1828 西大寺(2017年6月5日エルマー35㎜F3.5が久しぶりに繰り出した)2
私には若い頃から隠者に惹かれるところがあったようです。
名声を欲しい、なんて思ったことは一度もありません。
そのせいでしょうか?
いざ、その憧れの隠者になってみると、これが楽しくてたまらない。
そんな隠者の理想の世界を描いた作品があります。
池大雅「十便帖」・蕪村「十宜帖」
その中でも、大雅の「吟便図」が好きですねえ。
窓辺に置かれた低い机に左肘をついて、
右手には筆をもったまま窓の外の山水を眺めている、
文人の後ろ姿。
大雅がこの画に付けた詩は至極平明です、
「両扉無意対山開
不去尋詩詩自来」
この絵の中の文人、我田引水的に言えば、
ロボグラフィが好きなのです。
この絵を見ていて、左下隅に目をやって、驚きました。
私には、背もたれ、肘掛けのついた椅子にしか見えません。
一体何なのでしょう?
もちろん、中国はかなり昔から椅子式の生活だったようです。
でも、質素な平屋に隠棲の身です。
わざわざ机まで置いているのです。
「ああ、疲れた、ちょっと一休み」と安楽椅子に腰掛ける、
なんてことをするでしょうか?
窓から見える山水に心を奪われ、時間の経つのも忘れる、
そんな隠者が窓に面した席の醍醐味に心を奪われることなく、
「座卓に座しておったら、しびれが切れたわい」なんて、
肘掛け椅子に移るなんてことがあるでしょうか?
ちょっと話がレンズから逸れましたが、
やっぱり気になって。
現代に戻って、にわか隠者の私としては、
ますます古いレンズ、それも、
第2次世界大戦前のノンコートレンズたちの
コントラストの弱い描写に傾きますね。
エルマー、しびれます。
by Sha-Sindbad
| 2017-07-06 21:34
| Elmar35mmF3.5
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