吹き屋」であることを祈りたいですね。
でも、過去に日本列島を襲った同種の致命的な大災害の
被害者である日本人は、現代と比較すると、むしろ極めて少数で、
居住地も列島中に小さく分散されていたので、
現代と比べると、災害を免れる人の割合は格段に大きかったし、
復興すべき社会的設備、生活もはるかに簡素でした。
だから、そのようなパンデミック的災害の記憶はほとんど残されていません。

でも、現代は違います。
日本列島は、とくに西日本は海岸線に沿って
隅々まで超巨大人口地域となってしまいました。
現代の人口超過剰社会にパンデミックが及ぼす災害は古今未曾有で、
その規模、態様は完全に予測、想像を絶しているのです。
水源地、道路、交通網のすべてが復興不能なほどに破壊されてしまうのですから、
日本の震災地域の人口の90%以上が死に絶えるかも知れない。
私は専門家ではありませんが、
私には、生き延びる方法、可能性など、一切心に浮かびません。

ここで、分かることはたった一つ。

私たちは、毎日、毎時、毎分、毎瞬、
神から与えられた命を慈しみながら生きることにしよう。

ちょっと話が超絶深刻な方向にずれてしまいました。
本の話をしていたのでした。
上記のような事情があるので、
書斎の両壁面を本で埋めるのも危険、
と言う気がしています。
そこで、考えていました。
重い本で、今後読む可能性がほとんどないものは、
さっさと古書店に売ってしまおう。
ところが、パンデミック騒動以来、
奈良市内の古書店が次々と廃業し始めました。
ほとんどの業種で廃業の津波が起こっています。
個人開業医まで、
その半数はすでに医院を閉鎖しているようです。
やれやれ........

さて、写真。
久しぶりにホロゴンを持ち出しました。

ソニーα7s
ホロゴン15mmF8
レンズとしては希少性が極めて高いレンズです。
でも、写真家は使いません。
あまりにも超広角すぎて、
ノートリミングで写真作品を創造するのは極めて難しい。
余分ものがいっぱい写ってしまうからです。
トリミングするのなら、15㎜もの広角を使う理由がありません。
だから、誰も使いません。
そんないわば「唐変木レンズ」を30年以上使い続けてきた私は、
まさしくレンズに殉じてきたようなものだと言われそうです。

でも、私はこの余計なものがイッパイ写っている写真が大好きなのです。
第一、写るべきものが写っていないよりマシじゃありませんか!

私は心に深く誓っています。

 ぼくは死ぬまでホロゴンで写真を撮る!
 妻とホロゴンと一緒に夢を生きるぞ!

(ややこしい生き方になりそうですが........)



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# by Sha-Sindbad | 2024-03-12 22:59 | Hologon15/8 | Comments(0)

1075 美レンズには(2024年1月11日エクター47㎜F2持つと、奈良町に美女大集合)美女が似合う!


平成34年1月11日(木)、曇り時々晴れ
午前11時過ぎのバスに乗車し、飛火野で降車。
奈良に居住することの強みは、
偉大な天平文化に普段に接することができること。
東大寺、春日大社、興福寺と、
国宝の宝庫があるのが強力なポイント。
私は、いかなる信仰もない、まさに無信心者なのですが、
飛鳥、奈良時代の仏教美術は、
その精神性、芸術性の高さにおいて、
世界のあらゆる宗教センターのある町に劣りません。

飛鳥、奈良時代の国宝仏のほぼ全部が奈良に集中しています。
そして、そのほとんどに日ごろお目にかかることができます。
私がいかに俗物であっても、
偉大な仏教美術との出会いは私の精神を少しは高めてくれる、
そんな感じがします。
つまり、素晴らしいアートは、
私のような俗人の心であっても、研ぎ澄まし、深めてくれます。

ついでに言いますと、音楽もそうです。
なにを見、なにを聴いているか?
それ次第で、あなたの精神生活もある程度理解できます。
そして、日頃の精神生活が分かれば、その人間性もかなり分かる、
これは当たり前のことでしょう。
そして、もっと怖ろしいことは、
日頃の生活、職業人生、生き方がだらしないと、
あなたの人間性を日々汚します。

多くの帝王がアーティストを庇護し、
彼らの宮殿をその作品で飾りました。
ルーブルやイスタンブールのトプカピ宮殿、
モスクワのクレムリン宮殿が
その極致に数えられるかもしれません。

でも、偉大なアートは、残念ながら、
帝王たちの万世の繁栄、王家の存続を保証してくれませんでした。
ルイ16世の首はギロティンにカットされ、
オスマン・トルコもロシア帝国も滅びました。
ロマノフ王朝も同様の運命に晒されました。

