1733 新大阪(キノプラズマート19㎜F1.5ならリコーダーのお供だってでき)
一緒に居ると、楽しい。
楽しいだけではなく、なにかと啓発される。
別れる時には、出会う前よりも少し賢くなり、
心も晴々としてしてくれる、
そんな友が真の友、と言うべきでしょう。
私はそんな友に幾人も恵まれたという点で、
幸運の女神は私に大きく微笑んでくれている、
そんな感じがしています。
でも、幸運の女神が私に開いてくれた扉は、
人に通じるばかりでなく、
さまざまなモノや場所にも通じているようです。
でも、女神が連れて行ってくれるのは、扉の前まで。
そんな扉を開くのは、私自身。
私にその準備ができていなければならないことは明らかです。
私にはその準備ができている、私はそう信じますが、
私が、人に比べて、とくに幸運かどうかは分かりません。
私には、私の限界は見えていないから。
でも、一つ、分かることがあります。
よいレンズはそんな扉を開いてくれる。
そして、私はそんなレンズをかなり沢山持っている。
そう思える理由も、私には分かっています。
大抵の写真家は、レンズは道具、そう考えています。
思い通りに駆使できるのが、よいレンズ。
でも、私はそうは考えません。
レンズを信頼して、レンズにすべてを委ねます。
そうすると、レンズは私の信頼に応えて、
私が予想も期待もしなかった素敵な写真をプレゼントしてくれます。
私は、だから、少なくともホロゴンが来て以来の20数年、
自分が撮った写真を「自分の作品」と考えたことがありません。
みんなプレゼント。
キノプラズマート19㎜F1.5は、私の大のお気に入り。
そんな期待と信頼をおけるレンズの一つだから。
でも、私だって、ものが見えます。
私がいいものが撮れたなあと心の底から喜びを感じられる写真が、
ほとんどの人には、なんの感興も誘わず、
むしろ、どうしてこんな写真を撮るんだと戸惑いを感じさせる、
そんな類いのものばかり。
どうしてそれが分かるか?
私が写真を見せると、
誰も、ほとんど誰も、沈黙で応えてくれるから。
「よいね」とか「私にはどうも分からない」なんて寸評さえもない。
ひたすら沈黙。
そして、目が死んでいる。
ホロゴンが来てから、どんどんそんな機会が多くなりました。
10年で慣れました。
そして、実は、それが気持ちがいい。
リンカーンのあの言葉、
「人民の人民による人民のための政治」を模して、
「私の、私による、私のための写真」、
私はいつもそうつぶやいています。
ますますそんな写真に傾斜していくでしょう。
なぜ?
レンズが私のためだけに歌ってくれているから。
だから、上記の言葉をより正確にすべきでしょう、
「レンズの、レンズによる、私のための写真」
新大阪駅界隈では、3時間のリコーダー合奏練習の直前、
撮影時間はたった10分間でしたが、
私の浮き浮きとした気分が移ったのか、
とてもご機嫌だったようです。
楽しいだけではなく、なにかと啓発される。
別れる時には、出会う前よりも少し賢くなり、
心も晴々としてしてくれる、
そんな友が真の友、と言うべきでしょう。
私はそんな友に幾人も恵まれたという点で、
幸運の女神は私に大きく微笑んでくれている、
そんな感じがしています。
でも、幸運の女神が私に開いてくれた扉は、
人に通じるばかりでなく、
さまざまなモノや場所にも通じているようです。
でも、女神が連れて行ってくれるのは、扉の前まで。
そんな扉を開くのは、私自身。
私にその準備ができていなければならないことは明らかです。
私にはその準備ができている、私はそう信じますが、
私が、人に比べて、とくに幸運かどうかは分かりません。
私には、私の限界は見えていないから。
でも、一つ、分かることがあります。
よいレンズはそんな扉を開いてくれる。
そして、私はそんなレンズをかなり沢山持っている。
そう思える理由も、私には分かっています。
大抵の写真家は、レンズは道具、そう考えています。
思い通りに駆使できるのが、よいレンズ。
でも、私はそうは考えません。
レンズを信頼して、レンズにすべてを委ねます。
そうすると、レンズは私の信頼に応えて、
私が予想も期待もしなかった素敵な写真をプレゼントしてくれます。
私は、だから、少なくともホロゴンが来て以来の20数年、
自分が撮った写真を「自分の作品」と考えたことがありません。
みんなプレゼント。
キノプラズマート19㎜F1.5は、私の大のお気に入り。
そんな期待と信頼をおけるレンズの一つだから。
でも、私だって、ものが見えます。
私がいいものが撮れたなあと心の底から喜びを感じられる写真が、
ほとんどの人には、なんの感興も誘わず、
むしろ、どうしてこんな写真を撮るんだと戸惑いを感じさせる、
そんな類いのものばかり。
どうしてそれが分かるか?
私が写真を見せると、
誰も、ほとんど誰も、沈黙で応えてくれるから。
「よいね」とか「私にはどうも分からない」なんて寸評さえもない。
ひたすら沈黙。
そして、目が死んでいる。
ホロゴンが来てから、どんどんそんな機会が多くなりました。
10年で慣れました。
そして、実は、それが気持ちがいい。
リンカーンのあの言葉、
「人民の人民による人民のための政治」を模して、
「私の、私による、私のための写真」、
私はいつもそうつぶやいています。
ますますそんな写真に傾斜していくでしょう。
なぜ?
レンズが私のためだけに歌ってくれているから。
だから、上記の言葉をより正確にすべきでしょう、
「レンズの、レンズによる、私のための写真」
新大阪駅界隈では、3時間のリコーダー合奏練習の直前、
撮影時間はたった10分間でしたが、
私の浮き浮きとした気分が移ったのか、
とてもご機嫌だったようです。
by Sha-Sindbad
| 2017-02-10 22:47
| KinoPlasmat3/4inchf1
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