レンズ千夜一夜

1937 喫茶店(2017年10月8日ズマール50㎜F2がほんのり佐保路逍遙)1



3ヶ月間、二女の出産もあり、多事多難、家事に忙殺され、
写真はほとんど撮れませんでした。
勢い、ブログの更新もとぎれがちでした。
この2ヶ月ちょっと、二女が第2子の出産で帰郷していたため、
第1子の2歳半の孫プリンセス第2号に心を奪われていた、
そのせいもかなり大きいですね。

疾風怒濤に家中暴れ回るいたずらっ子なのですが、
なにしろ孫です、目に入れても痛くないうえ、
孫もこちらの気持ちが分かっているから、さあ、大変。
毎日、孫の怒濤をなんとか凌ぐだけでも一苦労。

昨日、孫プリンセス3号も4キロを超えて丸々と成長し、
一家そろって無事帰宅しました。
今朝はひさしぶりの静寂に、半ば戸惑い、半ば安堵。

さっそく途切れていたブログ更新の作業。
今回はライカの軟調レンズ、ズマール50㎜F2。
親友のDAさんと佐保路を歩きました。
4ヶ月以上前なのですから、もう一昔、という感じ。

近鉄京都線の平城駅前の喫茶店で一休みしました。
ご主人は洒脱気さくな人物、
ときにライブも企画するそうです。
店内はなかなか凝っています。
ご主人の許可を得て、撮らせて頂きました。
まずは、その店内ロボグラフィから始めて、
続けて、佐保路ロボグラフィをごらん頂きましょう。




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# by Sha-Sindbad | 2018-02-19 12:06 | Sumar50/2 | Comments(0)

1936 古なじみ(2017年10月4日エルマー50㎜F3.5が新大阪をちらり一瞥)3-完-


エルマー50mmF3.5
一部のユーザーの間では
ライカ標準レンズとして伝説的な名声を保っているようです。
ただし、どうやらたくさんのバージョンがあるようで、
エルマーにのめり込んでしまったユーザーの中には、
様々のバージョンを収集して、
通の間で、その味わいの違いを語り合ったり、
各バージョンの優劣を議論したりするのが趣味とか。

私は偶然手に入れたバージョンだけで満足しています。
その描写力はかなりのものです。
私のエルマーは、すでに書きましたが、
推定1931年のころのものですから、かなり古いものです。
でも、撮る度に、私よりもはるかに年上のエルマー老に
敬意を感じないわけにはまいりません。

何度も使ってみても、まず感じることは、
このレンズの描写って、重からず、軽からず、
色彩はとても落ち着いて、
なんとも心を温めてくれる風合いに満ちているということ。
人を瞠目させるようなけれん身はけっしてなく、
むしろ中庸を得ています。

このレンズを常用している人って、
かなり落ち着きのある性格の人物なんじゃないかな?
私は、中庸とはほど遠い、熱狂に生きてきた人間ですが、
ただし、熱しやすくさめやすいわけではありません。
愛するともう長年にわたり愛し続ける、という感じ。
でも、エルマーを何にも増して愛しているとは言いがたい。
むしろ、離れていても忘れがたい大切な友人、という感じ。
だから、こうして、たまに一緒にぶらついてみる、
そして、古なじみはやっぱりいいなと、確かめる、
そんな関係と言えそうです。



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# by Sha-Sindbad | 2018-02-14 21:41 | Elmar50/3.5 | Comments(0)

1935 いつもの路傍で(2017年10月4日エルマー50㎜F3.5が新大阪をちらり一瞥)2


目下二女とその子である孫二人が滞在中です。
孫は、姉が2歳7ヶ月、妹が生後1ヶ月。
この末っ子の出産を奈良の名医の産婦人科で無事済ませました。
約2ヶ月の滞在ですが、
私がいつも孫プリンセス2号と呼んでいる長女、
その間に心身ともに飛躍的に成長しました。
思考、行動ともに、2歳とは思えないほどに成長しています。
外観以外は、幼児ではありません。
普通に会話できます。
回答したり、提案したりするとき、
これこれこれだから、今は××はしない、
今はこれこれのことをしたいので、××は後でする、
といった風に、必ず理由を明晰に説明します。
状況をしっかり把握し、行動理由や動機を明晰に分析できます。
自然に、こちらも同じ土俵で孫の理性に訴える方法で対話します。

大人相手でもこうはなかなか行かないものです。
「バベルの塔」と同じ混乱が人間関係を複雑にしています。
同じ土俵に乗ってくれない人があまりにも多い。
社会、教育、政治がただの歯車、ただの反射で動く人間を生み出し、
理性的な思考、行動をできる人が少なくなっているからではないか、
そんな感じがしています。
日本の首相やアメリカの大統領を観ていると、
政治家の劣化は世界的現象らしいとさえ感じます。
劣化しているのは政治家だけじゃありませんが......

今や、ロボットが人間の職業を代替し始めているようです。
ロボットが人間に代替出来ない職業があるだろうか?
いつかほとんどの人間がロボットに職を奪われるのではないか?
さまざまに危惧を呼んでいるようです。
心配はありません。
ロボットが人間に代替出来ない仕事が仮にあるとしても、
そんな仕事をする人間を支配する仕事ならロボットにもできそう。
いつか人間がロボットを駆使するのではなく、
ロボットが人間を駆使する時代が来るかも知れません。
いや、きっと来るでしょう。
人間には抱握できないほどの限りないデータを、
ロボットは瞬時に抱握して、
人間には不可能なほどの困難複雑な決定を下せるようになるでしょうから。
「猿の惑星」ならぬ「ロボットの惑星」こそ、地球の未来かも?

そのような時代には、ロボグラフィが流行するでしょう。
ただし、私の言う「路傍写真」ではなく、
「ロボット視覚情報の収集」がロボグラフィということになりそう?

私は、ロボットが処理しようと思わない視覚情報を探知して、
「私のロボグラフィ」として楽しむことにいたしましょう。
エルマー50㎜F3.5は第二次世界大戦前のいわば古代レンズ。
ライカレンズらしく見事な情報処理能力を備えていますが、
どこかに古風を忍ばせている気配。
ボケ味も茫洋として、どこか「抜け」が鈍いのですが、
現代レンズが欠点として始末しようとしているあたりに、
私の心を喜ばせる魅力が漂うようです。
写真家の皆さんは、ご自分の才能を輝かせるために、
欠点のないレンズを追求し、
私は、レンズの味わいを1人楽しみたいがために、
独自の欠点をできるだけ沢山秘めている、
いわば過渡期のレンズたちをことさらに追求する。
このギャップは大きいようですね。


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# by Sha-Sindbad | 2018-02-13 10:59 | Elmar50/3.5 | Comments(0)

1934 外観だけ?(2017年10月4日エルマー50㎜F3.5が新大阪をちらり一瞥)1


10月4日はいつもの通り、劉継紅先生の二胡レッスン。
合間に、いつも携行するカメラでロボグラフィも撮ります。

念のため書いておきますが、
「ロボグラフィ」は私の勝手な造語です。
「路傍」+「写真」=Robou+Photography=Robography
何人か、一生懸命辞書、辞典類を調べたけど、無駄だったそうです。
まだ、成語とは認定されていない、ということですね。

二胡のレッスン場であるココプラザ1階のロビーでも撮ります。
どうやらスーパーリアリズムの画家の個展のパンフもありました。
今回の写真の一枚です。
大路誠という方です。
パンフレットの絵はこの方の代表作の一つなのでしょうか?
でも、現代のスーパーリアリズムの画家の女性ポートレートらしく、
画家を意識してポーズする、ただのおねえちゃん、
そんな感じしかしません。

いつも感じることが一つあります。
ほとんどの場合、生活感がなく、ただ単にモデルさんを描いた、
そんな印象の作品が大変に多いのです。
これがために、なんだか写真館のポートレートじみた感じで、
生活感がなく、女性に「人生を生きている」印象が皆無、
そんな作品が多いのです。
これじゃ、人間の本質、人生を描くアートとしての実質はない、
私はそう感じてしまいます。

近頃、ストリートフォトの写真家が、まず声を掛けてから、
というやり方をする方がかなり多いようです。
カルティエ=ブレッソンも木村伊兵衛も土門拳も森山大道も、
その他のスナップショットの写真家たちも、
そんなことはしませんでした。
すべてすれ違いざまの電光石火のワンショット。
「盗み撮り」ではありません。
公道上の人間にはプライバシーはありません。
写真家には、いかなる意味でも、
不法な意思も行為もありません。
なにも盗んでいません。
眼差しを走らせるのと、まったく同一の行為。
そうであって、はじめて人間的真実を写真に収められる。
「撮ってもいいですか?」と声を掛けて撮るのは、
スナップショットではなく、記念撮影。
ストリート作家は写真屋さんではありません。