持ち主がその精神を偉大な芸術によって研ぎ澄まし、
高めることによって、
持ち主自身が強力な存在となることはあったかも知れませんが、
持ち主の繁栄を保証するものはその人の仕事であって、
偉大な芸術が好ましからぬ行状の主を支えることはありませんでした。
この道理は、万人に当てはまるでしょう。

昭和を代表する文豪川端康成は、
池大雅の「十便図」、与謝蕪村の「十宜図」を
骨董商からもぎ取るように持ち帰り、
いくら催促されても、
ついに代金を払うことはありませんでした。

上記資産の財産的、文化的価値に照らして、
通常人の感覚では到底考えられない「強奪行為」、犯罪でした。
それが許されると考えた川端は、人間として劣等と言わざるをえない、
私はそう確信します。
だからでしょうか?
彼の文学作品、さまざまに読んでみましたが、
はっきり言って、「並」です。
宮澤賢治、与謝野晶子、太宰治、夏目漱石、芥川龍之介のレベルには、
鯱立ちしたって及びません。
(この並べ方は、私の評価順です)
ノーベル賞受賞挨拶の文章、あれはただの言葉遊び、屑です。
その意味、興趣が誰の心にもすっきりと入って来ないのですから。

師匠がそうだったので、
弟子のあれ(名前を忘れました、思い出したくもありません)の小説群は、
まさに空虚な空箱に、綺麗なだけの飾り菓子を並べたような具合です。
彼自身が最期に「床に置かれた首」だけになって、
大衆の目に曝されたのは、
昭和文学史上の最大の汚点でした。
いかなる歴史的、政治的意義などない、ただの暴走だったからです。
おかげで、いかなる歴史的役割も担うことのないままに、
単なる突発的乱行として歴史に残っただけ。

このように書いてきますと、
芸術は、それにふさわしい人生を伴わない限り、
持ち主、鑑賞者の精神を高めないことが分かります。
あくまでも、人間が主で、アートは従です。
ただし、観点を変えれば、
芸術は、創造者の人間性には必ずしも依存しませんね。
高貴な人間が高貴な芸術を生み出し、
低劣な人間は低劣な芸術しか生み出さない、
なんてことはありません。
犬の糞にも劣るような人間が高貴な輝きに満ちた作品を生み出す、
そんなことはざらにあったようです。
一旦作品がこの世に出てしまえば、
創造者の人間性など、作品の感興を傷つけることはない、
そう言うことができそうです。

でも、論旨が二転三転するようで、もうしわけないけど、
最高の人間が最上の芸術を生み出すとき、
その作品は至上の高みに位置する、
そう言ってもよいかも知れません。

私は、その人となりをほとんど知らないのですが、
フェルメールがそうです。
彼の作品は30数枚しか残されていません。
研究家は、現実の製作数もあまり変わらないだろうと考えています。
43年の生涯の内、何年実作に励んだのでしょうか?
成人してからでしょうから、20年より少ない年数でしょう。
だとすると、年1作から多くて2作、でしょうか?
私は確信するのですが、
作品製作の途中で、どうしても筆が進まなくなって、
焼き捨てた未完の作品が同数以上有るのではないでしょうか?
本気になって、「私の作品です」と言える作品だけが残された。

フェルメールの名声は生存中すでにかなり高かったそうですが、
彼自身は、自分を本気で画家であるとは
考えていなかったのではないでしょうか?
彼は、自分のことをどう考えていたのか?
「私はフェルメールだ」、そう考えていたのでしょう。
彼は絵の制作以外に、
生き甲斐となる行為をさまざまに生きていたはずですから。

当時は、ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、ベラスケスのように、
王侯のお抱え絵師とならない限り、画家で生きていくのは難しく、
よほどの天才とうたわれない限り、画家業を生業にする、
これは至難だったのでは?

だから、フェルメールの実作が非常に少ないのは、
作品を製作販売することでは生きていけず、
生業を務めながら、
余暇を画業に費やしたからでないでしょうか?

