1882 伽藍写(2017年8月10日エルマジ95㎜F2.2で東大寺乱写)5 衝立効果
近頃、ちょっと多忙のようで、毎日出歩いています。毎日かかさずウォーキングをすることにしたことも手伝っています。ひたすら歩くことに徹するのが本当のウォーキングでしょう。でも、性格が邪魔してしまいます。単に歩くだけでは、時間の無駄のように感じてしまいます。そこで、撮影も同時にやってしまう。そうすると、どうしても散歩の時間が長くなります。なぜなら、「なにかに出会って撮る」という喜びが募るからです。たとえば、食事を作ったり、食器を洗うといった家事を、退職以来、随分沢山分担しています。家事そのものが大切な仕事であることは十分承知していますが、そんなとき、ウォークマンで朗読を聞き、音楽を楽しむと、大切な仕事をさらに楽しむことができる、楽しめば、さらに念入りにすることさえできる、そんな我田引水的理屈。でも、外出をしてもなお、家事の分担分は減らないので、ますます忙しくなる道理。おかげで、ブログの更新がなおざりになってしまいます。私のこうした駄弁は、なにか大切なことを書きたいとしても、全然インスピレーションが湧かないときの常套手段。幸いキーボードの入力は得意中の得意。完全ではありませんが、ほぼ考える速度で入力できます。よほど考える速度が遅いんだねと突っ込まれそうですが、その通りなので、あえて反論はしないことにしています。でも、実のところ、こうした駄弁はちょっとした戦術。私の文章は日記であり、日々の思考の記録なのですが、その反射的効用は衝立効果。私の文章があまりにもプライベートなので、誰も読み進めない。おかげで、私の写真を観る人がますます少なくなります。観ていただいても、ろくな印象は抱かれないだろう、ということが分かっているので、そもそも写真に目を通したいという気持ちを殺ぐ効果。なぜ、そんな効果を狙うか?私は写真を単なる人生の歩みの記録として撮っているのに、人が私のブログを写真作品の展示と思う間違う危険があるから。どうやら今の所、私の意図は狙い通りの効果を奏しているようです。今日も吉田正さんの写真教室のメンバーからぼやかれました、「ブログ、目を通しましたが、どうも、文章が長くて」私、しめしめというところ。
by Sha-Sindbad
| 2017-09-21 23:35
| Hermagis95/2.4
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