それを「プライバシー」とか「肖像権」の侵害と論じる、
これは実のところ、憲法でもその他の法律でも、
まったく保護されていない、つまり、
法律が保護するに値すると認めない権利を、
憲法が保障する「表現の自由」の上に置くものなのです。
どなたか、路上を歩いていたら、勝手に写真を撮られた、
ということで、裁判所に訴えてご覧なさい。
「お笑いぐさ」に終わってしまうでしょう。
あなたの訴えを根拠づける法律なんか、
どこにもないのですから。

もしあなたがストリートで人を撮ることに躊躇を覚えるのでしたら、
悪いことは言いません、
スナップショットは諦めましょう。
あなたは向いていない。
肖像写真専門か、風景写真に転向なさるのがよろしいでしょう。

スーパーリアリズムの絵画はおそらくわざと、
ポートレート写真まがいの設定をとることで、
疑似現実感を出そうとしているのでしょう。
でも、モデルさんたちには申し訳ないのですが、
彼女たちには、そのような労力を費やして描出するに足りる、
つまり、絵にする価値のある人間的魅力も存在感も皆無、
スーパーリアリズムに人生なんか見つからない、
そんな感じがいつもしてしまいます。

偉大な肖像画、
たとえば、モナリザにせよ、レンブラントの作品によせ、
フェルメールの「真珠の首飾りの少女」にせよ、
描かれている人物には描かれるに足りるだけのなにかがあります。
それが人間の真実を描写するアートです。
そこには「心」が描かれています。
スーパーリアリズムの多くの作品はただの外観しかありません。
「心」などどこにもない。

スーパーリアリズムの画家の皆さんに言いたいですね。
アーチストになりたかったら、
「外観」にこだわるのはよしたらどうですか?
セザンヌがリンゴを描いたら、
私たちはそこに人生を感じます。
ピカソの抽象画からは生のエネルギーが噴出してきます。
それが芸術ではありませんか?
あなた方の絵には、そこに描かれた外観しかありません。
ただ、それだけ。
それじゃ空しいじゃありませんか?




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# by Sha-Sindbad | 2018-02-11 22:28 | Elmar50/3.5 | Comments(0)

1933 石仏の祈り(2017年10月2日ペッツヴァール58㎜F2.3が西大寺で花の乱)2-完-


私は宗教的信仰を一切持っていません。
たとえば、神社を訪れて拝殿の前に立つと、
あなたはどうしますか?
手を合わせますね。
大抵の方がそうします。
信仰がなくても?
なぜ?
それは人様々でしょう。

私は手を合わせません。
自分が信じないのに、信じているかのような行動をとる、
それができません。

でも、何を見ても、そこに魂、心、精神が備わっているように感じます。
どうやらアニミズムは心の隅にしっかり根付いているようです。
私は、信仰とは関係がない、そう考えています。
私の心の中の動き。
一種の類推かも知れません。
私には魂、心、精神が備わっている。
だとすると、他のすべての人、ものにも魂、心、精神が備わっている、
そうでないはずがない。

人は人、ものはもの、そう考える人も多いでしょう。
信仰のあるなしにかかわらず。
でも、A.N.ホワイトヘッドはこう主張しました、
すべてのActual entity、出来事の中核となる存在には、
mental pole(精神極)とphysical pole(物質極)が備わっている。
「すべて」です、人間だけじゃありません。

至るところで、私は石仏を撮らせていただきます。
なにかを感じます。
いつ、誰が創ったのでしょう?
その人は祈りの気持ちを込めて彫り上げたのでしょう。
その祈りは今なお生き続けています。
石仏が内に秘めた祈りの尊さは、
大仏や月光菩薩にも劣らないのではないか、とさえ、感じます。
なぜ?
雨の日も嵐の日も晴れの日もそこに座したまま、
あたかも祈りを捧げるような敬虔な眼差しで世界を見てきたから。
すべての体験を体に刻みつつ、そこに在り続けていまるから。

ペッツヴァールはそんな私の気持ちを見事に写真に刻み込んでくれます。
こうして使い込んできますと、
私にとって、この58㎜は、私が使ったペッツヴァールの中でも、
白眉、そんな気持ちが定着しつつあります。




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# by Sha-Sindbad | 2018-02-08 22:26 | petzval58/2.3 | Comments(0)

1932 雨の日(2017年10月2日ペッツヴァール58㎜F2.3が西大寺で花の乱)1


2年7か月の孫プリンセスが食卓に輪ゴムを三つ置いて、
にっこりつぶやきました、
「おじさん」
上の2つの○が目、下の1つが口。
実にシンプルな顔認識です。
長女の長男である6歳の孫プリンスとこの子がどうやら、
私のあらゆるものになにか別の生き物、別の存在を見る、
才能と言うか、厄介な癖と言うか、
そんな遺伝子を継いでいます。

前にも別ブログ「わが友ホロゴン」で書いたかも知れません。
一つ簡単な実験があります。
名刺大の紙の長辺を3回折ります。
すると、横から見ると、「M」もしくは「W」の形。
これを手のひらの載せます。
陰影ができるので、4つの平面がしっかり見えています。
この「M」なり「W」なりの凹凸を、逆になるように、
自分の見え方をひっくり返えそうとしてください。
突然、ひらりと像が立ち上がります。
この視覚操作が成功すると、
手のひらの上の空間がまるで別世界のように見えるでしょう。
お暇だったら、実験してみてください。

私たちの視覚は、実のところ、
このような作業を終始行っているのです。
そうして、整合性のある視覚像、世界像を作りだしています。
でも、それが対象を常に正確に視覚再現しているかどうかは、
必ずしも保証されていないのです。
そもそもこの世界が客観的にたった一つの外観しか持たない、
なんてことはありえないのです。
まず、一番最初に認識主体が外界を捉える仕方が、
さまざまの存在によって、それぞれまったく異なります。
地球上の一点に位置した認識主体が、たとえば、
アメーバ、尺取り虫、蟻、蛸、サンショウウオ、カエル、ネズミ、
猫、ライオン、ゾウ、人間、鯨、等々、ランダムに列挙してみると、
お分かりでしょう。

人間は、平素は、互いにかなり共通した認識をしています。
でも、それは、2人の青年が歩いていて、
天使のような顔をした、とてもグラマラスな女性とすれ違います。
顔を見合わせて、異口同音にささやきます。
「すごーい!
生まれてから、あんな綺麗な人に会ったことがない!」
でも、1人は顔に、もう1人は体に心を奪われていて、
受けた印象、記憶はまるで共通しないかも知れません。

私のロボグラフィって、そんなものです。
あなたが私と一緒に歩いていて、路傍で私の被写体に出会っても、
私、「わっ、きみはぼくを待っていてくれたんだね!」
あなた、「なにを騒いでるの? ただの薄汚い地面じゃないの!」
私はあなたがそのとき何をどう見たか、分からないし、
あなたは私がそのとき心ときめくロボグラフィに対面したなんて、
分からない。
私はあなたの気持ちが分からないし、
あなたは私の気持ちがわからないのです。

もし、あなたと私とが同じデジタルカメラセットを持っていて、
その方向を向いて写真を撮ったら、
同じものが同じように撮れるでしょう。
それぞれに現代レンズが克服したさまざまな偏頗な性格があるために、
まったく異質な写り方をしてくれるクラシックレンズだから、
私のその瞬間感じたロボグラフィ性を再現してくれる、
私はそう信じています。

でも、練達の写真家なら、現代レンズであっても、
そこにある異貌の光景を写し取ることができるでしょう。
私はそんな才能は皆無なので、レンズ頼り。
私の場合は、古代レンズあってのロボグラフィ、
私はそう信じています。

中将姫光学さんにお借りしているペッツヴァール58㎜F2.3は、
なんでもないうらぶれた地方都市のなんでもない裏通りで、
バンバンとロボグラフィを見つけ出してくれます。
私に別の目を与えてくれる、
それがペッツヴァールの面白さ、
私はそう信じています。




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# by Sha-Sindbad | 2018-02-06 21:15 | petzval58/2.3 | Comments(0)