もちろん、フェルメールは自分自身が
アート史に屹立する偉大な画家であると分かっていたことは
間違いがありません。

彼の「牛乳を注ぐ女」「真珠の首飾りの少女」を、
私はオランダで観ました。
中でももっとも衝撃的だった作品は、言うまでもなく、

「デルフトの光景」

これは意外だと、考える方は多いかもしれません。
画集で見る限り、ただの風景画です。
風景を単なる風景として描いた作品は当時ほとんどありませんでした。
この絵は風景画のハシリだったのでしょう。
でも、ただの風景画ではありませんでした。
実作を観たことがない人はおそらくこぞってこう思うでしょう、

「まあ、フェルメールの作品としては大したことがないな」

そう思うのは、マウリッツハイスで実作に出会っていないから!
もし実作の前に立つことができたら、
そうすれば、はっきりと確信することができるはずです。

「この作品には神が宿っている!
 これこそ美術史上に屹立する
 歴史上最高のアートの一つだ!」

もちろん、上記の「真珠」「牛乳」も、
史上最高クラスの名作たちに匹敵するか、
凌駕する名作であることも疑いがありません。
これらの作品も実物と対面できたら、ただちに分かるでしょう。

これは神がかった作品だ!
こんな作品はあまりない!

私もヨーロッパでかなり沢山の名作を拝見できました。
それでも、そう感じます。
もう一作、最高のものは?
そう尋ねられたら、こう答えるでしょう。

ベラスケスの「ラス・メニーナス」!

さて、フェルメールに話を戻しましょう。
彼はヨーロッパが生んだ宮澤賢治である、
そう言ってもよいでしょう。
二人とも、後世に、
自分がそのような偉大な芸術家であるとされるとは、
夢にも思わないで、生き、そして、死んでいったですから。

ついでに、書き加えておきますと、
オランダでは、レンブラントも沢山観ることができました。
もちろん私も彼が世界美術史上最高の天才の一人であると認めます。
でも、彼は、ピカソ同様、同工異曲となる位、沢山描きすぎました。
寡作にして、最高の画家と言えるのは、
ダ・ヴィンチとフェルメール、私はそう言いたいですね。

こう考えると、世間からちやほやされ続けて、
「私は地上最大の芸術家なのである」と確信して生きた、
そんな芸術家たちとは比すべくもない偉大さに、
フェルメールや宮澤は達していた!
私はそう信じて疑いません。

なにもそうカリカリ来なくてもいいじゃないの?
偉大なアーティストたちの背比べなんか、止そうよ。
誰もが、自分の心にぐっと食い込んでくる、
そんなアーティストたちを尊崇して生きたら、
それでいいじゃないの?
これも一理あります。
もちろん、私もそうしています。

でも、フェルメールや宮澤のように、
無名の人生を秘やかに生きた天才たちを観るにつけ、
今さら遅すぎるにしても、なんとか彼らの人生のバランスを、
あるべき高みにぐっと回復させてあげたい、
そう考えるのは、私だけでしょうか?

さて、本日の写真。
例の通り、東大寺前から奈良町まで、
とにかく歩いて歩いて、
出会った光景を撮影。

次のセットです。

ソニーα7s
エクター47㎜F2
このレンズ、ある意味では、
クラシックレンズ中の白眉、
そう言っても良さそうです。
とにかく凛然とした写り!

私のように、プロアマの写真界から無縁なまま、
完全な素人写真を撮り続ける人間にとって、
モチベーションは人気、名声、評判、地位ではありません。
ひたすら自己満足にあります。
幸い、私はクラシックレンズ収集に夢中になってしまいました。
優れた写真家はたしかにツールを選びますが、
そのツールは自分の作品創造にふさわしいか?
この問いへの完璧なる回答にこだわります。
木村伊兵衛やカルティエ=ブレッソンはライカ一点張りでした。
ど素人は道具にこだわりません。
それは、写真作品の制作にこだわらないことと表裏一体。
バンバン撮影するでしょう。
でも、選択基準は写真家のコンセプト、立場を満たすかどうか?
これだけです。
私の選択基準は、実のところ、「撮ってみたいかどうか」
これだけ。
そう思わないレンズには見向きもしません。
たとえば、ニコンレンズ。
よく考えたら、日本のカメラ会社のレンズのほとんどが同様。
まったく食指を動かしませんでした。
選択基準は、私にはわかりません。
ひたすら、「使ってみたいかどうか?」
ただこれだけ。

今回のエクター47㎜F2はまさにそんな気持ちを
めったやたらに掻き立てるレンズ。
こんなレンズを持つと、不思議です!
観光メッカ奈良にこの日集まったのは、
世界各国の美女たちでした。
普段は美女たちにはほとんど出会いません。
やっぱりエクターのおかげなのです。



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# by Sha-Sindbad | 2024-03-10 18:50 | Ektar47/2 | Comments(0)

1073 可愛い子だね!(2024年1月15日パンタッカー50㎜F2.3が奈良町で無双を)そんなことない!


私は毎週各4回、ロボグラフィ散歩を楽しむのですが、
かならず、2、3回喫茶店で休憩し、ポメラで文章を入力します。
あらかじめ、主題を考えて、論考を展開する?
そんなことはしません。
ただただ、思いつくまま、キーボードを叩くままに、
当て所なく文章を書き連ねていくだけです。
頭の中に浮かんだことをただ書き連ねていく、
そんなやり方が標準的です。

今回考えたこと、
日本中至る所に、歴史的に由緒ある地名が残されています。
私が若い頃勤務したことのある宮崎県には高千穂峰があります。
ニニギノミコトの天孫降臨の地とされています。
どこから降臨されたのでしょうか?
高千穂峰は独立峰です。
もっと高い山から高千穂峰に下りてきたのか?
高千穂峰は独立峰で、それより高い峰など近くにありません。
天空から下界に下りて来られたのでしょうか?
つまり、高天原は天空にあり、その空の上から下界に降りてこられた、
ということなのでしょうか?

この考え方の前提は、天上にも、いわば別天地があり、
そこに住んでいるのは人間であったということになりそうです。
ナンだ、それじゃ、ニニギノミコトは宇宙人で、
天皇家は宇宙人の子孫なのか?
そして、天皇家の皇子たちは地球人、
例えば、コノハナサクヤヒメと結婚して、
子をもうけることができたのですから、
天上の人々も地球人と同種だったのでしょうか?

現代の歴史学では、
縄文人が約1万6000年ないし8000年ほど昔に、
縄文文化を創始した当時、
まだ、漢民族も朝鮮民族もそれ相応の独自な民族として
居住していなかったようです。
と言うことで、朝鮮半島、中国大陸からの渡来人ではなく、
さらに遠方の民に遺伝子の共通する民族があるとされているようです。
なぜなら、縄文文明が始まった紀元前1万6000年前頃、
朝鮮半島、中国大陸には、現在の朝鮮民族、中国民族が居たことは、
まだ証明されていません。
縄文時代に対応する期間中の両民族の遺跡がないからです。
もちろん現代に出土する中国文明の遺跡、遺物は、
縄文時代より遙かに後代の産物です。
朝鮮半島、中国大陸と日本との交流はむしろ弥生時代になってから、
のようです。

実のところ、世界中でも、事情は同じ。
縄文文化と同等に超古代の遺跡を残した民族は
まだ見つかって居ません。
端的に言って、縄文文化ほど、気の遠くなるほど長年月に渡って、
文化的に継続して存続した文化は皆無なのです。
縄文時代の遺跡は膨大な数に及ぶようです。
でも、どうやら都市遺跡らしきものはたった一つ、
三内丸山遺跡だけのようです。

なぜ見つかっていないのか?
もしかすると、はるか後代の巨大石造文化とは異なり、
木造建築だけで都市、部落を営んでいたのかも?
縄文人は、遙か後代の古代世界とは異なり、
階級構造も緩やかに、協力し合って共同体を形成して居たようです。

でも、この縄文文化、けっして局所的な部落が所々に存在した、
というような未開世界ではありませんでした。
なぜ、それが分かるか?
さまざまな琥珀とか翡翠、種々の石材等々、
各地の産物が流通していた上、
縄文土器そのものが諸地方でかなり共通した様式で
変化発展していったことが、
発掘される極めて多量の縄文遺跡、遺物、とくに縄文土器で、
はっきりと証明されています。
つまり、かなり広い範囲で行き来し、
知識、物資を交換しあっていたようです。
超古代の道なき道で分断、点在する古代人の小部落群、
なんかでは決してなかったのです。

さらに、海岸沿いの部落は海運で結ばれていたようです。
でも、三内丸山遺跡以外には、
大きな遺跡は見つからないではないか?
確かに。
でも、その理由も現代では科学的に解明されています。
1万何千年前から数千年前までの間に、
古代の海面は少なくとも3度、隕石の衝突等の事情により、
高くなったことが最近になって科学的に証明されています。
三内丸山遺跡は上記の海面上昇後の現在の海岸線の近くに営まれたのです。
おそらく港に通じていたと思われる広い道の痕跡が見つかっています。
約5900年ほど前から約2200年ほど前の集落跡のようです。
つまり、それ以前の上昇以前の海岸線は、遺跡よりもかなり遠く、
今は縄文の海岸近くの部落群と共に、は水中に沈んでいるのです。
つまり、上記のような地質学の解明により、
3度にわたって、突然、水面が上昇し、
日本列島の海岸線は、その都度、極めて短期間に内陸部に後退し、
東海岸線の縄文遺跡はその都度海面下に沈んでしまったようです。