1931 里(2017年10月3日アンジェニュー28mmF3.5で家の近場を巡回)4-完-記憶のよすが


写真って、ありがたいですね。
とくに、私のロボグラフィのように、
そぞろ歩きで出会ったものたち、シーンを、
見やった瞬間に、さっと撮っては立ち去るというスタンスでは、
写真たちはタイムマシーンになります。

大抵の方は定番の道具をお使いになっているでしょう。
私は、日替わりで、クラシックレンズを使います。
写真作品を創るためには、前者のやり方が必須でしょう。
私のロボグラフィは、私の出会いの記録なのですから、
安定した作風など邪魔になるだけ。
素直に反応するだけで十分。

そのとき、オールドレンズの個性的な描写特性、
とくに、現代の標準に照らすと、明らかな欠陥、
そんなレンズが写真に刻印してくれるさまざまな描写上の歪みが、
私の心の記憶を甦らせるキーとなってくれる、
そんな感じがしています。

アンジェニューレンズなど、その最たるもの。
後日、写真を見ると、
ああ、あのときはアンジェニュー28㎜F3.5でこれを撮ったんだ、
ということが記憶のよすがとなって、情景を想起させてくれます。
私だけの記憶の重要なファクターなのです。




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# by Sha-Sindbad | 2018-02-04 21:54 | Anjenieux28/3.5 | Comments(0)

1930 里(2017年10月3日アンジェニュー28mmF3.5で家の近場を巡回)3 虚実の皮膜


酷寒の朝が続きます。
先日京都を久しぶりに撮影した際も、
ソニーα7を使ったのですが、カメラ自体が冷えきって、
電池はあっという間に消耗してしまいました。
電池2個を冷気によって無駄に無力化された後で、
薬局に飛び込んで、小型ホッカイロを購入。
予備電池の袋に2個入れて、電池を温め、
お陰様で無事撮影を続けることができました。

今日も、昼食後の出発だったので、多寡をくくったか、
それとも、物忘れがひどくなってきたのか、
その教訓を忘れて、冷えたソニーα7片手に出発。
残量計は45%を示していたのに、数分でアウト。
大急ぎで、ホッカイロを電池袋に放り込み、
今回も無事撮影を終えることができました。

奈良町伝いに県立図書館まで撮影しました。
木曜日なので、奈良町の80%のお店が休業。
お目当ての行きつけ喫茶店2店はどちらも閉店。
まず図書館に直行しました。
何冊か、本を借りよう、そう考えていたのですが、
お目当てがあったわけではなく、
書棚をぐるぐると回って物色しましたが、
ついに関心を覚える本に出会えませんでした。
これにはショックでした。

そして、遅ればせながら気づいたのですが、
私が心から欲する書物は、読み終わったり、
保有したりしているもの以外にはほとんどない!
そうだ、自分の本を読もう!
ということで、結局、落語CD5巻を借りました。
全部、二代目桂枝雀の落語。
なぜ桂枝雀なのか?
それは別ブログ「わが友ホロゴン」に書きます。

こちらはレンズブログなので、使用レンズのことを書きます。
中将姫光学さんにお借りしたままになっている、
スピードパンクロ50㎜F2。
ああ、凄いレンズですね。
実在感が横溢しているのに、そのままそっくり幻想世界に、
そんな異界の気配が一枚薄皮となって
リアリティの上にふんわり被さっている、
そんな雰囲気がたまらない魅力を醸し出しています。

実のところ、アンジェニューレンズと対照的なのです。
アンジェニュー28mmF3.5はかなり幻想的なたたずまい。
でも、その陰から、リアリティがすっと突き抜けて来る、
そんな印象をとかく抱きます。

結局は、レンズが画像のどんな要素をクローズアップするか、
ということでしょう。
クローズアップされるファクターは幻想であってほしい、
それが私の好みであり、精神的な傾斜、と言えそうです。

ついでに、書いておきます。
ちょっと嬉しいことがありました。
図書館の前の喫茶店に入って、45分間、休息。
いつもどおり、ウォークマンで音楽を聴きながら、
ポメラでブログ掲載用の雑文を書きなぐったのですが、
かなり好調に筆が進みました、
というか、タイピングが進みました。
レジを済ませ、おトイレを借りました。
実は、チェックしたかったのです。
前回、と言っても、数ヶ月前ですが、
トイレットペーパーのロールを覆う棚をそっと抑えました。
前回貼ってあった注意書きが依然としてついていました、
「押さえないでください。棚が落ちます」
押さえてみました。
以前はへなへなだったのに、がっしりしてビクともしません。
棚の下を除いて、にっこり。
前回、か弱いL字の支えしかないのを気遣って、
私が若い女主人にアドバイスしたのです。
「棚の中央にがっちりしたL字の支えを一つ入れましょう。
それで、誰が押さえても、落ちることはなくなります」
トイレから出ると、女主人がレジから出て来て、
立っていて、にっこり。
「ありがとうございました。おかげさまで」
私のアドバイスを素直に試してくれたこと、
私のような平凡で目立たない人間を覚えていてくれたこと、
どちらも嬉しいことでした。




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# by Sha-Sindbad | 2018-02-01 22:21 | Anjenieux28/3.5 | Comments(0)

1929 里(2017年10月3日アンジェニュー28mmF3.5で家の近場を巡回)2 ブリコラージュ



「ブリコラージュ」という概念があります。
フランスの文化人類学者、クロード・レヴィ=ストロースが、
「野生の思考」で提唱したものです。
遥か昔に読んだ本なので、うろ覚えですが、
たしか「やっつけ仕事」「ありあわせの仕事」というような、
未開人が、手近で利用できるものを組み合わせて、
問題を解決するための道具を考案する、というあり方。

私は、自分が写真家には絶対になれないな、
そう考えたのは、自分の写真の撮り方が、
もしかすると、一種のブリコラージュなんじゃないか、
そう気づいたからです。
かなり前に別ブログ「わが友ホロゴン」でも、
このことは書いた、と記憶しています。
でも、どういう文脈で書いたか、記憶していません。
今回は明確なコンセプト。
つまり、
「ロボグラフィはブリコラージュだ!」

写真家たるには一つの条件があるように思われます。
写真作品の鑑賞者たちにアピールしなければならない。
鑑賞者たちの美的センスを震わせなければならない。
概括的に言えば、写真家と一般大衆とは、
どこかで地盤、感覚を共有しなければならない。
言い換えると、写真家は、
不特定多数の写真鑑賞者たちの琴線を震わせなければならない。

さらには、偉大な芸術家は、新しい美の地平を開拓してゆくものです。
それ以前には、美、アートとは認められなかったような、
美、アートを創造し、鑑賞者たちのセンスを高めるものです。
このようなアートの美が成立する基本条件の一つが、
洗練、ではないでしょうか?
「泥臭い美」なんて、言辞矛盾ではありませんか?
美は常に、新旧さまざまな様式であれ、常に、
水際立った洗練の要素を帯びているものです。

ブリコラージュは違います。
その基本は「泥臭い」のです。
あり合わせのファクターを組み合わせて、
ある用途に役立つように、なんとか辻褄を合わせたものなのです。
そのファクターの共通性は、
「あり合わせ」「手当たり次第」であり、
その結果、ブリコラージュは常に「その場しのぎ」なのです。

私は、アーチスト的なセンス、性格は皆無の人間です。
だから、アートを制作したいなんて気持ちも皆無。
写真は、それ自体、芸術ではありません。
鉛筆や絵筆がそれ自体芸術でないのと同様です。
写真を撮ったから、アートできる、なんてお考えなら、
文字通り、おへそが茶を沸かしますね。
どんな媒体であれ、アートを創造できるのはアーティストだけ。
あなた、アーティストですか?

きれいに見えるものをきれいに撮っても、アートじゃないですね。
心を揺るがし、魂を天に飛翔させる、そんなものがアート。
とりわけ、ロボグラフィはアートとはまったく関わりがありません。
その場にあるものを一緒くたにして撮っているだけ。
まさに場当たり主義で突っ走っているだけで、
無いものねだりなんかしてほしくない、というわけです。




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# by Sha-Sindbad | 2018-01-28 22:37 | Anjenieux28/3.5 | Comments(0)

1928 里(2017年10月3日アンジェニュー28mmF3.5で家の近場を巡回)1 変身!