日本の考古学者は、どうやらこのような現代の地質学の知見に疎く、
学問的基礎にこれを採り入れることができていないようです。
そのために、日本列島全体に大規模集落の遺跡が殆ど見つかって居ません。
だから、学者たちは、縄文人は小集落を作りつつ、
日本列島にまばらに点在していたと解釈しているようです。
このような解釈は、地方ごとに縄文土器の様式が共通で、
かつ伝承され、変遷してきた事実も、
日本各地の産物が流通して、
縄文様式に種々の寄与をおこなってきた事実も、
合理的に説明できないまま、目をつぶっている状態です。
全世界の歴史学が大地の地質学的変遷を考慮しつつ
発展してきた成果を全然採り入れて居ません。

そのお陰で、日本史学界は、縄文時代を完全に無視して、
中国中心史観によって支配されてきました。
現代の日本政府、政治家たちが中国に実質的に支配されている、
という恥ずべき事態と軌を一にしている、そう言わざるを得ません。
お陰で、日本では、政治家は、自己の利益をひたすら追及し、
歴史家は、現行の中国中心史観にひたすら仕える、
ということになっているわけです。
ヤレヤレ、日本人としての誇りはどうなったのか?
かなり徒労感を感じつつ、写真に話題を移しましょう。

ソニーα7s
パンタッカー50㎜F2.3

私にとっては、ホロゴンに続くセカンドツール。
使えば使うほど、その奥深い陰翳描写にしびれます。
写真家の皆さんは現代カメラと完璧描写レンズにしびれ、
私は不完璧描写の古式レンズたちにしびれています。
つまり、正確に言えば、私は完全に現代の潮流に乗り遅れ、
離れ小島の海岸線に一人ポツンとたたずんでいるわけです。

現代レンズは色再現も精密描写も完璧に近くなり、
使用者はもはや銀塩時代の欠点だらけのレンズに戻れません。
一方、私は、現代レンズに移行する気持ちは絶無。




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# by Sha-Sindbad | 2024-03-06 18:41 | PanTachar50/2.3 | Comments(0)

1072 兵馬俑(2024年1月25日プラナー50㎜F2が奈良町を立体感よろしく)習近平帝?



なんの脈絡もなく、ですが、
ある種の確信が心にふっと浮かんできました。

① 秦の始皇帝は自分の帝墓(始皇帝陵)を生前から準備し、
帝墓を本陣と見立てて、
周辺の地中に、将軍、兵士たちの「兵馬俑」数千を、
兵法にかなった陣列を組んだ状態で埋設して、
天下分け目の決戦に挑むかのような態勢を整えていました。

② 一方では、始皇帝は全国に不老不死の妙薬を探させました。
とくに、東方の三神山に長生不老の霊薬ありと上奏した徐福に、
スタッフ、資金を潤沢に提供して、送り出しました。

つまり、始皇帝は、現世での不老不死と死後の世界の征服、
この両面にわたって、
最大限の備えをする構えを用意したようです。
これは、要するに、自分の存在を永遠ならしめるために、
生の世界、死の世界の両方に二股を掛けたのではないでしょうか?

 不老不死の妙薬が見つかれば、この地上に永遠に生きる!
 不老不死の妙薬が見つからないときは、
 死の世界を征服するのだ!

そう決意していたのです。

でも、結局、徐福は行方不明のまま戻らず、
その他の捜索者も満足な結果を得ないまま、
不老不死の妙薬はどこにも見つからないで推移する内に、
49歳で世を去ってしまいました。
まあ、これでも当時は長生きだったでしょう。
もっとも、老子は推定100歳、孔子は72歳、
彼らは破格に長生きだったのです。
前にも書いたとおり、古代の哲人たちは洋の東西を問わず、
破格に長生きだったのです。
哲人の多くは散歩を習慣としました。
つまり、心身をしっかりと使ったこと、
生活が規則正しかったこと、
平安に生きたこと、等等、
長生きの条件が揃っていたのでしょう。

始皇帝は激務に曝され続けて生きました。
でも、心身を均等に使い続けたのかも知れません。
そして、旅を続けました。
旅も又心を養います。

余談ですが、私の妻など、
世界中、日本中、少なくとも200回は旅をしたでしょう。
ですから、今でも、脚など二十歳の女性なみにすらりとしています。
始皇帝も引き締まった体をしていたはずです。
後宮の女性に溺れることもなかったのでしょう。
だから、跡継ぎはただ一人。
おそらく帝国の支配を一手に引き受ける激務に耐えつつ、
かなりがんばって長生きできたのでしょう。

そして、不老不死を手に入れることはできませんでしたが、
没後、黄泉の国に下りて、百戦百勝首尾良く、
世界の帝王の座に収まり、上記の二股政策を成功させた、
そういうことなのでしょうか?
誰もこの答えを知りません。

この二股政策説は、たった今、私が思いついた説なのですが、
私の独創だ、なんて思っていません。
凡庸な私が考えることなど、日本国中で数千人は考えつくでしょう。
私の友人たちに聴いてみて下さい。
私のことを優れた思索家、卓見の思惟者であると思っている人など、
一人も居ません。
ただの思いつき屋。
そして、中国人となると、人口が超巨大であるだけでなく、
切磋琢磨、丁々発止としのぎを削るライバル無数に囲まれての人生。
たとえば、どんな会社の採用試験にも大変な応募者を数え、
たとえば、音楽家として生きようとしても、ライバル数百人、
誰もがポジションにしがみつくので、
新規応募によるオーディションの数はさほど多くなく、
応募者数は日本の10倍、20倍でしょう。
科挙の時代からそうだったのでしょう。
こんな国では、心身共によほど卓越していないと、
頭角を現せません。
歴史家、思想家の分野でも、
もう想像を絶するほど優秀な才能が溢れているでしょう。
私の考えるようなことは考えた人は必ず幾万、幾十万もいたはず。

ただし、彼らが気付いて解決したかどうかは知りませんが、
この説には一つ弱点があります。

始皇帝が彼の名将たちと勇猛果敢な近衛兵たちを、
構想どおりに黄泉の国で働かせるためには、
彼らもまた黄泉の国に付き従ってもらう必要があったのでは?
そうすると、始皇帝薨去の際、
兵馬俑のモデルたちも殉死させる必要があった。
これは実行できたのでしょうか?

従来、墓所に埋設される兵馬俑のような人形は、
殉死させられる生身の人間たちの身代わりだ、
とされてきました。
そして、司馬遷の「史記」にも、
始皇帝没後、兵馬俑モデルの将兵たちが即座に殺戮された、
という記事は見つかりません。
しかも、唯一無二のリーダー始皇帝の没後、
置き去りになった秦朝指導者層は権力争いのまっただ中。
帝国の存続はまさに風前の灯火状態になってしまったのです。

一方、兵馬俑のモデルたちは、始皇帝の近衛軍の最精鋭だったはず。
まさに失うわけにはいかない人材ばかりだったでしょう。
となると、折角生きた将兵をモデルにして兵馬俑を作っても、
モデルご本人が生き続けてもらわないと、誰かが困る、
という緊急事態では、
「ほな、わて、陛下のお伴に死にまっさ!お先に」なんて、
暢気にたわごとほざいている暇など誰にもなかったでしょう。
という事情では、
黄泉の国の覇権争いに寄与する地下帝国の戦士になどなってくれず、
「仏造って魂入れず」になってしまったのではないでしょうか?

つまり、彼らは、これまでの秦王国とははるかに巨大な、
当時の漢人支配地域を征服したばかりで、
支配を継続するための安定戦力として欠かすわけには参りません。
秦人の主体はどうやら漢民族ではなかったようですから、なおさら。
そこで、制作後の処理法としては、
A ご本人たちに静かに殉死をお願いしたり、
それができない人には無理強いしないで、
B 出来上がった兵馬俑にチューしてもらったり、
或いは、
C ご本人の形見となる小物を拝借して、
兵馬俑のどこかに端切れを埋め込んだりしたのではないでしょうか?

これに対して、兵士たちの反応は?
おそらく死後まで皇帝のために働くなんて、
真っ平ごめんだったでしょう。
だから、A案を選択した人はほとんどいなかった。
その証拠に、そのような事態が起こったことを、
司馬遷は記録していません。
(兵馬俑坑付近には、まだ殉死体は見つかっていないようです。
ただし、始皇帝陵の中に何千と将兵たちの殉死体が見つかる、
なんて可能性は、もちろん中国のことですから、大いにあります。
そのときは、強制的殉死でしょう。)
B案も、仏造って魂込めず、という、形だけに止まり、
C案に至っては、もう離婚寸前の奥さんの爪なんかを提供して、
「どうぞ陛下に女房を引き受けて戴きましょ!
こきつかおうなんてしたら、どうなるか?
まあ、陛下、試してくださいね、
とんでもないしっぺ返しを食らいますよ、ククク.....」
そんな具合だったのかもしれませんね。