マップカメラのサイトにこのレンズの紹介記事があります。
勝手に引用させていただきます、

  「『Angenieux』、
  アンジェニューと読む総合光学メーカーがフランスに存在する。
  現在も同社は存続しているが、
  映画用レンズで一世を風靡した由緒ある老舗レンズメーカーの1つだ。
  その『Angenieux』が1950年頃に生産したのが
  この『Angenieux Retrofocus 28mm/f3.5』。

  レトロフォーカスタイプという
  フランジバックを大きく稼いだ広角レンズを初めて設計した同社、
  このレンズは(中略)数多くのカメラボディ向けに供給された
  銘玉の1つである。

  一眼レフにも採用できるレンズのため、
  ライカマウントでは望遠レンズの様な全長が目立つが、
  軽合金を黒く染めた外装と細かなローレットの刻みが
  フランスらしい優美さを感じさせる1本だ。

  ヴィンテージのレンズであるため個体差が大きいが、
  その描写傾向は総じてローコントラストかつ柔らかなもの。
  ピント面から柔らかくベールをまとう様に滲む前ボケが美しい、
  独特な個性を持つレンズだ」

このレンズほど毀誉褒貶の激しいレンズはあまりないようです。
銀塩時代は、究極の「ボケボケ」レンズとして有名でした。
デジカメ時代になると、このような評価はあまり見かけないようです。
デジタルデータへの処理プロセスの当然の結果かも知れませんが、
各社が勝手にボディ内で自社仕様に補正してしまうために、
アンジェニューらしい華麗な描写のレンズに変容してしまったようです。

ほのかにあどけない美少女に恋して、めでたく結婚してみたら、
万事思い通りにテキパキ処理する勝ち気な世話女房に変身した、
そんな印象を禁じえません。
私自身も似た体験をしているので、
それはそれで悪くないな、というところでしょうか?




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# by Sha-Sindbad | 2018-01-25 15:17 | Anjenieux28/3.5 | Comments(2)

1927 肘塚(2017年10月1日ズマール50mF2で裏町を伝い」2-完-なんでこんな写真?


私の友人には正真正銘の写真家が数名います。
その作品を好むと好まざるに関わらず、
その人らしい精神と作品性がしっかりと刻印されている、
そんな写真を撮り続けている人、それが写真家です。

その一人はストリートフォトの達人なのですが、
と言っても、なんのことはない、
上記の写真家たち全員がストリートフォト。
それはともなくとして、この達人、かなり昔のことですが、
何を思ってか、選りに選って、従兄弟に作品を見せたのです。
その人、困惑した表情で、沈黙のまま見終わって、一言、
「あんた、なんでこんな写真撮ってるんや?」

間違って私のブログを訪問してしまった方もご同様でしょう、
「この人、なんでこんな写真ばかり撮っているの?」

今回はまさにそんな写真ばかり並んでしまいました。
幸い私の場合、そんな迷い込み組以外には誰も来ないので、
困惑する方はほとんど居ないでしょう?
ですから、私にとってここで大切なことは、
私自身が、こんな写真を撮る理由を知っていること、
これだけ。
理由は明らか。
私は、端的に出会いを喜んで、記念に撮っているだけ。

なぜ、喜ぶか?
誰一人観るものがないのに、路傍で満ち足りて微笑んでいる、
みすぼらしいけど、なぜか無視できない形姿に、
自分の人生を重ね合わせているのでしょうか?
私も、人に知られることもなく、
でも、自分では満ち足りた人生を送ってきました。

なぜ、満ち足りているのか?
私が背伸びをせず、手の届かないものを求めることがなく、
手に入れたものがなんであれ、それこそ欲しかったものと、
心から満足して生きて来たからでしょう。
すぐれた業績を上げようと、生半可な結果には満足せず、
ひたむきに努力する人間というのではなく、
自分の人生をひたすら楽しんでいる人間なのでしょう。

それにしては、せかせかと忙しく撮り歩いてるじゃない?
いいじゃないですか?
人生のリズムって、誰にも固有のものがあります。
私の場合は、せかせかリズムが標準。
これを外すと、勘が狂います。
端から見たらせかせかでも、
私はこれで十分ゆったりしているわけです。




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# by Sha-Sindbad | 2018-01-21 21:13 | Sumar50/2 | Comments(0)

1926 肘塚(2017年10月1日ズマール50mF2で裏町を伝い)1 日記の効用


さあ、次のシリーズと参りましょう。
我が家から奈良町に行きたければ、
車のない私のルートは2つ。
バスか、歩きか?歩車いずれにしても、本来のルートとバイパスがあります。
バイパスは旧天理街道ぞいの肘塚という下町を突っ切るコース。
「かいのずか」と呼びます。

私にとっては、第一級とは言えなくても、第二級路地。
1時間半ほどかかりますが、ロボグラフィ撮影を満喫できます。

ちなみに車のないのは、一つは私の資力のせいですが、
もう一つ、私は交通事故必至の不注意人間だからです。
ふっと夢想、瞑想に落ち込みます、時と所お構いなく。
そんな人間は車など使ってはならないから。
おかげで、歩くことが苦になりません。

さて、本シリーズ。
銀塩35㎜用レンズとしては、私のお気に入り十傑に入る、
ズマール50㎜F2をソニーα7に付けました。
3回シリーズで回想することにします。

本文の方は前回の続き。

私は、幸いにして、前回書いたような思い違いをしなくて済みました。
独創的な写真を撮りたいなんて、ちらっとも思わないからです。
私と違って、断然独創的な写真を撮れる友人が何人も居たので、
まちがっても、自分に写真の才能があるなんて、思えなかったから、
ということもありますが、
そうでなくても、自分の写真を見れば、ただ、撮っただけ、
ということは一目瞭然だったからです。
私にも「見る目」はあるようで。
そして、なによりも、写真は私の視線の記録に過ぎない、
そう知っていたからです。

人が私の写真を観たら、どう思うだろうか?
なんてことを想像することすら、忘れて、すでに十年以上。
自分の写真を分け隔てなく撮影順に掲載できる、
ブログという媒体に写真記録も順番に並べて、
自分の日記として楽しむ、これが私の写真ライフの主体。

私にとっては、ブログは、まさに「夢ツール」。
夢は自分一人で観るもの、楽しむもの、
そして、目覚めると、忘れるものです。
だから、信じられないことかも知れませんが、
私は、2つのブログに、思う付くままに書き連ねた文章、
さっと好みの写真を選択して、順番に投稿してしまうと、
記事の大半を読み返したり、
写真を見返したりすることがありません。
(その証拠に、たまに以前の記事を見返したりすると、
同じ写真が2枚並んでいることがよくあります。)
見返す暇はないからですが、
そもそも、見返したりしないのが日記、
そう考えているから。
日記とは、明日思いっきり生きるがために、
今日一日のことを整理し、区切りをつけるため、
なのですからね。




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# by Sha-Sindbad | 2018-01-19 21:59 | Sumar50/2 | Comments(2)

1925 依然として号外(2018年1月5日ペッツ57mF2持って散歩へ)2-完-隠れもない天才 



写真趣味の深みにはまった人に見られる顕著な現象の一つ、
それが「独創性蜃気楼現象」でしょう。
別名、「隠れもない天才現象」!
カメラという高機能ツールの助力を得ている写真特有の現象です。
だから、この現象はカメラの発展につれて増加傾向を見せています。

小学校低学年の子供ですら、しっかりとした写真が撮れます。
シャッター速度、絞りを自分で選択し、ピントを手動で合わせる、
20年以上前のカメラを使う人にはあまり見られなかった現象です。
シャッターを押せば、なんとか撮れてしまう現代のカメラを使うと、
「おれ、天才みたい!
コワーイ!」

ストリートスナップだって、お手の物です。
ただ、カメラを動かしながら、シャッターを押せばよいだけ。
カメラの操作の習熟と手練の早業と瞬間的判断力と、そして、
たじろがぬ度胸を必要としたマニュアルカメラ時代とは大違い。

だから、近ごろでは、初心者カメラマンは、自動車と違って、
初心者マークなど付けていません。
どなたも、いかにもベテランという風情を漂わせています。
まさに写真のカラオケ現象。

私は、オートフォーカスカメラなるものを使ったことがないので、
幸い、そうした現象から免れてきました。
そして、偉大な写真家たちの創造的名作を沢山見てきましたので、
まさにアマチュアピアニスト、ヴァイオリニストと同様に、
自分を天才だとか、プロはだしだなんて、
思い間違うエラーとは無縁できました。
その副作用として、現代の自称傑作を拝見しても、
「わあ、凄い!」と喜ぶのですが、その写真が目の前から消えると、
さらりと忘れてしまい、思い出すこともありません。
本当の傑作は心の奥底までぐいぐいと突き刺さってきて、
生涯忘れることができないものです。

だから、写真の天才判別テストがあるとすれば、こうでは?
あなたの写真を幾十枚か、誰か他の人が見て、
あなたにこう言ってくれるか?
「心の奥底に突き刺さって、忘れようとして忘れられない傑作が、
少なくとも10枚はありますよ!
あなたのような写真家にじかに出会ったの初めてですよ!」

自分で自分の写真を眺めて判定することなどできませんよ。
自分の写真を眺めるときに、特有のフィルターがかかります。
「我が身かわいさの依怙贔屓フィルター」
そして、写真の天才、天才とは言えなくても、本物の写真家、
そんな人間に出会えることは、誰の生涯にもほとんどない、
そうお考えになった方がよいでしょう。
まして、自分がそんな写真家であるなんて!??


  [後書き]
    大和路紹介ポスターで絞りテストをしてみました。

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絞りテスト
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# by Sha-Sindbad | 2018-01-18 14:57 | Petz57/2 | Comments(0)

1924 依然として号外(2018年1月5日ペッツ57mF2持って散歩へ)1 異貌行路前編


ペッツ57mF2
ますます凄みを見せてくれている、そんな感じがします。

もともとペッツヴァールレンズは、中心付近では見事な切れ味。
その豊かな切れ味によって浮かび上がる主題を、
夢幻的なバックグラウンドがふんわりと浮かび上がらせるあたりに、
ペッツヴァールの醍醐味があります。

ペッツ57mF2では、ちょっと違う感じ。
その醍醐味は少しシフトして、
オリジナルの切れ味に現代レンズ的な厚みとコントラストを加味して、
意外性に満ちた異貌のたたずまいを生み出すあたりにありそうです。




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# by Sha-Sindbad | 2018-01-16 23:30 | Petz57/2 | Comments(0)

1923 号外(2017年12月31日ペッツ57mF2が世界初登場!)3 チョロスナlife


気がついたら、もう1月14日ですね。
元旦から2週間も経ってしまっていますね。
昨年11月来、私は疾風怒濤に翻弄される木の葉の生活でした。
撮影に出かけたのはたった一回。
写真は撮ってきましたが、すべて所用の移動のついでに撮っただけ。

むかしから「チョロスナ」は禁物とされてきました。
機会に乗じて、なんにも思い入れもコンセプトもなしに、
チョロッとスナップしても、見る人が見れば、
なんの気合いも入っていない偶然の産物だと分かる、というわけです。

でも、私はまるっきり意に介しません。
昔から、「チョロスナ」しかしたことがないと言ってももよいほど。
ロボグラフィ専科になっても、事情は変わりません。
なんにも作画も意図もないまま、カメラに任せて、シャッターを押すだけ。
このような安直そのものの写真スタイルは誰の目にも明らかなようで、
私のブログライフは静穏そのもの。

2018年はそうした「チョロボグラフィ」人生はさらに深化して、
おっと、浅化していきそうです。
でも、面白いものですね。
私の場合、写真を始めた最初の時点から一貫して、
「チョロボグラフィ」、それが私の写真人生でした。
私という人間がそもそも立身出世も栄耀栄華も無縁の人生に徹して、
公私のすべてにわたり1人楽しむことが喜び、
という人間に徹してきたのですから、
写真だけは別なんて起こりっこなかったわけです。
2018年も生活のすべてのレベルで、
「孤高」ならぬ「孤底」のライフを満喫することにしましょう。

そんな私ですから、ペッツ57mF2では苦戦を強いられている、
そう言ってもよいかもしれません。

颯爽たる気っぷの良さがどうやらこのレンズの身上。
現代的なペッツヴァールを求める方には最適でしょう。
私のように泥臭く低迷するロボグラフィの路地裏をはい回る人間には、
なんだか地が関西人なのに、気がついたら、
東京弁をしゃべってはしゃいでいる、そんな自分に気づいて、
なんだか「浅はか」みたいだな、と、反省を強いられる、
そんな状況に近い感じ。

あるいは、ちょっと極端な喩えですが、
初めてスケートリンクに下り立って、
氷上をよたよた、よろよろ、おずおずと進んでいたら、
突然、脚を取られてスッテンコロリンと宙を舞おうとしたその瞬間、
なぜか、身体をさっと回転させて、全身をフンワリ宙に舞わせて、
すっと氷上に降り立ってしまった、という、
あり得ないハプニングが起こってしまった感じ。
レンズとしての凄みが私をかえって戸惑わせているというのが、
正直な気持ちです。

もっとも、銀塩カメラからソニーα7等のデジタルカメラに移行して、
銀塩時代はボケレンズとして私を喜ばせていたレンズたちが、
かなりキリリとした輝きを見せて、私を戸惑わせる、
そんな傾向をこのレンズも見せてくれるだけかも知れませんが...




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# by Sha-Sindbad | 2018-01-14 22:23 | Petz57/2 | Comments(0)

1922 号外(2017年12月31日ペッツ57mF2が世界初登場!)2 橋渡し


カメラマンはどんな写真を求めるでしょうか?
最低条件は明らかです。
完璧な画像。
現代のカメラ、レンズはその要請を満たすべく、
各社、賢明の努力を払っているようです。
私が学んでいる吉田正さんの写真教室でも、
メンバーの皆さんが文字通り最高の画質の写真を持ち寄ります。
そして、そうした最高の画質を下支えにして、
見事な写真世界を積み上げようと、懸命に努力なさっています。

私は?
その正反対かも知れません。
最低の画質を求めて、長年レンズ行脚してきました。
写真黎明期のオールドレンズたちを使ってきました。
現代のレンズがスーパーリアリズムを追求するのに対して、
オールドレンズたちはリアリズムとは対極の、
茫洋、幽玄の境地に傾斜するようです。
私にはそれがたまらない魅力。

このように考えますと、「東は東、西は西」という感じで、
互いに相容れない関係にあるように思えてきますが、
新たに登場したペッツ57mmF2は、もしかすると、
「橋渡し的存在」なのかも知れない、そんな感じがしてきました。
颯爽たる切れ味も見せてくれます。
ペッツヴァールらしい大ボケも見せてくれます。
マルチコートされているせいもあるでしょう。
現代的味わいで蘇ったオールドレンズ、
そんな印象が次第に濃くなってきました。





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# by Sha-Sindbad | 2018-01-11 21:22 | Petz57/2 | Comments(0)

1922 号外(2017年12月31日ペッツ57mF2が世界初登場!)1 新古典レンズを高畑町で使う!


宮崎貞安さんから又ニューレンズのプロトタイプが届きました。
昨年届いたHistrioDagonar40/6.3に続き、
19世紀の古典レンズの現代復刻版です。

   Petz57mmF2

ペッツバールレンズを現代に蘇らせました。
ただし、ペッツバールレンズのほとんどは、
かなり大きなサイズのフィルムで使われたので、
35㎜サイズのソニーα7のようなカメラでは、
かなりの望遠レンズになってしまうレンズが大半。
宮崎さんはペッツバールのレンズ構成を若干修正して、
57㎜F2という使い勝手の良い焦点距離に収められました。

さて、どんなペッツバールレンズとなったか?
まずは、ご覧下さい。



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# by Sha-Sindbad | 2018-01-06 22:06 | Petz57/2 | Comments(0)

1920 秋(2017年9月18日スピードアナスチグマート25mmF1.5の飛鳥路を歩む)4-完-帰りなん、いざ


私の写真の師匠、田島謹之助さんの言葉をいくつも覚えています。
その中で一番怖い言葉は、これまでにも幾度か書いたと思います。

  「写真を1枚見ただけでは、
  撮影者の人となりは分からないけど、
  3枚見たら、分かるよ」

田島さんが私の写真を幾枚もご覧になって、
私の人間性をどう感じ取られたかは分かりませんが、
それが何であるにせよ、数年親身になって教えていただいたことで、
さほど否定的なものではなかったとお察しいただきたいものです。

でも、私が不肖の弟子であったことは否定しようがありませんね。
ついに自分らしい写真を自在に撮れるほどには上達はしなかったし、
人の写真を何枚見ても、撮影者の人となりなど分からないまま。
分かるとしても、その写真が好き嫌いの程度でしかない。

スピードアナスチグマート25mmF1.5の撮った飛鳥路、
今回で終わり。
田島さんクラスの眼力の人物がこれを見ることがないよう、
祈りたいものです。
なにを読み取られるか、分かったものじゃありませんから。