そして、もし、始皇帝、おっと違った死皇帝が、
黄泉の国を征服しようと勢い込んで、兵馬俑を解き放ってみたら、
兵馬俑は、ほとんどが土偶のままで、
ほとんど役に立たず仕舞いで、
わずかな忠臣たちも、閻魔軍にコテンパンにたたきのめされて、
始皇帝は、黄泉の国の最下層、奈落の底の底の闇の世界に、
哀れ「始亡霊帝」となって、
忠実な将士たちと一緒に永遠の懲罰を受け続けることとなった、
そんな可能性もありそうですね。

そうでなくても、20世紀に入って、
兵馬俑坑の半ばが発掘されてしまったことにより、
始皇帝は、黄泉の国での戦力を失ってしまい、
黄泉の世界の帝王の座から転落しかも知れません。
このあたりの顛末は始皇帝陵そのものの発掘待ちかも?

でも、私たちには残念ながら、彼自身のお墓は手つかずのようです。
現在の当て推量が正しいとすれば、
歴史上比類のない位に壮大で、世界最大の王墓だと言われています。
その中にも本陣の軍勢の殉死体が隠されているかもしれません。
中を見たいですねえ。
いえ、なに、死体を観たいわけではありません。
始皇帝の副葬品は、もしかすると、というより、間違いなく、
ツタンカーメンの副葬品を数十倍するほどに豪華で大量でしょう!

中国人は、現代のさまざまな情報から明らかなように、
とんでもない悪辣な行為をやってのける輩は億単位でいる感じ。
でも、不思議なことに、エジプトで起こったように、
帝王墓を暴くことだけはしないようです。
当局が開いて点検していないから、
悪事が隠されているだけかもしれませんが、
どうやら歴代の王朝のお墓の多くが未盗掘のようです。
祟りがよほど怖ろしいのかも知れませんが、
そんな怖れに尻込みするような盗人はいませんね。
このあたりの事情、理由は私には不明。

いずれにせよ、始皇帝のピラミッドに紛う巨大な墳墓に、
どんな秘密が隠されているか?
永遠の謎かも知れませんね。
始皇帝稜を本陣と見立てて、
周囲にかなりの兵馬俑軍団が埋設されていると言われています。
その全部が発掘されることが起こりうるかどうか?
予測不能です。
中国共産党政権になってから、
過去の諸王朝の皇帝稜の発掘は行われていない、
そう言われています。
特に習近平さん、自分を偉大な皇帝と見立てているようです。
将来、自分も巨大な皇帝陵に埋葬されたいと、
心密かに念願しているかも知れません。
だから、先輩皇帝たちの皇帝陵の発掘を許さないのかも?

さて、始皇帝の政策中一番悪名が高いのは「焚書坑儒」です。
でも、始皇帝は、自分の政策は自分には適用せず、
焚書のために集められた書物の山から、
あらゆる種類の専門家に命じて、
最高の書物を墓所の中に埋設させたであろうと、
私は推測しています。
「焚書坑儒」の政策の理由は、
秦から社稷が他に移ることを怖れて、
そのような知識を民衆の頭脳から完全に排除するために、
学者と文献を全部廃棄処分したのです。

学説がそのように考えているかどうか、私は知りません。
でも、私は今、そう気付きました。
「焚書坑儒」は、儒者が当局批判の先鋒となる危険を
危ぶんで行われたとされていますが、
その危ぶんだ理由の確信は、
まさに「社稷の移動」というコンセプトだったのでは?
つまり、皇帝の支配権は不朽不変のものである、
というコンセプトを確立し、
「社稷の移動」などという不届きなコンセプトなど、
この世から忘れ去られるように仕組んだのかも知れません。

でも、儒者たち知識人とあらゆる知の書物を
完全に廃棄処分してしまおうと思っても、
見事に隠しおおせる知恵を持つ人がどっさり。
しかも、こうした書物を読んで、
「天命」に基づく「社稷」なる概念を学んでしまった人も
儒者以外に数知れず居たでしょう。
儒者たちを全滅させ、書物を完全に焼き捨ててしまったとしても、
かかる知識を中国人民全員の心から拭い去ることはできません。

そして、事実、清朝に対する反乱の火蓋は、
もっとも低い階層の庶民である陳勝、呉広が切ったのです。
その言葉が実に象徴的です。

「嗚呼、燕雀いずくんぞ鴻鵠の志を知らんや」
「王侯将相いずくんぞ種あらんや!」

陳勝、呉広は極貧の農民でした。
この二つの言葉は合体して、
一つの極めて現代的な考え方につながります。
すなわち、どんな生まれの人でも、
国家の支配者になることができる。
人間にはそもそも位、品格の差別などない。
出身、祖先、家系などどうでもよろしい。
これぞ、まさしく民主主義の根幹となる考え方ではありませんか!