私が自分の写真たちから読み取れるもの、それは、
飛鳥稲淵にはまだ緑豊かな田園が残っている、ということ。
そして、訪れる人もあまりないこと。
気持ちが安まります。
私が30年前に、幼い頃過ごした大和の地に戻って以来、
奈良盆地の大半が都会化しようとしている惨状。
(これを発展と呼ぶ方とはあまりお付き合いしたくないですね)
その中で僅かに残された田園がここにあります。
この稲淵に住宅地が開発されることのないように、
神様にお祈りしたいですね。

役人にたちにはけっしてお願いしないでおきます。
下手に陳情すれば、
「おっ、ここにも開発の手を加えねば!」
なんて、寝た子を起こすことになりかねませんから。


私の写真の師匠、田島謹之助さんの言葉をいくつも覚えています。
その中で一番怖い言葉は、これまでにも幾度か書いたと思います。

  「写真を1枚見ただけでは、
  撮影者の人となりは分からないけど、
  3枚見たら、分かるよ」

田島さんが私の写真を幾枚もご覧になって、
私の人間性をどう感じ取られたかは分かりませんが、
それが何であるにせよ、数年親身になって教えていただいたことで、
さほど否定的なものではなかったとお察しいただきたいものです。

でも、私が不肖の弟子であったことは否定しようがありませんね。
ついに自分らしい写真を自在に撮れるほどには上達はしなかったし、
人の写真を何枚見ても、撮影者の人となりなど分からないまま。
分かるとしても、その写真が好き嫌いの程度でしかない。

スピードアナスチグマート25mmF1.5の撮った飛鳥路、
今回で終わり。
田島さんクラスの眼力の人物がこれを見ることがないよう、
祈りたいものです。
なにを読み取られるか、分かったものじゃありませんから。

私が自分の写真たちから読み取れるもの、それは、
飛鳥稲淵にはまだ緑豊かな田園が残っている、ということ。
そして、訪れる人もあまりないこと。
気持ちが安まります。
私が30年前に、幼い頃過ごした大和の地に戻って以来、
奈良盆地の大半が都会化しようとしている惨状。
(これを発展と呼ぶ方とはあまりお付き合いしたくないですね)
その中で僅かに残された田園がここにあります。
この稲淵に住宅地が開発されることのないように、
神様にお祈りしたいですね。

役人にたちにはけっしてお願いしないでおきます。
下手に陳情すれば、
「おっ、ここにも開発の手を加えねば!」
なんて、寝た子を起こすことになりかねませんから。




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# by Sha-Sindbad | 2018-01-04 17:48 | Sp.Anastigmat25/1.5 | Comments(0)

1919 秋(2017年9月18日スピードアナスチグマート25mmF1.5の飛鳥路を歩む)3 謹賀新年


明けましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。

2017年はあっと言う間に過ぎた感じがします。
うかうかと一年を過ごした感じがします。
本年は、心を入れ替えて、一瞬一瞬を大事に生きたい、
そう念願しています。
でも、いつもそんな風に決意しながら、
気がついたら、時間が経っている、そんな感じがします。

早い話、写真がそうですね。
写真を始めた頃は心の底から念願したものでした。
人が撮れないような、入魂の傑作をものしたい!
それ以来40年以上経過し、たゆまず写真を撮り続けてきましたが、
気がついてみると、最初の志とはかなり外れてしまったようです。
人が撮りたくないようなロボグラフィしか撮れない、
自分にだけ分かって、心から満足しつつも、
人にはまるで共感してもらえない写真しか撮らない、
そんな境地にいつしかたどり着いていたわけです。

じゃ、今年はどうするか?
どうもしません。
ただ続けるだけ。
段々と分かってきました。
自分が撮りたい写真なんか撮ろうと思っても、
撮れるものじゃない。
どう思おうが、自分の撮りたい写真を撮るって、
並大抵の技ではかなうものではない。
そうではなくて、自分が撮れる写真しか撮れないのだ。

時折、こんな言葉をもらす写真家が居られます。
「近頃ようやく自分が撮りたいように撮れるようになりました」
羨ましいですねえ。
どんな風に撮りたいのか、今になっても分からないのですから。
そんな私がレンズの個性、描写力に心を奪われるのは当然なのです。
レンズたちが撮ってくれる写真を楽しむことで、
「自分が撮れる写真」にバラエティを与えて欲しい、
それしか私にはできないのだから。
本年も、レンズの贈り物を味わう喜びに徹することにしましょう。



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# by Sha-Sindbad | 2018-01-02 23:36 | Sp.Anastigmat25/1.5 | Comments(0)

1918 秋(2017年9月18日スピードアナスチグマート25mmF1.5の飛鳥路を歩む)2 秋たけなわ


かなり以前の撮影をまだ引きずっています。
つまり、それ以降、ブログ掲載待ちの写真たちが行列。
かなり季節感がずれてしまっています。
でも、はしょる積もりはありません。
数ヶ月も経てば、そんなことはどうでもよいことになります。
レンズたちを平等に扱ってあげなきゃね。

さて、今回は、Cマウントレンズの白眉、
スピードアナスチグマート25mmF1.5が撮った飛鳥路。

レンズは化けますね。
あの春風駘蕩、茫洋たるボケレンズが、
オーソドックスな優等生レンズに!
こんな変身がどうして起こったか?
私にはまったく心当たりがありません。
まあ、いいでしょう。
それがスピードアナスチグマートの包容力なのかも?





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# by Sha-Sindbad | 2017-12-30 12:43 | Sp.Anastigmat25/1.5 | Comments(0)

1922 号外4(2017年12月27日ヒストリオ・ダゴナール40mmF6.3とモンチッチ)


ヒストリオ・ダゴナール40mmF6.3を使えば使うほど、
画像のあたたかさに身上があるのかもしれない、
そんな感じがしてきます。
立体感と色あいがそう感じさせているようです。

レンズにあたたかさを求めても、仕方がないじゃないか?
そうお考えの方も多いかも知れません。
良いレンズというものの価値、役割は、
完全にニュートラルな再現性にある、
撮影者が主体で、レンズは道具に過ぎない!
そんな考え方です。

私は、写真を始めてからずっと、別の考え方をしてきました。
レンズは伴侶であり、パートナーである、
それが私の偽らぬ気持ちです。

皆様(男性に限定)の伴侶(女性に限らない)もそうでしょう、
けっしてあなたの手の平にはりませんね。
それがいやだ、とお考えの向きもあるでしょう。
私は違います、そう簡単に手の平にるような伴侶では、
長い人生を共にする価値も甲斐もない、そんな感じがします。
私の伴侶など、私の手の平にるどころか、
油断すると、私を自分の手の平に載せようとするので、
まあ、逃げるのに骨が折れます。
でも、逃げている、というのは私の幻想かも知れない、
そんな幻想を醸し出しつつ、私を自分の手の平で踊らせている、
それが真相かも知れません。

レンズもかなり似ています。
おいそれと神髄、性能を見抜けるようなレンズなんて、
撮影を共にする伴侶には不足ですね。
私がレンズに望みたい理想は様々であり、
ときにはレンズによって異なることがありますが、
少なくとも、温かさとメタモルフォーゼ、
この2つは求めたいですね。

Histrio-Prot40mmF6.3、
このレンズはどうやら私の基準に合格、
そんな気がしてきました。



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# by Sha-Sindbad | 2017-12-29 22:26 | HistrioDagonar40/6.3 | Comments(0)

1921 号外3(2017年12月22日ヒストリオ・ダゴナール40mmF6.3奈良三条通を駆け抜けた)2


与謝蕪村の画文集を楽しみました。

   「蕪村 放浪する「文人」」(新潮社)

そのラストに写真家野中昭夫の作品群と秀句とを組み合わせています。
誰がしたのか知りませんが、写真と句との対比が見事です。
主に望遠レンズを活用した風景写真、
これが写真なんだなあ、そんな感じがいかにもして、
見事な写真作品です。
芸術新潮のスタッフ・カメラマンとして長年活躍した人で、
写真家としての確固たる地位を築いている方のようです。

写真愛好家の99.9%が異口同音に言うでしょう、
  「いいな!
   素敵だな!」

私もそう言います。
でも、写真家に申し訳ないけど、頁を閉じた途端に、忘れます。
なぜ?
撮影者である写真家の心がどこにも感じられないからです。
感じられない私に問題があるのかも知れません。
でも、とにかく感じられないのです。

偉大な風景写真家たちの作品のほとんどは、
遙かに劣った性能のレンズたちで撮っていますが、
被写体と向かい合って立つ写真家の心が直に感じられます。
写真を通じて、写真家の心と直にふれあうことができます。
撮影時の気分も感じられます。
アンセル・アダムズ、エドワード・ウェストン、入江泰吉、
みんなそうです。

私の勝手な憶測ですが、
現代の最高級レンズたちは、完璧無比の画像というスクリーンで、
写真家の心を覆い隠してしまうのかも知れません。
なぜ?
肉眼を遥かにしのぐイメージだからです。
私たちは、少なくとも私は、
現代の写真イメージのようには外界を見ていないし、
そんな風に見たいとも思っていない。

そもそも私たちはパンフォーカスの目なんか持っていない。
本当に見たいものに注意を集中して見ています。
あとはバックグラウンドの役割でそっと控えておいて欲しい。
(念のため。
ホロゴンはもちろんパンフォーカスです。
でも、写真をご覧になったらお分かりになるでしょう。
写真中心部は縁辺部の8倍の明るさがあります。
そのお陰で、視線は常に中心部に集中する仕掛けになっています)

前置きが長くなりましたが、
じゃ、ヒストリオ・ダゴナール40mmF6.3はどうなんだろう?
現代レンズに劣らない描写性能を示している、
そんな感じがします。
でも、こうして何十枚も並べて見て感じるのですが、
いや、そうなんだけど、やっぱり古典的なたたずまいがあって、
画像は確かにシャープだけど、
現代レンズほどの超絶リアルではありませんね。
そして、背景は背景らしくそっと脇役に廻ってくれる、そんな感じ。
現代レンズとは一線を画する個性がありそうです。




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# by Sha-Sindbad | 2017-12-28 21:57 | HistrioDagonar40/6.3 | Comments(0)

1920 号外3(2017年12月22日ヒストリオ・ダゴナール40mmF6.3奈良三条通を駆け抜けた)1



本レンズの本名はこうです、

  「HISTORIO-DAGONAR6.3-40 Collction NO.2 BL S」

この名称で、宮崎貞安さんがレンズ愛好家たちの知性を
かなり高めに評価しておられることが分かります。
私は落第。
ちょっと覚えきれませんね。

宮崎さんの制作コンセプトはこうです、
「ゲルツのダゴールの現代的復元を追求。
ダゴールは1905年、フォン・フーフによる設計。
ゲルツ社から発売された。
暗いレンズであるが、その高性能はトリプレット・テッサーを
はるかに上まわり、スタジオ用、風景等作画用として
高い評価を与えられた。
当時のガラスが次々と生産中止の中運良く入手可能であり、
復元設計ができた。
使用した硝材2種が近々なくなるため、
当レンズが最後のレンズとなると思う。
解像力、コントラストは前作プロターを10~15%上まわり、
開放で10μ以下、f8以上では5〜8μ像に達する」

このような歴史的名レンズがMマウントレンズとして復元され、
ソニーα7のようなミラーレスで使えるのですから、
まさにレンズ愛好家冥利に尽きる、というところです。

今回は、前回の続き、JR奈良駅に帰り着いて、
近鉄奈良駅までロボグラフィ散歩。
40分程度で、90枚撮影しました。
次第にダゴールらしい晴朗なる剛毅、
という雰囲気が出始めている、そんな感じがしてきましたが、
いかがでしょうか?


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# by Sha-Sindbad | 2017-12-26 17:09 | HistrioDagonar40/6.3 | Comments(0)

1919 号外2(2017年12月22日ヒストリオ・ダゴナール40mmF6.3ユニシティの5分をずしりと)


宮崎貞安さんのニューレンズ、
ヒストリオ・ダゴナール40mmF6.3は、
往年の名レンズ、ゲルツ社のダゴールの復刻版。

ウィキペディアは、このレンズについてこう記載しています。

「ダゴール(Dagor )はドイツのカメラメーカー、
ゲルツが製造していたカメラのレンズ。アナスチグマート。
設計者はエミール・フォン・フーフ。
ピントが鋭くまた内面反射が少なくコントラストが高いため、
このレンズで撮影した写真は一目で分かると言われていた。
2群6枚構成でゲルツを代表する名レンズとして知られ、
ジェームズ・A・シンクレアなどイギリス製カメラにも多数が取り付けられるなど
同時代のライバルだったカール・ツァイスのプロター以上に広く使用されていた。」
「名称はドッペルアナスチグマート・ゲルツ(Doppel-Anastigmat Görz )の略」
「プロターとの比較では、黄緑色にカブるプロターより色再現が良く
カラー写真にも充分使用できる。」

元来は大判用のレンズだったようです。
ウィキペディアの記載によれば、
ベストポケットテナックスに固定装着されたダゴール75mmF6.8 が、
ダゴールの中でも一番焦点距離の短いレンズだったようです。
以前、ウィーンのライカショップに65㎜を見かけたことがあります。
宮崎貞安さんがお作りになった復刻版は、さらに広角の40㎜です。
かくして35㎜判用小型カメラに使えるようになったわけです。

この2ヶ月、家庭の都合で、ほとんど撮影のための余暇がとれない状況、
かろうじて、所要で出かけたときの道すがら、わずかに脚を止めて、
ヒットエンドランするだけ。
宮崎貞安さんのためにニューレンズを試写するには厳しい状況にありますが、
円筒のストゥーパの天辺をカットしたような独特の、とても魅力的な形状で、
最近作Histrio-Prot40/6.3に続く、歴史的名レンズシリーズの第2弾だけに、
あらゆる機会を捉えて、試写させていただくことにしました。

今回は、久しぶりに揚琴演奏家、付虹先生のレッスンを受けた帰りに、
高層高級マンションのプロムナードの古木造形を中心に試写しました。

まだ、レンズの個性をしっかりと把握することはできませんが、
今一言言えることは、並外れた抜けの良さ!
Histrio-Prot40/6.3は19世紀のレンズ設計の古色がうかがわれましたが、
このレンズには古色の気配はほとんど認められない、そんな感じ。



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# by Sha-Sindbad | 2017-12-23 22:33 | HistrioDagonar40/6.3 | Comments(0)

1918 号外(2017年12月20日ヒストリオ.ダゴナール40mmF6.3片手に屋内探検)


レンズ改造名人、宮崎貞安さんから久しぶりにコンタクト。
ニューレンズを送ったよ。
翌日、送られて来たのは、まさに歴史的レンズの復刻版。

   Histrio-Dagonar40mmF6.3

二女が第二子出産のため帰郷した直後から戦争。
第一子である孫プリンセス2号の世話で常時戦闘状態に。
まだ2歳半ですが、話し方、行動、すべてがもう一人前。
探検好きで、なにも見落としません。
家の中の手に届くものすべてを根こそぎ点検中です。
シーンとなったら、もうなにかの袋や箱を持ち出して、
ひっくり返して、その場にばらまき、一々取り調べ。
いやはや。

とても試写のために外出できませんので、
まず屋内でざっと試写してみました。
まあ、とにかくご覧頂きましょう。





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# by Sha-Sindbad | 2017-12-19 23:52 | HistrioDagonar40/6.3 | Comments(0)

1917 秋(2017年9月18日スピードアナスチグマート25mmF1.5の飛鳥路を歩む)1 大和路らしく


飛鳥路には、もう一本、Cマウントレンズを持参。
スピードアナスチグマート25mmF1.5
大和路の秋には、茫洋とした風情のダルメイヤーレンズが似合います。
まあ、ご覧下さい。
(あんまり家事に忙しくて、
落ち着いて文章を書く暇もありません。)

おりから別ブログ「わが友ホロゴン」では、
ビオゴン21mmF4.5の同日飛鳥シリーズ。
このツァイスの不朽の名レンズの一つに負けない、
そんな感じさえ抱かせてくれます。
いかがでしょうか?