二人は、始皇帝の狙いどおり、
「社稷」などというコンセプトは知らなかったようです。
でも、すでに自由、平等の理念が紀元前に生まれていたのですから、
古代中国の民衆の力、能力は侮れないレベルにあったわけです。
そして、民衆の力が、
秦朝をたった二代で、朽ち木を倒すように倒してしまいました。

ちなみに、付言しますと、
現代の毛沢東は陳勝、呉広の精神的後裔ではありません。
彼はまさしく始皇帝の嫡系でした。
現代中国は人民の国ではありません。
共産党独裁の専制国家です。
だから、民衆の支持を受けることができないために、
すでに綻びつつあるようです。

さて、写真。

ソニーα7s
プラナー50㎜F2

コンタレックス用標準レンズです。
ツァイスの生んだ一眼レフの王者コンタレックスも、
そのレンズたちも、巨体揃いのドイツ人にふさわしく、
重く大きい造りです。

昔、ナミビアの動物園で、象の群れのショーを観ました。
私たちは秘境ツアー専門の道祖神のツアーでした。
開始直前、ドイツ人ツアーがぞろぞろ客席に入場してきました。
普通遅れてきた人たちは先客の後ろに来るものです。
彼らは違いました。
見物席の最前列の通路にのしのし入ってきて、立ち並びました。
巨体の頭と肩の列に遮られて、
象たちのショーの後方半分しか見えませんでした。
もう昔の話です。
今はどうでしょうね?
そんなことをするのは中国人一行かも知れませんね。

コンタレックスカメラがそんな風に厚かましい、
というわけではありません。
でも、存在自体がただならぬ威圧感となっていました。

当時は、ニコンが報道カメラマンたちの心を奪い、
一世を風靡していました。
ニコンも大きいカメラですが、
大きさも重厚感もコンタレックスには敵いませんでした。
そこで、なにが起きたか?
報道カメラマンは誰もコンタレックスに見向きもしませんでした。
いわば通人向けに位置づけられてしまったようです。
幾台売れたでしょう?
おそらくニコンの何百分の一でしょう。

私はつむじ曲がりなのでしょう。
ニコンは毛嫌いして、生涯、触りもせず。
コンタレックスが一時期私のメインになりました。
35㎜、50㎜、85㎜、135㎜、180㎜を使いました。
でも、さすがに、段々と心が退けて行きました。
あまりにも堂々と写りすぎる!
イメージの重厚感、立体感、精密感は、
後年、ヤシカがツァイスのレンズ供与を受けて作り始めた
コンタックスのレンズたちを遙かに凌駕していました。

どちらのシリーズも同種のレンズを全部使いました。
ヤシカコンタックスのレンズたちは、
写真家林忠彦さんが宣伝塔となって、
一時期、アマチュア写真家たちの
絶対的定番常用レンズになっていました。

描写性がとにかく優美で優しいのです。
当時、コンタックスレンズだけが、
なんの細工もせず畳1枚大の大伸ばしに耐えると言われていました。
私も全倍(全紙の二倍)の自宅大伸ばしを数枚試しました。
引き伸ばし機を水平にして、
壁面に貼り付けた印画紙に像を投影して、
焼き付けたのです。
まったく画像の劣化はなく、立体感も見事でした。

でも、コンタレックスだったら、
遙かに豪勢なイメージになったでしょう。
でも、引き伸ばしを試さないままに、
ボディを売ってしまいました。
私の常用レンズがさらに変わってしまったからです。
でも、35㎜と50㎜のレンズだけは残しています。
アダプターでソニーα7sで使えます。
今回はその久しぶりの試写、というわけです。
さすがに堂々としています。

そして、ありがたいことに、
銀塩時代の大伸ばしはあまりに見事な立体感が、
かえってリアリティを損なう感じがありました。
ソニーα7でのパソコンプリントは、
銀塩時代よりもかなり穏やかな風合い。
おかげさまで、堂々たる立体感を維持しながら、
行き過ぎた雄渾な描写性をひけらかす、
という印象はあまり感じられません。
ちょっとおお振りのレンズなので、
持ち出すのに少し躊躇します。
でも、よく考えると、誰も私になんか気づかない。
ただの通行人の風情だからです。
よし、今度は35㎜ディスタゴンも持ち出してみよう!



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# by Sha-Sindbad | 2024-03-02 22:05 | Planar50/2 | Comments(0)