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# by Sha-Sindbad | 2017-12-16 15:25 | Sp.Anastigmat25/1.5 | Comments(0)

1916 秋(2017年9月18日スピードアナスチグマート25mmF1.5の飛鳥路に) 閃きと偶然



近ごろ、多忙を極めていて、書斎の机の前に座るのはいつも真夜中。
孫プリンセス2号の夜の読書に付き合わなければなりません。

昨夜など、大変な苦労。
題名は忘れました、地下百階の底に降りて行くお話。
2歳の孫プリンセス、自分だけ横になり、
私は横に座る状態を指定して、「この本を読んで」
ところが、縦長大判なのです。
縦長の見開き2ページ分が地下10階の一軒分で、
7、80センチもあります。
横に座ったままでは、孫の眼前に保持するのも一苦労ですが、
第一、絵も字も見えません。
大きく首を傾けて、覗き込んでも、ろくに見えません。
ろくろっ首だったら、楽に読めるでしょうけど、
私は、借金でろくに首もまわらないのですから、
いささか疲れました。
「もう一回読んで!」
やむなく適当に話を作りながら、
もう一度、ページを最初から繰りました。
でも、ご本人もどうやら疲れたようです。
5ページも進むと、目がぼんやりしてきました。

孫プリンセス、2歳ですが、幼児だと思って油断できません。
今日も、産婦人科医院に入院中のママを訪ねた際、
ママの携帯電話を見て、ふっと思い出したのです、
ママから古い携帯電話を貰っていたことを。
ママに「青い携帯電話どこにいったの?」
遠く関東の自宅に残して来たのですが、
孫プリンセス、産婦人科医院でなくしたと思い込み、
突然ふっと頭に閃いた推理を、ママにぶつけました。

  「看護士さんがとったんじゃない?」

私の携帯、ママが盗るわけがない。
とすると、看護士さんが盗ったに違いない、という風に、
推理したわけではないかも知れませんが、
2歳の幼児が「看護士さん」という職業を知っていること自体、
かなり驚かされますね。

どうやら幼児たちの知的な発育は、順番ではなくて、
一人一人、閃きと偶然にかかっているのかもしれまえせね。




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# by Sha-Sindbad | 2017-12-14 00:20 | Sp.Anastigmat25/1.5 | Comments(0)

1915 朧に(2017年9月20日マクロスイター26㎜F1.1が京都駅界隈をしっとりと)2 触感行為


人間の感覚、センスというものは千差万別ですね。
ある人が美しいと思うものを、ある人は醜いと思う。
ある人がこよなく愛するものを、ある日は唾棄する。
そんなことはありふれた出来事のようです。

まさに「なんでもない」ロボグラフィを撮り続けてきますと、
自分の感覚がかなりありふれていない、
その上、「フォトジェニック」ということも、
「独創性」ということも、一向に気にかけていない、
ということに気づかされます。
写真や芸術作品をコピーすることもまるで平気。
独創性を重視する人には堪え難い不節操、と写るでしょう。

目の不自由な方は、ものの存在を実感するためには、
触らなければなりません。
私がやっていることはそれなんだ。
見るだけでは見えないものがある、
写真に撮るという行為を経ることで、
はじめて見えてくるものがある、
そう気づきました。

そこで、分かってきたことがあります。
私にとって、写真は表現行為ではない。
知覚行為、それももっとも親密な触感行為なのだ。

闇の中、半ば寝ぼけたまま手を伸ばす、
すると、その手の先に得も言われない柔らかさを感じる。
えっ、なんだろう?
これまで経験したこともない感触。
一体なんだろう?
目覚めつつ、両手を伸ばして、確かめようとする、
そんな営為、それがロボグラフィ。

Cマウントレンズを使うとき、
そんなロボグラフィ的触感作用が一際強く感じられます。

写真愛好者は地球上に何億といるでしょう。
21世紀人でないと体験しえなかっただろう、
そう思えるほどに、超リアリティ、超客観性、
そう言いたくなるような精密描写を愛する人の方が、
圧倒的に多いでしょう。
私のように、朦朧態のボケボケ写真にしびれる人は、
圧倒的に少ないでしょう。

今回のマクロスイター26㎜F1.1写真は、
もしかすると、リトマス試験紙かも知れません。
「なんだ、これは?
こんなのどこがいいの?」
そうお感じになったら、私の二つのブログは、
あなたには無縁、そう申し上げてもよろしいでしょう。




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# by Sha-Sindbad | 2017-12-09 18:06 | MacroSwitar26/1.1 | Comments(0)

1914 朧に(2017年9月20日マクロスイター26㎜F1.1がバス停あたりをしっとりと)1 ワクワクタイム


12月5日火曜日、
長女の子供達の保育園のワクワクタイムでした。

保育園の2歳児から5歳児(大半は6歳)の各クラスが、
それぞれに教室でパフォーマンスを見せてくれる催し。
自分の孫の成長ぶりを改めて確認できますが、
それとともに、4、5年の間、一緒に育ってきた子供達、
全員の成長も観ることができます。

ワクワクカーニバル(運動会)で、
さまざまなパフォーマンスを見せてくれたのに、
つい1ヶ月ほどたったばかりなのに、
楽しげに3つのパフォーマンスを演じてくれました。
童謡を日本語、韓国語、中国語、ヴェトナム語、英語で歌ったり、
合奏したり、劇を演じたり、と、
演じる園児たちも大したものですが、
しっかり教え込む保母さんたちの努力と能力は大したものです。

今回が最後のワクワクタイムとなる6歳の孫の成長ぶりを観るにつけ、
保育園から受けた恩恵は計り知れないものがあると、
その都度、感嘆させられてしまいます。

30人弱の園児たちが、5年間もの間、
互いに性格を知り尽くした上で、
毎日朝から夕方まで一緒に過ごすのですから、
まさに兄弟姉妹同然の関係を結び、社会性を身につけてきました。
どんなところでも人見知りすることなく、
年長、年下の子供達ともまったく自然に接することができます。

3歳児クラスのときには、ちょっとした寸劇で、
かぼそく蚊のなくようなセリフをつぶやいていた孫プリンスが、
6歳の今、3度ばかり、しっかり透る声でセリフを言うのを聴いて、
そのあまりの変貌ぶりに驚き、
保母さんたちに限りない感謝を感じるとともに、
ちょっと大げさと思われるかも知れませんが、保育園教育は、
孔子の言った「修身斉家治国平天下」の出発点となってくれる、
そんな気さえしました。

さて、今回の写真は、私も、同じ孔子様の言葉に沿って生きてる、
そんなことを実感させてくれる、バス停までのロボグラフィ。

  「足るを知る」

フォトジェニックな光景を求めて遠く出歩くことはほとんどなくなり、
日常のなにげない出会いを記録するだけで足りる、
そんな写真生活にいつしか移行してしまいました。
バス停までの往還なんて、なんの変哲もない道行き。
そんな道行きでの撮影を飽きもせず続けている私は、
だんだんと不動産と化しつつあるのかも知れません。
それでもいいんじゃない?

Cマウントレンズの私にとっては最高峰の一本、
マクロスイター26㎜F1.1が撮ってくれた写真たち、
その穏やかな表情は、私の撮影時の表情を谺しているのかも、
なんて、考えたくなってしまいます。




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# by Sha-Sindbad | 2017-12-08 22:48 | MacroSwitar26/1.1 | Comments(0)

1913 アートの日(2017年9月16日プリモプラン58㎜F1.9がアートに対抗し)3 よすが



今回は、9月16日のプリモプラン撮影の残り19枚。
帰路につくためバス停でバス待ちをしながら、
そして、バスの窓から、撮ったものです。

フォトジェニックでもなんでもない。
カメラマンなら、ほとんど誰も撮らないでしょう。
外出したら、のべつ幕無し撮っている、なんて、
写真家のやることじゃありませんね。

撮りたいものがあるから、撮るのではありません。
撮りたいから、撮る。
そのとき、どんなものにレンズを向けるか?
私の視線が止まったもの。
どんなものに視線が止まるか?
そんなこと、出会ってもいないのに、言えるか!

写真家なら、こう考えるかも知れません、
「よし、今日は飛鳥の夏を撮るぞ」
「ひさしぶりに暮れなずむ都市の晩秋を撮ってみよう」
私は、シンプルです、
「今日は用があるから出かけてくるよ」

バッグには必ずカメラが入っています。
カメラ、ポメラ、ウォークマンはホロゴン三種の神器。
日常茶飯事、いつも行っている場所ばかりで撮っています。
飽きもせず。
なぜ?
いつも予期せぬ出会いがあるから。
それが人生の醍醐味じゃありませんか?
そんな私の出会いをサポートしてくれるのか、レンズたち。
プリモプランも一杯サポートしてくれました。

写真家なら、そうやって手に入れた写真から、
作品性のあるものをセレクトします。
私もセレクトします。
だけど、選択基準は、作品性ではありません。
記憶したい、ただ、それだけ。
自分の人生の足あととして、
思い出すよすがとして。




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# by Sha-Sindbad | 2017-11-30 11:40 | Primoplan58/1.9 | Comments(0)